第十八章 第二部 レヴィ救出作戦
通路の先には灯りはなく、カビ臭い暗闇が広がるだけ。長い長い通路を一時間以上は歩いただろうか。時間の感覚は不明慮で、もしかすればもっと長い時間歩いているのかもしれない。
広くも狭くもない通路の先には出現したのは人が一人通れるぐらいの階段。黙々と再び長い時間をかけて進めば、その先にはあるのは一本の梯子。その梯子を登った先、薄暗闇の中にぼんやりと浮かぶのは茶色の扉。先頭を進んでいたレオンはそこに触れる。すっと下方向へ触れた手を落とせば、ドアノブを掴む。ガチャガチャと動かせば鍵がかかっているようで。
「俺とレヴィだけが鍵を持っているんだ。ここから先は、隠し部屋に繋がる」
なるほど。と心の中で言う。長い時間を歩いたと思ったら、都市をそのまま進んで来て、さらには学園長室にまで来たのだ。それならこれだけ時間がかかるのも納得というものだろう。
レオンはポケットに手を突っ込めば、そこから出てきた鍵を挿し込み――開錠。静かな音が空間に響く。
「……行くぞ」
神妙な顔つきでレオンが言えば、ドアノブを回した。
暗闇に慣れてしまっていた目が、外の光で強い刺激を受ける。俺は薄く目を開けて、その先の光景に意識を集中させる。
「――誰?」
聞き覚えるのある声がする。不安を押し殺した堅い声。
暗い場所にいた時間が長いせいで、まだ目が慣れない。それでも、光の先で何かが動いたのが分かる。もぞもぞと動いてた影がその輪郭を取り戻す。
そこは小さな部屋。全方位をグレーの色が囲む。どこか清潔感があり、それでいながら閉鎖的な雰囲気は学校の保健室にも似ている。
隠し部屋とは聞こえはいいが、見回してみれば狭い牢屋のようにも見える。おそらく食事や避難生活に必要な物が入っているであろうコンテナが中央に、部屋の隅には一人分の寝袋が置かれているのが見える。その近くにベッドもあるようだが、地べたに置かれた一人分の寝袋を使っているようだった。
レヴィは寝袋の糸の切れた人形のようにだらりと垂れていた頭を俺達へと向けた。動きは酷く遅いものだった。
「レヴィ…」
見えるようになった視界の中でレヴィは目に涙を溜め込んでいた。小さく震える手でレヴィは、こけて見える自分の頬を掴む。
「なんで、ここに……。レオン……! 空音まで……!?」
そう言うレヴィの声と表情は、驚きに満ちている。
レヴィの前に立つようにレオンが前進する。
「俺がここまで連れて来た。レヴィ、俺達は……お前を助けに来た」
レヴィは一瞬だけ表情を緩ませるが、すぐに首を振る。
「なにしているの……! どうして、ここにこの二人を連れてきたのよ!? ……今の私には二人の安全を保障することができないのよ」
振り絞るような声を上げ、必死に訴えるために入った肩の力で持ち上がる両腕だったが、言葉の終わりにはレヴィは脱力気味に腕を下げた。
レヴィの前に近づけば、俺は腰を屈めた。疲れた顔をしたレヴィの瞳がゆっくりと自分へと向けられる。
「レヴィ、俺達はお前に守ってほしくてここにるわけじゃない。――お前を守るためにここに来たんだ。だからさ……今は逃げることを考えよう。レヴィが生きていれば、きっとまたメルガルを取り戻すことができる。レヴィが生き続ける限り、いつだってどこだってメルガルを復興できるはずなんだ。……辛いかもしれないけど、一緒に行こう。それが今一番の最善の方法とは思わないか」
レヴィは見えないものを掴むように、手を宙へと向ける。俺の目の前を彷徨う右手は弱々しくも所在を探す。
レヴィは支えになるものを探している――。気が付けば、宙をふらふらと漂うその右手を強く握っていた。
「ここにいる、レオンも空音も俺も。みんなここにいるから。……まだ終わりじゃない。まだ誰も諦めてないから。レヴィのこともメルガルのことも。……今ここでレヴィが諦めたら、そこで終わってしまうんだ」
「そうだとしても、もう既に多くの人達が……犠牲になっている……。今さら、私が――」
たどたどしさの中には普段の勝気さも元気も感じられない。呪いのように次々に出てくる言葉を俺は止める。
「――分かるか。俺の手の温かさが。……ここにお前はいる。ここにいるお前が、その犠牲を無駄にしちゃいけない。生きろ、そしてその犠牲を無駄にするな。俺達も力を貸すから」
俺の言葉を最後まで聞いたレヴィは、力が抜けるようの俺の胸元へと倒れ込んだ。
「お、おい……!?」
「お願い」
胸の中でレヴィは小さく声を漏らす。
久しぶりに近くに居るレヴィは、いろんな匂いがした。向日葵が咲くかのごとく鮮やかな髪には泥や小石が混じり、可愛らしい制服も汚れがシミになり、服もいたるところがはだけていた。
そんな中でも、レヴィの少しずつ速度を上げる心音だけははっきりと意識することができた。
「……お願いです。今だけは、元気ください」
一度も聞いたことのない敬語でレヴィが言う。
起こさせようと伸ばしかけた手を止めた。……俺の胸なんかで元気が出るなら安いものだ。
俺だけにしか分からない声で泣き出すレヴィ。じっと俺はその声に耳を傾ける。ふと視界の中に影が差す。
