第九章 第三話 救世主のスクールライフ
学園を出た俺達は、学園近くのカラオケへとやってきた。ポイントカードを店員に渡すクルガの姿を見て、その後ろに続く。まさかまさかと思いならが、いくつもの扉が隣接する細い通路を進む。そして、一つの部屋へと入るのだが、やはりその薄暗い空間はどこからどう見ても自分の世界でもよく見たカラオケボックスだ。ちなみに、座席の位置も大きなテーブルを囲むようにソファが並ぶ自分の世界でもオーソドックスな形になっている。
異世界のカラオケというのだから、謎の獣が奏でる音楽に身を任せて歌い踊るぐらいの想像はしていた。普通すぎることに驚く。
液晶の機械に検索のための番号や文字を入力するところまで、そのままだ。入室する前に女生徒に。
「魔導書をなぞると音楽が奏でたりするのか?」
と聞いてみれば、怪訝な顔で見られたりした。それも当たり前か。自分の世界でも魔法を使ってカラオケで歌うのかと聞かれれば、それは確かに訝しくも思う。
「ほら、次はお前の番だぞ」
クルガから回ってくる電子機器。なるほど、これにお前の歌いたい曲を入れろと。
「なんだと……。お前、俺に歌えと言うのか」
隣に座るクルガは首を傾げた。
「……そうだけど、一曲二曲は歌知っているよな。もしかして――」
クルガの心配そうな顔。
「――問題ない。こういうところは久しぶりだから、ちょっと不慣れなだけだ」
「心配しちまっただろ。なんだよ、そういうことなら早く言えよ。先に歌うから、終わる時には決めとけよ」
ほっとした顔でクルガがそう言うと、先ほどまで振り付けまでして歌っていた女生徒からマイクを受け取る。アップテンポな曲が流れてくれば、歌い慣れているようで楽しげに歌い出す。友達も多くて、歌もうまい。なるほど、これが世に聞く人気者という奴か。
ふんふんと感心して聞いていれば、脇を小突くのは隣の呆れ顔の空音。
「で、どうすんのよ」
「ああ、困ったものだ」
「困った、じゃないわよ。知っている歌とかあるの?」
そう俺は知らないのだ。この世界に来てしばらく経つが、いろいろと常にドタバタした毎日を送っていた俺は、全く歌を知らないと言ってもいい。テレビのコマーシャルで流れる曲は多少耳にしているが、歌えと言われると話は別だ。よくよく考えてみれば、音楽を聞くために時間を割いたことなどなかった。
少し考えてみれば、思い当たる節がある。
「一応、あるにはあるが……。あれでいいものだろうか」
俺の心配そうな顔を見て、空音も考えるように表情を曇らせる。
「あるのならないよりマシよ。ここで歌わなくて、不審に思われるのも良くないわ。この際、歌のうまい下手は置いといて、今は何かを歌うことに専念しなさい」
「お、おう。やるだけやってみるよ。……もしかして、俺を心配してついてきてくれたのか」
一瞬、空音はきょとんと間の抜けた表情を浮かべたら、すぐに大きく首を振った。
「そ、そうよ。よ、よくわかったわね。実王一人では、失敗しないか心配だったのよ。それに実王が問題を起こせば、それは結果として大陸の問題、ヒヨカ様の問題にもなるのっ」
何故か慌てたように早口で話す空音。
空音の表情の変化を深く考えもせずに、忙しい中、俺のことを心配する空音の言葉にやんわりと感動をしてしまう。
「なんだか、じーんとするな。……ありがとよ、空音」
安心させるために大きく笑ってみせれば、空音は少し赤くなる顔を逸らした。
クルガの曲が終わる。この世界の曲は全く知らないし、今までクルガ達の歌っていた曲も何一つわからない。だけども、俺は逃げない。俺は俺の持つこの世界の知識をフルに使い、この曲に挑もう。
「こいつで、決まりだ」
