第十七章 第三話 新しい日常 加速する世界 止まる平和
カイムの体内に光が灯る。その光が少しずつ大きくなる。上半身の中央にぼんやりと灯る程度の明かりが、輝きを増していく。細かい間隔で乱れていた映像が、さらに乱れる。
カイムの光が周囲に伝達するように、周辺の巫女の石造をも呼応するかのごとく光を放つ。そして、その遺跡の空間を暖色の強烈な光で染め上げた。
『や、やめろ……』
バイルは苦しげな声を上げる。
それに対しての返事は、カイムの嘲笑。
『やめないね。バイル、お前は頭も良くて、この世界の勝利者になる力をも持つ人間だろう。しかし、小さいんだよ。お前はさぁ……。お前が見ているのは、この大陸を統一することだ。決して、その先を見ていない。私が見ているのは、さらに向こうの世界。――この戦争の果てに待つ、世界の思惑を私は見たいのだよ』
俺の心臓が大きく跳ねた。それは、カイルが画面の奥からこっちを見ている気がした。まるで、異世界から来た俺のことを知っての発言のようにも聞こえる。
バイルは自分の髪を引き続けるカイムを睨みつける。
『――カイムッ……!』
『おお、憎いだろう。君の怒りが私にも感じ取られるよ。……だけど、君は終わるんだ。それは、今ここで決まってしまっている現実。どれだけ抗おうと思っても変わらないのだ。――君が一番分かっていることじゃないのか』
その言葉に瞳が揺らぐバイル。忌々しげな視線をカイルに送れば、次に出てきた表情は何かを悟った顔。そうして、諦めたようにカイルは頭を垂れた。
『どうなるかは分からないだろう……? そもそも、大陸を無くした巫女が生きていると思うのかい』
耳に届いた言葉に冷たい汗が流れる。横を見れば、じっとテレビ画面を見つめるヒヨカの横顔。
もしも負ければ、ヒヨカが死んでしまうかもしれない……。今まで巫女を吸収することなどしてこなかった。それは、目を逸らしたいと思っていた現実の一つだった。
何が起きるか分からない。起こしてしまえば、取り返しの付かないことをしてしまう。同盟だといいながらも、心のどこかでは世界を救うためのその方法を思考の外れに置いていた。
光は増していく、画面の中には二人の影がぼんやりと浮いているだけ。
『ルカ……。これを見ているなら、聞いてくれ……』
バイルの声。弱く消えてしまいそうなか細いものだった。
イナンナで戦った時の好戦的で常に人を見下していた強者としての威厳は感じられない。そこにいるのは、ただ自分の運命を受け入れようとする一人の巫女がいるのみ。
「姉さん……」
ルカが画面に詰め寄る。すぐのことで顔を見ることはできなかったが、体が小さく震えていた。
『――ごめんね、ルカ……』
小さな声が部屋に響く。それを最後に、テレビは砂嵐を映し出す。映像の乱れではない、ただ映像が消えたのだ。
ザーザーザーと気持ちを不快にさせる砂嵐の画面。誰一人声を上げることなく、その画面を見つめる。最初に動き出したのはルカ。
「姉さん……! バイル姉さん……!」
画面に詰め寄るルカは何度もテレビを揺らす。両手で掴んで揺らしても画面は変わらない、同じ乱れた画面を繰り返すテレビに声を荒げても現状に変化など起きない。
今、エヌルタで何が起きているかは分からない。だから知りたいと強く思いもしない、それは最後の苦しげなバイルの表情、王の威厳を持つバイルがただの姉に戻ったこと、テレビの映像が何も映さなくなったこと、それら全ての事象が不安にさせ、その先を知りたいと思わせない。
不安が重くのしかかる中、俺達はルカの悲痛な姉を呼ぶ声を黙って聞くことしかできないでいた。
※
数時間後の夜。月が空の主役になる頃。居間で一つのテーブルを囲む向き合う俺と空音は目の前のケーキを削っては口に入れていた。
「……ありがと、おいしいよ」
「無理して食べなくてもいいんだよ……?」
俺はその言葉に首を振る。
