第二十一章 第五部 今日の彼 明日の彼女 これからの二人
時間は残り僅かだった。迫り来るタイムリミットに、狂ってしまいそうな気持ちを精神力で押さえつける。
辿りついたのは、いつも二人で通る河原。さすがに、河原までは出店の類は見られない。ここまで客が来ることは考えていないようだ。
失敗したか、次はどこがある。思考を巡らせながらも、足は忙しなく動く。
脳みそから異常な分泌量のアドレナリンが出ているせいか、脳裏をたくさんの記憶がフラッシュバックする。
レオンと出会ったのもここだった。今更だが、あの時にレオンを攻撃しようとした空音を止められて良かったと思う。レオンのためにも、空音のためにも。
ルカと出会ったのもここだった。まさかルカとは、こういう関係になるとは考えもしなかったが、俺の行き先を示してくれた一人だ。
誰かと出会い、誰かに助けられながらここにいる。前の世界でも、漠然とそういう気持ちはあった。だけど、この世界に来て、その意味を理解することができた。
誰かがいるから、時に苦しんで、時に悩んで。いいことばかりじゃないけど、誰かがいるから、時に笑い、時に愛せることができるんだ。
願いは通じたのか、見覚えのある姿が土手に座り込んでいるのが視界に飛び込んできた。
ふてくされた横顔を見て、ほっと安堵の息を吐く。しかし、落ち着いてばかりもいられない。小さな背中へ駆け出した。
「――空音っ」
揺れる黒髪はビクッと大きくブレる。
俺の姿をその目で確認することもなく、空音は土手を駆け下りる。
「なっ……! 待てよ、空音……! 逃げんなよ!」
「……うるさい! 逃げるなて言われて止まる奴はいないわよ!」
それ、使いどころ絶対に違うからな。というツッコミに割く体力ももったいない、その代わりに歯を食いしばり、蹴りだす足に力を回す。
普段から鍛えているおかげか、足の速いはずの空音にもどんどんと距離を詰めていく。最初は小さかった背中も、少しずつ見知った大きさに拡大されていく。その手の中には、例の花が握られていることも確認できた。
その手元の物が、残り僅かな時間で空音の傷つけるイメージが浮かぶ。全力だと思っていた疾走が、さらに速度を増す。
手を伸ばす。
「そら……ね……っ」
伸ばした手は空をきる。
あと少し、もうすぐで彼女の肩を掴むことができる。
空音もきっと、こうやって何度も手を伸ばして、苦しんで、一人ずっと戦ってきたのだ。俺と離れている間も、きっと。
もう空音がどう思っているか、なんてことは考えない。ごちゃごちゃと考えている暇がないなら、気持ちを伝えよう。気持ちを伝えることの大切さを俺は、みんなから教えてもらったじゃないか。
「――空音ッ!」
空音の肩を掴んだ。思わず、口からは、やったと喜びの声が漏れる。
「――実王……――きゃっ」
「あ……わわわっ」
急に肩を掴んだせいか、それとも空音が俺の手を振り払おうとしたのが原因なのか、一緒に体のバランスを崩す、咄嗟に、俺は空音の体を庇うように両手で抱きしめるように引き寄せる。そのまま、俺と空音はなだれ込むように倒れると土手を転がる。
ゴロゴロと数回、世界が回転する。河原の砂利道に到着することを察し、空音の体をもう一度強く抱きしめることで、地面へ到達した衝撃のほとんどは俺が受け止めることに成功した。
体が痛い。転がっている時は、それほど大して痛みはなかったものの、最後の着地の衝撃に一瞬息が詰まりそうになった。
空音は、仰向けの俺に上から倒れこむ状態になっているが、疲れているのか離れる様子はない。
息を吐けば、抱きしめられたままでじっとする空音に声をかける。
「……大丈夫か」
「……」
無言の空音の頭に手をやり、泥や雑草を払ってやりながら頭を撫でる。
「何がしたいのよ……。せっかくの服もボロボロだし……」
「ごめん……。服は必ず弁償するから……」
「……そういうことじゃないのよ。バカじゃないの……ほんと、ばかよ……」
泣いているのではないか、なんて思ってしまうほどの不満混じりの悲しい声。
申し訳ない気持ちになりながら、俺の胸に顔を埋める空音を見る。……そこで、ようやく気づいた。
「ごめん……。この服、俺が前に言っていた服なんだよな」
空音と一緒によく行ったところを見ながら走っていたせいか、忘れていた過去の記憶が蘇る。
