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第十九章 第四話 明日の為に

 イナンナがメルガルを吸収するための準備がすぐに行われた。

 驚くほどに事は早く進み、俺に伝えるよりも早くレヴィはヒヨカに伝えていたようだ。家でただ塞ぎこんでいると思っていた自分の考えの程度の低さが恥ずかしく思えた。

 一番驚いたことがある。前回、エヌルタがマルドックを吸収した際に、どれだけ被害が出たのか、大陸が合体するまでにどれだけの時間を必要としたのか、大陸のどの箇所からイナンナの一部になるのかまでをヒヨカは考察して計算していた。

 ……巫女って奴は本当に凄い奴だ、俺は頭の上がらない気持ちでいっぱいになる。

 三日もしない内に、イナンナの大陸を受け入れる準備は完了し、俺、ヒヨカ、レヴィは遺跡に集合していた。

 空音は、メルガルが吸収される際の敵の出現に備えて予想出現地で待機をしていた。

 メルガルと一つになるということは、メルガルにいる量産されたヒルトルーン達をこちら側に引き寄せるということでもある。別の場所にいた敵と強制的に同じ大地の上に立つのだ。この間潜入したメルガルのままなら、敵との戦いは避けては通れないだろう。混乱しているであろう敵への先手必勝の一撃として、空音のノートゥングは活躍してくれるだろうという考えだ。

 俺もそこにいた方がいいのだろうが、未だに大陸の吸収には未知数なことが多いこともあり、俺は学園都市で待機することになる。

 都市にもルカがいるので安心はしているが、ルカが戦闘に参加するのは最終手段にしようというのがヒヨカの考えだ。この間まで敵だった竜機神が出現するのは混乱を招く恐れがあるのだ、これは仕方のないことだろう。……一応、独自に新兵器を開発していると噂を流していたようだが、見た目はブリュンヒルダなのでどこまで効果があるかは分からないが。

 だからといって、ただ都市にいるだけではない。俺は、イナンナの巫女の遺跡にいる。レヴィとヒヨカと一緒に。


 「レヴィ……」


 真っ直ぐに前を見て向かい合うのはレヴィとヒヨカ。

 例のように台座の上で二人は視線を交わす。


 「そんな心配そうな顔しないで、きっと大丈夫だから。安心してよ」


 俺の不安を拭うように健気な笑顔を向けるレヴィ。俺はその気丈さに、笑顔で返す。

 俺とレヴィを交互に見たヒヨカもお互いを安心させるように笑みを見せるが、それはどこか弱々しいものだった。


 「それでは、レヴィ。――行きますよ」


 「ええ、よろしく。ヒヨカ」


 ヒヨカは頷けば、レヴィに両手をかざす。

 レヴィの体が次第に少しずつ発光を始める。最初は淡く光を放つだけだったが、レヴィから放たれる光は輝きを増していく。

 両手を握り、まるで祈るように目を閉じるレヴィは巫女そのものだった。

 バイルが吸収される時は、命を吸われているように見えたが、今のレヴィは命そのもの……生命の輝きにも感じてしまう温かなものを思わせた。

 おもむろにレヴィはヒヨカに語りかける。


 「……迷惑かけるね、ヒヨカ。嫌な役目を押し付けちゃって」


 ヒヨカは小さな笑みを浮かべる。


 「……本当なら立場は反対でした」


 「違うわ、なるべくしてこうなったのよ。自分を責めないで、結果がどうなろうとも……これは私の選んだ道よ」


 ヒヨカは揺ぎ無いレヴィの意思を感じ、今にも流れ出しそうな涙を無理して飲み込む。

 二人の中にある他所を寄せ付けない心のやりとりがあったことを知る。俺は、周囲に光が満ちていく二人の姿を見つめ続けた。


 「レヴィの力、強さを感じます……」


 「うん、私もヒヨカの温かさや優しさを感じるよ」


 ヒヨカは少しずつレヴィに歩み寄る。そして、全てを包み込むようにその両手を自分の両手で覆う。光はさらに増し、目が痛くなるほどの眩しさ。俺は、それでもその光景から目を離すような真似は絶対にしない。

 近づく二人は仲の良い、生まれた時から一緒に過ごしていた姉妹のように額と額を当てる。みるみる内に光が周囲を照らし、体を焦がすような錯覚すら感じる。


 「――レヴィ」


 「――ヒヨカ」


 お互いの名前を二人が呼べば、遺跡を光が満たした。


 「レヴィ……! ヒヨカッ!」


 黙ってみているつもりだった俺は、その強烈な光に向かって名前を叫ぶ。しかし、俺の感情など無視するように、世界を変える光は俺を飲み込んだ。



                ※



 イナンナの地面が揺れ、都市が震え、海や川が溢れ、小刻みな振動と共に巨大なる大陸は動く。

 大陸に住む住人は考えた。ついに始まった。のだと。無論、個人の考えの細かいところまでは違いはあるものの、住人達は直感的には変化していくを感じていた。そして、その変化が新たな争いを起こすことも。

