第十九章 第二話 明日の為に
時刻は午前十時。一緒に家から出れば良いところをレヴィの頼みでわざわざ別々に出ることになった。
同じ家に住んでいるのだから、一緒に来ればいいものを……。
レヴィの顔を知っている人間も多くはないし、家までそう遠くはない公園での待ち合わせ。危険はないとは思うが、先に出た身として心配である。
天気も快晴。地面に影を作りながら鳥は飛び、犬の散歩をする老人がのん気に欠伸をしている。少なくともここは平和、ゆったりとした時間の中で待つのも悪くはないかなと思い始めた頃。
「――実王っ」
名前を呼ばれて振り返る。上擦った声は急いで来たので乱れている証拠。
「いや、そんなに待ってないしだいじょ……う……ぶ……」
目の前の少女は首を傾げた。
「……どうかした? なにか変?」
少し肌寒くなってきた今日この頃。そんな中、レヴィは普段とは違う私服というものでやってきた。
フリルの付いた薄手のボレロを羽織り、その下の淡い赤のブラウスは普通のものより小さなネクタイが揺れた。視線を下に移せば、地味な色のホットパンツと縞模様の入ったニーソックスがその太ももの白さを強調させる。普段の強い部分ばかり目が行ってしまうレヴィの隠れた可愛さを垣間見た気がした。
不覚にも、普段とは違うレヴィに鼓動を早くしてしまう。
「あ、いや……。今日の服はどうしたんだ?」
レヴィは少しもじもじとしながら返事をする。
「ルカに相談してみたら、いろいろと服を用意してくれたの。……やっぱり、変かな。いつも制服ばかり着ていたから、自分でも違和感があるんだけど……」
「――へ、変じゃねえよ。……に、似合っている。……と、思います」
レヴィ以上にもじもじとしながら感想を言う俺に、レヴィが吹き出す。
「――ぷっ。あはは、なんで聞いた私よりも恥ずかしくなってんのよ!」
嬉しそうに腹を抱えて笑うレヴィ。そう言うレヴィの頬も少しばかり朱に染まるのは気のせいではないはずだ。
だが、このまま笑われ続けるのも、それはそれで勘弁してほしいので、俺はレヴィに手を見せた。
「なに? この手は……」
やっと笑いを我慢したという感じでレヴィが不思議そうに言う。
「察しろよ。俺達は恋人同士なんだろ。……だったら、手は繋ぐものじゃないのか」
いよいよ恥ずかしさの限界が見えてきた俺は、手を差し出したままで背中を向けた。こんな赤い顔のままで偉そうに手を握るというのもキツイ。
昨日のレヴィとの約束の後、まともなデートの経験がないことに気づいた俺は、慌ててクルガに連絡して遊ぶ場所を調べ、空音が前に女子向けの雑誌を読んでいたことを思い出し、部屋に無断で忍び込むと雑誌を拝借し、デート特集のページを読み漁った。すっかり明け方になっていることに気づいた俺は、僅かな時間の睡眠の後ここにいる。
その予習の成果を発揮する瞬間が来た。恋人とは、一に手を繋ぎ、二に手を繋ぎ、三も四も五も手を繋ぐことだ。……と、質問コーナーの回答でも言っていた。
「緊張し過ぎ。声だけで、こういうの慣れてないこと分かるよ。でも、まあ――」
やれやれ、と言う感じの声が聞こえる。
俺は反論することもできず、手をパタパタと動かして急かす。
「――慣れてない方が嬉しいかなっ」
ぎゅうぅ。と俺の手を柔らかいものが包む。
俺の手を握るレヴィのその手の温もりは驚くほど熱く、俺に負けないぐらい緊張しているレヴィがイメージできた。
俺はレヴィの体をぐいと引き寄せる。
「行くぞ、離れるなよ」
「へへへ……そっか、恋人同士だもんね。……うん!」
元気良い返事のレヴィからは巫女だという印象は全く感じさせないほどに、ただの女の子だと思った。
※
火傷しそうなほど熱い手と手を握り合いながら、俺達はバスに乗り込む。その間も握りっぱなしの俺とレヴィは途中でつまずきそうになりながら、目的地へ向かう。
二人でバスに乗り込んだ際に、出てきた整理券を空いた手でお互いに手を伸ばしてしまい、結果として空いていたはずの手でも握り合うことになった時は、恥ずかしさで悲鳴を上げそうだった。それはレヴィも同じらしく、目的地に着くまでは二人ともプルプル震えていた。
やっとの思いで到着。昼前には無事に着くことができた。
「こんなところ……初めて……」
レヴィは感激の声を漏らす。
キラキラとした建物、人の笑い声、建造物は規則的に動き、名前も知らないファンシーなキャラクター達が客と肩を組み合う。
俺達の目的地。それは……遊園地だ。
ベタだと笑うが良い、捻りがないと呆れるが良い、それでいいのだ。初めてのデートは冒険などせずに無難に行くことが一番だ。と……質問コーナーの回答でも言っていた。
俺は昨晩のクルガとの会話を思い出す。
――どこかデートにピッタリの場所を知っているか、だぁ!? とうとう、篝火さんとそこまで来たのか……。電話、切ってもいいよな。
――違うわ! 事情があるんだよ、どうしても成功させなきゃいけない! 大切なデートなんだよ!
