第十七章 第五話 新しい日常 加速する世界 止まる平和
現在はお昼を回った頃。ついこの間まで、頻繁に出入りしていた病院。もう当分は来ることもないだろうと思っていたが、予想よりも早く予期せぬ人物に会いに来ることとなった。
白い個室のベッド。空音がいた時よりも、ベッドの周辺の機械の数が多い。それだけ、このベッドで横たわる人物の肉体に危機が訪れているということ。
俺、ヒヨカ。そして、この間まで見舞いに来てもらう側だった空音も含めて、その苦しそうに顔を歪める人物を見つめる。
俺は、その人物の名前を口にした。
「レオン……」
逞しく歴戦の戦士のようなイメージの強い彼だったが、今となっては傷ついた青年が一人いるのみ。口に付いた呼吸器からは、苦しげな吐息が漏れるのみ。
「今朝、都市の前に墜落した竜機人に乗っていたのが彼です。竜機人に乗っていたので、なんとか一命を取り留めることができました。……意識は戻っていませんが……」
ヒヨカが沈んだ声で説明をする。
「メルガルの危機をイナンナに伝えようとしたのね……」
暗い表情で空音は言う。
「……レオンてさ、凄いレヴィのことを大切にしているのが分かるんだよ。不器用な奴だからさ、言葉じゃなくて行動で大事にしようとしているんだ。……そんな奴がレヴィをメルガルに残してここに来るってことは、よっぽどのことなんだと思う」
レオンは命を懸けて大陸をレヴィを守ろうとする男だ。コイツの気持ちを考えれば、俺は身が引き裂かれる気持ちになる。
この間のイナンナの危機で空音やルカや都市のみんなが傷つくのをただ見ているだけと一緒。そうは言っても、俺は戦うことを悩みはしたが、勝つにしても負けるにしてもイナンナに来れてよかったと感じた。
あのまま、動かなければ……一生の後悔になっていた。
「許さない、マルドック……。ヒヨカ、すぐに竜士科のみんなを連れてメルガルの救援に向かうよ!」
マルドックとの戦いから少し逞しくなった空音が強い声を上げた。空音の言葉を聞いたヒヨカは、表情を曇らせて首を横に振る。
「――ダメなんです。声はかけてみました……。あそこまで崩壊させられたメルガルの都市を見せられたら、自分から望んで救援に向かう人間が集まらないのです……」
「なっ……!? 自分の大陸じゃないなら、自分達には関係ないってこと!? マルドックが侵攻してきた時に助けに来てくれたのはメルガルなのよ! それを、そんな……! それでいいの、ヒヨカは!」
噛み付かんばかりにヒヨカの肩を掴む空音。
俺は慌てて、仲裁に入ろうと一歩踏み出そうとするが――。
「――いいわけないですよ! 友達が……レヴィが苦しんでいるのを黙って見ているなんて嫌に決まってますよ!」
ヒヨカは大きな声を出す。俺と空音はその一声で動きを停止させた。
数秒の間を置き、ヒヨカは泣き出すのを我慢するようにぽつりぽつりと口にする。
「私にも力があれば……巫女でないなら……すぐにでもレヴィを助けに行きたい! 己が竜機神を操り、巫女の力で無理やりにでも乗り手を服従させて救援に向かいたい。……たった一人でもあの炎の中で彼女の名前を呼び続けたい! ……でもできないのです! ――私が巫女だから! 力がないから!」
空音の怒りは静まり、俺は視線を逸らすことしかできない。
ヒヨカは泣き叫んだことで、小刻みに肩を揺らす。
その重たい沈黙の中を低い声が入り込む。
「――気にするな」
俺達は三人はほぼ同時に声の方向を見る。
口元の呼吸器を自分の息で白くさせながら、レオンはこちらに視線を送る。きっと体もこっちに向けたいのだろうが、思った以上に動かないのだろう。
「いえ、私の行いは……最低です」
実に悔しそうに下唇を強く噛むヒヨカ。
レオンはヒヨカのそんな姿を見て、ゆっくりと一度だけ瞬きする。
「自分を責めるな。俺は……お前達イナンナと同盟を組んで間違ってないと思っている……。きっと、レヴィも同じ思いだ……」
「でも、私は結果として……この戦いに巻き込み……傷つかなくても良い人間を傷つけた……。私が同盟を組まなければ……」
「……俺は良かったと思う」
レオンは口元に笑みを浮かべた。それはレオンらしからぬ、穏やかな笑顔。しかし、それは苦しみの中から必死に紡ぎだした笑顔でもある。
耳を疑うヒヨカは、レオンを見つめる。その表情の真意を探るように。
「同盟を組んでいるといってもメルガルは別の大陸だ。その大陸のために、ここまで一生懸命になってくれる人間なんて多くはない。……だから責めるな。俺達は自分の意思でここまできた……。それを後悔したら、メルガルの意思を否定することになる。だから頼む……後悔だけはしないでくれ……」
