第二十二章 第三部 巫女の義務
聞こえてくる甲高い悲鳴に足を急かす。
悲鳴という糸を手繰り寄せるように辿りついた先、そこに広がる光景。視界に飛び込んでくるその有様に暴力的な感情が膨れ上がる。
「何してんだ……てめえら!」
熊のように大きな男が二人、小学校中学年程度の年齢の少女を取り押さえていた。一人は体を押さえるように上から肩を掴み、サングラスをかけた一人は逃げ道を塞ぐように前に立つ。決して、広い路地ではないので、これだけでも動きは十分に封じることができる。
学園まで行く途中だったのだろうか、コートの下から見える黒いストライプ柄のスカートは制服に見える。制服姿の少女は肩までの金髪を振りながら、半泣きでいる。大きな青い目がうるうると揺れながら、その両目と俺の目が交錯する。
「あん? 誰だ、お前は」
低い声で男は告げる。
突然の来訪者に三人はこっちを見る。大柄の男達の迫力に、逃げ出してしまいたい衝動にもかられるが、逃げる足を大きく広げる。
「うっせえ! 誰でもいいだろ!? 男二人で女の子を囲んで、恥ずかしくねえのかよ!」
大柄の男が一歩、前へ踏み出す。大きな体が雪の地面にその太い足跡を残す。自分のものより一回りは大きい。
「おい、アンタ。さっきからごちゃごちゃと――」
「グチグチ言ってねえで、その子を離せよ!」
男への恐怖を己の気合でねじ伏せる。俺の叫び声で、男は驚いたのかその口を閉じる。
「いででで!」
少女を押さえていた男が情けない声を上げた。その男の手袋の隙間から見えた手首には、肌の色を赤に変えつつある歯形が見えた。
男の体を突き飛ばして、取り押さえられていた少女が駆け寄る。
「早く逃げるよ! お兄ちゃん!」
「は!? お、おにぃ……?」
少女は俺の手を握ると、そのまま走り出す。流されるままに、俺はその手を握り返す。
「待て! お前ら!」
男達の声が背後から聞こえた。その時には、既に俺と少女は彼らに背中を向けていた。
無論、男達は俺達を逃がすまいと大きな足音を立てながら迫ってくる。
俺は不慣れな足場に気をつけながらも少女と一緒にひた走る。
「このまま逃げるのはいいけど、どこに行くんだよ!」
「私に考えがあるから」
はっはっ、と息をしながら、少女はそう答えた。
自信に満ちた瞳を信じて、俺は少女に速度を合わせた。
「こっち」
少女が突然告げる、ぐいと手を引っ張る方向に体を傾ける。そして、その先の路地に飛び込む。
「次はこっちよ」
飛び込んですぐ、集中してなければうっかり通り過ぎてしまうぐらい曲がってすぐに少女は言う。俺は、慌てる暇もなく、すぐに出現した曲がり角に体を滑り込ませる。
それでもなお、追いかけようとする男達の声や足の音にびくびくしながら、俺は少女が言うままに、あっちこっちにと路地の中を駆け回った。
※
それからしばらくして、俺達は町の広場と思わしき場所で足を止めた。
「ここまで来れば……もう大丈夫そうね……」
リズミカルな呼吸をしながら少女は言う。
「手を離していたら、俺も間違いなく迷子になっていたな……」
何回曲がったか、何度道には到底見えない場所を走り抜けたかは分からない。そこまでして逃げ回るこっちもこっちだが、それでも追いかけ続ける奴らも奴らだ。
さて、と小さく息を吐きつつ、少女に視線を向ける。
「一体、どうして追いかけられていたんだ?」
「えーと……。どうしてだったかなぁ」
何故かばつが悪そうに少女は目を泳がせる。
俺は訝しい視線を送りながらも、それ以上は聞かない。
「……まあ、別に話したくないなら話さなくていいけどよ。俺もそれほど協力したわけじゃねえし。うーん……それじゃあ、名前でも教えてくれないか?」
「名前? 私の名前は、ルイザだよっ。お兄ちゃんっ」
「さっきから思ってたんだが、俺はお兄ちゃんじゃねえぞ」
「いいじゃん! お兄ちゃんだ! って、私が思ったんだから」
「変な理由だな、おい」
「しょうがないじゃん。最初にお兄ちゃんが来た時に、胸の奥底からモゾモゾと湧き上がる感情があったんだから。うん、これは間違いなくお兄ちゃんだな。と直感したわけなのよっ」
「むちゃくちゃだな、まったく……。ところでルイザは、いくつなんだ」
パッと見ても、ルイザは中学生にも見えない。しかし、ジタバタと自分のことを語るルイザの姿はヒヨカと重なる。
気が付けば、俺はルイザの顔を見て口元に笑みを浮かべていた。
「私は十歳になるけど……。て、私のことをジロジロ見て……あ! まさか! こ、子供が好きな人なの? お兄ちゃんは……」
「ちげえよ!? そんなアブノーマルな性癖ねえから! 俺、普通だから!」
「そりゃ、私がついうっかりおかしな気持ちになってしまうぐらい魅力的なのも分かるけど。それに、お兄ちゃんが普通なら、それも仕方ないか」
「そういう普通じゃねえ! もっとこう、素直な気持ちだよ。そういうドロドロとした感情は持ち合わせていません!」
