第三章 第一話 初めての戦い
――宣戦布告!? ……望むところよ、やってやるわ。今から後悔しても遅いんだから! これからメルガルとイナンナは戦争状態に入るから。覚悟しときなさい! アンタやイナンナの住人……そして、ヒヨカも!
そんな言葉を残してレヴィは通信を切った。三人ともそれぞれが思うままの表情を浮かべたままで、静かな時間が流れる。
熱が冷めるように我に返った俺は、一歩前に進むと体を反転させて二人に頭を下げた。
「とりあえず、ごめん! 俺の勝手な気持ちで戦争を始めちゃって……」
本当に身勝手だと思った。個人の意見で大陸全てを巻き込む戦争を始めたのだ。その理由も、ヒヨカをいじめるレヴィにただ腹が立ったというだけだ。
「気にしないでください、いずれはこういうことになっていたのですから……。でも、今は実王さんが力を貸してくれます。それだけで、気持ちも状況も全然違いますよ」
思った以上にヒヨカの声は明るかった。真っ先に反対しそうな気もしていたが、むしろ清々しいという顔をしている。
ヒヨカの言葉を補うように、空音も口を開いた。
「ええ、いつかはこうなっていたわ。実王が怒らなくても、私が怒ったわ。私が怒らなくても、この都市、この大陸の誰かが怒り出しているはずよ。例え勝ち目のない戦いだとしても、私達はヒヨカ様の為に剣を取っていたの。……そうよね、みんな」
「へ、みんな……?」
空音は首を傾けて笑みを浮かべると、学園長室の窓へ向かって歩く。
「実王、これが貴方の考えた行動の結果よ」
空音が茶色のカーテンに手を置くと力いっぱいにカーテンを引いた。照明でも明
るかった室内を窓からの光が差し込む。空音の後ろにヒヨカは続く。わぁ、とヒヨカは小さな歓声を上げる。
「実王さん、早く来てください!」
ヒヨカが手を振って俺を呼ぶ。
俺は首を傾げる。窓の位置的には、先ほどシグルズが降りた巨大な芝のグラウンドがあるはずだ。もしかして、戦争が起こることに腹を立てた学生が暴動を起こしているとか。考えるだけでも恐ろしい、やってきた初日にバッドエンド突入とは。
俺はおそるおそる窓に歩み寄る。
「石とか投げられないよな……?」
顔を出すことができない俺が怯えながらそんなことを言えば、空音はため息をつく。
「何を言っているんですか、実王さん。さあ、顔を見せてあげてくださいよ。みんなに!」
「み、みんな……!? て、押さないでくれ……ヒヨカぁ!」
ヒヨカが背後に回りこむと力強く俺の背中を押した。俺はいつの間にか開いていた窓から勢いよく顔を出す形になる。
とっさの判断もできなかった俺は太陽の光の中で固く目を閉じ、顔の前で腕を交差させた。
あれ、何も起こらない……。人の声はするが、自分の予想どころか何の音もしない。一体、どういうことだ。
「何をやっているの、実王がするのはこういうことでしょ」
「ヒヨカさん、見せつけてやってください!」
交差した手を二人が両サイドが掴む。二人は、せーの、と呼吸を合わせれば同時に俺の両腕を持ち上げた。
――見ろ、救世主様だ!
