第十七章 第四話 新しい日常 加速する世界 止まる平和
翌日。目覚ましが鳴り出す前に止めた。
決して、早く目が覚めたわけではない。昨日の出来事が一晩中頭からこびりついて離れないことがその原因だった。
目を閉じても眠れない、やっと眠りに落ちるかと思えば、バイルの悲鳴がヒヨカの声で再生される。そこで目を覚まし、気を取り直して寝直せば、空音、ついにはルカの声で悲鳴がリピートされる。完全な悪夢のループの中にいた。
それを繰り返して、気が付けば陽は昇っていた。
重たい体を起こして、寝巻きを着替える準備をしようと立ち上がる。直後、ドタバタと駆けて来る音が聞こえた。
空音だ。自然にそう思い、扉に手を伸ばす。
「実王! 急いで居間にきて!」
俺が開くよりも早く扉が開いた。そこには、焦りの表情を浮かべる空音。嫌な予感を感じつつ、空音に手を引かれて居間に向かう。
「お、おい、朝からいきなりどうしたんだよ……!」
「いいから早く来て! ……私だって、何で朝からって気分なのよ……」
引っ張られるままに居間に飛び込んで来てみれば、自分の瞳の中に映るのは悪夢の続きのような光景。テレビの画面には、不敵に笑うカイムの姿。
相変わらずの挑戦的な笑み、背景は白い壁。その中央で奴は笑う。
『おはよう、イナンナの諸君。これはイナンナ全土へと放送している。――ご機嫌いかがかな、巫女ヒヨカ。そして、乗り手の皆さん』
コイツ、イナンナに竜機神の乗り手が複数いることを知っているのか……。
そのジロリとどこかを見据えたカイムの二つの眼。イナンナと言いながら、カイムの視線の先には俺達乗り手やヒヨカを見ているのは明白だった。
「おかげさまで、ご機嫌ナナメだよ」
テレビの奴に向けて言ってみるが、奴からして見れば俺はただの視聴者に過ぎない。この状況に舌打ちをしつつ、その顔を見つめた。
『昨日のショーはいかがだったかい。同盟だなんだと平和的な考えをお持ちのイナンナの皆さんには刺激の強い出し物だったかもしれないな。――だから、見てほしかったのだ。特に君たちイナンナの人間にはね。まあ見てみてくれよ』
画面が離れ、少しずつカイムの体は小さくなる。その背中には巨大なモニター、黒一色だったカイムの背後のモニターが映像に切り替わる。そこに映し出されたのは、この世界の地図。大陸の数は五つ、もう大陸は六つもない。一際大きな大陸が目を引く。
『やはり、我が大陸が一番大きいな。これからもっと大きく強大になるのが、このエヌルタだ。君たちはどう思う、この世界を。おかしくはないか、疑問に思うことはないのか。大陸同士で殺し合わせようとする神がいて、まるで大陸そのものが世界のように全て揃う。戦争が始まるまでは、誰も大陸の外を見ることを知らないでいた。これは神から強引に押し付けられた摂理。自然の摂理とでも言えば良いかもしれないが、間違いなくこの戦争は――共喰いだ』
共喰い。それは何かの皮肉だろうか。昨日のカイムの行いは間違いなくそれだ。
カイムは高級感のあるソファの上で足を組む。こうやって全体を見てみれば、カイルの姿は制服姿。薄い黒色のシャツにチェックのスカート。こうやってみれば、ただのそこいらにいる女子高生にしか見えないのかもしれない。それでも、彼女から漂う存在感は檻の中で静かに佇む肉食獣のようだ。
『……私を蔑むか。それも構わないだろう。……君たちイナンナのことは尊敬しているんだ。何かの比喩でも、馬鹿にしているわけでもない。形はどうあれ、この世界の真理に近づこうとしている。疑問や不安に思いながらも、確実に君たちは世界の理に手を伸ばしているんだ。しかも、同盟という言葉を使って世界を一つにしながら脅威に立ち向かおうとしている。同じこの世界の探求者でありなら、意思を曲げないその姿勢を私は賞賛するよ』
「どこが同じって言うのよ」
空音は鼻を鳴らして文句を口にする。
『しかし、一番危ういと思われていたイナンナがここまで来れたのは誰の功績だろうか。優しい巫女様のお陰か、それとも――頼もしい乗り手の力かな。……なんにせよ、君達イナンナは私にとって特別でありながら、この世界で一番の障害になる存在だ。マルドックも同じことを考えたのだろうね。だから、力が大きくならない内に止めるという選択肢をとった。……まぁ、返り討ち合っているんだから、笑い話だよね』
言葉の終わりに吹き出すように笑う。その顔は、大勢の人間が傷だらけになったマルドックとの戦いを嘲笑うようだ。
