第十九章 第三話 明日の為に
素早く食事を済ませれば、目に付いたアトラクションに次々と挑戦した。
レヴィは今まで一度もこういう場所に来たことがなかったようで、そのどれもに目を輝かせた。
ここまで無邪気に笑う彼女の姿は、メルガルの巫女だということすら忘れてしまいそうなほどだった。
驚くほどに時間は早く過ぎ、あっという間に日は暮れていく。すっかり周囲は暗くなり、メインストリートを煌びやかな行列が進む。
二人でベンチに腰を降ろし、隣で腹を抱えて笑うレヴィと共に本日最後のパレードを眺めていた。
「くっ……あはははっ! 実王、アトラクション乗る度に悲鳴あげすぎよっ。バルムンクの方がよっぽど早いのに。……さっきの奴なんて、腰まで抜けちゃって……ぷぷぷっ」
「怖くてすいませんでしたー! そもそも、バルムンクとああいう乗り物は違うの! あれは自分で操縦できるからいいけど、こっちは勝手に動き回って、ぐるんぐるん駆け回るのが怖いの!」
「情けない、いい訳ねえ~。……でも、面白かったわ。ほんと」
呼吸を落ち着かせるように胸を撫で、レヴィはその瞳に映る眩い光景に目を細める。
切なげなその横顔に俺は声をかけた。
「レヴィ、他にやりたいことはないのか?」
「あるといえばあるし、ないといえばないかな。全てが楽しくてキラキラしていて、自分がなんなのかどうしたのか、忘れてしまいそう」
レヴィの言葉を聞いて顔を見ていると伝染するかのように、自分の胸を言いようのない切なさが伝わる。
気が付けば探していた。レヴィのために何ができるのか。このままパレードを見ながら終わるのもそれでいいかもしれない、しかし、最後をこの切ない顔のままで終わらせたくないと思う。
左を見れば、まだ稼働中のライトアップされた絶叫系のアトラクション。……ダメだ、こういうのではきっと満足しない。
右を見れば、甘い匂いをさせる屋台。……何を考えている。さっき飯は食べたばかりだ。
くそ、と内心で吐き捨てる。自分の女性経験の無さと選択肢の少なさに頭を痛くさせて、半ば諦め気味に視線を上へ向けた。
「あ」
そうか、これがあったのか。これなら、きっと喜んでくれる。何か話したいことがありそうだし、ゆっくりと会話の時間も作れるかもしれない。これほど、ピッタリな場所はないだろう。
元いた世界の夢の国にはなかったから忘れていたが、ここは一応異世界の遊園地だ。この驚きには素直に感謝を覚えた。
俺はパレードの行列が通り過ぎるのを待てば、ゆっくりと立ち上がった。突然、立ち上がった俺にレヴィは心配そうに視線を送る。
「……もう、帰るの?」
その目はまだ帰りたくないと願っていた。俺は、その心細げな視線に笑顔で返事をする。
「いや、まだだよ。――あそこに乗ろう」
俺が指差した方向には、ある車輪状の建物。その車輪に掴まるようにゴンドラがついていた。
「あれは……」
不思議そうに目を凝らすレヴィ。今度は、俺が笑い声を上げる番だった。
「なんだ、知らないのか。――観覧車だよ」
レヴィはもう一度首を大きく傾げた。
※
キラキラとしたイルミネーション、未だ続くパレードの灯りが星の絨毯のように眩しい。目下の光景に、レヴィは感嘆の声を発した。
「うわぁ……綺麗ね……」
向かい合わせに作られた座席で膝を曲げ、窓に顔を押し付けるレヴィの表情は明るい。雰囲気出しのためか、ゴンドラ内は暗く、目が慣れない内はぼんやりとしか表情が見えなかった。
最初は初めての乗り物に不安そうだったが、乗り込んでしばらくすれば緩やかな上昇に目を輝かせる姿を見せてくれた。
その楽しげな横顔に声をかけた。
「連れてきて、良かったよ。最後はゆっくりと過ごすのも悪くないかなと思ってな」
「最後……。そうだね、もうおしまいなんだね」
レヴィはその表情を暗いものにすれば、体の向きを戻せば向かいの席に座る俺に向き直る。
「あ。いや、別に最後て言っても、これから一緒に家に帰る時間も……手、繋いでいいからさ……」
