第十二章 第四話 俺と君と彼女と
東堂ルカは考えていた。
何度、自分の命を絶つことを考えたか、何度、大切な人に泣きつこうと思ったか。永遠に終わらない悪夢の中で生きた。結局、私の泣きつく前に大切な人が私を悪夢から救い出してくれた。
もう明るい道は歩けないと思った。もう大切な人と過ごせないと思った。もう夢なんて見れないと思った。……ドレスの巫女衣装に着替える為に袖を通す。
私はルカに囁きかけた。
――きっと一人では、ここまで来れなかった。ルカと実王さんのおかげだよ。
ルカはそっと口元に笑顔を作る。
――それは私も一緒だ。私はお前に、人格を夢を貰った。
ルカは慣れない手つきで白いドレスを整える。
――緊張してる?
――ああ。だが、大丈夫だろう。
私は不思議に思い、聞き返す。いや、本当は分かっていて、その真意をルカから知りたくて、聞いたのかもしれない。
――なんで、大丈夫なの。
ルカは鏡の前に立つ。化粧をし、愛らしいドレスに身を包むルカは本当にどこかのお姫様に見える。
一応言っておく。決して、自分のことをお姫様だと言ったわけではない。
良い巫女の衣装は、ルカ本来の持つ美しさを引き出しているように思えたのだ。本当のルカは優しく真っ直ぐな心の綺麗な女の子。そうした、自分の良さに気づくこともなく、心を閉ざしてしまう彼女は間違いなく素直な心の持ち主なのだ。
鏡に映るルカは、私に向けてはにかんだ笑顔を向ける。それも、私か実王さんぐらいにしか分からない小さな変化の表情で。
「一人じゃない。東堂ルカが一緒にいるから……きっと、大丈夫」
そう声に出して言い、控え室に置かれた鏡のカーテンを下ろす。
きっと、大丈夫。ルカの言葉に私は目を閉じる。そして、私は口にする。
――二人なら、きっと……。
演技には慣れているしな、と照れを隠すようにルカが言えば、光の中へと走り出した。
※
照明をルカに当てた。
ルカは手を叩き、周囲を舞い、最後には涙を流した。その姿は観客を魅了し、心を操るように良い巫女という役を演じる。俺もルカが繰り広げる物語の世界に引き込まれた一人だった。
喜怒哀楽をあまり見せることのない彼女が、良い巫女が乗り移ったように泣き叫び、可愛らしい笑顔を見せる。その一つ一つはちきれんばかりの表情が、舞台の上で巨大な星のように輝く。
「ありがとう! お姉さま!」
ルカは大きな声でそう言えば、満面の笑みを浮かべた。
場面は、良い巫女が悪い巫女の毒入りの食事を口にするシーン。食事を口に運ぶと幸福に満ちた笑顔が少しずつ冷たいものに変わっていく。冷たく、氷のようなその顔は……初めて会った頃のルカを彷彿とさせた。
「どうして……姉さん……」
椅子から転げ落ちるように倒れると、毒を盛られたことに気づいた良い巫女が涙を流して姉を呼んだ。舞台は暗転。
何故だか、俺は唐突に寒気にも似た違和感を感じた。
悪い巫女がアップテンポのBGMの中で、歌い踊るシーンを見ながら、俺はルカの先程のシーンを思い出していた。
死に逝くルカの虚ろな瞳は、見たこともなければ演技にも見えなかった。町の人が困っているシーンで悲しそうにする良い巫女の表情とも違う、姉が素っ気無いのが寂しい良い巫女の顔でもない。うまくは言えない、本当にちゃんと言葉には出すことのできない、胸の奥をざわつかせる瞳だった。
俺の心の中など置いてけぼりにして、舞台はクライマックスを迎えた。
悪い巫女は泣きながら謝罪を繰り返し、光の中に落ちていく。再び光の中から、出現した良い巫女は姉がいないことに気づき悟る。
「私は、貴女がいてくれるだけで……よかったのに……!」
実を言うとここはガルドさんのオリジナルの演出である。
ほとんどの題材にした物語では、悪い巫女が闇の中に消えていくシーンで終わるのだが、少しぐらい救済措置があっても良いだろうというガルドさんの独断と偏見で、物語に変更がされた。それが、闇に消える場面が光に消える場面に、そして生き返った良い巫女のシーンの追加だ。
幸せな結末を好むガルドさんにとっては、二人仲良く暮らしてほしかったに違いない。しかし、昔から人気のある物語に手を加えすぎるのはいかがなものかと反対があったのは事実だった。渋々、若干の変更だけ行った演出には、ガルドさんに人の良さを感じていた。
「……ルカ?」
そう口にしまうほどだった。
普通に見れば今のルカの顔は、悲しみにくれる良い巫女を立派に演じている。しかし、さっきの疑問が消えない俺は、その表情が演技以外のものを見せていた。
涙を拭いながら見る観客達には悪いが、俺はそのルカの顔はまるで銅像が涙を流しているようだ。本当は生き返っているはずの良い巫女が、俺には未だに死後の国を漂う亡者にしか見えなかった。
舞台は幕を閉じ、演者一人一人の挨拶が行われた。
順番はルカに回り、穏やかに目を細めると、小さく頭を下げた。一番大きな拍手が起きた。そこで幸せそうに立つのは、間違いなくルカであり東堂ルカでもあった。
「なあ、ルカ。お前っていったい……」
聞いても分からない、一人で考えても分からない。それでも、俺はそう口にした。本当の君が分からないのだと、声にすることしかできない歯痒さと共に。
※