ルカと戦い、ここから離れる前に、俺が空音に着てみろよと言った服だった。俺が深く考えもせずに言ったことを、空音はずっと覚えていて、俺に見せようとその服を着てくれて……それなのに、俺は……。
俺の言葉に答えない空音の頭を撫でながら、言葉を続けた。
「よく似合っているよ。とても、可愛いよ」
俺の声を聞いた空音は、体がぶるっと震えた。表情を見ることはできないが、その耳は非情に赤いことが分かる。おそらく、空音は恥ずかしくて悶えているのだろう。……そう言ってみた俺も恥ずかしい。
「……恥ずかしい奴」
苦笑を浮かべて、自分がここまで必死に空音を探していた理由を思い出した。はっとなり、空音の手を見てみれば、強い衝撃を受けたことで頭を垂れる黄色い花。
俺は慌てて、空音を抱えれば体を起こす。
「空音……!」
「な、なに……!? ちょ、ちょっといきなり何すんのっ」
空音を抱きかかえて、その右手の花を奪い取るために強引に体を寄せて、その手の中に指を絡める。
「ちょ、ちょちょちょ……! 待ってよ……やぁん」
「へ、変な声を出すな! 体の力を抜いてくれ! 説明してる時間も、もったいなんだ!」
抱き合ったままで、空音の甘い香りやどこか艶のある声が耳に届くが、それでもと花を抜き取ろうとするが、何故かより一層に握る力が強くなる。
「だ、ダメだよ、実王っ。……こんなところで、そんなっ……。ちゃんと手順を踏んでくれたら、私だって……。そういうの大事でしょっ」
何をごちゃごちゃ言っているんだと、恥ずかしそうに顔を赤くする空音をジッと見つめる。
「手順なんて必要ねえ! このままなんて嫌なんだ! 今、必要なんだ! 強引にでもいかせてもらうからっ」
赤くなった空音の顔が、沈む夕日を彷彿とさせるほどに赤く輝く。
「ご、強引……!? そ、そこまで私のことを……ふわわっ。ぁ、でも……ダメ! そういうのよくないのっ……」
「うおっ……!」
空音は両手で俺を突き飛ばす。
突き飛ばして立ち上がった空音が逃げないことにとりあえず安心して、すぐさま俺も立ち上がる。
「ちゃ、ちゃんと気持ちも伝え合ってないのに……」
よりにもよって空音は、胸元にその花を引き寄せながら、プルプルと体を揺らす。何故か目には涙を溜めている。
説明してないのも悪いが、なんでここまで強情に……。そう考えたが、俺は空音に勘違いさせていることに気づいた。抱きしめて、強引に体を寄せて、手を絡めてくればさすがに誤解の一つでもして仕方が無いだろう。
「そうじゃねえよ、空音。俺は別に空音に……そういう気持ちがあったわけじゃねんだ」
俺の声を聞いた空音は目を大きく開くと、突然と悲しげに視線を落とした。
「あ……そうなんだ……。私、勘違いしてたみたい」
「おう、勘違いなんだ。とりあえず、その手に持っている花を――」
やたら落ち込んでいる空音も気になったが、俺は状況も状況なので、花を手にするために一歩詰め寄る。
「――実王が私を好きだと勘違いしちゃったじゃない」
「へ……」
花をいただこうと伸ばした手の動きを止める。
「バカみたい……私。ちゃんとそう言ってくれれば良かったのに」
「おい、違うぞ。俺は別に空音を――」
「一人でドタバタして、本当にガキみたい」
「だから違うって、俺は――」
「て、何を言っているのかしら。実王には関係なく、私にも関係ない。最初から、良い友達だっただけなのに」
「あのよぉ、俺が言いたいの――」
「何を言っているのだろう、私。ごめんね、実王。せっかく探しに来てくれたのに」
「……」
俺が何を言おうとしても空音は一人で話を続けて、これから俺が言おうとしている説明も気持ちも聞こうとはしない。
だんだんと俺の中に怒りが募っていく。こっちは必死こいて探して来たのに、勘違いばかり。俺だって、本当は空音と楽しく過ごしたいといろいろ考えてきていたのだ。それを全部パァにしやがって。……もういい、もういいさ。どうせ伝わるか分からない想いなら、一番分かりやく伝えてやる。
俺は信じる。空音から感じる想いを。
大きく一歩を踏み出し、ぐっと体を寄せ、空音の綺麗な顔に顔を寄せた。その時、見た空音の顔は気が緩み間の抜けた表情。
「もう勘違いすんな、これが俺の気持ちだ」