レヴィは小さく笑うと、首を横に振る。
「ありがとう、実王。でも、違うの。……恋人として過ごす時間が、これで終わりだと思って……」
「レヴィ……」
「そんな悲しそうな顔しないでよ、私も悲しくなるじゃない。今日は本当に楽しい一日だった。こんなにも愉快な気持ちに慣れたのは、本当に久しぶりだったわ」
「俺こそ感謝しているよ。俺も、心の底から楽しく笑えたのは久しぶりだった気がする」
「なんか、嬉しいな。……ねえ、実王の隣に行ってもいい?」
上目遣いで問いかけるレヴィの言葉に、俺は考えるまでもなく頷くことで返事をする。
俺が頷いたことを確認したレヴィは、嬉しそうに微笑を浮かべれば、俺の隣に腰掛けた。
小さく揺れるゴンドラが、不安な気持ちも加速させる。
「嬉しいな、実王と二人で……こんな時間が過ごせるなんて」
とても自然な動きで、レヴィは俺の手に指を絡めてくる。俺も最初の頃は不自然だったのが嘘のように、その指を己の指に受け入れた。
絡めた細い指は熱く、汗ばむ自分の手が嫌がられないかと心配になる。
「また過ごせばいいさ、これからも時間を作ることぐらいできる」
レヴィは悲しげに目を細めた。
「過ごせるわけないよ、実王は自分の気持ちを知っているよね。……こんな時間は、本当に二度と来ないの。私はそれを知っているから」
その言葉に自分の胸が苦しくなっていることに気づく。
知っていた。レヴィの望む時間はもう来ないことを。それでも、嘘をついたのはレヴィには失礼なことだと自分を恥じた。
「ごめん……」
「謝らないで。……相変わらず、優しいのね」
この手に触れる資格はないと判断した俺は絡めていた指を離そうと力を入れる。……しかし、離れることはない。強い力を入れたつもりはなかったが、俺が離そうとした力以上のレヴィに握る力は強いものだった。
「……まだ、だめだよ。まだ……実王の温かさに触れていたい」
レヴィの言葉に手の力が抜けていく。
俺にもレヴィにも恋人として過ごした時間は残酷なものだった。
沈黙を続ける俺にレヴィは、話題を変えるように少し高めの声を出した。
「実王、私ね……。ずっと決めていたことがあるの。これは、メルガルが襲撃を受けた時からレオンと相談していたことなの。それが正しいのか分からなくて、悩んで……やっと答えが出たの」
レヴィの表情を盗み見れば、考えていた言葉を一言一句搾り出すようにたどたどしく言葉を紡ぐ。見方によっては、苦しそうに喋っているようにも見える。
「ものすごく悩んだけど、やっと決めることができたわ。――よく聞いて、実王」
視線を足元に向けていれレヴィは俺の方に顔を向けた。儚げに瞳が揺れる。
「――私……イナンナに巫女として力を吸収されようと思うの」
耳に入ってきた言葉に、一瞬気が遠くなる。気が付けば、俺は感情のままにレヴィに顔を寄せて声を荒げていた。
「なっ……!? 何を言ってるんだよ! なんかの冗談か!? そんな酷い冗談なんて……俺は笑えねえよ……!」
「冗談じゃないわ……。私が必死で考えた結論よ。嘘なんてつくわけないじゃない」
「ふざけんなっ。吸収されたら、どうなるかまだわかんねえんだろ! もしかしたら、死ぬかもしれないんだろ!? それに、メルガルもどうするんだよ!」
視線を逸らそうとするレヴィの肩を掴むと強く言葉を浴びせた。
「全て覚悟の上よ。……レオンは言っていたの。メルガルの意思を終わらせるなって……。私は大陸を継いだわけではない、巫女としてメルガルの心を受け継いだの。大丈夫、きっと大陸がなくなっても、人々が生きていれば意志は受け継がれていくわ。……そのために、あのカイムを倒さなければいけない。今のメルガルには力が無いけど、イナンナに意思と力を託すことができるわ」
レヴィの瞳の奥に燃え盛る意思を感じさせた。それは、レオンが常に胸の奥に輝かせていたあの灯りだと俺は思った。
その強い意志を見ても。それでも、と俺は子供のように大きく首を振った。