――……何か事情がありそうだな、お前がそこまで言うなら仕方ない。デートに慣れてなさそうだし、よほどヘマしないと失敗しない所を紹介してやるよ。
――そう言うお前が慣れているかどうかも怪しいぞ、ていうツッコミは野暮だよな。
――うるせえよ! 教えてやらねえぞ! ……いいから、黙って聞け。俺達の都市には様々なデートスポットは確かにあるが、ある程度の関係性がないと難しい部分が多いのも確かだ。それに、お前みたいにあまり土地勘がないと余計に大変だ。その中でも、特別初心向けの外れがない場所を紹介しとくぞ。それは――遊園地だ。
――もったいぶって言うわりには、意外と普通だな。
――ただの遊園地じゃねえよ。なんとそこは、夢の国と呼ばれている。
――……あれ? なんか、どっかで……。
――この遊園地にな、イナンナで昔から人気のキャラクターがマスコットを勤めていて、多くのアトラクションや毎日イベントを用意しているんだ。園内を歩くマスコットキャラクター達に声をかければ、写真も一緒に撮ってくれるし握手もしてくれるんだぜ。俺の周りにも働きたいって奴もたくさんいるぞ。
――そこのメインマスコットキャラクターて、もしかしてネズミか? 大きな耳の。それで、都市伝説とかあったりしないか。
――よく知っているな! 実は言ったことあるんじゃないか!? どこかで聞いていると思ったよ、そいつの名前はミ――。
――いや、それ以上は話さなくていい。……参考になった。
――おう、それじゃよく分からんが、デート頑張れよ!
昨晩の回想終了。
園内のあらゆるところには、あの大きな耳が見える。店の看板、アトラクションの一部、入場券の隅、横を通り過ぎる子供の頭には大きな耳のアクセサリー。
……ついには世界を超えたか夢の国。
「ねえ、どうかしたの。実王っ」
握っていた手をやんわりと引っ張るのはレヴィ。手を繋いでいるという状況に慣れてきていることが分かる。
「いや、多々ある都市伝説は本当だったかもしれないなと思ってな。少し呆然としていた」
レヴィは不思議そうに眉を寄せる。
「おかしな、実王。ここが楽しくてぼーとしているってことかしら。――それはさておき、行きましょ! 実王!」
その表情をすぐに笑顔にすれば、レヴィは俺の手を強く引いて歩き出した。
「分かった分かった。最初に飯にするか?」
「食事しながら遊びましょ!」
「それは無理だ! どっちか一つにしてくれ!」
本当に無邪気に、ただの女の子であるようにレヴィはクスクスと笑う。
「いいの、今日は精一杯楽しんで最高の一日にしようと思っているんだから! だって、今の実王は私の恋人なんだから!」
その笑顔に俺も自然と口元ほころばせた。自然体でいながらも、俺の胸の中は何か詰まったように息苦しい部分もあった。
レオンも一緒にいれたらな。心のどこかでそう考える自分もいる。
今の笑顔のレヴィは信じられないぐらい自然で幸福そうに見える。まるで、レオンことを忘れてしまったかのように……。
俺は心の中でそう考えた自分を怒鳴る。
違う、レヴィは絶対にレオンを忘れたりしない。それは間違いないのだ。……今は考えるのはやめよう。
レヴィが最高のものにしようとしている一日を、俺も最高に幸せな気持ちで迎えうとう。……だから、レオン。今は君を悲しむことを我慢することにするよ。
「おう! じゃあ、今日はレヴィがひいひい言うまで楽しませてあげるからな! 覚悟しろよ!」
レヴィは足を止めればチラっと、こっちを見た。
「……何を言ってんの。実王の……すけべ」
「――そうなの!?」
レヴィはイタズラっぽく舌をぺろっと出せば、再び手を引き歩き出した。
俺はレヴィとの一日を最高のものにしようと心に決めた。