おいしいのは事実。空音のケーキを買ってきてくれる気遣いも嬉しい、この状況だけなら実に幸せだと言える。
あの映像の後、この世界は確かに変化を起こした。消えた映像が再び映る。――それは、吸収された結果のマルドックの姿。
マルドックを吸収したエヌルタ。マルドックの大陸は大きな揺れを起こし、住人達に多くの怪我人を出しながら引き寄せられるように大陸は動き出した。動き出したマルドックの地面は、磁石が引き寄せられるがごとくエヌルタと大地を繋げることになった。つまり、マルドックと呼ばれる大陸が死に、文字通りエヌルタという大陸がマルドックの大陸を吸収合体したことになる。
面積を広げたエヌルタ。マルドックの民達は、口々に不満を言い、暴動に近い状態の騒ぎを起こす。マルドック学園都市――現在は、元マルドック学園都市に突然出現したカイルが手をかざすだけでマルドックの民達は無気力な状態になり、自分達が元からエヌルタの民だったことが当たり前のように生活を始めた。
これが巫女の力。ヒヨカは住人から敵意を向けられることがないから気づかなかったが、大陸の象徴である巫女が本気で力を発揮すれば、暴動だろうが紛争だろうがその手一つで終わらせることができるのだ。
メルガルでのクーデターの場合は、レヴィへの信仰心が欠落していたため、そうした気持ちに働きかける魔法は効果のないものだった。さらに、レヴィの精神状態も非常に不安定だったために魔法も酷く不安定なものとなっていた。
それなら、このマルドックの状況もレヴィのそれと変わらないはずだ。そう思ってヒヨカに聞いてみた。
――いえ、違います。二つの大陸を吸収した巫女は、力をより増幅させているはずです。二つの大陸の力を持つ巫女がうまく使いこなせるのなら、既にエヌルタの住人として手中にあるマルドックの住人を操ることなど造作もないでしょう。……心を操る魔法というのは使っていいものではないはずなんですけどね、巫女ならば絶対に。
質問以上に目に焼きついてしまったのは、苦々しげに返答するヒヨカだった。
そうなのだ、もうマルドックという大陸はこの世界に存在しないのだ。
その後、巨大になったエヌルタからまるで神か英雄のように祭り上げられたカイルの姿で映像が途切れた。
ヒヨカは急いで学園長室に戻り、ルカは何度もテレビに姉の名前を呼んだが、再び流れ出した砂嵐に気づけば、誰の声にも反応せずに自室に今なおこもり続けている。
「あれ、なんなんだよ……。今まで守ってきた人間達が、吸収されるだけでああも簡単に相手の言うことをはいはい聞くのかよ。……もし負けたら、ヒヨカもあんな風に……。なんであんな簡単に、自分達のために戦ってくれた人間のことを忘れることができるんだよ……」
俺は思い出した映像に反吐を吐くように声を漏らす。
つい数分前まで、拘束されたバイルの安否を気にして騒ぎ立てた住人達が、あっさりとカイルの前にひれ伏していた。巫女の魔法の力一つで、ここまで変わるものなのか。人の気持ちは、ああやって簡単に変わってしまうのが……この世界なのか。
空音はフォークを止めた。
「そうよ、負ければヒヨカも過去の存在になるの。新しい巫女が、ヒヨカの存在を塗り潰す。ヒヨカの全てを奪い去るの」
淡々と告げる空音。俺は立ち上がらんばかりの勢いで、声を張り上げた。
「巫女も吸収されたら、どうなるか分からないのに……冷静に言うなよ!」
「――だったら、守ればいいでしょ!」
キィン、と金属音が響く。空音はフォークの先を皿に突き刺す。そこにケーキはなく、あるのは傷つく皿のみ。
俺はその言葉を聞いて、気持ちが静かになっていく。答えは簡単だ。――全力で守ればいいのだ。あの笑顔を。
「ごめん……」
俺は小さく頭を下げ、再びケーキを口に運ぶ。
「おいしいね、実王」
二口、三口、口に運んだ俺達。空音が切なげにそう言う。
「うん、甘くておいしいな」
俺はそっと返答した。
ケーキは非情なまでに甘く、優しい甘さが身に染みた。