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第二十章 第一話 世界を染める絶望 抗う希望

 雨が降る。

 第二都市ネボ。他の大陸に比べれば海が占める面積が広く、漁業で生活をしている住人も多く、食卓には魚介類が上ることも少なくはない。

 ネボの学園都市はといえば、大きな建物は少なく、都市を含めて数えるほどしか頭一つ出た建物というのはない。目を引くところといえば、都市の奥の方にある学園内にある海岸ぐらいだろうか。時期がくれば、学生達が海で授業や休日を楽しむ光景もよく見られる。

 ネボの巫女であるシンシアは、そうやって生徒達が遊ぶ姿を眺めるのが好きだった。いつも学園長室の窓からその光景を眺めては、穏やかに目を細める。それが彼女の幸せであり、生きがいとも呼べるものだった。今年で十八になり、もうすぐ学生生活も終わろうとしていた。ただ穏やかな卒業を待つだけだった彼女。――しかし、今の彼女は怒りに震えていた。

 目が細く、垂れ目のシンシアは外見も優しく見え、実際の性格も聖母のように優しい巫女だった。そんな巫女の瞳に映る光景は傷つき、膝をつく竜機神エツェルの姿だった。

 エツェルは竜機神の中でも長身で、ノートゥングにも似た細身の機体、色は濃い緑の全身が機関銃のように突起が多い機体。そして、特徴は六体の中で唯一飛び道具である弓を扱うことだった。己の体よりも大きな弓、緑の姿の中でも白く輝くそれは弓というよりも女神の扱うハープのようにも見える。

 膝をつくエツェルは体制を立て直すと、弓を握り直して弦を引き、すぐに構える。その弓の空いた空間の中には、みるみる内に光が収束すれば矢を形作る。出現した矢を右手で握り引き、弓を前方へ引く。


 『ここから先は……絶対に通さない!』


 凛と響く女の声。それは、エツェルの乗り手である橘マイカの声。

 マイカの年齢は十六で、黒髪にポニーテルがチャームポイントの少女だ。家が武芸の家系だったせいか性格はといえば、男勝りで曲がったことが嫌い。穏やかな性格でおっとりとしたタイプのシンシアとは正反対でいながら、親友と呼べるほどに良い関係を築けているのは、互いに無い部分を補っているからだと言える。

 降りしきる雨の中、門の前にシンシアは立ちエツェルはシンシアを守るように前方で矢を構える。

 満身創痍のエツェルにゆっくりと接近するのは、エヌルタの竜機神――ザイフリート。

 シンシアはといえば、昨日から続く戦いを思い出して悔しげな表情を浮かべる。

 昨日、夜明けと同時に奴らが出現した。突然にエヌルタからの侵攻が行われたのだ。カイムから全大陸に放送があった際に、次の標的はイナンナだと安心しきっていた自分を恥じた。イナンナから救援要請があるかもしれないと準備をしていたが、まさか自分達が侵攻される側になるとは思いもしなかった。

 奴が全大陸に放送したのは、カイムの完全な策略だった。エヌルタが次は、イナンナに侵攻するのだと勝手に思い込んでいた。無論、それはネボの全ての住人も該当する。国境を守っていた竜機人も僅かな数、なおかつ油断しきった気持ちで突然出現したエヌルタのヒルトルーンを止めることなどできずに侵攻を許した。

 それから、休むこともなくヒルトルーンを率いるザイフリートが侵攻をし、とうとう都市の前まで到達した。

 エヌルタが非情な連中だということを聞いていたシンシアは都市の前まで来たのを確認して門の前に立つということを選んだ。もしも、自分が学園の中に残れば、きっとメルガルの二の舞になる。それだけはしてはならないと、都市の前にてマイカと竜機人達をかき集めてエヌルタを迎えうつ。

