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第十二章 第三話 俺と君と彼女と

 瞬きをするような早さで公演日となった。目が覚めるとカーテンで分けられたルカのスペースには、もうルカの気配はなかった。一応、声もかけてみたが何の返事も無いところをみると既に出かけたのだろう。

 公演時間は昼過ぎ、前日に準備は終わっているのだが、リハーサルのために早くに出たのだろう。


 「さてと」


 挨拶代わりにそう声を出せば、疲れの残る体を起こした。



                ※



 ステージの裏側に設置されたテント内の控え室に向かう。入り口から中を覗き、元気よく声を出す。


 「おはようございまーす! ……て、ありゃ」


 数人の人間達が険しい顔をしている。その中には、ガルドさんやルカの姿もあった。


 「いったい、どうしたら……」


 「素直に謝るしかないんじゃないですか」


 口々にみんなが不安そうに声を出す。普段なら、みんなが活気に満ちて、テキパキと作業をしているところだ。それなのに、衣装を着ている人間すらも中途半端な数しかないない。

 俺は覗いているだけなんてできずに、その不安の輪へ向かって歩き出す。


 「あの、どうかしたんですか?」


 俺に気づいたみんなは心ここにあらずという感じで気のない挨拶をする。そして、再び視線を逸らすと不安そうに相談を続けた。その輪を抜けたガルドさんが、俺へと向けて近づいてくる。逞しい眉も今は情けなく垂れていた。


 「おお、実王か。……実は、緊急事態が起きちまったんだ」


 「緊急事態? 先日の役者の怪我以外にも何かあったんですか」


 ガルドさんが、何か言いにくそうに視線を泳がせる。

 言葉を続けたのは、その横からひょっこりと顔を出したルカだった。


 「主役の良い巫女役の人が、いなくなっちゃったのよ」


 「はあ!?」


 俺はその短い言葉に驚きの声を上げる。

 ルカの顔は無表情ではあったが沈んでいることが声のトーンで理解できた。

 

 「どういうことなんすか!? ルカ、ガルドさん!」


 俺はガルドさんに一歩詰め寄れば、申し訳なさそうに視線を落とす。

 ガルドさんには申し訳なかったが、今の俺の中にあるのは、昨夜のルカの楽しそうな姿だった。経緯も分からないままで、ルカのあの表情を曇らせるのは絶対にあってはいけないことなのだと思った。


 「あのな、驚かないで聞いてほしいんだが。……アイツ、駆け落ちしたんだ」


 「かけ……おち……。それって、世間一般に男と女のそれのあれですか」


 「おそらく、お前の言うそれのあれだ」


 確かに年齢的にも二十台半ばで、そういう時期かもしれないが、何もこんなタイミングで行うことないじゃないか。

 神妙な顔でガルドさんは、俺の疑問に答えてくれた。


 「アイツな、この村に幼馴染がいたんだよ。久しぶりの再開で燃え上がっちまっらしくてな……。盛り上がる二人の中で、結婚まで話が進んじまったんだよ」


 「なにも、こんな日に燃え上がらなくとも……」


 「……そのままの勢いで家族に紹介しに行ったら、反対されちまったらしくてな。家族にはその場のノリで結婚しようとしているように見えたんだよ、残念ながら。それで……」


 「……駆け落ちしちまったのか。て、一晩の内になにやってんだよ!?」


 主演の女優ことは知っている。綺麗な人だったが、いつも夢見がちなところがある人だった。よくよく考えると、その場のテンションで結婚しようとすることもありえるかもしれない。エキストラのような脇役が一人欠員しても、脚本の辻褄が合えばどうにかなりそうな気もするが、主演女優ともなると頭を抱えたくもなるか。


 「俺に文句を言っても困る。彼と一緒になります、ていう書き置きだけを残されるこっちの身にもなってくれ。俺も泣きたいぐらいなんだ」


 「すいません……。でも……どうにかならないんですか」


 ガルドさんの言う通り、当事者でもない人間にここで文句を言ってもしょうがない。しかし、何か良い解決策が出るんじゃないかと期待した自分もいる。


 「だったら、こんなところで悩んでいるわけないよな」


 「で、ですよね」


 俺は今にもため息をつきそうなガルドさんの代わりのように、深くため息をついた。

 俺もそこにいる全員と同じように背中を丸めた。ルカのためには、ここで引くわけにはいかない。しかし、この劇を成り立たせる大事なものがなくなってしまった。柱の崩れた建物はもう立っていることなどできないからだ。

 そんな中、まだ一人諦めない人間がいた。


 「――提案があります」


 一斉に全員がその方向に顔を向ける。ルカがこっちを見ながら、小さく挙手をしていた。それでも、それははっきりと響き、周囲を振り向かせるには十分なはっきりとした声だった。