「なぁんだ。てっきり、アレな趣味かと思っちゃったよ!」
「お前は俺を苛めるのが趣味かと思っちゃったよ……」
ルイザは俺の方へスキップしながら近づく。
「ねね、お兄ちゃんの名前教えてよ! お兄ちゃんて呼び方でもいいけど、名前も知っておきたいし」
「そういや、言ってなかったな。俺の名前は、実王。雛型実王」
俺の名前を聞いた瞬間、ルイザは不思議そうに首を傾げた。
「ヒナガタミオ……? なんか、どこかで聞いたことがあるような」
「は? 俺の名前を?」
ルイザは、うーんうーんと唸りながら、小さな頭を右に左に動かして悩むように眉を曲げる。
他の大陸の乗り手の名前を知っている人間はほとんどいない。大陸の外に出たことがある人間なら知っているかもしれないが、それでも自分の大陸を出る人間はそれほど多くはない。
俺は、こんな小さな女の子が、自分の名前を知っていることに驚きを隠せずにいた。
「うーん、そうなんだよねえ。つい最近どこかで名前を聞いたことがあるようなぁ。あ……そうだ!」
ルイザはポケットをごそごそと漁る。
あれないぁ、これないなぁ、と必死に己の全身をべたべたと触る。
「さっきから、一体何を探しているんだ?」
その時、ルイザは己のポケットの膨らみに触れる。
「あった! ねえ、お兄ちゃんはコレ知ってる!?」
満面の笑顔でその手の中から見せたもの。それは、よく知っている指輪。乗り手だからこそ分かる。その輝きが玩具ではないことを。
「竜機神の指輪……!? おい、それは……ルイザの物なのか!?」
自分の名前を知っていた時以上の驚きが襲う。状況の急展開に、俺はただあたふたとルイザに問いかけることしかできない。
「うん! 私の竜機神……グングニルだよ!」
藍色の指輪を自慢気に手の中で転がす。
俺は生唾を飲み込んだ。今、自分の中から溢れるのは緊張感。
屈託ない笑顔を向けるルイザ。
俺の命を狙うために近づいたのか。いや、絶対にそんなことはないと思ったし思いたくもなかった。この愛らしい笑顔の裏で、狡猾に物事を考えているわけがない。
「ルイザ。俺のこと、何か知っているのか?」
表情を引き締め、ルイザに質問を投げかける。
「それを今かんがえちゅうぅ」
ルイザは両手の人差し指でこめかみをぐりぐりと押しながら、思い出そうと躍起になっているようだった。
意を決して、ルイザにバルムンクの指輪を広げて見せた。
「俺も乗り手なんだ。イナンナの竜機神の乗り手だ」
おぉ、と声を上げて、ルイザの顔の高さまで降ろした手の中を覗き込む。
次の展開が予想できないまま、その顔を眺める。その後の反応は、ニッコリと相変わらず笑いかけてくるルイザの顔だった。
「すごっ! すごい! 私と同じ乗り手の人を初めて見た! それがお兄ちゃんなんて、物語の世界みたい!」
そう言うルイザは、楽しそうでこちらを騙す素振りなど一切に感じられない。
不思議な子だな、とその光景に驚きつつ、続けて質問をした。
「ルイザも乗り手なのは、俺も驚いたけど……。何度も聞いてすまないが、乗り手であるルイザがどうして追いかけられていたんだ?」
どの大陸を見ても共通しているのは、竜機神の乗り手は巫女と同等に敬う存在だ。その存在を捕まえるなんて、不思議だとしか思えない。俺はルイザの事情を知った今、改めて聞いてみた。
「え、えぇと」
困ったように笑うルイザ。
まだ深く聞いてみようかと、質問を考えていると。
「その質問は、私が答えますよ」
「うぉ!?」
気が付けば、先程のサングラスの大柄の男の一人が俺達の間に立っていた。
俺は驚きはするものの、先程のように敵意を向ける真似はやめていた。何故なら、男の声は穏やかなもので、決してルイザをこれからどうこうしようとする人間が出せる声だとは考えられないものだった。
よく考えてみれば、乗り手が危機に陥っているなら、巫女がすぐに気づくはずだ。
「……せ、先生ぇ」
びくびくとしながらルイザはそう口にした。
「これが答えです。ご迷惑おかけしました」
礼儀正しく、サングラスをかけた男は軽く頭を下げた。
俺はエルザの声にため息をつきながら、八割ぐらい原因を理解する。
「学園、サボりやがったな」
「うぅ……!? だって、勉強イヤだもん!」
ぷい、と顔を背けるルイザ。
この男性は学園の先生なのだろう。抜け出すエルザを探しては、捕まえているのだろう。ご苦労なことだ。
半泣きになり嫌がるルイザを見て、少しばかりかわいそうになる。
「あの、先生。ルイザにちょっとお願いがあるのですが」
「はい?」
「ふぇ?」
振り返る先生とルイザ。
自業自得と分かってはいるが、お兄ちゃんと呼ばれたことで、兄心的なものでも芽生えたかもしれないなと思う。
「もし良かったら、ルイザに道案内を頼みたいんです」
最初からこういう定めだったのかもしれないな、と運命的なものを感じつつ俺は二人に告げた。