 ――だが、今ネボの兵力といえば竜機神であるエツェルのみになった。そして、残された彼女達を包囲するのは数十ものヒルトルーンだった。


 「馬鹿な真似を。どれだけ弓を放っても私に届くことはないさ」


 ザイフリートの肩の小さな影が告げる。

 その肩の上に立つのは傘を差すカイム。大きな欠伸をするカイムに気づき、マイカは怒りの言葉を吐く。


 『そんなところに立って……! 私達を馬鹿にしているのか!?』


 カイムはため息をつく。何を当たり前のことを、と呆れるように。


 「はぁ……。馬鹿になんていしてないさ。巫女である私が、そんなことをするわけないだろう。何を言ってるんだか」


 『それならば! そこからどけぇ――!』


 ギリギリと弓が音を立て、エツェルは限界まで弦を引く。

 声を荒げるマイカとは反対に、カイムはさらに大きくため息をつく。


 「本当に何を言っているんだ、君は。……――足元を歩くアリを馬鹿にする阿呆はいないだろう」


 その時、マイカの中にある理性が粉々に砕けた。


 『貴様ぁ――!』


 エツェルが指を離せば、真っ直ぐに光の矢は放たれる。狙うは目標であるザイフリート。

 エツェルの持つ弓は一度目標を定めれば狙いを外すことはしない百発百中の魔法の弓。ヒルトルーンでさえも一発でも当たれば、触れた直後に装甲を貫通し内部で魔法の爆発を起こす。弓一つでエツェルは既に数十体以上のヒルトルーンを行動不能にしていた。

 そこまで強力な力を持つエツェルの矢でさえも――。



 『ファブニール』


 ――無常にも、ザイフリートに届くことはない。

 矢が当たる直前に、セトが呟く。

 それは間違いなく当たる一撃、絶対に負けるはずがない一本の矢だった。

 その矢が突然、ザイフリートの前で姿を消した。鋭利な刃だったはずの先が最初に姿を消し、その消えた一部を追いかけるように矢の後方も消えていく。

 

 『なんで……!? なんでよ! なんでまた――きゃっ……!?』


 悲鳴にも似た疑問の声を上げるマイカの声が本当の悲鳴に変わる。

 先程、マイカが放ったはずの矢が――エツェルの脇に深く突き刺さっていた。


 『くっ……エツェル!』


 己の体で爆発を起こそうとしていた矢を、自分の手で触れることで消失させた。

 咄嗟の判断で最悪の事態は避けれたが、ダメージは深く残る。エツェルは先程まで肩膝をついていた体勢から両膝をつく状態になる。おまけに、それだけでは倒れてしまいそうになり、右手まで地面につくこととなった。

 絶望的な光景にシンシアは視線を逸らした。


 「顔を上げなさい」


 エツェルはやっと動かせたという感じに垂れていた頭を上へ向けた。巫女であるシンシアですら反射的にその声に顔を向けていた。

 エツェルが体勢を崩している隙に、手を伸ばせば届く距離まで接近したザイフリートがこちらを見下ろしていた。正確に言えば、ザイフリートとカイムだと言えるが。


 「もうやめろ。これ以上、無様に戦うのも時間の無駄というものだろう。その……エツェルとか言ったか。この距離で弓を引こうものなら、その矢を放つ前にその首を切り落とすことになるだろう。まあ、どれだけ距離をとっても体勢を立て直しても一緒のことかもしれないが」


 降り続く雨はエツェルとシンシアを濡らす。

 曇天から降り続く雨が、この大陸にこれから起こるであろうと悲しみを予見しているようだった。

 シンシアは願うように言葉を発する。


 「カイム……! 貴女はなんで、こんなことをするの……!? どうして、ここまでして争おうとするの!? 戦争なんて無視したらいいじゃない! 起きるかどうかも分からない崩壊を止めようとしているの!?」


