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第十章 第二話  空虚な君 惑いの彼

 それから俺と空音は自宅へと帰ってきた。

 お互い会話らしい会話もなく、出された物をただエネルギーに変えるためだけに食事を進めた。食後、俺と空音は向き合って座っていた。俺と空音の間に置かれたちゃぶ台に視線を落としていた顔を上げる。こたつを引き、新たに置かれたちゃぶ台は新品で頭上の照明の灯りをよく照らしていた。

 無言の重たい時間を俺の声が破る。


 「……空音、俺の知らないことを教えてくれ。全て」


 自分でも分かるぐらいその声は刺々しい。助けてもらったという手前、俺は空音を悪く言うことはできない。そう考え、焦る気持ちや泉のように湧き出る自分は何も知らなかったという現実に対しての怒りを抑えてはいるつもりだ。しかし、どうしても俺の溢れ出る感情は空音を傷つける。

 空音も申し訳なさそうに落としていた目線を俺へ上げる。

 「――こういう形で判明するとは思ってもなかった。今からどれだけ弁解しようとしても、難しそうね。最初に謝らせてちょうだい。……私は実王を騙そうとして、隠していたわけじゃない、それは信じてほしいの」

 空音の表情を見ていればすぐに気づく、その揺れる目はきっと俺のことを考えての行動。その視線を受ける俺は、ただそこから目を逸らす。


 「なんとなく、分かるよ。空音は、きっと俺や大陸のためを思って隠して調べていたんだよな。でも、俺は悔しいんだよ。……何も気づかずに、ただただ過ごしてきたんだ。俺は学園生活の中で緊張感を忘れていたんだ。……少しでも気を抜けば、メルガルでの出来事が起こると知っていながら……」


 そう言い、強く拳を握る。手がギリギリと音を上げる、爪が肉に食い込む。そんな痛みすら気づかないほどに、悔しく歯がゆい。どこにぶつけていいか分からない感情が、自分を体を這いずり回っているようだった。


 「実王は悪くない。それにルカのことも、調べてみてはっきりとした証拠がないと動けない状況だったの。すぐにでも行動を起こしていれば、違う結果が見えてきたのかもしれないのに……」


 空音の悲しげな声に、俺の手の力が抜ける。空音は悪くない、それなのに、俺はまるで責めているのと一緒だ。俺は頭を振り、気持ちを切り替える。


 「いいんだ、きっと俺のことを考えて憶測で話をしたくなかったんだよな。お前の気持ち、嬉しいよ。――話を変えよう、そもそも空音は何でルカを怪しいと思って調べることにしたんだ? それに、ヒヨカはこのことを知っているのか」


 雰囲気を変えようと思い、俺はなにげない口調で声を発する。決して明るい雰囲気にあるとは思えないと知りながら、俺はとってつけたように明るく言う。


 「ある時、ルカから魔法の気配を感じるようになった――」


 「――ある時?」


 首を傾げる俺。少し間を置いて、空音は口を開く。


 「……ええ、ドレイクを壊したあの日。ヒヨカ様は、他の大陸から干渉を感じた。一瞬だけだったけど、それは都市内部へと送られた何かだった。他の大陸が動向を探る動きをしてきたのは一回や二回じゃないから、見過ごすこともできたけど、直接的な針で点を刺すような魔法の使い方に違和感を感じたの。そこで、ヒヨカ様はメルガルから帰ってきた私に、その魔法の調査を頼んだの。ヒヨカ様はヒヨカ様で、今もマルドックに連絡を入れているところよ。……何の音沙汰もないけどね」


 空音の口調は淡々と。事務的なその声は、どこか自分の気持ちを荒く撫でるようだ。


 「なんで、俺に言ってくれなかったんだよ」


 不満な俺の声。まるで、これでは子供だ。そう気づきながらも、聞いてしまう。


 「怒るかもしれないけど、しばらくは実王にはゆっくりしてほしかった。ヒヨカ様もそう望んでいるし、私もそうしたいと思ったの。……こういうことになってしまってからは遅いかもしれないけど、実王には少し休養をとってほしかったの」