 「ルカ……?」


 周りはルカを囲むように輪を作る。その周囲の視線を集めるのはルカ。その表情は何かを決心するような意思の強さが表れていた。


 「私、この劇の台詞全て覚えている。どう動けばいいのかも頭に入ってる。完璧には動けないと思うし……どこまでやれるか分からないけど、私が良い巫女の役をやるわ。お客さんのためにも、この劇団のためにも……この舞台に立ちたい」


 ルカの明確な意思を感じさせた。言葉ではこう言っているが、ルカは自分がやりたくないことは自分からはやらない。これはルカのやりたいことなんだと、俺は自然に理解することができた。

 そんなルカに対して、ガルドさんは困ったように頬を掻いた。


 「しかしなあ、ルカ坊のやる気は褒めてやりたいところだが、実際にやるのは見て覚えているのとは違うぞ?」


 ガルドさんらしい優しくも気を遣うような父親のような口調。言葉を聞いたルカの表情が僅かに暗いものになる。

 ルカは返事のために言葉を口にしようとする。きっと出てくる言葉は謝罪か肯定のもの。

 ダメだ、このまま引き下がったらいけない。ルカはやりたいんだ。この劇を、この劇団のこと以上に演技をしてみたいんだ。大きな一歩を踏み出そうとするルカを、このまま引き下がらせてはいけない。

 俺はすかさず、ルカとガルドさんの間に入り込む。


 「――待ってくださいよ、ガルドさん! ルカに任せてやってもらえませんか!? 演劇のことなんて、俺はここにいる誰よりも詳しくないですし、仲間になってまだ半年しか経ってません……。ルカが、こんなにも強く何かをやりたいっていうのは初めてのことなんです。俺のワガママだと言われても構いません……! それでも、こいつを信じてやってくれませんか!? ルカは、もともとこんな風に舞台に立つような性格じゃないんです。……やりたいって自分から言ってて……不安なはずなんです、怖いはずなんです。それでも、やりたいっていう真っ直ぐな気持ちと勇気を信じてやってもらえませんか! ――お願いします!」


 俺は深く深く頭を下げる。こんなにも精一杯頭を下げるなんて、生まれて初めてなのかもしれない。心の底から願う。ルカを救えなかったことからの負い目ではなく、必死に前に歩みだそうとするルカの力になりたいと考えたからだ。


 「実王……。私のために……」


 背後から声が聞こえた。恥ずかしい奴だと、空気の読めない奴だと思われても構わない。それでも、ここで歩みを止めてしまってはいけない。ルカの勇気を無駄にしてはいけないんだ。


 「私からもお願いします」


 小さくとも、よく通る声。背後にいたはずのルカがいつの間にか、隣で同じように深く頭を下げていた。

 横をチラリと見れば、真剣に目を閉じて顔を下に向けるルカ。一生懸命なその姿に、目頭が熱くなる。無駄ではなかった。ただ近くにいるだけだと思ってた。ずっと救えていないと思っていた。でも、確かに俺はルカを支えることができたんだ。

 俺は強く背中を押された気分になり、もう一度大きな声でお願いしますと頼む。ルカもそれ追いかけるように、さっきよりも大きく声を上げる。


 「まったく……お前ら……。顔をあげろ、このままなら頭が地面についちまいそうだぞ」


 ゆっくりと顔を上げて見た。そこには、子供のような笑顔を見せるガルドさんの姿があった。


 「わかったわかった! 俺の負けだ! なんとなくだが、さっきのルカや実王の言葉以上のものが今のお前らの頭を下げさせているってのが分かったよ。……深くは聞かねえ、だけどもし失敗をするようならタダじゃおかねえぞ! ――さあ、みんな! 新しいヒロインのために準備を急ぐぞ!」


 優しくも厳しい言葉に俺とルカは顔をほころばせた。

 一緒に働く仲間達も作業に戻りながら声をかけていく。

 がんばれ、緊張するな、応援している。俺達の肩を叩き、頭を撫でながら激励の声をかけていく仲間達。これだけ俺達が身勝手なことをしているのに、それをみんなが受け入れてくれた……。形だけかもしれない、本当は内心で嫌に思う人もいるかもしれない。……それでも、受け入れてくれた。俺は、行動で見せてくれる優しさに感謝しながら、ルカの方を向く。


 「やったな、ル……カ……」


 「なに?」


 俺はその顔に一瞬言葉を失う。ルカが、無表情のままで涙を流していた。頬に跡を残すのは涙の滴の形跡。本人は気づいていないのだろう、拭うこともせずに小首を傾げた。


 「あ……いや、なんでもない」


 「変なの。……でも」


 ルカは俺に背中を向ける。


 「――ありがと」


 小さな声でそう言って、ルカは足早にテントから出て行った。

 ルカから初めて告げられた心からの感謝の言葉は、何故か儚く、寂しいもので、東堂ルカとイナンナの公園で別れた日を思い出させた。

 俺の胸の中は、言いようのない不安が浮き上がるようだった。得体の知れない不安を振り切るように、俺も作業へと走り出した。


 

 


 

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