 カイムは、涙か雨かも分からないほどに顔を濡らすシンシアへ冷たい眼差しを向ける。


 「――崩壊は起きるさ。近い将来、必ずな」


 「なんでっ……! ずっと戦争なんてしてこなかったのに、どうして急に……こんなことを……!」


 「別に急じゃないさ、ずっと昔から戦争は続いているんだ」


 「昔のことを今さら……。おかしいわよ、私はただ平和に毎日を過ごせれば良かったのに! それだけじゃダメだと言うの!? 貴女はっ」


 ふん、とカイムは鼻を鳴らせば、ザイフリートからぴょんと飛び降りる。かなりの高さあったが地面に落ちる直前、魔法の力を使い体を浮かせることで華麗に着地を行った。

 シンシアに歩み寄り、すぐ目と鼻の先まで近づく。


 「確かに平和は良いものだ。私も、セトが淹れた紅茶を飲みながら音楽を聴くのを好んでいる。それだけで生に対しての楽しさがあるというものだ」


 『恐縮です』


 セトの声に、カイムはザイフリートへ向けて一瞬だけ笑みを浮かべた。

 シンシアはそのカイムの横顔に希望を見出したのか、その顔へ向けて声をかけた。


 「その平和を理解できる貴方ならっ――」


 「――平和は弱さだ」


 シンシアの縋りつく気持ちを踏みにじるように、低い声でシンシアを睨みつけた。


 「平和は確かに素晴らしく、維持するのはなかなかに困難だと言えよう。例えば、余所の世界があるとしよう。その世界には戦争もなければ崩壊もない。そんな世界なら、私もただ茶を飲みながら人生を過ごすというものだ。……だがしかし、ここはシクスピース。残酷な神が作り出した争いの世界だ」


 「……だからなんだと言うのですか」


 「この世界でお前らの大陸は争うこともなく、平和の中で穏やかに生きてきた。その結果が、これだというのだ。この世界で、争うことを放棄した人間達に未来は無い。ならば、争いの中で私が平和を教えようというのだ。喜べ、笑え、歌え、踊れ、舞え、お前らが知る全ての表現で愉快だと示せ。……喜べ、これからこの未来の無い大陸に未来を与えてやろう」


 「ただ……平和で過ごせたら……良かったのに……」


 水溜りも気にせずシンシアは、その場に崩れ落ちた。

 カイムはその泥だらけの体に手を伸ばす。


 『シンシアは……』


 完全に気を失っていたと思っていたマイカの声が響く。

 珍しいものでも見るように、カイムはその声の方向を向く。


 「まだ喋る元気があるか、なんだ。聞いてやろう」


 『シンシアは……本当はドジだから……馬鹿にされないように……一生懸命勉強して……年上のくせに……朝が起きれなくて……本当は巫女なんてできる人じゃないのに……』


 「しょうがないだろう。それが巫女だ」


 エツェルが振動を始めた。それは、必死に抗おうとしている姿。

 カイムは恐れるどころから嬉しそうに目を細めた。

 マイカの苦しそうな声は、少しずつ大きくなる。


 『だから……一緒に過ごしていく内に思ったの……誓ったの! ――シンシアを守ると……私が守ると誓ったの! ――制限解除!』


 エツェルがガクガクと全身を揺らしたかと思えば、エツェルは力の限り足の関節に力をいれば、蛙のように高く跳ね上がった。距離をおき、四つん這いになったエツェルは咆哮を上げた。


 『ザイフリートォ――! カイムッ! 私の前でシンシアを泣かせた罪は重いぞッ!』


 エツェルが手を頭上に掲げる。

 曇天の空に無数の光の粒子が出現する。光の粒子が各々で、くっつき爆ぜ光を広げる。エツェルの頭上に浮かぶのは、無数の光の矢。エツェルは制限解除することで、弓などなくても魔法の矢を発生――何十ものの魔法の矢を作り上げることに成功した。

