第十五章 第一話 業の竜 対 欲の竜
その巨人は足が六本あった。腕も六本ある。
顔は大輪の花にも見える、大きく特徴的な形。顔の中央には、赤黒い輝きの顔そのものといってもいいぐらいの大きさの目が一つ。その目を囲むように、花びらにも鬣にも見える装飾が顔を覆う。体格はバルムンクの五体分の巨体。ある者は八枚の花びらの装飾から歩く花と呼び、またある者は鬣に一つ目に蜘蛛のシルエットから奇形の大蜘蛛とも呼ぶ。そのベースカラーは黒。顔周りを紫の花びらで染めた狂喜の花。
神を目指し、神を愚弄する人の手で作られた竜機神ヒルトルーン。それを操る者は、マルドックの巫女バイル。正確に言うならば、ヒルトルーンには誰も乗っていない。乗り手のいない竜機神を動かしているのは約九百個のドラゴンコアと魔法。その内、約五十がバイルの思考をダイレクトに反映させる通信機の役割を担っている。つまり、バイルの脳がヒルトルーンに内臓されているともいえる。実質バイルが操縦しているのと変わらない状態である。
ヒルトルーンは足一本に三つもある関節を巧みに使い、柔軟に高い敏捷性でイナンナを突き進む。森を高い脚力で飛び越えて、大きな川があれば強靭な脚力で地面を抉りながら進む。
※
「竜機神のいない大陸なんて、こんなものか……」
ヒルトルーンの内部の脳みその役割を持つ大型のドラゴンコアが発光する。それは、その特大ドラゴンコアから漏れた声だった。
本物のバイルはマルドックの地下の遺跡で体を横にしている。最も意識を集中させやすく、最も魔法の力を扱いやすいその場所で静かにヒルトルーンそのものになって深く意識を集中させている。
混成部隊を国境で発見後に戦闘。百程度の竜機人は二十分でカプセルの山に変えた。制限解除を誰一人しない、覚悟のない雑兵共。六度の戦闘を経験したが、いずれも二十分もかからない戦争だった。
これが戦争。この竜機神の前では、いずれもお遊びに変わってしまう。
「……すぐに終わる。すぐに」
バイルがそう言えば、大型のドラゴンコアが細かく点滅。
イナンナの地でルカが死んだ。そう聞かされた私は、自分の頭が真っ白になったことに気づいた。そうした感情が精神面に浮かんでくるまで、死後一ヵ月も経過してからだった。
世界で唯一の肉親が死ぬということの意味。嘆き、悲しむのが普通なのだ。しかし、私はそうした感情を浮かべることはなかった。大陸を良くしてきたし、あまり表に出ないことが神話性が高いなどと身勝手な盛り上げ方をされたせいで、どこか宗教的な民衆の人気もあった。それに、我が大陸には豊富な資源もあり、かなり強引ながら竜機神を作る技術もある。そんな私から切り離すことができないもの、それは妹のこと。
妹。私が巫女になると決まった当初から、妹が魔法の順応性の高さを感じていた。現在の巫女の第一の目的は戦争勝利。その為に、妹の肉体に無理やり魔法を注入させ、半ば強引に竜機神の乗り手にさせた。それから幾度も訓練を重ねて彼女は魔法を使えるようになり、乗り手でありながら魔法が使える存在になった。しかし、その代償として心が死んだ。
妹は武器、ルカはマルドックという弓から放たれる矢。無感情な彼女を使い勝手の良い道具として見てきた私は、彼女にそれ以上の感情を抱くこともなく今日まで過ごしてきた。
妹の死を聞いて、一ヶ月半。そこで初めて、私は行動を起こそうと考えた。突然の落雷にも似たこの空白の感情の正体を知るために――イナンナを滅ぼそうと。
乗り手の仇討ちだ。とマルドックで言えば、彼らは勇んでヒルトルーンの開発を寝るのも忘れて打ち込んだ。その乗り手が巫女の私となるなら、尚更のこと。
六つの足が深く曲がると山を高く飛んだ。視界の奥で、イナンナの学園都市が見えた。
竜機神は飛べる。竜機人も飛べるのだから、当たり前なのだ。それでも、ヒルトルーンは地を蜘蛛のように這う。
「不思議に思うだろう。奇異な目で見るだろう。……理由は知らない方がいい。知ってしまえば、逃げてしまうだろうから。知らない方がいい」
地を這う理由。それはイナンナを、この足で踏み砕く快楽のため。
これが復讐なのか、ある意味の愛と呼べるものなのかは分からない。ただ、私はこの心の中で蠢く空白の意味が知りたいだけ。それは間違いない、それだけは正真正銘の私を戦争に駆り立てる大きな理由だった。
太陽がゆっくりと顔を上げていた。
※
陽が上る。
いた。前方約一キロ先。マルドックから出現した敵がいた。
一機で既に五百機の竜機人を瓦礫に変えている。油断のならない本当の敵。
隣に実王はいない、私はここに一人だけ。この穏やかな草原にただ一人、夜明けと破滅の獣の襲来を待つ。
指輪を撫でた。ゆっくりと色を塗り替えていくように明るくなっていく草原で手を伸ばす。
「ごめんね、ずっと逃げてて……。でも、大丈夫だよ。もう君の声から逃げない。だから、私の翼になってください。――飛ぼう、ノートゥング」
指輪が眩い光で周囲を照らす。そして、あっという間にノートゥングの操縦席に私はいる。
シャープな外見も無機質な内装も変わっていない。それでも、強さを感じる。竜として命を得た鼓動を感じる。……これが、竜機神。
『――たった一機で』
女の声。距離、五百メートル。目の前の竜機神はとても大きく、それでいて奇妙な形。人と蜘蛛を合成したような奇形に趣味の悪さを感じつつ、ノートゥングを前方へ向けて走らせる。スピードは前よりも数十倍も速く、そして風にでもなったかのように軽やか。
ノートゥングは空中を蹴れば、両手に持つ二本の両刃の剣グラディウスを翼のように左右へと広げた。
「その言葉、そのままお返しするわ。……たった一機で?」
ヒルトルーンの頭部をジャンプで超えた途端、ノートゥングは空中で上半身を飛び込むような体勢に低くする。そのままスタート台から水中に飛び込むように、地面を蹴った。
ノートゥングの速度の概念を無視した動き。ヒルトルーンがノートゥングのいた空間を通り過ぎる頃には、頭部の装飾の花びらの一枚を地面に散らしていた。