第十六章 第一話 希望と憎しみと愛と純粋
約六時間。メルガルから、全速力でここまで飛んできた。国境の竜機人達をも無視して、ただひたすらにその場所へと向かう。
マルドックの竜機神の通った形跡は非常にわかりやすいものだった。点々と転がる竜機人達の残骸に踏み潰された町や村。空中からその光景を見る度に、強い怒りを覚える。この半年、いろんな町や村を見て回ったのなら尚更のことだった。
怒りと焦る気持ちのままに都市へと辿り着く。そこで真っ先に目に入ってきた光景は、腕を失い足がひしゃげていたノートゥングの姿。対峙するのは、肌色半透明の人型の機体。顔は鼻も口もないのっぺらぼう、武器も持たず、ただ人の形をしているだけ。その特徴もない体は人のシルエットを実体化した姿にも見える。それは、子供の作り出した人の粘土で作られた人形のようだった。大きさとしては、竜機神や竜機人の中でも小柄なノートゥングよりさらに一回り小さく、今までに見てきた他の機体と比べると酷くシンプルな外見をしている。そう思うと同時に、人の姿をしながら、人としての特徴が一切ない機体は非常に気色の悪い生き物にも見えた。
半透明の機体がゆったりとした動作で右腕を持ち上げれば、槍の弾丸のようにまっすぐにノートゥングへ向かって伸びた。ゴム状の腕は、容赦なくノートゥングに一撃を加える。腕の突き刺さる顔は潰れ、体液をそこら中に撒き散らすノートゥングの姿は苦しみに絶叫する空音に見えた。
呆然とするルカ。頭が真っ白になりかける光景で身動きのとれなかった俺の中で、瞬時に怒りが爆発した。
「空音――!」
空を蹴る。風が羨む速さで、半透明の機体に接近する。半透明の機体はこちらに気づいていない、持ち上げた右腕がノートゥングに再度攻撃を与えるために縮めたところだった。力任せに右手に握る刀を振る。
「空音から、離れろっ!」
相手を切るどころか、体を木っ端微塵にするほどの強烈な斬撃。
バルムンクの一撃をまともに受けた相手は、己の機体で地面を穿り返しながら遥か後方へと吹き飛ばされる。周囲の地面を自分の体で存分に掘り返した敵は、体を横にしたままで身動きを停止した。
光景を確認すれば、すぐにノートゥングに歩み寄った。
「空音、空音、空音……! 返事をしろよ……。俺はここにいる、帰って来たんだぞ。だからさ……何か言ってくれよ……!」
横たわる形を変形させたノートゥングは小さく目元の光を点滅させれば、ゆっくりと目の光が消えた。
「あ……ぁ……。空音……」
それはまるで、空音の死に見えた。
手から力が抜けていく、バルムンクがその場に膝をついた。
間に合わなかった。助けにきたのに、守りたい人がいたのに……。その人を殺してしまった。俺の無力さが大切を奪った。俺は……一体……何のために――。
――実王さん、聞こえますか。
頭に響くのはヒヨカの懐かしい声。俺は力なく同様の手段で返事する。
――……ヒヨカか。ああ、聞こえているよ。
――諦めないでください。まだ空音は無事です。お忘れかもしれませんけど、竜機神にも脱出カプセルが付いているのですよ。体に負担のかかる戦闘や内部で戦闘の衝撃を受けていて意識を失っているかもしれませんが、確実に空音はまだ生きています。すぐにこちらから、救援を向かわせますので敵を離してください! ……空音はまだ生きています!