 空音の声が終わるか終わらないかの時には我慢できなくなり、勢いよく立ち上がった。そのまま、むしゃくししゃとした感情のままに言葉を吐き出す。


 「――俺が休んでいる内に、誰かが傷ついたら意味ねえだろ!」


 俺の強い言葉を浴びる空音。その姿は、雨の中震える子猫のように弱々しい。その姿が見えた瞬間、俺は自分がとんでもない失敗をしたという気持ちになった。

 ごめん、それだけ小さく言う。俺は再び腰を落とした。


 「話の腰を折った。ルカのことについて、続けてくれ」


 空音は俺の言葉に頷くと言葉を続ける。

 ルカの自宅は必要最低限の生活必需品しかなかったこと、ルカは魔法の力で周辺の人間を洗脳していたこと。さらには、本当のトウドウルカは行方不明になっていること。

 空音は本当のトウドウルカのことを教えてくれた。


 「本物の東堂ルカは三年前から行方不明になっていることが分かったの。両親を亡くしたルカ本人は、マルドックに移住していた親戚を頼りにメルガルから引っ越すことになった。……しかし、それからは友人達への手紙も一切来ることもなく、行方が分からなくなった。だけど、一年前にひょっこりと帰ってきた。憶測だけど、この戻ってきたルカが私達の知っているルカね」


 頭に浮かぶのは悪魔の姿。一人の少女を暗闇に連れ込み襲う。その皮を剥ぎ、それを自分に着せて悪魔は世に出て行く。そうしたありもしないはずのおぞましい妄想が頭を通り抜けていく。

 長い沈黙、空音は腰を上げた。離れていく空音へ向けて声をかける。


 「空音、俺は分からない。お菓子を作って来てくれたルカは本物なのか。それとも、あの赤い目のルカが本物なのか。……分からない、俺はどうすればいいんだ。それにルカは自分を竜機神の乗り手だと言っていた。もし次に会った時は――」


 空音の言葉が俺の声を遮る。


 「――実王が決めて。その選択を私は応援するから。……後、明日は訓練も休みにするね。私はヒヨカ様に報告がある、実王もいろいろ考えたいこともあるだろうし……」


 そう言えば、悲しげな顔で、ごめんね、と俺に告げて空音は部屋を後にした。

 取り残された俺は、しばらくはそこから動くこともできずに、頭上の蛍光灯を見つめ続けた。頭に浮かぶのは、妹分の少女の姿。混乱した頭の中、しっかりとした考えもまとまらないままで時間は過ぎていった。




                ※



 翌日。俺の浮かない顔に気づいたクルガは、放課後遊びに誘って来た。しかし、誰かとはしゃいで気晴らしという気分でもなかった俺は、誘いを断ると一人都市を歩くことにした。

 都市を歩けば、未だに声をかけたりサインを欲しがる人間もいるが、来たばかりの頃に比べればごく僅かな人間だけだ。よほど変なところに行かない限りは騒がれることもない。

 都市をただぶらぶらと歩く時間が続く。学園帰りの学生がゲ-ムセンターやカラオケに入っていく、主婦たちはスーパーへ買出しのために駆けて行く。腕時計を何度も気にするスーツ姿の人達は、帰りのバスを待つ。車輪のない、僅かに宙を浮くバスに乗り込む人達を見れば、バス停のベンチから腰を上げる。そして、再び歩き出す。

 たくさんの人間達が俺の横を通り過ぎて行く。みんな帰宅への道を急いでいるようだった。俺もそれに習って帰ればいいのかもしれない。でも、今帰ってしまえば、俺はよくないことを考えてしまう。きっと、その先は良くない結果しか待っていない。……その先を考える。空の上、俺とルカが戦う姿をイメージしてしまう。一見、意味のないこのぶらつきが、俺にとっての救済措置だった。

 どこにっても落ち着かない俺は、自宅からも近い公園を発見する。大人が二人座れる程度の赤と青のベンチが二つ。それが僅かな距離を空けて、隣同士に設置されていた。それは座るため、それだけのベンチ。今の自分にとっては、それ以上の価値と役目があるように見えた。

 ごく短い時間、悩んだ末、赤のベンチに座る。噴水の水が大きくなったかと思えば、すぐに小さくなる。ぼんやりとその水飛沫を見ていれば、考えるというよりも心の中が落ち着いていく。考えるつもりが、その変わりいく水の変化を眺め続けた。


 「――こんにちは、実王さん」


 聞き覚えのある声。そして、今一番聞きたかった声かもしれない。


 「まさか、こんな風に会えるとは思わなかったよ」


 俺は首を声の方向へ向けた。そこにいるのは、ずっと頭の中で考えていた一人の少女、東堂ルカがそこにはいた。青のベンチから横の俺へ向けて、のん気に手を振っている。


 「私もこんな風にまた話せるとは思っていませんでした。もう少しゆっくりとお話をしたかったのですが……時間も余裕がないので、本題に入らせていただきます。……あのですね、私は、東堂ルカであって、ルカじゃない存在。そして、実王さん達と一番長く過ごした存在なんです」


 昨日と様子の違うルカ。昨日のルカが妖艶な悪魔のような雰囲気を持つとしたら、このルカは自分のよく知る妹のような彼女だ。違和感を感じ、俺はその言葉に雰囲気に対しての疑問をぶつけた。


