第二十二章 第一部 巫女の義務
爆弾騒ぎはあったものの、それ以上は大きな問題もなく進み、三日間の学園祭はあっという間に終わった。
学園祭の片付けも終わり、ほとんど暗くなった帰り道を俺と空音は歩く。肩を並べて俺は無意識に歩幅を合わせる。俺達は、前よりもずっと近くで一緒に歩く。
「終わったね……」
空音がどこか感慨深げに呟く。
「ああ、終わったな。こうやってみれば、本当に楽しかったよな」
これから先のことは話さない。少なくとも、今日一日はこれでいいのだとこのままでいいのだと考える。
左腕に感覚。ピタリと寄り添う空音。
「私達が両想いになったことをヒヨカ達に言っても、あまり驚かなかったね……」
「そういや、そうだな。むしろ、呆れていたな」
ヒヨカ、レヴィ、ルカを集めて、告白したその日の夜には俺達が付き合うことなったことをを報告をした。
その反応といえば、ヒヨカからしてみれば、今さらかという呆れ顔。レヴィからは、ふーんと素っ気無い返事。ルカにいたっては、付き合っているかと思っていた。と、今まで付き合っていないことへの驚きだった。
忙しい時に呼ぶなとばかりに三人はため息をつけば、各々そのまま明日の準備ややりかけの仕事に戻っていったのだ。
ルカ辺りは何かしら反発があるかと思ったが、俺と空音が付き合っていたということを前提で俺を奪おうとしていたようだ。……恐ろしい奴め。
「でも、本当に恥ずかしいことをしたね」
「……その話はやめてくれ」
俺の愛の告白はどうやら都市中に響いていたようで、号外として俺の愛の告白が都市のいたる所に配られることとなった。ちなみに、その号外を配ることを積極的に指示していたヒヨカを止める頃には、都市周辺の町や村までその号外が出回ることとなる。
それゆえ、何故か二日目は俺と空音は変装をしながらのデートをすることになった。
「ねえ、実王……」
空音が大股で一歩踏み出す。俺の前でくるりと反転。無邪気な笑顔を向ける。
「ずっと、一緒にいてくれるんだよね」
何を当たり前のことを言っているのだと、短い苦笑をして、すぐに返答をする。
「ああ、ずっと一緒だ」
「うん! ありがとっ」
ぱぁと明るくなった表情を見せれば、俺の隣に立つ。小さな手が俺の指を絡め取る。お互いの指の隙間に指を入れる、世に言う恋人つなぎというものをしながら、帰路を歩む。
もうすぐ、我が家か……。この時間が終わることに寂しさを感じながら前を見れば、きょろきょろと周囲を見回す大柄の人影。
怪しく思いながらも、その人影までの距離を詰める。
「あ……ガルバさん」
その影の人物は、我らが恩人であるガルバさんだった。
俺に気づいたガルバさんは駆け足で近づいてくる。
「おう、実王。お前の家を探していたんだが、見つからなくてな」
「あぁ……。結界をしているから、空音が許可を出した人じゃないと発見できないんですよ」
「え……そうなのか。すまんな、いきなり……」
困ったように頬を搔くガルバさん。
「でも、どうして、俺の家を探しているんですか? ルカに用事でも?」
「違う違う、ナンナルから通信が届いたんだ」
一瞬、息を呑む。空音が俺の絡めた指に力を入れたことが分かった。
へへへっ、とどこか少年みたいな誇らしげな笑顔を見せるガルバさん。
「ナンナルはイナンナの同盟の申請を……破棄した」
予想していた答えだったが、いざ言われてみれば、なかなかに辛いものがある。信じていた希望が突然消える。一つだけしかない希望が断たれたことで、俺は肩を落とす。
「落ち込むにはまだ早いぞ、実王。ナンナルは、別の提案も出しているんだ」
「別の提案?」
「ああ、同盟をすぐに結ぶことはできない。……だが、ナンナルで一度会談の場所を設けよう、とも言われている」
俺はショックのせいで垂れていた頭を再び上げた。
「そ、それじゃ、まだ可能性はあるんですね!?」
「おう、まだ可能性はあるぞ。あのナンナルが、他の大陸を招き入れるんだ。もしかしたら、うまくいくかもしれないぞ」
まるで自分のことのように笑うガルバさんに笑い返す。
