第十八章 第四部 レヴィ救出作戦
『レヴィ! イナンナに向かうことだけを考えろ!』
ブルドガング出現と同時に、ザイフリートに接近。距離はそう遠くない、竜機神の性能なら一瞬で触れられる距離。右足で地面に触れてブレーキをかけ、腰を屈める。
『砕け散れぇ――!』
バルムンクを苦しめた回転斬りを放つ。敵は未知数。だからこそ、様子を見るという選択肢はあえて排除。
レオンは気づいていた。戦うことに慣れ、他者と争うことが身近にいた彼だからこそ、目の前のザイフリートは最も警戒すべき存在だと。一瞬が勝負を決め、一撃が生死を左右する。だからこそのあえて、レオンは全力の一撃で逆刃を振るう。
――ギィンッ。刃物と刃物がぶつかり合う音。
渾身の一撃は、ザイフリートの大剣によって防がれていた。ほんの僅かばかりに持ち上げた手。傍から見ていれば、その大剣は少しばかり浮かせただけ。ザイフリートが持つ大剣の刃が盾のようにブルドガングの一撃を防ぐ。
『その程度か』
ずんと腹の底に響くセトの声。しかし、その声色には感情はなく、ただ事実を告げているだけのようだった。ただそれだけの言葉だったが、レオンの怒りを買うには十分過ぎる一言。
『――貴様ぁ! ここで、お前を絶対に討つ!』
ブルドガングは強く踏み込み、受け止められていた刃を押し込む。
ブルドガングの一撃を受けていたザイフリートの体は、少しずつ後退していく。地面にずりずりと残る跡から、強引に動かされているのが分かる。
『無意味な抵抗だ』
ザイフリートは大剣を右手だけで支える。すっと左手を頭の上に構えた。
『なにっ……!?』
レオンは驚愕の声を上げる。
両手で受け止め続けていたと信じていた自分の一撃。それを、片手で容易く受けている。さらに、その大剣を構え続けながら。
『少し、離れなさい』
ザイフリートの左手の拳が振り落とされた。
『ぐぁ……!』
ザイフリートの拳をまともに受けたブルドガング。拳が顔面から内部に潜り込み、そのまま倒れるようとするところに、ザイフリートは腕に腰に力を入れて勢いよく振り切る。そのまま、ブルドガングはレオンの小さな呻きと共に後方へ吹き飛ばされた。
地面に体を打ちつけたブルドガングは、大きく跳ねると後方の巫女の銅像達を巻き込みながら壁に体を埋める。周囲の石柱は倒れ、遺跡が振動を起こす。竜機人と同程度の大きさの銅像が、首をへし曲げてブルドガングの周囲に降り注ぐ。
「レオンッ……!」
レヴィが絶叫をする。その姿を見たレヴィは、それ以上は見切れないという感じに、すぐさま視線を逸らす。再びレヴィは魔法の準備に意識を集中させる。
「冷たいわね、レヴィちゃん。聞いてる? 今、あそこでひっくり返っているの、貴女を命懸けで逃がそうとしている乗り手よ。……いや、レヴィちゃんにとっては、それ以上の存在なのかもね」
カイムはレヴィの反応を楽しむように、クスクスと笑い声を上げながら言う。
実に悪趣味な女だ。レヴィは心の中で冷たく言う。
レヴィは聴覚をシャットダウンさせるために、さらに魔法へと意識を集中させる。疲労した状態で負担のかかる魔法を使うのはレヴィもなかなかに堪えるものだった。それでも、奴に耳を傾けるな。今は集中しろ、魔法に意識を傾けろ、と。
「……無視なんて、それこそ冷たいね。いいよ、勝手にさせてもらうから。――セト」
『はっ』
大剣を肩に担げばザイフリートは飛ぶことはせずに、地面を揺らしながら、その大きな足で一歩踏み出す。次に二歩目を踏み出す。それで距離は十分に埋まる。――セトの狙いは目の前のレヴィ。
レヴィはキッと尖った眼光でザイフリートを睨みつける。
「まあ、これが手っ取り早いよね。無視、やめてくれるかな」
「……」
カイムの高圧的な態度。頬を流れる汗。無言という行動で、気持ちを伝えた。
「はいはい、分かりましたよ。セト、お願い」
ザイフリートは大剣を頭上に持ち上げる。掲げられた刃は、太くぶ厚く、見下ろすだけのレヴィには巨大な壁が出現しているようにも見える。その巨大な影は今まさに、レヴィを押しつぶそうとしているのは明白で、今から走り出してもあっさりと大剣のシミになる未来は避けれない。
しかし、それはレヴィが一人で戦っているならの話――。
ザイフリートはただ一人の少女へ向けて、その酷く凶悪な刃を振り落とした。
『――レヴィィ!』