――カプセル……! そうだな、まだきっと生きているよな。
そのまま消えてしまいそうだった力が再び体に漲る。何を嘆いているのだ、まだ絶望するには早すぎる。
気が付けば、隣にはブリュンヒルダが横に立つ。
『……実王』
心配そうなルカの声。
「大丈夫だ。空音もまだ生きている……。空音が頑張って守ってくれたイナンナは絶対に守る。ここから先には、絶対に行かせない」
損傷の激しいノートゥングを見る。まともに立つこともできないにも関わらず、それでも立ち上がろうとした最後の姿を思い出した。絶対に勝てないと分かっている戦いで、必死に立ち上がろうとしたのは、きっと……俺が来ることを信じていたからだ。
「遅くなって、ごめんな。後で、お詫びはするからさ。……その前に、邪魔なコイツをここから追い出す」
ノートゥングを守るように背中を向けた。先ほど吹き飛ばした奴は間違いなく生きている。攻撃が浅かったというのもあるが、あの程度でやられる敵ならきっと空音は負けることはない。
想像通り、先ほどの半透明の機体はのそりのそりと体を起こした。
『やれやれ……。こういう展開になるなんて、想像してなかったよ。私もまだまだ、ということかな』
『その声……』
ブリュンヒルダが揺れた。ルカが小さく驚きの声を漏らす。
「ルカ……? 操縦しているのが誰か知っているのか」
『ありえない、ここに彼女がいるはずないのに』
否定の言葉。口調の中には、ただ否定するだけではなく、そうあってほしいという願いも混ざっているように思えた。
半透明の機体が肩をすくめて見せた。その余裕に、俺は苛立ちを覚えた。
『……でもここにいるわ。私の精神だけこの竜機神に入れて、操っているだけに過ぎないけどね。本当の私はマルドック。私がそういうこと得意だって、知っているでしょ……? ルカ』
バルムンクの首を傾けて、説明してくれとばかりにブリュンヒルダを見た。
ルカは忌々しげに口にする。
『巫女バイル……。私の姉が目の前の機体に乗っているようね。まさか、竜機神に乗って会うとは思わなかったけど』
次に驚きの声を漏らすのは俺の番だった。
「姉……!? それに、巫女ってなんだ!?」
バイルの大きなため息が聞こえた。
『大きな声でキーキー言わないで、まるでお猿さんね。……この子の名前はヒルトルーン。マルドックが作り出した最強の竜機神よ。もっと大きな機体だったのだけど、そこで寝ているお嬢さんが思った以上に頑張ってくれてね。全力を出すしかなかったのよ……この姿あまり好きじゃないのだけれどね。生まれたての家畜みたいでみっともない姿だわ』
世間話でもするように淡々と喋るバイル。
ブリュンヒルダが一歩前に進み出た。
『……貴女は戦場に出る人じゃなかった。それなのに、何でここにいるのですか。大陸の住人達に指示を与えて、どれだけ時間がかかろうが獲物の首を絞め続ける。最も確実に、人や世界を死に向かわせることのできる貴女が……なぜ、このような強引な戦いを行っているのですか』
『――ただやり方を変えただけよ。それに……私の道具である貴女に、私のことを口にする権利なんてないな』
バイルは自分の妹に冷たく言い放つ。
『姉さん……』
冷たい水にも似た言葉を受けたルカは弱弱しい声を出す。
ああ……どこかで見たことのあると思えば、これはあの良い巫女と悪い巫女の話に似ている。最初から力を持つ良い巫女。そして、犠牲と引き換えにして力を手に入れた悪い巫女。力を持つバイルはルカの気持ちに気づくことはなく、自分を犠牲にすることで力を手にしたルカは己の気持ちにも気づくことはない。不幸な偶然の巫女二人、不幸にも力を手にした二人の少女。……ルカがどうしてあそこまで、あの物語に興味を惹かれた理由が少しだけ分かった気がした。
脳裏に悲しそうに下を向くルカの姿が浮かんだ。空音の出来事にルカの事がのしかかり、堪えていた怒りが臨界を突破する。
「ふざけるな……! ルカはお前の妹だろ。ルカの気持ちを考えたことあるのかよ、道具なんて言うな……!」
バイルは俺の言葉に対して、実にめんどくさそうに返答する。