その日の夜。俺とルカは、夜空に浮かぶ星を眺めている。地面は冷たく、尻に付く泥なんて気にならないほどに、ふわふわと浮ついた感覚が自分を支配していた。
今日の劇は大盛況で終わり、そのままのテンションで打ち上げを行い、日付が変わろうとするぐらいにお開きとなった。普段から、公演が終わった当日に打ち上げを行うのだが、経験した中でもここまで盛り上がるのは初めてだったかもしれない。
俺は満腹感と妙な達成感の中で、部屋代わりの車の前に背中をもたれていた。ルカも隣に並び背中を任せている。今の俺達に聞こえる音は、部屋の中から聞こえるラジオの音楽と隣に居る者の息遣いのみ。
おもむろにルカは口を開いた。
「こんなに、誰かに喜ばれるのは……はじめて」
しみじみと心に沁みこませるように言う。
そう言うルカの顔には、演劇の時に感じた違和感はなかった。心の底から、嬉しそうだ。あの時の感情は気のせいだったかな、などと思いつつ相槌を打つ。
「ああ、そうだな。こんなに盛り上がるとは、正直なところ思ってなかったよ。……そういえば、ガルドさんなんて、ルカはウチの看板女優になるって息巻いてたぞ」
そう言って笑いかける。
「……適当なことばかり言うんだから、あのオヤジ」
ふてくされたように言うルカだったが、照れ隠しでそう言っていることが俺には分かった。
「そう言うなよ、ここにはルカが必要なんだ。俺は、ここにルカの居場所があるんじゃないかと思うんだ」
「どういうこと? 実王」
ルカは首を傾げた。
「俺はルカに新しい人生をあげるって約束したよな。もしかしたら、ここにルカの新しい人生の扉が待っているかもしれないなと思うんだ。ここにいる人は、優しくてルカのことを受け入れてくれる人ばかりだ。……どうだ、冗談抜きでルカは、ここで新しく生きてみないか?」
俺の提案を最後まで聞いたルカは、訝しげにこちらを見る。
「実王は、私と一緒にいるのは嫌になったの?」
珍しく、素直な言葉。その声には、心配をするような、若干の弱さを感じさせる声色だった。
「……嫌ってわけじゃない。だけど、今のルカを見ていると思うんだ。ここで生きるお前は幸せそうだし、前と違って活き活きしているような気がするんだ。違うか」
しばらくの沈黙。そして、ルカは返事をする。
「違わない。実王の言うとおり、私は演じることを楽しく思い、ここの生活にも満足している。いろいろなものを見ながら、演技をできるなんて……私の幸福かもしれない。昔は、誰かが決めた生き方を誰かの真似をして過ごし、これだけしかないと信じこまされて生きてきた。そんな私が、自分の意思で行動し、結果としてかもしれないけど、私のやりたいことをしながら生きている。……もう一度言うわ、違わない。私は確かに満ちているといえるわ」
「だろ。それなら、ここでの生活も考えてみてもいいんじゃないか。……ああ、後俺のことは安心してくれ。俺もすぐにはイナンナには帰らないさ、ルカがここで落ち着いて、ちゃんと自立していけるまで、俺が応援していくさ」
ルカは俺に視線を向けると目を凝らす。俺の内側を見るように深くじっくり。
「ねえ、今度は私が質問。――貴方、本当はどうしたいの? 私を救いたいっていうのは、気持ちに嘘はない、とっくにそんなことは分かるわ。……私は救われた、貴方に。それから先は、どうするつもりなの?」
真っ直ぐな視線を受け、俺は自分がうまく言葉を出せないことに気づく。
喉が渇く、どうして俺は返事ができないんだ。
「俺の……この先……」
「ええ、この先よ。実王が居てくれたから、私は救われたの。ありがとう。……だけど今私が心配しているのは、貴方のことよ。……最初にここまで来たのは私を救いたいという気持ちただ一つだったのよね。……私もイナンナに来た頃は、ただの偵察でしかなかった。それでも、新しい生活の中で実王と出会い、東堂ルカに変化が起き、私にも変化を与えた。――そうしたことが、実王にも起きているんじゃない? ねえ、今の貴方って……」
頬を冷たい汗が流れた。それは、俺が聞きたくないこと、耳を塞ぎたい言葉。ルカが数秒の時間を置いて、次の言葉を紡ぎだそうと息を吸う。
それよりも早く、俺はルカの名前を呼ぶための息を吐こうとする。それは制止の発音。名前の中にやめろと叫ぶための。しかし、そのどちらの息もこの空間に浸透することはなかった。
『臨時ニュースをお伝えします! 同盟を組んでいるイナンナの緊急速報をお伝えします!』
ラジオの慌てた声が聞こえた。
俺とルカは顔を見合わせると、僅かに開いた窓を全開にする。意識しないと聞くことのできなかったラジオの声が耳にはっきりと届いた。
『マルドックのものと思われる未確認の竜機神が、イナンナの都市に接近中です! 第二防衛ラインで戦闘中となっていますが、このままのスピードなら明け方には都市に近づくものと思われます!』
慌てた声を聞きながら、心の中でそっと落ち着いてた不安感が暴れだす。
「どういうこと……」
ルカは驚きで目を大きくさせていた。
早く動けばいい、すぐに駆け出せばいい。それなのに、俺の足はそこから動くことはできず、精神的なものからきていると思われる腹痛と気持ちの悪さを感じつつ、俺とルカは呆然とその声に耳を傾けていた。