 住人達が揺れに慣れ始める頃には、気が付けば揺れは止まっていた。

 イナンナとメルガルは一つの大陸となり、メルガルは死に――新たなイナンナが生まれた。



                ※


 目を開く。


 「くっ……」


 今まで自分の見ていた光があまりに強烈過ぎて、まともに周囲を見ることができない。

 目元を擦りながら、辺りに必死に目を凝らす。淡くも荒い白い視界の中に浮かぶのはと体存在した。つまり、それは俺達が最も恐れていた光景。

 あれだけレオンやレヴィに綺麗ごとを語ったのに、俺は何一つできやしなかった。守らなければいけない人を、生きていかなければいけない人を二人も犠牲にした。

 視界が晴れていく。涙で滲む光景は、このままなら絶望を見せる。希望など存在しないと悲観にくれる少女がそこにいるはずだ。情けないことながら俺は、反射的に目を逸らす。

 理屈も言い訳も無い、俺は己の目に映る嫌なものから逃げるために見ないことにした。


 「レヴィ」


 ヒヨカの声。自分が殺したも同然の親友の名前を呼んでいるのか。その名前を呼ぶ声に胸が潰れそうになるほどの圧迫感を受ける。


 「――うん、ここにいるよ」


 最初は聞き間違えたかと思った。

 見ないことにするつもりだった俺は、そこに目線を向ける。気が付けば、首はヒヨカのいるであろう一体の影の方を向いていた。

 そして、俺は一瞬だけ呼吸を忘れることになる。


 「ははっ」


 息を吸い込むように乾いた笑いが漏れる。


 「酷い顔してるじゃない」


 にんまりと笑う顔は、どこかすっきりとしていて。


 「うっせえよ。……人が誤解するようなことしやがって」


 それでいて、嬉しそうで。


 「私が悪いみたいじゃないのっ。違うわよ、その誤解はこの子のせい……むぎゅ」


 頭一つ低いヒヨカが、ぴょんぴょんと飛び、顔の形が変わるほど頭を押し付ける。


 「レヴィー! レヴィぃ……! レヴィッ……!」


 泣きわめくヒヨカ。


 「もう! 分かったから、巫女状態のヒヨカに戻りなさいよ!」


 困った顔も特別嬉しそうで。

 俺は、こういう時にピッタリの言葉を思い出した。


 「こういう時に相応しい言葉を知ってるぜ。……――おかえり」


 ヒヨカから逃れようとじたばたとする彼女は動きを止める。そして、うーんと考えるように視線を上に向ければ、すぐに頷く。


 「うん、きっとこれが正しいのよね。――ただいま、実王」


 レヴィは屈託の無い笑顔を見せた。

 泣き喚くヒヨカと静かに笑みを浮かべるレヴィはお互いの存在を確かめるように抱き合い続け。それから、しばらくの間――一体の影を作り続けた。



                 ※


 同時刻。

 敵出現予測地点。そこに、ノートゥングに搭乗する空音がいた。

 敵は見当たらず、ただの荒野が広がるのみ。ざわめくその他数十機の竜機人。

 ここからなら、メルガルの都市までそう遠くは無い。……こちらは予想地点であって、確実なものではないのも確かだ。戦場ならば、きっと予想外もある。それに、敵が気づいていないという奇跡的な展開もあるかもしれない。

 そう考えた空音は、ここに待機することを竜機人達に伝えるとノートゥングを走らせた。

 人ならば丸一日はかかる距離をノートゥングは数分で駆け抜けた。それでも、周囲を警戒しながらの移動になるので、戦闘中の瞬間的なスピードを考えたら十分の一程度のスピードしか出していない。

 華奢なボディが華麗に地面を蹴れば、気が付けば学園都市の門の前に到達していた。


 『もしかして、馬鹿にでもされてるのかしら……』


 怪訝な声を上げる空音。

 訝しげな声を上げるのも無理は無い。戦闘の形跡、荒れて穴だらけの大地、破壊されたゲイルリングの山。この前、目撃した光景だったが、敵が一体も遭遇しない。ヒルトルーンもいなければ、見張りの姿もない。もぬけの殻、といえば良いのかもしれない。


 『さて、ここまで来たけど……どうしようかな』 


 しばらく次の行動に考えた空音だが、直感を信じて目の前の門へと飛び込む。

 基本的に、竜機人や竜機神は空中を飛べる。しかし、空を翔ることよりも地面を駆けることに特化したノートゥングは空を飛ぶという選択はしなかった。

 閉じられていたその門をノートゥングの強靭な足で駆け上がる。重力を無視して、突き進む空音は都市の門の上に到着する。



 『やっぱり、許せないわ……カイム』


 目下の光景は、ただひたすらに瓦礫の山。あれだけ技術を誇ったメルガルの都市も、今ではただ廃墟が広がるのみ。

 暴力の限りを尽くされたメルガルの光景を見て、苛立ちのままに舌打ちをすれば、そこで高くジャンプをする。

 高く飛び上がった空音の目には、学園都市の全域が飛び込んでくる。

 全ての光景を見た空音は、そこで再び先程よりも大きな舌打ちをした。


 『まさかとは思ったけど……。さあて、次は何を考えているのかしらね。――あのイカレ女はッ』


 空音は把握した。――メルガルから既にエヌルタの兵達が撤退していることを。

 イナンナで待つ竜機人達のことを考える。これを報告すればイナンナの乗り手もメルガルの乗り手も喜ぶに違いない。相手は恐れをなして逃げたと高らかに笑い合いだろう。……果たして、それは正解なのか。

 空音は嫌な予感を感じつつ、その不気味に静まり返る無人のメルガルの都市を見つめた。

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