膝を曲げた空音が気遣うようにレヴィの背中に手を乗せていた。
「――私もレヴィを支えるから」
誰に言うでもない、優しい声でありながらも頼もしく聞こえる空音の声。
俺達はただジッと彼女が涙を流す時間が過ぎ去るのを待った。これからはきっと、辛く苦しい時間が始まる。だが、せめて、その時間までは彼女が悲しみに浸る時間ぐらいあってもいいのではないかと祈るように考えた。
本当に短い時間。五分にも満たない時間で顔を上げたレヴィの顔つきは、先程よりかは前向きに見えた。
俺達は誰が言うでもなく、ついさっき入って来た隠し通路を戻る。レヴィを含めてイナンナに転送するためには、遺跡の力が必要である。ここを出た後は、それほど離れていないはずの遺跡へ向かう。
既に敵に占拠されている可能性も考えられるが、その時は力ずくで遺跡に突入するしかない。これから渡ることになる橋は酷く不安定な道になりそうだった。
※
俺達はひたすらに道を下る。レヴィが逃げたことがバレているかもしれない。確かにそれは怖い。俺達が焦っているのは、それだけが理由ではない。
カイムの存在だ。巫女は他に三人知っているが、奴は異質だ。異世界人であるこの俺から見ても明らか。奴は何か違う。何処か違う。……底が見えない薄気味悪さ、それが奴の全身から滲み出している。
得体の知れない不安から逃げるかのごとく、俺達は来た時よりも早めに動く。
俺達は何度もつまづき、こけそうになりながらも進む。焦っているせいで、来た時よりも道が困難に感じられた。途中、通路の外に出た時に都市が見えた。その時のレヴィの悲しみの表情を俺は忘れることはできないだろう。
擦り傷、打撲が当たり前になる頃。俺達は、遺跡に接近することができた。距離は二百メートルほど。物陰に隠れて遺跡を見てみれば、その前には二機のヒルトルーンが立ち塞がる。
「二体か、どうする」
レオンが俺に声をかける。戦闘経験がありながら、勝利をしているのは俺だけだ。勝てると思うか、そう問いかけるレオン。
「俺が戦った種類とは違うみたいだ。……たぶん、コイツは空音と戦った奴だ。――俺とお前でやれそうか」
遺跡の方向を集中して見ていた空音は、大きな動きで首を傾げた。
「おかしい、おかしいわ……。なんか、変なのよ」
「変? いったい、なにが」
空音は小さな動きでヒルトルーンを指差す。
「私が戦ったヒルトルーンは、あれよりももう一回りぐらい大きかったのよ」
俺は訝しげにその指の方向を見る。
あれよりも大きいとは言うが、今前方に居るヒルトルーンはそれでもかなり巨大だ。バルムンクの三倍は大きく見えるが、空音はこれ以上に大きいものと戦ったというのだろうか。
「量産されたヒルトルーンか……」
空音は、はっとした顔で俺を見つめる。
「――そうよ。きっと、量産型なのよ! バイルの操縦していたヒルトルーンは、大量のドラゴンコアで作られていると言っていたわ。あの量産型には、きっとそのドラゴンコアが足りてないのよ。だから、サイズも小さくなっているの!」
そうに違いないと息巻く空音。
俺は謎の自信に溢れる空音を見る。
「……本当にそれあっているのか? 力が弱くなっているていう可能性にかけるのもいいけど、もしも失敗したら危険だぞ」
俺の疑問の声に、空音は俺へ向けて大きく詰め寄る。
「大丈夫よ。確かに絶対とは言えないけど……。私が戦った時の威圧感は感じれない。ただ大きい小さいの話じゃなくて、心を折られそうになるような圧迫感は受けないの。本当よ」
信じて、とさらに一言。念を押す空音。
俺はどうしたものかとレオンとレヴィに視線を送る。
「俺はお前達を信じている。二人で決めたなら、結果どうなろうが不満には思わないさ」
レオンがそう言えば、レヴィは少し考えるようにヒルトルーンを見れば、空音へと目線を向けた。
「私は空音を信じてみてもいいと思うわ。……私は戦う人間じゃないけど、実際に剣を交えた空音の言葉は信じるに値するはずよ。それに、この状況で空音が間違ったことを言うとは考えられないの」
レヴィの空音に向ける視線に信頼を感じる。その視線を受けた空音は強く頷くと、俺へとその目を向ける。
「あー! わかったわかった! 空音の意見を採用だ。……先手必勝の強行突破で、あのヒルトルーン二体を倒すぞ。……俺達が道を開いたら、レオンとレヴィを乗せて遺跡の中に突っ込む。――二人もそれで構わないか」
レオンとレヴィがはっきりと頷くのを確認する。
俺は指輪のはまる右腕を空へと向けた。
「ええ、すぐに終わらせるわよ。――私のノートゥングについて来れるかしら。実王」
挑戦的な空音の声。
俺は、その声をわざとらしく鼻で笑う。
「馬鹿、誰に言ってるんだよ。――お前こそ、足引っ張るなよ」
空音が腕を空へと向けた。そこには、竜機神の指が輝いている。
俺達はほぼ同時に、共に戦う相棒の名前を叫ぶ。
「バルムンク!」
「ノートゥング!」
二人の声に反応するように、目に焼きつくほどの強烈な光を二人の指輪が放った。