その一言が聞こえ、続いて滝のように人々の歓声が耳を叩く。続くは学園を揺さぶるかのような拍手の嵐。俺はゆっくりと目を開く。目の前に広がる光景に言葉を失った。
グラウンド一面には大勢の人達がひしめき合い、腕を掲げる者もいれば手を上に上げて手を叩く者もいた。いずれも、このグラウンドにいる全員がこの窓へ視線を向けている。つまりは、俺の方を見ているのだ。ヒヨカでも、空音でもなく、俺を見ている。この窓を粉砕してしまうのではないかという声と手を叩く音は俺への賛辞なのだ。
「実は、さっきのレヴィへ向けての啖呵をこの学園都市全土へのスピーカーで流していたのよ。この大陸の一人一人に実王のことを説明するのも大変だし、戦争へ向けての面倒な説明も省けるし自己紹介も出来て一石二鳥よ」
空音は自慢げにそう言う。
「空音、てめ……! 勝手になにやってんだよ!」
ふん、と空音は鼻を鳴らす。
「今の私達にはのんびりしている暇はないの。戦争を行う以上は無理やりにでもやる気を出してもらわないといけないの。それに、実王が考えている何十倍もメルガルには腹が立っている人間がこのイナンナには多いの。特に、レヴィとかいう能無し巫女にはね。それとも、まだうだうだ考える気なの。この光景を見ても分からないかしら……実王のやりたいことと私達のやりたいことが一致したのよ。貴方の行動が背中を押したのよ、この大陸の人間達の。それだけでも……イナンナの竜機神としての資格を必要以上に持っていると言えるの」
俺を試すような空音の視線。
確かに俺はもう引き返すつもりはないが、それでも人と人が傷つけあうことへの引き金を引いたのは自分だという負い目がないわけではない。
そんな俺の気持ちを察するようにヒヨカかの手のぬくもりが手を包む。ヒヨカの方を見れば、優しく微笑んでいた。
「ヒヨカ……」
俺はそのぬくもちをほんの僅かばかりの力で握り返すと、その手を離す。そして、一歩前に歩き出して、身を乗り出さんばかりの勢いで拳を掲げた。今度は誰かが手を貸すわけでもない、自分の意思で。
何を話す、何をしよう。一秒にもみたない時間で考えるも、何も良い考えは浮かばない。それなら、今度も俺の思った通りの素直な言葉をぶつけよう。ここに集まった人間達がつまらないと毒を吐いても構わないし、石を投げられたっていい。変化を望みながら変化を恐れる俺には、難しく考えてもうまく話せない。ぶつけよう、俺の素直を。
「――メルガルをぶっ飛ばすぞ!!!」
それだけの短い咆哮。その瞬間、グラウンドに立つ生徒達も各々の気持ちを叫びのままに吐き出した。その叫びは、気持ちの高ぶりと共に吐き出されるものだけではない、この大陸の象徴に唾を吐かれ続けた怒りの音。今日一番の喚声が巻き起こった。
※
グラウンドから去っていく生徒達の姿を全て見送れば、空は茜色に染まっていた。呆けた顔で空を眺めている俺を空音の声が我に返す。
「気分はどうかしら」
挑戦的なその声に返事をする。
「なんとも言えん。興奮と後悔の両方かな」
「そう……。ところで、ここに住む以上は貴方にも寝泊りする場所が必要になるの。最初は生徒達と一緒の学生寮も考えたけど、今回の騒動で顔も知られちゃったし、余計な混乱を生みそうね」
うーんと考えるように空音は顎に手をやる。
いろいろ用意もあったのを俺の行動で台無しにしてしまったのだろう。結果としては、空音が望んだ以上の結果になったのかもしれないが、俺は多少なりとも罪悪感を覚えた。
「悪いな、俺のために迷惑かけるよ。俺が住む場所はどこでもいいさ、雨風防げるなら文句は言わないから」
その言葉を聞いていた空音はポンと手を叩く。何かを思いついたようだ。
「そういえば、豚や牛の飼育小屋が空いていたような」
「……人の住めるところで頼む」
「ワガママが多すぎるのよ。ああいえばこう言う」
「あれ、俺そんな注文したったけ……」
吐き捨てるような空音の言い方。夕焼けがやたらと目に沁みる。泣いてなんかないやい。
