第十三章 第五話 救世主の不在、或る所在の彼女
ラジオの放送は何度も何度も同じ事を告げる。
レヴィが竜機人の増援部隊を向かわせたこと、避難民が出た場合に備えての大陸の避難場所への誘導方法。まるで、台風か何かの災害が起きた時のようだ。自然と理解する。そうした、全てを傷つける災害がイナンナを襲おうとしているのだ。
「……実王」
誰かが袖を引く。ルカが、心配そうにこちらを覗きこんでいる。
「竜機神て、マルドックには二体もいるのかよ……」
俺の疲れた声に、ルカは首を振る。
「私は知らない……。そもそも、大陸には竜機神は一体しか存在してないはずよ。ノートゥングみたいな例外を除けばね」
そこで俺ははっと気づく。
「もしかして、マルドックも自分達の力で竜機神を作ったってことか」
「私も長いことマルドックを離れていたから、確証はないわ。それでも……その可能性が低いとは言えないわね」
小さく息を吐くルカ。その横顔に見えるのは、不安の色。
「なんでこんなことに……」
俺は咳き込むように発する声に、ルカが返答をする。
「マルドックの巫女は冷静で狡猾。例え、切り札とも呼べる手が失敗したとしても、切り札をひっくり返しても、その裏に奥の手を隠し持つような人よ。ヒヨカほど優しくはない、レヴィほど直情的でもない。ただあの人は、常に客観的にものを見ることができる人なの。……戦争をあれほど第三者で見ることのできる巫女もいないわ」
最後の言葉は皮肉混じりで吐き出す。その言い方だけでも、ルカの中で思うところがあるようだ。
「ルカが負けることを考えつつ、本当に竜機神を作っていてもおかしくないようなやつってことか」
「ええ、ただ竜機神の紛い物を作るならまだいいわ。あの女のことだから、その予想を超える何かを用意しているかもしれないけどね」
ルカはポケットに手を突っ込めば、そこから出てくるのはブリュンヒルダの眠る指輪。その手のひらの指輪を俺に見せるルカの大きな目は俺を見つめる。
「ゆ、指輪なんか出して、どうした……」
おかしい。俺の声が上擦っているし、額には汗。
相変わらずルカは、その指輪を俺に見せたままでまっすぐな視線を向け続けた。
「実王。今、指輪持っている?」
ルカの言葉に鼓動が大きく跳ねた。一度、大きく跳ねた鼓動が落ち着きを取り戻すためには数秒の時間がかかった。鼓動が落ち着いた頃、俺は返事をした。
「いや、持ってないよ……」
「なんで?」
「質問ばかりするなよ。だって、無くしたら大変だろ。無くさないように部屋にでも保管しておくのが一番じゃないか」
「――でも、前は肌身離さず持っていたよね」
その言葉に生唾を飲み込んだ。言いかけた言葉もそれ以上出てくることはなく、ルカの視線から無意識に目を逸らす。
ルカは距離を縮めた。ルカの足音が、ずっと大きなものに聞こえる。
「もしかしたらと思っていたけど……。もう戦いたくないと思っているよね」
ルカの言葉が重くのしかかる。酷い圧迫感を払うように言葉を返す。
「そんなことあるわけないだろ。俺は、イナンナの乗り手なんだ。……ヒヨカ達が大変な目にあっているはずだ、俺は行くよ」
保管していた指輪を手にするために、自室へ向かおうと足を向ける。
「嘘をつかないで」
ルカの声が俺を引き止める。
嘘なんてついていない、俺は戦う。みんなを守るために、ルカも居場所を見つけた今こそ戦う時だ。そんな俺の気持ちを嘘なんて、ありえない。
「じゃあ、なんで……。手、震えているのよ」
そう言われて、自分の手に視線を向ける。確かに小さく揺れていた。
口元から乾いた笑いを漏らす。
「……おかしいな。今日、結構重い物を運んだから、筋肉痛にでもなったのかな」
おどける俺を無視して、淡々とルカは言葉を続けた。
「酷い嘘ね。怖がっているのよ、戦いたくないと思っているのよ」
震える右手を背中に隠して、ルカに向き直った。
そんなこと気づいていた。ルカを言い訳にして、ずっと逃げていたんだ。
最初は、ずっとイナンナのことが気になっていた。イナンナとマルドックが小さな小競り合いを続けている報道を聞けば、ただただ安心した。その内、そのニュースを聞く度に、俺の中にあった戦争のイメージが少しずつ崩れていった。
