第十五章 第二話 業の竜 対 欲の竜
ノートゥングに顔の一部を削られたヒルトルーンは全身を使い反転する。決して遅くはない反転のスピード。しかし、先ほどのノートゥングの動きの前ではハエが止まるような遅さに感じられた。
『へえ……。イナンナにも同じこと考えるやつがいるんだ』
女の声。この大きな竜機神の乗り手に違いない。
ノートゥングはその巨大な姿の陰になりながらも対峙する。
「同じ……。やっぱり、紛い物の竜機神か」
薄く笑うと女は返事をした。
『自分は違うみたいな言い方はやめてよね。その機体も贋作の一つ。……でしょう?カガリビソラネさん』
舐めるように自分の名前を口にする。言い様のない悪寒を感じ、自然と両手に力が入る。
「違うわ。貴女は存在しているのものを真似て作っただけの贋作者。だけど、私は違う。イナンナとメルガルが想いを成そうとした形よ。今のノートゥングは、人の想いで作られた真の竜機神なの」
つらつらと出る言葉。言って気づく、ただがむしゃらに力を望んでいた頃の私には扱えない力なのだと。力を欲するあまり、竜機神の在るべき姿を見失っていた。求めるものではない、求められる存在になりたかったのだ。
「……そういうの嫌いだな、篝火」
短く女は言う。
女の感想を聞き流し、私はずっと考えていた疑問を口にする。
「教えなさい。貴女は何者なの……」
女は小さくせせら笑う。
『他人にものを頼む態度じゃないな……。まあいいけど。教えてあげるよ。――最初で最後の挨拶になるかもしれないけど、私はマルドックの巫女バイル。どうぞ、よろしく』
「巫女……バイル……!?」
丁寧に冷たく巫女バイルは告げた。
私の心は酷く動揺していた。巫女は象徴であり、大陸で輝き続けなければいけない存在。それが戦線に出てきているのだ。巫女が戦場に立つなど、普通ならば絶対にありえないことなのだ。
『予想通り、驚いているわ。まあ、当たり前よね。……巫女が戦場に立つなんて前代未聞だもの』
「どうかしている……! 貴女は、巫女という存在を愚弄している!』
バイルは低く響くような笑い声を上げる。まるで、自分の反応を楽しんでいるようだ。
『考えが古いのよ、篝火。イナンナて近代的な割には、古い建物多いものね。昔の巫女は純粋であれ清純たれてやつよね。……実際のところ、私がこれに乗り込んでいるわけじゃない。本当に乗り操縦しているのは私の脳代わりのドラゴンコア。それがこのヒルトルーンを操縦しているの。……本物の私はマルドックにいる』
「……巫女だけでなく、竜機神も愚弄しているようね」
吐き捨てるように言う。自分の中で高く上りつつある怒りの炎の押されるように、再び強く操縦桿を握り直す。
ノートゥングが戦闘態勢のために、体勢を低くする。
『自己紹介も終わったところだし、始めましょうか。ここで負ければイナンナは崩壊。……背負いきれるかしら、弱虫な貴女に』
ノートゥングの目が強く輝いた。それをきっかけに、地面を蹴る。
「――背負うとも!」
太い腕はすぐに私を掴まえようと手を伸ばす。
今の私にとっては、酷く遅い。その追いかける腕をくぐりぬけ、腹部、胸部、頭部に三度の斬撃。
『早いわね……』
装甲も固いようで、ダメージは浅い。削り取ることはできたようだが、致命的な一撃を加えることには成功していない。
頭部を切りつけた勢いのままに、間抜けに地面を見つめるヒルトルーンの頭の先を蹴り上げた。高く、空へ舞う。敵機が顔を上げる頃には、もう遅い。広い青空の中、ノートゥングが二本のグラディウスの刃先を足下へと向けた。
「遅い、遅い、遅い……! 私は、お前を超える! 超えて行く!」
空を蹴る。上空から、地面へのダイビング。
ヒルトルーンの眼前に来る頃、やっとヒルトルーンは顔を上げたところだった。そこで回転斬り、頭部の花びらは何十の破片にも飛び散る。
「超える!」
それで終わらない。六本の腕を各三回ずつ斬りつける。深く、ずっと痛み続ける傷であれと抉るように。
「超えて行く!」