そんな状況を見かねたヒヨカが間に割ってはいる。
「もう、空音はイジワルし過ぎですよ」
めっ、という感じに人差し指を空音の顔へ持って行く。空音は少しばかり頬を赤くして、顔をそっぽに向けた。
こういうやりとりを見ていると思うが、つくづく二人は仲が良い。ヒヨカという存在はこの大陸の中では、まともに喋ることもなかなか難しい人間だというのは短い時間でも理解できた。そんなヒヨカとまるで姉妹のように仲良く喋る空音は、この大陸でもよほど名の知れている人物なのだろうか。
ヒヨカはため息をつけば、俺の方へと向き直った。
「実王さん。もともとは、貴方のご両親をイナンナに連れ帰ることになっていたのはご存知ですね。二人にも住居をご用意していましたので、そちらの方へ実王さんをご案内します。さすがにお二人を学生寮に住ませるわけにもいかないので、好みに合いそうな一軒家を私達の方で作りました。職人達も竜機神の乗り手のためならと気合を入れて建てましたので、ぜひそちらをご利用ください」
一生懸命にこちらの目を見て話をするヒヨカを見ながら、なるほど、と思う。学生寮には学生が住む、しかし、学生でもない二人がそこにいるのはおかしいし。大人としての威厳というのもそこには存在する。それを守り保護するためにも、一つの家を建ててしまおうと考えたのか。しかし、ヒヨカの言う好みに合いそうな家とは……。
※
新品の畳の匂い、真ん中にはこたつの上にはご丁寧にみかん。天井から垂れるのは部屋を照らす灯りの操作を行うためのヒモ。カチと一回引けば、二本のドーナツ型の蛍光管が点灯し、二回引けば蛍光管は一本が消え、三回引けば完全に灯りが消える。そして、俺はもう一回ヒモ引いた。
「なにしているの、さっきから何度もカチカチと」
とここまで案内をしてきた空音。
「いや、まさかここまで来て、このヒモを引くことになるとは思わなくてな」
そうぼんやりと言う俺に対して。
「でも、こういうのが実王さんの住む大陸では流行なんですよね!」
目を輝かしてそう言うはヒヨカ。
空音の案内のままに学園都市を出て、街中に出た俺達は徒歩五分ほどでこの家に辿り着いた。
高層マンションと高層マンションの間に純和風の民家が一つ。まるで時代から取り残されたようだった。茶色の壁に小豆色の瓦屋根、ドアは横にスライドし、カラカラという軽い酷く聞き慣れた音が庶民的だ。庭の方には小さな松ノ木も植えられており、ちらほら地面に見えるのは石畳だろう。その中途半端な感覚で置かれた石畳が妙な親近感を持たせる。家の柱は木で支えられ、調湿効果があるような厚みある土壁が非常に好印象を与えた。そして、靴を脱ぎ玄関の側の客間を通り過ぎ、空っぽの畳の部屋を二つ通れば、居間に辿り着く。
「俺は今、居間にいるのだ」
「さっきからブツブツと何を言っているのかしら、気持ち悪い。さらには、ダジャレ? ほんと気持ちの悪い行動が続くわね」
無視だ無視。俺はヒヨカの方に顔を向ける。
「それにしても、よくここまで調べたよ。……これうちのじいちゃんの家にそっくりだ」
「実は空音がそっちの世界に行っている間に、ちょくちょくと連絡を行っていたんです。ただそっちの世界とこっちの世界で対話をするためには体力の消費が大きかったのですが、それでもこちらで救世主様を迎え入れる準備をする必要があったんです。実王さんという子供が居るのに平穏を壊してまで、こちらの世界に来てもらう。……私達にできるのは、来ていただく二人が少しでも心休まる空間を作るのが、空音の知らせを待つ私達にできる最低限のことでした。……どうでしょうか、素材はこちらにある世界のでもできましたし、私達の世界にもこういう家はいくつもあります。難しいことではありませんでしたが、気を悪くしてないか心配で……」
ヒヨカはもじもじと巫女服の裾を掴んだ。心の底から、この世界にやってくる二人に喜んでもらえるかを考えていたようだ。そして、それは今ここにいる俺へと変わっている。