ここは普通に戦うなら人が死ぬことはないのだ。それなら、自分は無理して戦う必要はないはずだ。戦うことがこの世界の日常なら、その日常に対して不満を持たなくていいのだ。
そうした甘い考え。この旅の一団のメンバーもまるで家族のように優しく、毎日一生懸命に働き、みんなで笑って過ごした。今までにない充実感がここにはあった。そんな平和と言う日々が、少しずつ確実に俺を戦争から遠ざけていった。
「……とっくに気づいてた。俺はもう戦いたくないと確かに思っている。ここのみんなとの穏やかな時間が、俺に平和の素晴らしさを教えてくれた。またルカみたいに知っている奴とも戦いたくない、誰かの傷つく姿も見たくない……。この穏やかな時間が、俺に別の生き方があるのだと教えてくれた」
ルカが小さく息を吐く。それはどこか呆れたように。
「平和の良さに気づくのはとても尊いことよ。だけど、誰かを守るための強者が平和に殺されるのはおかしいと思うわ」
空音のビンタを思い出した。それほどまで、頭の奥に響く言葉だった。
「分かっているよ! 確かに俺は戦いたくないと思っている。それでも、竜機神の乗り手なんだよ。だから、戦おうとしてるだろ。今も逃げないで、イナンナに向かおうとしているじゃないか! 何かおかしいかよ、辛くても苦しくても戦うよ!」
俺はそのまま再び背中を向けようとする。
待って、その声と同時に俺の手をルカの手が包んだ。指輪を握っていない方で掴んだその手は、とても暖かく優しい温もりだった、
「私の言い方も悪かった、ごめん。今の実王じゃ……きっと死んでしまいそうな気がする……。だからよく聞いて、私の手の温かさて実王に伝わる?」
「……ああ」
俺のぶっきらぼうな返答に、強く握り返すという形でルカは応答した。
「これが実王の守った温かさ。今ここにある平和も全て、実王が守ったもの。私はマルドックに対して何の思い入れもない。だけど、そんな私でも実王の力になりたいと思うの。止めてもついていく……私も一緒に行くわ」
ルカのとんでもない提案に、慌てて強い言葉で返す。
「馬鹿! せっかく、ここにはお前の居場所ができたじゃないか。それを捨ててまで、俺と一緒に来る必要はない。それに、お前に何かあったら……俺は何のために……」
「――好きよ、実王。この世界で一番ね」
「へ……あ……。え? て、えぇ!?」
聞き間違いと思うほどに、俺は思考が追いつかない。
なんで、こんな時に。なんで、今。口から質問も出てこないまま、頭が真っ白になる。
今まで見たこともない可憐な小悪魔的な笑みを浮かべるルカ。楽しむように言葉を続けた。
「驚きすぎ。でも、理由なんてそれだけで十分じゃないかしら。私は実王のことを好んでいるのよ、友情じゃなく愛情としてね。……私がイナンナに向かう理由はそれだけ。好きな男が戦おうとしているのよ、手助けできる力があるなら助けたいものでしょう」
それがどうしたとばかりに堂々と宣言するルカ。突然の告白に、俺は言葉を捜そうとするが、こういう経験の浅い俺には選択肢すら浮かばない。
ルカはクスクスと声を漏らして笑う。
「……どっちが年上だか分かんないわね。私の相棒も話をしたいみたいだから、そっちにも変わるわ」
その言葉には反応できた。とっさにルカに手を伸ばす。
「ま、待て、ルカ……!」
ルカの肩を掴んで顔を近づければ、おどおどとした表情のルカ。両目の色が黒い。完全に東堂ルカだ。
「み……実王さん……顔、近いです……」
耳まで赤くして東堂ルカは視線を逸らす。
「あ、ごめん……」
俺は慌てて手を離せば、それでも恥ずかしそうにもじもじと足をこすり合わせる東堂ルカの姿。
ルカがゆっくりと口を開く。
「……これはきっとチャンスなのですよね。……実王さん、私もずっと前から好きでした。妹みたいにしか思ってないかもしれないけど、私は……あのぉ……一人の……男性として好き……なんですぅ……。うぅぅ……告白って死ぬほど恥ずかしいですね……」
死ぬほど恥ずかしいのは同意見だった。真っ赤なトマトになったルカの顔を見ていれば、こっちだって恥ずかしくなる。あっちがトマトなら、こっちはパプリカのような真っ赤なのだろう。
「そ、そうだな、確かに恥ずかしいな……」
照れながらも真っ直ぐな視線を向けるルカ。
