第十五章 第三話 業の竜 対 欲の竜
ノートゥング光速の一撃を与えるために、宙空を駆け上がる。左手の剣がヒルトルーンの首を刈り取るためにスライドする。さらに、その剣の軌跡を追うように右手の剣が後を追う。しかし、それは真下からの両刃の剣に妨げられる。
先程よりも格段に攻撃の速度が上がっているヒルトルーンはよろめくノートゥングを追うように防がなかった方の剣で突く。ノートゥングはすぐさまに、左手の剣を煌かせてその刃を流す。そのまま反転するも、逃さないとヒルトルーンの中央の棍棒がヒルトルーンの華奢な体を薙ぐ。機体がガチガチと震えつつ、そのまま真横の地面へと叩きつけられた。
『いい加減、無駄だと分かってもらえたかしら……?』
バイルの嘲笑う声。強烈な一撃を薄い装甲に受けたノートゥングは返事をすることもなく、地に顔を付けたままでギシギシと揺れた。
※
「お姉ちゃん……!」
私は学園長室でノートゥングが叩き落とされる光景に声を上げた。
巫女の力を使えば、都市の前で起きていることなど集中すれば脳裏に浮かび上がる。しかし、今自分の脳に映し出される光景は目を背けたくなるものだった。
「……もう逃げ出してください」
一人で我慢できずに声を上げる。
もしもに備えて、イナンナの住人の避難も大急ぎで行われている。本当は、空音を信じて避難という手段もとりたくはなった。堂々と彼女の勝利を信じて待っていたい気持ちだった。彼女の気持ちに応えたい気持ちだった。……それでも、私は巫女なのだ。個人の意思で避難をとりやめることなどできない。
自分が思っている以上に利己主義な人格に呆れつつ、意識を外に集中させる。相変わらず、ノートゥングは身動きがとれずに雨に濡れた犬みたいに振動している。
「八回も倒しているのに……。なんて強さなの」
そう、既にヒルトルーンは八回も地に伏せている。それでも、まるで死なないことが当たり前といわんばかりに大きな巨体がパズルのように組み上がる。
足から頭の先までバラバラにしても、地面に着地することすらも面倒だと分解した部品はくっついた。再び内部で暴れまわっても、爆発後に煙が消えると同時に奴は出現した。
それだけならまだいい。ヒルトルーンは復活するたびに少しずつ確実に強くなっていっている。最初はただ斬られてばかりだったが、今はその攻撃を片手で受け止めて反撃までしている。反応速度も攻撃に移る動作もノートゥングを上回りつつあった。
ドラゴンコアも消費されているはずなので、全くの無駄というわけではないだろうが、このままでは奴の燃料を切らせる前にこっちが息切れしてしまう。現状も、悲鳴を上げる機体に鞭を打ってノートゥングは立ち上がろうとしている。……このままでは、負けるのも時間の問題か……。
「……て、何を考えているの! 私! ……弱気になってはダメよ、弱気になってはダメ」
まだ負けてはいない。うつぶせだったノートゥングは再び立ち上がろうとしていた。
がんばれ、空音お姉ちゃん。心の中で強く祈る。
祈るしかできない自分が悔しい、それでも私は彼女を応援することしかできない。こんな時に、実王さんがいてくれれば――。
――空音!
「え……今の……」
今、何かを感じた。優しくも勇ましい強い力の光。それともう一つ、真っ直ぐと刃にも似た希望にも似た光。
私は一旦、意識を都市の外へ飛ばす。
この都市に強い光が二つ向かっている。強く強く光に集中。うっすらと浮かんでいた光の姿が見えて来る。
「あぁ……遅すぎますよ」
小さな笑みと共に呟く。
その二つの光はバルムンクとノートゥング。二機の竜機神が、真っ直ぐにこのイナンナへ向かっている。
私には分かる。彼らはこの窮地を救うために再び帰ってきた救世主なのだと。
こうしちゃいられない、と私は強く願う。魔法の力を。
「空音……! 聞いてください、貴女の待っていた人がもうすぐ帰ってきます! それまで、耐えてください!……なんで、通じないの……」
声に出してみて強く念じるが、なかなか空音に声は届かない。それほどまでに空音が戦争に集中しているということ。
今、空音に力を与えるのは間違いなくこの知らせだ。私は椅子から腰を上げると、すぐさま走り出した。この希望は絶対に彼女の耳に届けなくてはと。
※
バイルの声をはね返す為に操縦桿を力いっぱい握る。
「無駄じゃない……! 私はその言葉が嫌いなんだ!」
声に呼応したノートゥングは再び目に光を宿す。損傷は目立ち、回復も追いつかない。それでも、細い足をふらつかせながら立ち上がる。
『へえ、頑張るじゃない。どれだけ足掻いてもがいても時間稼ぎ程度しかできないなら……早く失せなさい』
うねうねとおぞましいほど素早い動きで足を動かすとノートゥングに接近し、その勢いのままに下部のサーベルを持った腕が持ち上がる。
「……それでもっ」
ほぼ条件反射でノートゥングを真横に顔から飛び込ませた。その刹那、頭上を二度サーベルが行き来する。
間一髪のところで回避した私は、体制を立て直すためにも機体を立たせようとする。
『女なら、相手の一つ先を見なさいな……』