曲名を入力、そして転送。クラスメイト達は、期待に満ちた視線を中央の歌詞が表示されるモニターへ向けた。
緊張。だが、こんなものレオンと戦った時に比べれば、どうということはない。そして、画面には映像付きで曲名が表示された。
「み、実王……」
空音が頭を抱えたのが見えた。クラスメイト達も開いた口が塞がらないという感じにこっちを見ている。青文字で、台詞、と書かれたところを大きく叫ぶ。
「変身! ドラゴンライダー!」
その掛け声と共に、俺は熱く男らしく歌い出す。怪人がどうこうとか、仲間のためにどうこうとか、必殺技がどうこうとか……。俺は熱く歌い続ける。
一週間に一回、休日の日。朝の九時から放送中の、変身ドラゴンライダー。俺が今熱く歌っているのは、その主題歌だ。そう、これは朝の特撮番組なのだ。幼くして両親を亡くした主人公が、突然手に入れた謎のブレスレットによりドラゴンライダーに変身するのだ。今は、ドラゴンライダーによく似た敵に追い詰められているところだ。負けるな、ドラゴンライダー。
「これが子供向けとバカにしてはいけない。最初は一匹狼を気取っていた主人公は戦いながら自分が孤独でないことを知る。仲間がいるから、愛するものがいるから戦える。生身で行うアクションも魅力の一つだが、単純なテーマの中で葛藤する主人公に非常に好感を持てる。すまない、個人的過ぎる意見だった。それでも、俺はただの特撮変身ヒーローというジャンルを超えた大きな意味を持っているんだと思う。正義の意味、人と人のつながり。こんな当たり前を問いかける作品なんだと俺は思うのですよ! この世界に住む全ての子供達へ、いや……大人になるにつれて、荒んだ心でしか物事を見れなくなった大人たちにこそ見てほしい! そう、それがドラゴンライダーなんですよ――!」
――ジャン。二分もない短い歌が終わる。気づけば、イントロの音楽で熱くなってしまった俺は、歌うどころか無我夢中でドラゴンライダーについて語ってしまっていた。
「――てへっ」
ペロっと小首を傾げて舌を出してみる俺。最後にウインクまで付けた。
「歌わないのかよ!?」
空音も深く頭を抱えていたが、一人立ち上がったクルガ以外は全て深く頭を抱えていた。
続いてまた別の音楽流れだす。
「お、誰か入れていたのか……。次は誰なんだ」
クルガが周囲を見れば、そこでは誰も反応しない。顔をひきつらせながら、未だにマイクを握る俺へと視線を向ける。
「次の曲も俺が入れました!」
俺は元気いっぱいに敬礼をしてみせれば、クルガが曲名を見る。
「熱血……ドラゴンキック……。まさか……」
たどたどしく曲名を読み上げたクルガ、恨めしげに俺へと視線を向けた。俺は元気いっぱい親指を立てた。
「次は挿入歌だぜ!」
ドラゴンライダーで検索した時に、ずっと気になっていたんだよな。
「もう好きにしなさい……」
空音のその声を聞けば、俺は強く頷いた。
かくして俺は、カラオケを満喫した。
※
陽が沈みかける時間には、クルガ達と別れ、俺と空音は途中のショッピングモールへ足を進めた。
ドーム型のショッピングセンターの中には、いくつものテナントがひしめき合っている。休日ともなれば、多くの学園の生徒達もやってくるだろう。普段は近くのスーパーなどで買い物をする空音だったが、足を伸ばしてきたことだしせっかくだから、と普段はなかなか来ないこうした大型商業施設に足を運ぶこととなった。
空音は通路にところ狭しと並ぶ服屋に見向きもせずに、食品コーナーへ向かう。ショ―ケースの中でマネキンが着ている服を指さして。
「服とか興味ないのか」
じろりと俺を見る空音。
「一応私も女だし、興味ないことはないけど……。なに、それ着てほしいの」