地面に着地する直前、手前にある二本の足を大きくも柔軟な回転で斬る。そのまま、重量の軽い機体の特性を活かして、手の平から着地。そのまま、そこで体を回転させれば、すぐさまヒルトルーンと距離を空けるために手の力のみで大きく横へ跳ぶ。
ヒルトルーンとノートゥングの間には、今までの戦闘をリセットするだけの距離が改めて開く。
「巫女すらも超えていく!」
飛び散る火花。私が次の戦闘態勢のために、刀を握り直す。そこで初めて、ヒルトルーンは損傷を受け始める。
大きく頭が揺れ、血液のように腕からは炎。脚部からは、小さな動きすら邪魔するように軋む音が私の耳にまで届く。
これが手に入れた力。尊い犠牲とたくさんの想いの形。私は圧倒している。竜機神と同程度の敵にも負けてはいない。……それは、この機体が竜機神だから。今、私の操るこのノートゥングなら――負けない。
相手は動くのも一苦労という形で、腕を持ち上げて体勢を整えるために傷ついた足を動かす。
いける、このままいけば、きっと勝てる。守るんだ。実王の帰るこの場所を、ヒヨカと過ごすこの大切な場所を。
絶対に逃がさない。そんな強い思いで、ノートゥングは再び高速移動を開始する。
右に移動すれば、ヒルトルーンの右半身が炎を上げ、左に移動すれば左半身が大きく痙攣をする。頭の方まで跳躍すれば、胸から頭部へかけて亀裂のように刃の傷を無数に残す。
時間にして十五秒ちょうど、その間に動きを捕捉しようするうねうね動く腕を回避し絶対的な致命傷を与え続けた。
「これで……終わりだ……! バイル、覚悟!」
高く飛翔。奴は私が飛んだことすら気づいていない。
先程同じような急降下。しかし、今回は前回とは大きく違うところがある。今度の一撃は、決着をつけるための必殺の一撃。
二本のグラディウスを重ね合わせ、ヒルトルーンの頭部の傷口から内部へと突っ込む。稼動する役目を担っているドラゴンコアすらも粉砕しながら、ヒルトルーンの頭から足までを貫通。転がるように、そこから脱出。
「――きゃぁ!」
私は短く悲鳴を上げた。
直後、眩い閃光。自機を吹き飛ばす爆発を受け、地面に機体を打ちつける。これ以上、吹き飛ばされないようにと右手のグラディウスを地面に突き刺す。爆風の勢いに耐えながら、私は爆煙が晴れるのを待つ。
「や、やったの……」
全体も大きく損傷を与えたし、内部も回復が追いつかないぐらいに粉々にした。それに、今の爆発だ。あれは間違いなく、破壊のそれだ。祈るような気持ちで、黒い煙の先を見つめた。ゆっくりと目の前にシルエットが浮かんでくる。
『なんだい、大きなことを言っていると思ったら。この程度なのかい……』
呆れたという声が周囲に染みる。
「バイル……」
その名前は苦々しく口にする。やはり、奴は生きていた。
煙が完全に晴れる。そこには、先程の損傷した状態から無傷の姿に回復したヒルトルーンが堂々と立ち。気色の悪い赤い宝石に似た目が、こちらをぞっとするような鈍い輝きで見つめていた。
『巫女を超えるなど……。自分の口にしたことが、どれだけ愚かなことだったか教えてあげるよ。――さあて、次はこっちの番だ。行くよ』
その無傷になった六本の腕が大きく開く。手のひらに光が満ちていく。
上部の二本の右手には大きな両刃の剣。中部の二本の腕には、機体の半分はあるんじゃないかと思われる棍棒。下部の腕には、陽の光を反射する大きく反ったサーベル。六本の腕全てに武器が握られる形となった。
『大量のドラゴンコアでコイツは作られているんだ。それを使えば、瞬間的な回復や反射的な絶対防御も難しくはない。それに、操るのは巫女であり魔法を使える私だ。……勉強の時間だ。これから少しずつ学んでいこう、人を傷つけることに魔法を使う巫女の恐ろしさをな』
六本の腕、六つの武器が私へと向けられる。
大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。敵は強い、それでも足を止めることは絶対にしない。どれだけ時間がかかろうとも、奴はここで絶対に倒す。
再び、ノートゥングは眼前のヒルトルーンへ向けて二本のグラディウスを構え直した。