強烈な突風が襲ったかと思った。
「ぐあぁ……!」
立ち上がった体に横殴りの棍棒の一撃。まともに防御もしていなかった私は、そのまま衝撃を受ける。操縦席に体が埋もれてしまうのはないかと思うほどの激しいダメージ。ノートゥングはというと、再び地面に顔を押し付けていた。
ノートゥングの目を通して、映し出される操縦席の映像はただ掘り起こした土の茶色で一面覆われていた。
『情けない……。私を戦いに駆り立てた大陸の代表なら、もっとしっかりと戦いなさい。これでは、歯ごたえが無さ過ぎる。実につまらない……』
頭部を敵の方向へ動かす。
視界の中に飛び込んできたのは、六本の武器を持つ腕を全て持ち上げるヒルトルーンの姿。
死なない敵。しかも、倒せば倒すほどに強くなる。こんな化物どう相手にしろというのだ。竜機神を倒す兵器のはずが、既に竜機神を越えた存在になっている。怖い、痛い、苦しい。実王はいつもこんな中で、戦っていたのか。私の頭の中に、ある言葉が浮上する。この感覚はまるで、ぜつぼ――。
「――絶望するにはまだ早いのよ。まだ!」
頭の中に浮かびそうになる言葉を無理やり声で掻き消す。
ノートゥングに内心謝りながら、再び立ち上がる。
目の前に迫るヒルトルーンは先程の俊敏な動きとは違い、処刑人のようにゆっくりと大きく接近する。
自分の前髪が視界を遮る。汗でべたつく長い髪を面倒に思いながら、少しずつ敵が近づいてくるのを見据える。
二本のグラディウスを手の中で円を描いて回す。私も制限解除して特攻でもすれば、奴を倒せるかな。いや、奴はそれでも復活してくるだろう。どちらにしても、手数も戦力も足りてない。コイツは……私一人で戦うには相性が悪すぎる。
――空音お姉ちゃん!
覚悟を決めて、ノートゥングで特攻をしようかと考えていた。そんな時、心の中に飛び込んでくる声が一つ。……ヒヨカだ。
――こんな時に、どうしたの……。
心の声は心で返す。こういう会話に慣れている私は、すぐさま同じ方法で返事をする。
――こんな時だからこそ、なんですよ! ……耳の穴をほじほじして、よぉ~く聞いてください!
――ヒヨカ、もう少し綺麗な言葉遣いはできなかったの? 姉として悲しく思うわ……。
――あーもう、面倒なお姉ちゃんなんですね! ……あの人が近づいてきてます。あの人が……実王さんが都市に向かっているんですよ!
「実王……」
気が付けば、その名前を口にしていた。
雛型実王。彼が来ている。考えなくても分かる。私達を助けに来たのだ……。気持ちに肉体に再び生きる活力と渇望が湧き上がる。
――それ、本当……?
――ええ、だから絶対に負けないでください。きっと彼が助けに来てくれます。その間、私が近くで応援しますから。……都市の扉の前を見てください。
今の戦闘地域からさほど遠くないイナンナの都市を見れば、そこには一体のシグルズ。そして、その手のひらの上にはヒヨカが腕を組んでこっちを見ていた。
「……ヒヨカ!?」
――どうせ、お姉ちゃんが負けたら都市に彼女は攻撃を行い、その後に私を捕らえるでしょう。私のことはどうでもいいですが、この都市を傷つけることだけは許すわけにはいきません。だから、お姉ちゃんと運命共同体にしました。お姉ちゃんがやられたら、私もすぐに捕まります。共に剣を取ることは難しいですが、背中を支えるぐらいはさせてください。
ヒヨカは都市の扉の前でニッコリと微笑んだ。
「……まったく、本当にいい妹を持ったわよ」
私は口元に笑みを浮かべる。ヒヨカに微笑を返すことはできないけど、それでも私は彼女に笑いかけよう。
背中には守るべきもの、前方には強大な敵。そして、迫る希望。……私は、どういう役割だろうか。城を守る騎士か、それとも敵軍の矢を受ける盾か。そうじゃないな……私はただの姉だ。大切な妹と大事な友人、愛した人を守りたいだけの女だ。
「強くはないし、私は特別だったわけではない。……だがら――私の立ち位置は私が決めよう」
――。
竜の声を聞いた。
その声は、彼の存在以外にも希望と呼べるものだった。
「この力が使えるなら、いける……。もしかしたら、倒せるかもしれない」
迫るヒルトルーンからさらに大きく後方へとステップ。離れすぎるぐらいに距離をとる。
バイルの嘲笑が聞こえた。
『私から逃げて機体の回復でも行うのかしら。好きにするといいわ、どちらにしても私は少しずつ確実に都市に向かっているのだから。――巫女様もわざわざ、表に出てきてくれているみたいだし。一番初めに、挨拶しないとね』
やっぱり背後のヒヨカに気づいている。まあ、気づかないでいるという方が無理な話か。どちらでもいい、ここから先には絶対に行かせないのだから。
「その必要はないわ。ここから先には、絶対に行かせないし行けない。……ここから、見せるのは私を勝利に導くための奇跡のショー。――その目で、しっかりと見てなさい」
私はあの時、聞こえた声を信じて、精神が枯れてしまうのではないかというほどに強く念じた。
竜機神となったノートゥングの真の力を発揮するために。