『正論過ぎて本当に嫌ね。いや、正論なんてもんじゃないわ、ただの子供の理屈ね。姉妹だから仲良くしよう、家族みんなで仲良しこよし。くだらないこと押し付けるな、イナンナのガキがうるさいんだよ。……今の私達のすることは一つしかないだろ。雛型実王、お前がどれだけ説教をしても変わらないさ。だったら、全力で向かって来いよ。このヒルトルーンごと私という存在を壊してみせろ。ああ、さっきの質問の答えだけど……――ルカを妹だと思ったことはないわ』
ルカが息を呑んだ。そして、俺の思考は戦闘態勢に切り替わる。
「てめぇ……! てめぇだけは! 許さねえ!」
抑えられない気持ちと無意識に動く体。バルムンクは、舞い上がる土煙の中で一直線にヒルトルーンへと向かう。
近づくのは一瞬。攻撃するのはすぐ。目の前には、ヒルトルーン。地面に足をつけて、左足で速度を殺す。奴を真っ二つにするために右手に持つ刀を大きく横に振る。
『本当に、うるさい奴だよ!』
ヒルトルーンが大きく体を反らす。反らすどころではない、そのままブリッジをして刃の下を通り抜ける。
竜機神や竜機人の内部は人間の体に似通ったところがある。機体を動かし力を込めるためには、血液が流れ関節を動かすための人工筋肉が肉体を支えている。金属で作られたものだが、人工の骨も体を支えている。しかし、目の前のヒルトルーンはそんな骨があれば到底できない動きを行った。
「――まだまだぁ!」
腰を反転。前方へと伸ばしていた左手を引き、右手に持っていた刀を左手で掴む。左手に握りなおした刀を、ブリッジを決めるヒルトルーンに振り落とす。
バイルの舌打ちが耳に届く。ヒルトルーンは宙ぶらりんになった手を引くと、再びゴムのように伸びると十数メートル先の地面をガッシリと掴む。そのまま、バネの要領で触れていた地面へ向かって体を飛ばす。
その場からヒルトルーンが脱出するギリギリのタイミングで、刀が振り落とされる。落とされた刀から広がる振動と衝撃。
伸びた腕を掃除機のコードみたいに元の腕へと大きさを戻す。その姿を見ながら、俺は奴の姿に神経を集中させる。
『調子に乗るなよ、ガキが。まともにやれば、地を這っているのはお前なんだ。雛形実王、お前のところの篝火に感謝しなさい。アイツがいたから、お前はここで私と向き合うことができるのだから。……まあいいさ、これぐらいのハンデは必要よね』
バイルのイライラとした声。姿形もそうだが、奴の得体の知れない気味の悪さが非常に気になった。奴の言うことも、ただの言い訳ではないのだろう。
空音……。お前、本当に頑張ってくれていたんだな。戦っているとそのことがよく分かるよ。だからこそ、許すわけにはいかないよな。コイツだけは、バイルだけは絶対に。
「お前は必ず倒す。空音を傷つけたことも許さないし、ルカを悲しませたことも許さない! ――俺の大切な人たちを苦しめるお前を絶対に許さねえ!」
刀を両手で握れば、刃の先を奴へと向ける。
バイルは鼻で笑う。
『さあて、どこまでやれるか見物だねぇ』
『――一人じゃない』
太陽の光を受けた数本のクロウがヒルトルーンの足元に突き刺さる。
『ルカァ……。やっぱり、そっちに回るんだね。いいわ、相手してあげる。姉不孝な妹に罰を与えてあげる』
頭上でブリュンヒルダが舞う。間接部から無数のクロウを射出しながら、空にはナイフが舞う。
『まだ悩んでいるし、これが正しいかも分からない。……でも、一つだけ分かる。バイル、貴女はここで止めなければいけない。貴女は、ここで絶対に倒さなければいけないの。それでも止まらないなら……妹として東堂ルカとしてマルドックのルカとして、大陸にいる本物の貴女を止める』
凛としたその声に、周囲は静かな時間が流れる。ほんの僅かな時間、それでもルカとバイルには長く感じる時間なのだと俺は思った。
沈黙を破ったのは、バイル。ヒルトルーンは両腕を肩の位置まで持ち上げた。
『気が早いわよ、ルカ。その前に、まずこのイナンナが滅ぶことになるのだから――!』
バイルの絶叫にも似た声が開戦の合図となった。