空音の唇に自分の唇を重ねた。彼女の体は、驚きで揺れた。
「んぅ……!?」
レモンの味やイチゴの味がしたなんて言うつもりはない。しかし、甘く柔らかく、一種の麻薬のようなものだと錯覚してしまうほどに、脳みそが僅かな時間でとろけそうになる。
数秒の短いキスを終え、閉じていた目を開く。ぼーとどこを見ているか分からない空音、その時に力が抜けたのかその手から花が落ちる。
俺は地面に手を伸ばして、その花を大急ぎで掴み上げる。ラッピングを強引に剥がせば、目を凝らす。パッと見ればなかなに気づかないかもしれなが、そこにはビー玉にも似た球体。……この爆発物もドラゴンコアの欠片とかで作られているのだろうか。
その球体は、衝撃で爆発しないための対策なのか透明のカプセルの中に入れられていた。時間通りに爆発するために、守り続けるなんて実に悪趣味な代物だと思った。顔を近づけ、球体を近づけて見てみれば、時間経過を伝えるためと思われる黒枠。そして、そこで視認できるのは一本の棒線。
「い……ち……? 後、一分てことか……!?」
顔を近づけたことで分かる。小さな電子音が、その球体から鳴っていることを。
「こういう仕掛けは、どこの世界でも一緒てことかよ……!」
周囲を見渡す。近くに居るのは空音だけ。目が合えば、はっと我に返ったのかぐっと近づく。
「なななっ……! なにしてくてんのよっ! せき、せき、責任とってくれんのっ!?」
ヒヨカを呼ぶか。いいや、呼んで爆発物をどうかにする前に爆発しないなんて保証は無い。ここは、誰かを巻き込むような選択を選ぶぐらいなら、自分で解決するしかない。
だが、俺には爆発物の知識なんてないし……。俺に出来ることと言えば……。
「一か八か……やってやるか」
空を見上げる。俺にしか、出来ないことがある。
「ちょっと、聞いてるの!? 実王!」
顔を真っ赤にしながら詰め寄る空音の頭を撫で、俺はその頭上へと爆発物である球体を空に投げる。遠くへ飛びはしたが時期に落ちてくるだろう。
何かを投げた俺に、空音は首を傾げた。
「後で、説明はする。だけど、待ちきれないなら……答えてやるっ! ――来い、バルムンクッ」
指輪が輝けば、コンマの速度でバルムンクが出現。ほぼノータイムで俺は操縦席に腰かける。
バルムンクの手で落ちてきた球体をキャッチすれば、その手でさらに高く放り投げる。
「バルムンク……なにしてんの!?」
驚きの声を上げる空音、浮遊しようとバルムンクを宙に浮かせる。
『お前の唇を奪った責任はとる! 絶対に、お前を離しはしないし、寂しい思いはさせない!』
バルムンクが宙を蹴れば、高速で上空へ。投げた位置を把握していたため、すぐにその極めて小さい球体の発見に気づく。
『――好きだ! 空音! 絶対にお前を守る! ずっと、ずっと……俺の側にいろっ!』
球体に接近。都市中の人間達に聞こえるぐらい大きな声で愛の言葉を叫び、居合い切りで球体を切り裂く。
爆発よりも早く横を通り過ぎ、背後から小さな爆発が起こる。運動会の時に空に上がる空砲のようにそれは小さな爆発で、その大きな愛の告白を祝うようにバンと低いのか高いのか分からない音が空に響く。
刀を鞘に戻し、地表に戻る。近づく地面、土手では空音がウルウルと溜め込んだ涙が溢れ出していた。
地面に到達するよりも早く、バルムンクを解除して、空音の前に着地する。後方で光の粒子に変わるバルムンクに感謝しながら、俺は空音に笑いかける。
「大好きだ、空音。俺とずっと一緒にいてほしい」
誰かは笑うかもしれない。子供の恋だと。……それでも構わない。
「うんっ……。私も、雛型実王が大好きです……!」
胸の中に飛び込んでくる空音を抱きとめる。
子供の恋を笑うような奴は、絶対に誰かを幸せにはできない。幼過ぎる感情だと知りつつ、俺は抱きしめた華奢な体をさらに強く優しく体を密着させる。
「ねえ、実王……。やっぱり、最初のあれをやりなおしたいな……」
しばらく抱き合った後、上目遣いで空音が告げる。
あれ、が何なのかは聞かない。それは俺も気にしていることだった。
「ああ、俺もそう思っていたところだ。……空音」
目を閉じ、頭一つ低いその顔に顔を寄せる。
「実王……」
幸せそうな声を聞きながら、俺達は恋人としての最初のキスを行うのだった。