「はい、ありがとうございます」
俺は頭を下げると、隣の空音も追いかけるように頭を下げた。
俺達の光景に、ガルバさんは愉快な笑い声で返事をする。
「お前ら、恋人じゃなくて……まるで夫婦だな!」
楽しそうに言うガルバさんは、また大きく笑った。
俺達はといえば、赤面した顔を上げることもできず、恥ずかしさと感謝の気持ちで頭を下げ続けた。
※
それからもうしばらくして、ナンナルへ行くための日取りが決まる。
ヒヨカがイナンナを離れるわけにもいかず、こちらでも話し合いの末、俺とルカが行くことになった。大陸の行く末を左右する話し合いの場になり、相手を疑うような真似はしたくないが、命の危険の可能性もある。それに、大陸の責任を背負える人間であることが必要だ。結果、俺とそのお付きとしてルカが向かう。
話し合いの時は、空音が行きたそうな雰囲気を出していたが、それは俺の口から却下。イナンナで公に竜機神を操縦できるのは空音だ。彼女も、離れるわけにはいかない。
ルカは魔法も使えるので、一緒にいれば心強い。
――私に任せておいて。実王の心も体も守り通す。
と公言するぐらいに、ルカはやる気満々だ。そして、その後の空音との一悶着もご愛嬌ということで。
あれから数日後、俺は例のごとくイナンナの飛行場にいる。
ナンナルからの要望で、なるべく少数の人間でということで、俺とルカ、ガルバさん。それから、飛行船を操縦できる極僅かの人員で向かうことになる。
朝、目が覚めると空音の姿はなかった。学園祭を一緒に過ごすため、相当に無理をしていたようだ。なかなか、家で過ごす時間もない。……せめて、ナンナルに行く前に空音の食事ぐらいは食べておきたかったな。
次々と乗り込み、最後に飛行船に入ろうと一歩踏み出す。
「実王」
急いで振り返る。空音がいた。どこかで見た光景だと思った。
「空音……。今日は、仕事があったんじゃなか?」
「ううん、大丈夫だよ」
少し間をおいて、首を横に振る。
絶対、無理をしてきているな。とすぐに気づく。しかし、気づかない振りをして話を続けた。
「そうか、見送りに来てくれたのか?」
「うん、そんなとこ」
両手を後ろに組み、笑いかける空音の額には汗。
その汗が、さらに愛しくさせた。
「前もこんなこと、会ったよな。ちょっとばかし、状況は違うけど」
「ちょっと、じゃないよ。……かなり違うかな」
確かに、と。苦笑を浮かべる。
「だよな。おかげで、元気が出てきたよ」
「元気、もらえた?」
「おう」
そうして、じっと見つめあう俺と空音。
赤い頬は、ただ走ってきたから赤いわけではない。きっと、今の空音の気持ちが影響を与えているのだろう。
「――早くしてくれるかしら、二人とも」
「る、ルカ……」
飛行船の入り口からこちらを睨みつけるのは、ルカの冷たい二つの眼差し。組んだ両腕に、大股開きの足で眼下の俺達を見る。
また二人が喧嘩するのか、と頭を抱えた瞬間。
「……分かったわ。ルカ、貴女も気をつけなさい。二人で無事に帰って来るのよ」
「そんなの、当たり前。それに、実王の隣には私もいるのよ」
「そう、それなら安心ね」
互いに表情をふと緩ませ、ルカは背中を向けて飛行船の中へ戻っていく。
「どんな魔法を使ったんだ……」
空音は自分の口元に指を一本立てる。
「秘密よ。女同士じゃないと分からないものもあるのよ」
「いつの間に、そんなに仲良くなったんだか」
俺の呟きすらも、空音からはヒミツと返ってくるだけだ。ずっと会話を続けるわけにもいかないのと、先程までの熱を帯びた視線とは違ったものを向ける。
「それじゃあ、行ってくるよ。イナンナのこと頼んだぞ」
「ええ、もちろん。ルカにも言ったけど、実王も無事に帰って来るのよ。戦争をするわけじゃないのは分かっているけど、何が起きるか分からないのは……やっぱり怖い」
「俺って、心配かけさせてばかりだな」
「本当よ。でも……絶対帰って来るて信じているから。いつも傷だらけだけど、その約束はいつも守ってくれているものね。だから、私からの特別な魔法――」