頭部の角は全て折れ、頭から内側へ陥没し、太い右腕を軋ませながら、ブルドガングが壁の中から出現する。壁から放たれた炎の矢の如く、迫り来る大剣とレヴィの間にその体を滑り込ませる。
大剣を逆刃で受け止めたブルドガング。だが、体を吹き飛ばさんばかりの強烈な一振りに支えている腕が地面に落ちる。切り裂かれた腕からは、竜機神の血液が噴射してレヴィの顔を汚した。レヴィは、ぶっかけられたその液体にすらも動じることはく、ただ先程までの両腕を広げた姿勢で念じ続けた。
「あのまま寝ておけば、まだ楽になれたのに。……でも、その状態でどうするつもり?」
カイムは笑いを含んだ表情で、右膝を曲げるブルドガングを見る。
武器は落とされた右腕と共に地面に転がり、猛獣のような顔は潰された空き缶のようにぺしゃんこで、まともに両足で立っていられないその姿。
決定的なのは、深々と突き刺さるザイフリートの大剣が貫通し、その先が地面に突き刺さっていた。串刺されたブルドガングの目の光は非情に弱いもので、レヴィの攻撃を受け止める盾の役割で精一杯というところに見えた。
『……俺は、こんなところで死ぬことはできない』
吐く息も短く、レオンの弱りきった声。
「残念だけど、どうすることもできないよ。これで、積みだ。抗うこともできないまま、君はこの世から消える。そうして、この物語を作り上げる一人のキャストとして名が残るのみになるんだ。スラムのゴロツキが、こういう死に方ができるのは……凄く劇的だと思うけどな」
同じ年の女友達に語りかけるように、カイムは明るい口調で話をする。
レヴィは神経を逆撫でされる声を必死で振り払いつつ、魔法に専念する。そして、ただ信じるレオンを――兄のことを。
ブルドガングは無事な箇所を探す方が大変な体で、ゆっくりと立ち上がる。
『お前らは何を求め、何を考えて……この大陸を攻撃する』
ブルドガングはザイフリートの顔に自分の顔を押し付ける。密着する二機の顔と顔。黄金の騎士の顔をブルドガングの血液が汚す。
「最後の質問が、そんなものでいいのか。……世界を知る為だ。お前達は、この世界に対する認識が低い。それ故、イナンナに敗北し内輪で争う。だが、君達はイナンナと共に行動する。それこそが、大きな利点とも言えよう。このタイミングが重要なのだ。この瞬間に、君達が滅ぶことが必要なのだ」
ピクリとも動かないザイフリートの背後からカイムが代わりに語りかける。
『俺達は、かませ犬ってことか……』
「差異はないよ」
事もなげに告げるカイム。
『そんな理由で、メルガルの人間達は傷つき、倒れたのか……?』
「ああ、私の気持ち一つで――メルガルの民は傷つき……死んだ」
――ぴちゃり。
ブルドガングの血液が地面に垂れ落ちた。
「おねんねだよ、レオン。いいかげんに終わりにしてあげな、セト」
『かしこまいりました』
ザイフリートが大剣を引き抜く。
ずりずりと肉を削ぎながら持ち上がる大剣。先程のやり直しのように、大剣を持ち上げた。
ブルドガングは、ザイフリートの体制が変わったことで、そのまま地面に叩きつけられた。己の流した血液に顔を体を染めながら、最後の時を待つかのように静かだった。
血で濡れた大剣の刃が輝く。その一撃は、確実にレオンの命を仕留めるための必殺の刃になるものだった。
※
レオンは操縦席の中で静かに目を閉じる。
状況は絶望的。ひしゃげた操縦席の中で、降り注いだ部品で肩を裂き、額から流れる血で目の前が霞む。……死が近い。
濃く薄っぺらい人生だったのではないかと振り返る。
竜機神になり、レヴィと出会い、大陸を変えるために戦い、イナンナに負け、それでも戦い続けた。終わりはない、終わるはずがない、と信じて無我夢中で突き進んでいた日々。それが今、終わろうとしていた。たったの数日で。
視界が霞む。目がチカチカと揺れる。俺は泣いているのか……。悔しい、終わってしまうことが、こんなにも悔しいなんて。こんなにも、あの温かい日々に戻れないことが……悲しいなんて。
世界が憎くて仕方のない、世界を壊したくて暴走もした。違った、違うのだと。やっと気づけた。出会えたのに。
生きてほしいと願う。ただ、生きてほしい。本当なら、隣に立っていたかった。ずっと、近くで守りたい少女だった。
「世界は汚くて、とても生き辛いところだった」
眠りに落ちる前のぼんやりとした意識が出す言葉。
「辛くて、汚くて。……なんで、俺だけが苦しまなければいけない。なんで、こんなにも汚れだらけの世界で生きなければいけないのだと、ずっと考えていた」