 カイムはやれやれと首を振る。


 「困ったお嬢さんだ。……セト、悪いが決着をつけてくれ。気分じゃないから、命まで奪うつもりはなかったんだが。仕方のない」


 カイムの声を聞いたシンシアは、カイムの足に手を伸ばし泣き叫ぶ。


 「――や、やめてくださいっ! マイカだけは……マイカは助けてあげてください!」


 シンシアの言葉に愉快そうに口元を曲げる。


 「おいおい、マイカだけは。だと? 巫女がそんなこと言ってもいいのかい。個人に対して、行き過ぎた感情は巫女としては失格だぞ」


 「そうかもしれません……! だけど、マイカは大切なのです! 私の大切な人なのです!」


 シンシアの吐き出された本音に、実に楽しそうにカイムは笑う。今度は口を歪ませるどころではなく、声に出して笑った。


 「じゃあ、最後に聞こう。――他の大陸の人間より、マイカという少女の方が大切なのか?」


 シンシアは強く何度も頷いた。


 「は……はい! そうです、マイカがこの大陸の人間達より大切なのです!」


 カイムはまるで好みの音楽を楽しむように、うんうんとその声を聞く。


 「――結構。気が変わった。あのマイカと呼べる少女を生かして倒そう」


 カイムの言葉を聞いたシンシアは、普段ならば甘い香りと共に流れる茶色の髪を勢いよく振り落とす。自分の髪が汚れることなど気にしてないという風に、泥水だらけの地面に頭をこすり付ける。


 「ありがとうございますっ! ありがとうございますっ!」


 カイムは巫女を服従させているその光景にゾクゾクとした快感を感じつつ、セトへ顔を向ければ顎をしゃくり指示を与えた。


 『了解しました』


 エツェルは掲げたその手を一切の手加減なく振り落とした。


 『消えろぉ! 消えろぉ! 消えてしまえ――ー! 我がエツェルの最終秘儀……神の災いマルス!』


 神の災いマルス。それは、制限解除したエツェルが放つことのできる全力の攻撃。

 何十ものの魔法の矢を一斉に放ち、前方を焦土と化すと同時にその降り注ぐ矢の攻撃を受けたものは、そこから跡形も無く消滅する。

 上空から落ちてくる魔法の矢の大群をじっと見つめるザイフリートは、己の大剣を地面に突き刺す。ゆらりとその大きな両手を上空へ向けた。


 『主がいるのにも関わらず、このような攻撃など……愚かな。しかし、数が多い。少々困難になりそうですね』


 「おやおや困ったな、セト君といえど難しそうか?」


 全く困ってなさそうにカイムが告げれば、セトからすぐに返答が帰って来る。


 『――いいえ、全く問題はございません』


  そう告げて、ザイフリートは一瞬だけその両手を動かした。それで終わりだった。


 『……デタラメよ』


 エツェルは攻撃を受けたわけでもなく、力なくその場に膝をついた。

 落ちてくるはずの魔法の矢は全て空中で消失していた。落ちることなどなく、魔法の矢達は音もなくそこから姿を消していた。

 空いた口が塞がらないという感じのシンシアにカイムは顔を向けた。


 「これで文句はないな。私は、お前の言い分を聞き届けた。すぐに奴に戦闘の中止を伝えろ。無意味だとな。それでも、聞かないようなら……そうだな――シンシアに私の靴を舐めさせると伝えろ」


 シンシアは嫌そうに顔を歪ませた。


 「そんなっ……」


 「どうせ、お前は殺さないでくれとまた頼むだろう。私だって、それほど心が広いわけではない。面白いではないか、他の大陸の巫女の靴を舐める巫女など。実に見物だ。……それに吸収するといっても、別にシンシアが死ぬわけではない。そこまで言えば、拒否することはないだろう」


 シンシアはうっとりした顔のカイムを見て、自分の顔を青くさせれば、すぐにマイカへと魔法で会話を始めた。

 それからすぐに、エツェルが発光する。どうやら、マイカはエツェルを自分の指輪の中に戻したようだ。エツェルの居た場所に何か塊があるようだが、どうやらマイカはうずくまって泣いているようだった。

 

 「なんだ、うまくいったのか……残念だ」


 『カイム様。趣味も入ってましたね』


 セトは無機質な声でカイムに言う。


 「お、珍しいね。セトがこんなこと言うなんて」


 『……』


 「て、やっぱり無口になるんだねえ。……まあいいさ、行こうか。シンシア」


 うなだれるシンシアの腕を掴み、強引に立ち上がらせれば引きずるように歩き出した。

 カイムは歩き出す。その顔は凛と前を向く。しかし、見ている景色はこの世界に住む人間達が誰も見ていない景色である。

 カイムの瞳はただ前を見続けた。

 ――そうして、第二都市ネボもエヌルタに吸収された。


 

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