『良い意味でも悪い意味でも、イナンナは特別な大陸になってしまったんだ。運命に選ばれたと言ってもいいぐらい、君達の大陸の存在はこの世界に影響を与えるものなんだ。……今は分からなくてもいいさ、いずれ答えにたどり着く。そうすれば、意味も分かるさ。マルドックが君達と戦うことを望んだ意味と――……これから、私達が君達と戦う意味をね』
その言葉は心どこかで予見していたもの。
俺と空音は大した驚きも見せずに、カイルの次の言葉に耳を傾ける。
『驚きはしないだろう。君達は予感しているはずだ。――私が現れた瞬間からこうなることを。私が今回の君達の敵だ』
仮面のような笑みを浮かべるカイム。
得体の知れない恐怖を感じ、俺は目の前にいるはずのないカイムがそこにいるかのような印象を受ける。ビビリ過ぎているのか、それとも、俺は知らない内に魔法でもかけられてしまっているのだろうか。無意識の内に半歩後退した足に驚きつつ、俺はそのテレビの光景に息を呑む。
「――ふざけんなよ……」
映し出されるものは一面の炎。ところどころに転がる瓦礫。それは建物が崩れて崩壊した跡。人の悲鳴まで耳に届くほどの本物の映像。カイムは、既に最も最低最悪の形で戦争を始めたのだ。
イナンナのどこなんだ。この間の戦いで十分に修復も終えてないのに、この状況でこれ以上どこを壊すというのだ。いや、それでもコイツは破壊を行うだろう。それができる人間だというのは、もうとっくに分かっていたことだ。
怒りを吐き出す俺。その隣にいた空音は体をすぐに扉の方へ向けていた。
「早く救援に向かわないと……! すぐにヒヨカに確認をして」
映像を凝視していた。そこで俺は気づいた。
「待て」
「こんな時に何をっ」
「気づかないのか、空音」
「気づかないかって何を言ってるの!? 見たら分かるよ、だって今……イナンナが燃えているんだよ!?」
「いいから、よく見ろよ! 空音!」
大声をさらに大きな声で返す。動きを止めた空音は、訝しげな目線を最初に俺に送ると次にテレビに向けた。
「見ろって……。そんな暇ないよ……」
俺だって空音にこんな光景を見せたいわけじゃなかった。だけど、空音に見てもらう必要がある。この状況で俺が簡単に言える意見ではない。空音一人に見せることが、まるで責任を押し付けているように思えた。だから、俺も逸らしたい気持ちを心の奥底に閉じ込めて、その凄惨な光景に目を向けた。
「違うだろ。これ……イナンナじゃないよな……?」
「イナンナじゃ、な……い……?」
空音はその映し出されるものをジッと見る。
よく見ていれば気づく、燃え盛る町はイナンナではない。
建物の形も見覚えのないものがいくつもあり、炎の中で形を変形させる看板の文字もイナンナのものとはどこか違う。それに、規模が大きい。これだけ大きな町はイナンナにはそういくつもない。
記憶を探る。無機質な建物、どこか近代的で、色は地味なものが多い、溶解して飛び出した骨組みは頑丈そうなメタリックカラーが支える。
「空音、俺この燃えている町がどこか気づいたよ……。最低な回答だよ」
俺達の敵、戦争の開始、同盟への興味、イナンナと戦争中のマルドックを攻撃するような非情さ。……すぐにこの考えにたどり着くべきだった。
「実王……! まさか、ここって……!?」
「ああ、そうだよ。間違いない。ここは……メルガルだ」
燃え盛るそこは、メルガルの学園都市だった。気づくのを待っていたように映像は途切れた。
重苦しい空気の中、俺は胸の中にふつふつと怒りが込みあがってくるのを感じた。
※
――ここはイナンナの学園都市の前。つい先日の戦争で手薄になったイナンナの守りを抜け、燃え盛るものがもう一体ここにも存在した。
流れ星が落ちるかのごとく、赤い彗星が空を貫く。そいつは火を上げ、人工筋肉から血液を垂れ流し、かろうじて人型のそれは轟々と呻く火球のようだった。火の玉の名前は――メルガルの竜機人ゲイルリング。
ただ違うのは真紅のゲイルリングであるということ。燃えているから真紅ではなく、本来の塗装された色こそが真紅のレオンの専用機だった。
特別に改良された真紅のゲイルリングは、今や量産されたゲイルリング以下の性能。満身創痍の真紅のゲイルリングは空中で痙攣すると地表に急降下した。
『雛型実王……』
ゲイルリングの操縦席で声を漏らすレオン。
悲鳴にも似た声は、つい最近誰かが漏らしたものによく似ていた。――よく似ている祈りの悲鳴だった。
ゲイルリングは地面に墜落すれば、爆発をした。地面には空へと上る爆煙が残った。