第三章 第三話 初めての戦い
それから日が暮れるまで俺と空音は擬似戦闘の中で戦い続けた。勝敗は、地上戦が十戦中一分一勝八敗、空中戦が五戦中一分四敗。泥仕合でもぎとった引き分けと勝利が俺の実力だった。
いざ戦ってみれば、初戦のような泥仕合は通用しないことを思い知る。これからも戦っていく以上は自分が死ぬようなままではダメだ。他はシグルズしか知らないがノートゥングは確かに強い。しかし、それ以上にバルムンクは強いはずなのだ。こういう結果でいいはずがない。いいはずがないのだが……。
「今のままでは絶対に勝てない。明日もやるから」
シュミレーターから這い出してクタクタの俺にそう言い放てば空音は通路から姿を消した。朝初めて袖を通した制服も、じんわりと汗の臭いを感じる。初めての経験だということもあるのか、足腰の立たない俺は背中を向けて歩いていく空音の後姿がとても大きく思えた。
重たい心に重たい体がのしかかる。
※
「随分と落ち込んでいるみたいですね」
ヒヨカの心配そうな声が居間に静かに響く。視線を向けるのは廊下へ通じる扉。そして、気になるのは帰ってからも自室にこもって食事にも顔を出さない彼のことだ。
時刻は夜の七時。居間の食卓を囲むのは空音と二人を心配で見に来たヒヨカのみ。
「気にしないでいいんですよ。一日や二日でうまく乗れるものではありません。ましてや、まともに竜機人の戦闘を見たことがない人間ですよ」
黙々とごはんを口に運ぶ空音。ヒヨカは心配そうに、茶碗だけ置かれた食卓の一部分と空音に視線を行ったり来たり。
「やっぱり、最初から厳しかったのかな。空音は竜機人の操縦もうまいし、仲良くなるからいいかなって」
「仲良くなるどころか後悔の方が大きいです。どうして、彼の言葉を無視してアキラさんやアイナさんを連れてこなかったかと私を責めたい気分ですよ」
ふてくされたように空音が言えば、味噌汁を流し込んだ。
せっかく元気を出してもらおうと用意した唐揚げが台無しだ。とヒヨカはしょんぼりと視線を落とす。まだ湯気の上がる唐揚げを口に運ぶ。ジューシーで大変おいしいのだが、これは異世界から来た彼のための食事なのだ。おいしくて温かいものほど、隙間風が心に吹き荒ぶような気持ちになる。
このままではいけない。箸を置いて、空音に視線を向けた。
「空音。……彼は確かに竜機神や竜機人を知りません。それがどういうことかご存知ですか」
真剣な口調のヒヨカの言葉。視線を逸らす空音。
「……私には分かりません」
「嘘をつかないで。頭の良い空音なら分かるはず。……知らないということは、全くの無関係の人間だったということです。その無関係な人間がここまでしているの。それって、とても辛いし苦しいことなのよ。知らない場所でひたすら前を向くのって大変なの」
空音もその言葉の最後には箸を置いていた。
「大変なのも分からないわけじゃありません。だけど、バルムンクのこともイナンナのことも中途半端に考えているかもしれない彼のことが目に付くんです。彼は竜機神の乗り手なんですよ、バルムンクのを任されているんですよ。ずっと竜機神は私の憧れでした。……私が欲しい力を彼が持っているんです。結局、私が乗っているのは紛い物の竜機神。気持ちも私のほうが強いはずなのに……!」
空音は悔しそうに俯けば下唇を噛んだ。
「……ノートゥングの神化計画のことをまだ気にしているんですね」
ヒヨカの口から出たその言葉に空音は顔を上げることはない。むしろ、テーブルの下に置いた手を強く握るのが分かるぐらい肩が震えている。
ノートゥング神化計画。それは竜機神不在のイナンナの他大陸に対抗するための大陸存亡を賭けた計画だった。しかし、実験中の事故でヒヨカは生死の境を彷徨うことになり、危険性を考慮してこの計画は中止となる。
「ノートゥングは前の竜機神同士の戦いで欠けた部品で作られた模造品なのは分かります。だけど、私とノートゥングはもっとやれます。今回の訓練でもバルムンクを圧倒しています。それでも、ダメなのですか……それでも、私はこの大陸を救う人間の器ではないと言うのですかっ。私は実王よりも、ずっともっと強い気持ちでこのイナンナを愛しています。愛しているからこそ、戦いたいと思った。ヒヨカ様の近くにいた私だからこそたくさん知っているんです、イナンナの良いところをたくさん……。そして、私は力になりたい。イナンナとヒヨカ様の力になりたい、心の底から願っているんですっ」
言葉が強くなる。空音の熱い想いをヒヨカは黙って最後まで聞くと言葉を返した。
「……空音の気持ちは痛いほど感じました。ですが、気持ちだけではダメなのです。気持ちだけでは、竜機神に選ばれることはありません。……ごめんなさい」
返事がどうなるかは分かっていたのだろう。熱が冷めていくのを感じた空音は悲しげに目を閉じた。
親友の傷つく姿を目の前にして、ヒヨカは湯気の消えた唐揚げを見つめた。
その時、軽い音を立てながら扉が開く。ヒヨカと空音がほぼ同時に視線をそちらに向ければ、そこに立つのは制服のままの実王。無言で自分の為に用意されたスペースに座る。
誰一人喋らない状況で。
「めし」
短く実王がそう言う。