レヴィはメルガルを愛していると言った。
俺もメルガルのことは好きだ。しかし、それ以上に――。
「でも、生きていかないといけない。違うんだよな、世界は俺が考えていたこととは違うものだった。――世界て人なんだよな、レヴィ。人がいるから、世界がある。世界を愛するということは、人を愛するということなんだよな……レヴィ」
愛した少女の名前を強く口にする。
動かしてもいないのにブルドガングが勝手に動き、頭上の方を見た。
目の前に映し出される光景は、ザイフリートが大剣を構えている姿。どこかで見た姿だと、他人事のように考えていた。その時、声が聞こえた。
「セト、その後はレヴィちゃんをお願いね」
『了解』
カイムの声とセトの声。事務的な会話に諦めようとしていた心が波風を立てる。
レヴィをどうする? 強く見えても非情に繊細で、まだ初恋の結末も見ていない少女をどうするもりだ――。
俺の大切な人を、愛する家族をどうするもりなのだ――。
「レヴィに……」
歯を食いしばり、力の入らない手に力をこめる。握り締める操縦桿が、熱くなっているのを感じる。そこで、気づく。これはブルドガングの気持ちなのだと。怒りに燃えるブルドガングの心の熱なのだと。
片腕だけで立ち上がろうとブルドガングは力を入れる。
『無駄な抵抗をしないでください。さようなら、メルガルの竜機神』
冷たい声の直後、ザイフリートの大剣がブルドガングに落とされた。
「レオンッ――!」
レヴィの涙声。絶叫に近いもので、俺の名を呼ぶ。
動け、抗え、立て、地面を掻き毟れ、血反吐を吐け、吐き出した息を吸い上げろ、鼓動は早く、時間は短い、全てを喰らえ、愚か者を噛み砕け、進め、砕け、粉砕しろ……そして、怒れ――。
「レヴィを傷つけるなぁ――!」
レオンが咆哮を上げれば、ブルドガングはその声に反応するよう消えかけていた目の光を灯す。
※
『なんだと……』
初めて、セトの口から驚きの声が漏れた。
「レ……レオン……」
レヴィは涙をぽろぽろと流しつつ、その姿を見る。
振り落とした大剣はブルドガングの左腕が掴んでいた。
『レヴィに触れるな……! ゲス共がぁ……』
低い枯れた声。それだけで、レオンはかなり弱っていることが分かった。しかし、セトはレオンの気迫に僅かな時間だけ動きを止めていた。
「セト!」
カイムの声にセトは我に返る。すぐさま動き出そうとすれば、視界が激しく揺れた。――立ち上がったブルドガングは、刃を受け止めた左手を離せばすぐに立ち上がり、その拳で殴りつけていた。
ブルドガングの弱った力では効果などなく視界が揺れるだけで、ザイフリートはすぐに顔を前方に向けた。
再び、セトは驚愕する。
『なんだ……その姿は……』
はあはあ、と荒い呼気。
ブルドガングがその息を吐くための動きに合わせるよう揺れている。いや、ただ揺れているだけはなかった。
『制限解除。――ブルドガングゥ! アンドラスモードッ!』
ブルドガングが紅蓮を纏う炎の如く赤く発光する。
流れる光はブルドガングを包み、切り落とされた右腕の形になる。傷だらけの体に光が潜り込めば、その隙間を埋めるように赤き光が輝く。損傷箇所から炎が噴出し、右腕が炎のように激しく燃え上がれば、そこに生まれるのは激しく荒れる右腕の形をした炎が生まれた。
カイムはこの状況を楽しむように笑う。
「ここにきて、命を懸けた真の覚醒かっ。いいねえ、レオンッ! セト、相手をしてあげるんだ!」
カイムは愉快な気分で笑う。世界の探求者であると同時に、好奇心の強い彼女は、その見たこともない姿の竜機神に目を逸らすことができないでいた。
指示を受けたセトは操縦席の中で頷く。
『はい、了解しました』
レオンは強くザイフリートを睨む。
再生した三本角は一本角に変形。ここで、アンドラスモードは完全に覚醒を迎えた。大きく一歩、踏み込む。炎の右腕を拳の形にして、ザイフリートへ向けて突き出す。
「行くぞ! ザイフリート、カイムッ! 俺はこの世界を……レヴィを守る!」
炎の化身となったブルドガング。
黄金の騎士はまるで獣と向き合う討伐者ザイフリート。
しかし、とカイムは考えていた。それでも、どちがら神の名相応しいかと言われれば、外見上はブルドガングが神に近い存在に見えた。
そう考えれば、カイムは二体の対峙する姿を見て、愉快そうに目を細めた。