レオンの言葉を黙って聞いていたヒヨカ。また何か言おうとするが、開いた口を閉じることで、その言葉を飲み込む。
「……分かりました。後悔はしません。前を向くことにします」
ヒヨカは強い意志をその瞳に宿らせるとレオンの視線を受け止めた。先程のものから変化の訪れたヒヨカの表情に満足そうな顔を浮かべるレオン。
「そうだ、それでいい……。早速だが、本題に入らせてもらう。……もう分かっていると思うが、俺はメルガルを助けてほしくて、ここまで来た。……とは言っても、メルガルは既に壊滅的な被害を受けているようだがな」
見るからに落胆の色を見せるレオン。
俺達は返す言葉もなく、ただ視線を落とすことしかできないでいた。だが、レオンはこうした反応が返ってくることが分かっていたかのように再び言葉を続ける。
「いいんだ、あの有様では仕方がない。……ただここに悲観にくれるために来たわけではない。情報も提供しに来たんだ」
「情報?」
レオンと同じく行動で結果を出すタイプの空音がすぐに反応する。
「ああ、情報だ。……このイナンナにヒルトルーンと呼ばれる竜機人が現れたのはレヴィから聞いている。――その同型機と思われるものが量産されてメルガルを襲った。数はざっと見ただけでも三十以上」
「う、嘘だろ……!?」
次に反応したのは俺だった。それは耳を疑いたくなる内容。
竜機神三機でやっと倒した化け物が量産されている。レオンは嘘をつくような奴ではない、こんな状況ならなおさらだ。
空音も耳を疑いたくなったようで、血の気が引いているのか白くなっているようにも見える。……空音が一番身近でヒルトルーンの恐ろしさを味わっているなら、この反応も納得できた。
「冗談でしょ……?」
空音はやっとの思いでそう口にする。
「もし冗談なら、どれだけ良かっただろうな。残念ながら……真実だ」
レオンの口から知らされた情報は、俺達を絶望のどん底に突き落とすには十分な内容だった。
あのメルガルが一夜の内に壊滅した。それはあのヒルトルーンが大群で押し寄せて、都市を攻撃したからだ。どのように気づかれずに、そこまで運んだのかは分からないが、一体でも手こずった化け物が三十もいればまともに戦うのは困難だ。
きっと次の狙いは、イナンナだ。ここにいる全員がそう思ったに違いない。各々の視線は非情に暗いものになっていた。
「レヴィは……どうしたのですか……」
ヒヨカはそっと問いかけた。
この直接的な質問は、聞きたくもあり聞きたくないものでもあった。聞いてしまえば、分かってしまう。嫌でも、聞きたくない結果を――。
「……今のところ、レヴィは無事のはずだ。吸収されてもいなければ、殺されてもいない。それにカイムの性格なら、その光景をお前らに見せるような悪趣味だろうからな」
ヒヨカは表情を輝かせる。目を大きくさせて、レオンに詰め寄る。
「じゃあ、レヴィはどこにいるんですか! すぐに助けにいかないと……!」
「――そして、これが俺のここに来た大きな理由だ。……レヴィは俺やごく一部の人間しか知らない隠し部屋にいるはずだ。俺はもうしばらくすれば、体が動けるようになるはずだ。多少無理でも、俺は絶対に戻らないといけない。だから――」
俺は拳を強く握り締めた。
待っていたのだ、この言葉を。例え、この世界の誰が止めようと助けに行く。――目の前で傷つけられる人間は何が何でも助ける。
レオンは普段の何倍もゆっくりとはっきりと言葉を発していた。
「――レヴィを助けてくれ」
プライドの高いレオンが全てを捨て去って願う一言。そんな言葉を否定する人間が、ここにいるわけない。
「――実王さん、空音。行ってくれますか?」
ヒヨカは俺と空音を交互に見る。瞳が揺れる。行ってほしい気持ちと行ってほしくない気持ち。その気持ちがヒヨカに複雑な表情を浮かばさせていた。
俺は強く頷く。
「ああ、絶対に助けよう」
空音は頼もしげな笑顔を向けた。
「ええ、最初からそのつもりよ」
レオンは俺達を交互に見れば、辛そうに涙を一筋流す。
「……すまない」
これからどうなるかは分からない。あれだけ手こずらせた相手と戦うのだ。それも大勢の。勝てるか分からない不安より、やはり今の俺はここで動かない方が何倍も辛いことに気づいていた。……何より、レオンの涙に報いたい。そう思わせた。
「レヴィを助けてくれれば、きっとお前らにも希望が見えるはずなんだ。……救うことで、お前らに希望をくれてやれる」
小さな声でレオンが言った。空音やヒヨカには聞こえてなかったようだが、俺の耳に届いた言葉は何故か胸をざわつかせた。