空音はひっくり返していた茶碗を手にすると乱暴にご飯を盛ると、これまた雑に実王の前に茶碗を返す。
それから互いに無言のままで食事を進めた。実王のご飯茶碗が空になる頃に実王は口を開いた。
「ごめん、二人の話全部聞いてた……」
「あ、えと、ごめんなさい……」
咄嗟に謝ってしまうヒヨカ。空音は無言無表情で箸を進め続けた。
返事は返って来ないと分かっていたのだろう。実王は言葉を続けた。
「甘く考えていたわけじゃない、と思ってた。だけど、あれだけ戦っても俺は勝つことができなかった。昨日あれだけの宣言を大勢の前でしたのに、このままでは負けてしまう。そう考えたら、俺は誰の顔も見ることができなくなって、部屋に引きこもって帰る方法を考えていた。情けない話だけど、ちっぽけな自分がいた。自分で背負い込んだもに耐えられなくて逃げ出そうとした」
申し訳なさそうにぽつりぽつりと話し出す実王を空音の視線が射抜く。
「言ったでしょ。ビビリ救世主ってね」
ヒヨカはまたケンカが始まるのではないかと身構えるも考えていたようなことは起こらない。そこに立つのはひたすらに申し訳なさそうな実王。
「ああ、どうやらお前の言うとおりみたいだよ。正直、自分のこんな小さなプライドでここまでへこむとは思いもしてなかったよ。……お前みたいに竜機神に憧れる奴ってイナンナにはたくさんいるのか」
「いるわよ。たくさん、ね。でも、竜機神に対しての考え方は実王が考えている以上に遠い存在に思っている人が大半じゃないかしら。私みたいに身近にいたら、強く疎ましく思ったりするんじゃない」
今度はダメだ、そう思いヒヨカは目を閉じる。しかし、そこに立つのは相変わらずその言葉を受ける実王。実王は顔をすっと上げる。その目には迷いはなく、澄んだ色をしていた。
「お前は本当に正直だな」
苦笑を浮かべる実王。すぐに言葉を続ける。
「腹くくったよ。中途半端でもなく、冗談でもなく、流されたわけでもない、俺の決心ができた。……背負うよ、俺がバルムンクの乗り手になったからには、このイナンナに住む人の全ての想いを背負う。だから、これからも俺に竜機神の乗り方を教えてくれ。晩飯を食ってからでもいい、明日は朝早くからでもいい、今日も寝なくても構わん。頼む、空音。俺の先生として師匠として、竜機神の戦い方を教えほしい」
そこまで聞いて、空音は小さく息を吐いた。どこか肩の力が抜けるように。
「しょうがないわね。私の言うことは絶対よ、それでもいいかしら」
その言葉に実王は強く頷く。
ヒヨカはホッと胸をなでおろした。
「後さ、空音はどうしてもバルムンクには乗れないんだよな」
ため息をつく空音。
「さっきからそう言っているでしょ。なにが言いたいのよ」
一瞬、実王は照れたようの頬を掻けば視線を泳がせた後に空音を見つめる。
「――二人で戦おう。乗せることはできないが、空音に教えてもらった技術と想いを戦いに連れて行く。お前の全てを受け継ぐ俺なら、一緒に戦ったことにはならないか。俺の側に居てほしいんだ、空音。……それで許してくれないか」
実王がそう言った直後に空音の顔が赤く染まる。
「な、なに言っているのよ、いきなりっ。そういう恥ずかしいことをいきなり言わないでよ。は、恥ずかしい奴……!」
照れを隠すように再び食事を再開する空音。その光景を見ていたヒヨカはニヤニヤと中年の男のようなやらしさの混じる笑みを浮かべる。
そこに、空音へ向けてずいと身を乗り出す実王。
「結局、どうなんだ。俺と一緒に戦ってくれるのか。必要なんだ、空音が」
「――ぶっ!」
口から細かくなった米と唐揚げを発射する空音。前方には、顔中にその直撃を受ける実王。
「……やっぱり怒っているのか」
モロに直撃を受けた実王は、空音が怒りのままに吐き出したのだと勘違いし、首を軽く申し訳なく視線を落とす。
「違っうし、う、うるさい……。恥ずかしい奴っ」
近くあったふきんを取ると実王の顔をゴシゴシと擦り始める。
「あ、あの、空音さん。……これ雑巾」
慌てている自分に気づく空音は今度は耳まで赤くして、顔をの体温を上げながら擦る速度を上げた。
「許す、許すからっ。恥ずかしい奴は黙りなさい……!」
手の動きが止まる頃には、俺の顔どうなっているんだろう。そんなことを考えながら、実王は関係が回復しつつあるこの状況に嬉しさを感じていた。
※
賑やかな気配から逃げるようにヒヨカは実王と空音の家を出る。
夜空に浮かぶ月を見つめる。まんまるの月はとても綺麗だ。
「あんなにコロコロ顔を変える空音は久しぶりだったなー。……実王さん、もしかしたらもしかするかもしれないな」
くすくす、と一人で笑い声が漏れてしまう。帰宅する生徒達に手を振り笑顔で会釈しながら、学園長室へ向かう足取りが自然と軽くなる。
実王さんは気づいていないかもしれないが、今イナンナは戦争へ向けて少しずつ進んでいっている。斥候部隊も動いたりしているし、見えないところで準備が進んでいるのだが、今の二人にはただただ笑っていてほしい。
久しぶりに見た親友の楽しげな顔とこれからたくさんのものを背負うことになる救世主の顔を浮かべながら、軽い足取りで夜の学園を歩いていく。