「よかった、気持ちを伝えられてホッとしてますよぉ……。私もルカと同じ気持ちなんです。だから、一緒に行きます。実王さんを守りたいです。貴方の心の中に、他の誰かがいたとしてもお側に居させてください。それに……イナンナの竜機神とマルドックの竜機神が協力するんです。絶対に負けるはずはありませんよ。……絶対に」
「ルカ……」
他の誰か、か……。一人、大切でいつも精一杯立つことに必死でとても泣き虫な少女の顔が脳裏を掠めた。
「ねえ、実王。もっと単純でいいのよ。イナンナの人間たちは難しく考えすぎるのよ。戦う理由も、小難しく考える必要なんてないの。……いい加減、乗り手としてじゃなくて、自分の戦う理由てものが見つかる頃なんじゃないの。少なくとも、私には見つかったけどね」
いつの間にかのオッドアイの目。どうやら、ルカに戻っているようだ。ルカは俺へと指を向けていた。
なるほど、その理由は俺ということですか……。苦笑いを浮かべたところで、気づく。……もう震えは収まっていた。
「俺の理由か……」
先ほど、頭の中に浮かんだ人物を思い浮かべた。
最初は嫌いだった。それでも、小さな肩に大きなものを背負っていたのだと思い知らされた。
――二人はバカじゃない。二人は私達の世界を救う為に立ち上がろうとしてくれているの。貴方が思っているほど単純じゃないのよ。
ケンカしながらでも、少しずつお互いのことを理解していった。誤解もしたけど、俺は空音を認めていった。
――私が実王と一緒に選択する。そして、実王と一緒に歩む。
空音はそう言って、俺を立ち上がらせた。汚れた俺でもいいのかと言えば、汚れた私でもいいのかと傷だらけの手と血まみれの手で握り合った。
――置いてけぼりにされるのは……嫌なの。
そうして、弱さも知った。強さと弱さの両方を持って生きる少女をいつからか美しいと思えた。大切な人なのだと、俺は気づく。
俺はついさっきまで震えていた手を強く握る。
「気持ち、固まったみたいね」
言葉を待っていたルカが、そう問いかけた。
俺は強く頷く。
「ああ、行くぞ。あそこには、大切な人がいる。きっと……俺の帰りを待っている。――行かないと」
さっきと同じような言葉。それでも、さっきよりは違う。真っ直ぐ前向きにそう口にしていた。
※
部屋に戻り、二人で大急ぎで少ない荷物をまとめた。感謝と謝罪の言葉を書き残した手紙を置いて、外に出る。そこには、考えもしてなかった人物がいた。
「ガルバさん……」
ガルバさんが、仁王立ちで部屋の前に立っていた。様子から察するに、俺達を待っていたのだろう。
「行くのか……?」
ガルバさんはゆっくりと口にする。
「……もしかして、俺達のことを知っていたのですか」
まさかと思いながら、慎重に口にする。
ガルバさんは、普段通りの豪快な笑顔を浮かべた。
「まあな、あっちこっち行っているといろいろ詳しくもなるさ。……ただ一言、伝えにきた」
怒られるのだろうか、それとも罵声を浴びせられるのか。きっと、俺達が喜ぶ言葉は聞けないはずだ。俺とルカは視線を交わらせれば、次の言葉を待った。
「困ったことがあれば、いつでも帰って来い。……それだけだ」
俺とルカは呆然とその言葉を耳にした。
じゃ、と言えばガルバさんは背を向けて歩き出した。
追いかけて、声をかえるか。いや、そんな暇はないし、ガルバさんの気持ちを無駄にしてしまう……。ガルバさんは、俺達を家族だと言ってくれたのだ。こんな嬉しくて、幸せなことはない。
「ありがとうございます」
ルカは深く頭を下げていた。
ルカの言葉の意味に気づく。ここで終わらない、また会うために……ありがとうございました。ではない、ありがとうございます。なんだ。
俺も習うように頭を下げた。
「ありがとうございます!」
※
その星達は一面に輝く広い夜空。星の一つ一つがまるで踊るように眩い。新たな旅立ちには良い日だと思った。
町から少し離れた山中。積み上げられた丸太に、点在する切株達。材木置き場であろう小さな倉庫と思われる小屋も見える。雰囲気は、まるで初めてこの世界に来た時の山の中にも似ているなと一人苦笑いを浮かべた。
隣に立つルカに視線を向ける。
「行くか」
うん、と頷くルカ。
晴れた日で良かった。そう思いながら、手を空に掲げた。指輪がキラリと光る。
「――行くぞ、バルムンク!」
「――おいで、ブリュンヒルダ」
閃光。そして、二体の竜機神が夜空を駆け上った。