 「どういうことなんだ……」


 ルカは切なげに笑う。


 「昨日、実王さんが会った存在が本物のルカです。でも、私はイナンナで生活している間に用意された偽者の人格、東堂ルカです。マルドックのルカがルカとして活動している間、ヒヨカ様と空音さんから身を隠す為の隠れ蓑。そのままのルカとして生活すれば、他の巫女から恩恵を受けた魔法はすぐに察知されてしまう。だから、マルドックの巫女は私という偽の人格を作り、ルカを送り込んだ。そして、東堂ルカは生まれた」


 「おい、それって……。じゃあ、俺が今まで話をしていたルカは……ルカは……」


 そこから先を言うことはできず、俺はルカから視線を逸らした。

 その表情を見たルカは優しげに笑う。


 「本当に優しいですよ、実王さん。……今話している私は、偽者。それは間違いないんです。このイナンナに住んでいた東堂ルカの人格のコピー。本物の東堂ルカはマルドックに移住した半年後に病死しています。他人の人格、他人の居場所、偽者の体。……私には何一つ本当のものなんてない。今思い返してみると、お菓子を作った時も存在しない母に一人で喋っていたんです。家族なんて誰も居ないのに、何もない空間へ向けてお菓子の味見をさせてみたり……。私って本当に惨めですよね」


 苦しげなルカの声、俺は再びルカの方を見る。

 ルカはただ辛そうに、胸元を掴んで地面を見ていた。


 「それでも……俺達の知っているルカは、今のルカだ。それは本当のルカと言えるんじゃないのか」


 ルカはゆっくりと首を横に振った。


 「違いますよ……。今の私が偽者なんです。酷く不細工な作りものなんですよ。今の私も本当のルカの監視をくぐり抜けて、今ここにいるんです。昨日、私の人格を半分利用した時に少しだけ、ほころびができたみたいなんです。それが理由で、私が全部偽者だということも知ってしまったんですけどね。……彼女が眠っている今、どうしても……私、実王さんに会いたくなったんです。本当に見つけられて良かったです」


 心の底から嬉しそうにルカは目を細めた。その笑顔は間違いなく偽者なんかではない、本物の笑顔だった。弾ける水飛沫を受けるその顔は、よく知っている少女のものだった。

 ルカはそのまま言葉を続けた。


 「私、実王さんが大好きです。本当の東堂ルカにあった竜機神の乗り手に憧れる部分が反応しただけかもしれません。私が実王さんに近づくために、仕組まれた感情だったのかもしれないです。……でも、私は確かに実王さんを好きだったんです。あの日、メルガルの人たちに襲われたのは本当の偶然だったんです。その偶然があったからこそ、私は実王さんを好きになれた。……偶然て一番信用できる言葉なんだって、しみじみ思いますよ。だから――」


 ルカはベンチから腰を上げる。そして、俺の前に立つと微笑みかけた。


 「――私を殺してください」


 そう言えば、ルカの体は少しずつ透明になっていく。その後ろの噴水が見えて来る。


 「ルカ! 何を言っているんだよ!」


 俺はルカの肩を掴む。その感触にホッとする。まだ触れる、ここに温もりがある。温かいその両肩は、そこに彼女がいることを証明している。


 「私にも多少魔法が使えるみたいなので、この力を使って今は姿を消します。……もし今度会うとしたら、そこはきっと戦場です。その時は容赦なく、私を壊してください。きっと、マルドックとイナンナの戦争はもうすぐ始まります。その時、東堂ルカはきっと戦場に現れます。私は誰も傷つけたくないです。だから……倒して、私達を」


 少しずつ、掴まえていた体の面積が小さくなる。ルカの実体が薄くなる。


 「嫌だ、俺はルカを絶対に助ける。待っといてくれ、絶対にルカを助け出すから。絶対に」


 力の限り、強く強くルカの肩を掴む。そっとルカは俺の胸元に顔を寄せた。


 「……実王さん、さようなら」


 俺の心の中に溶け込むようにルカは囁いた。そして、俺の前から姿を消した。

 一度掴んだのに消えてしまった感触を何度も手の中で思い出す。手を開いては閉じ、開いては閉じる。もうルカはいない。だけど、短い時間で掴んだ彼女は確かにここに存在していた。

 俺は空を見上げる。空は暗く、星が都市を照らす。

 もう迷いはなくなっていた。自分が何をするか、が決まった以上は、後は突っ走るだけだ。


 「――ルカ、待っとけよ」


 夜空へ向けてそう呟けば、一筋の星が空を流れた。

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