空音は爪先で立てば、俺の頬に顔を近づけた。頬に触れるのは、空音の柔らかな唇。そっと離れる唇と甘い香り。
「――行ってらっしゃい」
小悪魔的な笑いをそこに残すと、空音は俺から距離をとる。
このまま追いかけて、抱きしめてしまいたい劣情にもかられるが、深呼吸をすることで押さえ込む。
今必要なのは、愛を語らう時間じゃない、再び歩みだすための意思表示だ。
「行ってきます」
数え切れないぐらい行ってきた挨拶をすると、俺は背を向けて飛行船へと乗り込んだ。
※
飛行船に乗り込み、数時間。最初は、学園祭の話などをしていたりガルバさんの武勇伝を聞いて楽しい時間をしていたが、話す側も疲れてくるというもの。気が付けば、三人ともうつらうつらと座席に背中を預ける時間が訪れていた。
突如、ガルバさんが小さな声を上げた。
「もう、そろそろのはずだが」
窓の外を見るのではなく、自分の腕時計を見ながら告げる。
俺やルカは窓の外に顔を押し付けてみるものの、大陸らしい影は見当たらない。だからといって、空中に標識があるわけでも、案内人が立つわけでもない。
「そろそろ、て……。何も見えない」
訝しげにルカが口にする。
俺も口にはしないものの同意見である。
「ガルバさん、一体。どこに――うわぁ!?」
質問を投げかけようとしたその時、飛行船を揺れが襲う。
何か天候がおかしいのだろうか、それとも飛行船のトラブルか。荒れた道を進む車のように振動する飛行船内。俺は、まともに立ち上がることができない振動の中で、近くの座席を杖代わりに支えとする。
悲鳴を上げたりはしなかったがルカも困惑した顔で、窓枠を掴んだり、座席に片腕を乗せたりと自分の小さな体を倒さないようにと精一杯な様子だった。
先程まで、飛行船を見ていたガルバさんは、今度は窓の外を見ていた。
「よし、ボチボチいい感じだな。二人とも、ちょっと待っていてくれ。操縦席に行ってくる」
大きな体を岩のように起こせば、のしのしと操縦席へ向かう。俺とルカは、混乱したままで視線を合わせて、たただただ揺れに耐え続けた。
ガルバさんが席を離れて、一分ほど。急にピタリと揺れが止む。
ルカは不思議そうに、席を立ち、周囲を見回す。
「本当に、大丈夫なの? ――きゃっ!?」
再び揺れと衝撃。一瞬の浮遊感を味わい、一度だけの大きな衝撃。
小刻みな揺れはないが、その一度の大きな衝撃に俺は頭をぶつけ、ルカにしてみれば尻餅をつくような状況だ。
「さっきから、なんなんだよ。生きた心地がしねえぞ……」
「なんなのよ、もう。もしかして、ナンナルから攻撃でも受けているんじゃないの!?」
不満を口にする俺から続くように、ルカも不満を叫ぶ。
物音がしてその方向を見る。開く扉、顔を出すのはガルバさん。
「悪いな、ちょっと驚かせただろう」
豪快に笑うガルバさん。これも人生経験の差というものだろうか。
若干、疲労を感じつつ、俺はガルバさんに声をかけた。
「ナンナルまで、まだかかりそうなんですか?」
ガルバさんは、僅かな時間だけキョトンと不思議そうにこちらを見る。そして、もう一度大きな笑い。
「何を言っているんだ、実王っ! ここが、そのナンナルだぞ!」
「は……?」
「うそ……。いつの間に……」
震える声を出すのはルカ。窓から外を覗き込んでいるようで、その頭の隙間から外を見る。
「どういうことだ、こりゃ」
外を見れば、一面の銀世界。雪の絨毯が、飛行船の周囲を囲み、周りにも数機の大型のサイズの飛行船が見られる。イナンナとは形が違うところを見れば、ここがイナンナじゃないのも間違いはない。
触れてみた窓も冷たく、まるで氷の壁を触っているようだった。ルカも体をぶるっと震わせているのは、きっと急激に気温が下がったせいで寒気を感じているのだろう。
「ナンナルには、強大な結界が張ってあるんだよ。俺が知らせるのを遅れちまったみたいで、乱暴な着地になってしまったが、まあ許してくれよ」
ゲラゲラと悪意なく笑うその顔を見れば、文句を言う元気もなく、俺とルカはただうなだれた。
何はともあれ、俺達は無事にナンナルに到着することに成功した。