「まさかじいちゃんの家を調べて、それを再現するなんてびっくりだよ。ここまで精巧に作れるなんて、あの世界に居る人間でも難しいかもしれないな」
そう言って笑みを浮かべてみるも、ヒヨカはまだ心配そうで。
「この家ならうちの両親も大喜びしただろうし、俺もじいちゃんの家好きだったから凄い嬉しい。ありがとう、ヒヨカ。こういう家なら大歓迎だよ」
苦笑を浮かべてヒヨカの頭を撫でれば、嬉しそうに目を細める。
「よかったです……。ずっと心配だったんです、たくさんたくさん。私、実王さんがバルムンクの乗り手でよかったと心の底から思います。ありがと、実王さん」
先ほどまでの大人な表情もどこへやら、餌を欲しがる猫のように撫でる手へと頭をすり合せてくる。
そんな俺の前に伸ばされる手、空音の手だ。
「淫行はやめろ」
「今すげえいい場面だから、お前の下衆の勘ぐりで邪魔するのはやめろ」
「私がゲスなら貴方はカスね」
空音は小馬鹿にするように俺を顎でしゃくって見せる。
「あ?」
顔を近づかせた空音を見据える。
「え?」
空音もずいっと一歩前に前進、視線を視線で受ける。
お互いイライラのままに睨みあう。アニメや漫画ならここで火花が飛び散っているところだ。
「二人とも! やめてください! 喧嘩はダメです、仲良くしましょ! 巫女命令です!」
小さな体を俺と空音の間に入り込ませてジタバタと体を動かす。毒気の抜かれた俺と空音はため息をついて距離を空ける。
「なんでこんなに喧嘩するんですか、もう……。これから二人は一緒に住むっていうのに……」
ヒヨカは小さな声で言ったものの、その爆弾発言を聞き逃すわけがない。
「……は!?」
「うそ……!?」
俺と空音は言葉が違っても同時に声を上げる。空音は慌てて、ヒヨカに詰め寄る。
「ヒヨカ様! お世話係のことを言っているのなら、それはアキラ様とアンナ様の話ではなかったのですか。私はこの男と二人で住んだら、こんないかがわしい男と同じ屋根の下なんて毎晩怖くて眠れません。それに、世話係という立場を利用して、どんないかがわしい命令をされるか……」
わざとらしい動きで自分の両腕をさする。
コイツはヒヨカの前でトンでもないことを言ってくれる。
「おい、人をなんだと思っているんだ! お前に頼まれてもそんなことしねえよ。俺こそ、お前みたいな心の半分が暴力で出来ているような女とは怖くて住みたくないよ!」
「さっきから、人のことを……」
第二ラウンドのゴングが鳴らされそうになったところでヒヨカは大きく手を叩いた。俺と空音の視線はそこに集中する。
そこには頬を大きく膨らませたヒヨカが腰に手を当てていた。もう見るからに怒っているのがすぐに分かった。
「――巫女命令です! 既に空音の荷物はここにあるはずです、二人はこれから一緒にここで住みなさい!」
「で、でも、同年代の男女が二人住むというのは……」
俺の縋るような言葉も。
「却下です! 実王さんはそんなこをしませんよね!」
ヒヨカの発した言葉に、反論も飲み込んでしまう。次に縋るような言葉を空音は告げる。
「で、ですが、お二人ならまだしも……。このような奴の世話なんて」
「このような奴なんて禁止です、禁止! どのような方が来ようが、救世主のお世話は空音の役目でしょう!」
空音もその言葉に黙ってしまう。ヒヨカがここまで声を荒げるのは、空音もあまり経験がないのだろう。
そうして、異世界での初めての一日は争いのように過ぎていく。空を仰ぎ見れば、陽は沈み空は暗くなっていた。
「ヒヨカ様ぁ……」
「――ダメ!」
結果の見えている二人の押し問答を聞きながら、俺はのそのそとこたつにもぐりこむ。今は元に居た世界よりも肌寒いが、ここにも四季というものは存在するのだろうか。明日聞いてみよう、そう思いながら、二人の延々と繰り返されるやりとりをバックに目を閉じる。今日の疲れから、自分で考えるよりも容易く意識は深い闇の中へと落ちていく。