「――だからって、お前が犠牲になっていいのかよ! 俺はレオンにお前を頼まれたんだ。そんな……お前をっ……!」
幼子のように喚く俺の額に何かが触れる。視線をその先に向ければ、目と鼻の先にレヴィの顔が見えた。穏やかな顔で目を閉じ、自分の額を俺の額に当てていた。
「もう十分よ、実王。レオンもイナンナに脱出した後は、同じことを考えていたのよ」
「え……? なんでだよ……」
「レオンは都市を攻撃された時点で、もうメルガルが長くないことを察していたの。イナンナに向かう前に、吸収されることを提案したのは彼なの。……あの日、レオンと戦った実王と同じ事をレオンは言ったわ。――世界と戦おう、て。私達巫女が死ぬかもしれないというのは、それも誰かが決めた可能性の話だ。それなら、俺達は未来があるという可能性を信じようとレオンが言ってくれた。……私は覚悟をしているけど、未来を信じてる。きっと、私は大丈夫だから」
「かっこいいじゃねえかよ、アイツ……」
「実王がかっこよくさせてくれたのよ」
レヴィからは悲壮感は感じられなかった。それは、歩き出す強さ。
「……でも、吸収されることを考えたら怖くて、勇気が欲しくて。……前に歩き出すために、心残りをすっきりさせたくて、実王を誘ったの」
「俺が心残り……なのか……」
口元から漏れる乾いた笑い。
今さら、レヴィの気持ちに気づかないなんてことはできなかった。
「うん……。――実王、大好き。ずっと私のそばにいて」
胸の奥底に深く突き刺さる愛の言葉。こんな真っ直ぐな言葉が、重く温かく窒息しそうになるものだと初めて知った瞬間だった。
先の言葉が出てこない。俺は自分の気持ちに気づいているし、レヴィは返事もどんなものか知っている。しかし、前以上にレヴィのことを知った俺は、その先の言葉を出すことができないでいた。
「優し過ぎるよ……。お願い、実王の口から聞かせて」
俺がもしもメルガルの乗り手として、この世界に現れたら……レヴィのことを異性として好きなる未来もあったかもしれない。だが、俺はこのイナンナで出会い、大切なものができた。……俺の口から否定はしたくなかった。それでも、声に出さなければいけない。出さないと、終わりもしなければ始まりもしないのだから。
神経を総動員させて、俺は返答を声にする。
「……ごめん、レヴィ」
俺の声を聞いたレヴィは一瞬だけ、体が震えた。一滴だけ流れた涙に俺は気づきはしたが、それを拭う権利はもうない。ただ流れた涙の跡ははっきりと赤く染まる頬に残る。
「うん……ありがと」
さっきした俺の返事よりも短い間隔でレヴィは言葉を返す。
ゴンドラは沈黙と共に揺れる。もうすぐ頂上だった。
「……一番高いところまで来るね」
「ああ……。景色、見なくていいのか」
「いいよ、景色なんて。……偽の恋人関係が一日なんてやっぱり辛過ぎたかな」
「……やめるか?」
「やめたくないな。だから、せめて……観覧車が終わるまでは恋人のままじゃダメ……かな?」
左手は彼女と指を絡めていた。だから、俺は右手でレヴィの髪を撫でた。
「ダメじゃない。この観覧車が終わるまでは、俺とレヴィは恋人同士だ」
「ほんと、嬉しいな。……こんなに高い場所なら、きっと誰も見てないよね。……っ」
ゴンドラがもう一度小さく揺れる。
レヴィが一瞬だけ、俺の唇に自分の唇を重ねた。それは一秒にも満たない短いものだった。
先程まで額を合わせていたレヴィはすぐに顔を逸らす。その顔は、暗闇でも分かるぐらいに真っ赤だ。
「実王……。お願い、私に勇気をちょうだい」
レヴィはそう言えば小さな唇を突き出し、目を固く閉じた。
観覧車は頂上に到着する。
「レヴィ……」
吸い寄せられるようにレヴィの唇に自分の唇を近づけた。絡めた指に力を入れる。
「実王……んぅ……」
重なる唇。震える唇に、俺の震える唇を重ねた。まるで世界は二人だけしかないように静かで、聞こえるのはお互いの鼓動のみが支配する世界。
最初で最後のレヴィとの、恋人としてのキスをした。