「いや、別にそういうわけじゃないが」
と正直に答えれば、顔を逸らして、そのまま背中を向けて歩き出す。
「どうせ買っても着る暇ないし、制服で満足してるから……いらないわ」
その背中が少しばかり寂しく見えるのは、俺の気にしすぎだろうか。俺はその背中が歩くスピードよりもゆっくりと歩き出した。
※
「定期連絡の時間だ」
イナンナの暗闇。普段は全くと言ってもいいほど人通りの少ない裏路地。空は既に茜色から夜の侵食するその暗闇へと姿を変えている。
黒いパーカーの人物は思う。暗闇は好きだ。自分が自分を出しても隠してくれる。なによりもこの全てを覆う闇が好き。闇は私を忘れさせてくれる。闇があるからこそ、人は自分というものを保てるのではないのかとすら考える。
光があるから闇がある。などとは言うが、その言葉の主役は結局のところ光だ。光が輝くことで、闇が存在できる。楽しい、嬉しい、幸せ。それが光だ。闇はそれとは反対、苦しい、悲しい、辛い、不幸。そうしたマイナス部分。でも、私はそれがたまらなく愛しく思う。最初から闇しか存在しないなら、ありもしない光を望むことなんてしない。そもそも、そんな感情する知らないなら、望むなどありえないのだ。
人がこの空の上に行くことを諦めたように、試してみて無理だと判断したなら、欲しがるような真似などしないのだから。だから、私の幸せは永遠の闇。最も落ち着く、光に触れれば焼き殺されてしまう私には最も平穏をくれる空間。
「連絡をしろ」
暗闇から聞こえる声が強い口
調になる。ソイツは、犬の姿をしていた。先程まで私にじゃれていた大きな犬。それは女の声でありながらも男以上に張りの強い声。
「……問題はない」
必要最低限だけ伝えて、背中を向ける。いつもなら、この路地を出る頃には犬は今まで通りの何もしない家畜へと戻る。私はいつものようにそれだけ告げれば、そこから背を向ける。
「――待て」
「あら、今日はお喋りでもしたいの?」
犬は笑う。
「軽口を言うか。まあいい、それでも……待てと言われ待つのなら、まだ可愛いものか」
舌打ちをして犬の方へ向けていた背中を反転。
「言いたいことがあるのなら、さっさとして。無駄口は嫌い」
鋭い言葉、黒いフードの人物が憎しみをむき出しにする。その目は、爛々と赤く射抜くように。犬は、楽しげに、こわいこわいとふざける。
「お望みどおり、用件だけ伝える。……コレだ、使う時が近いから渡しとくよ」
犬は口から何かを吐き出す。犬の顔が時に苦しそうに、それが地面に落ちる。足元に転がるそれは、竜機神が眠る指輪。淡いグレーの宝石がはめこまれている。犬の口から出たにも関わらず唾液も付いていないのは、魔法で犬を無理やり通路にさせて通したから。一瞬だけ、犬のほうを見た後に、足元の指輪を拾い上げるとポケットに押し込んだ。
「これをどうしたらいい?」
犬はまた愉快そうに笑う。
「そちらの竜機神が厄介な感じになりそうなんだ。早めに手を打っておこうと思ってね。イナンナに対しても……バルムンクとやらに対しても。後、それを私に聞かないでもらえるかい。それの使い方は君が誰よりも詳しいと思っているんだ。使うべき時がくれば、また教えるよ。……ではまたの連絡の時にお会いしましょう」
芝居のかかった喋り方をした犬は犬とは思えない笑顔を見せた。笑顔と言っていいものではないかもしれない。おぞましく両方の口角が限界まで上がる。それは悪魔のようだ、というのが正しいだろう。
わん、と大きな犬は尻尾を振って駆け寄ってくる。目元が少し濡れている。もしかしたら、魔法を使うための道具にされたり無茶な顔をさせられたせいで苦しくなったのかもしれない。
「……一緒だな」
黒いフードの人物は悲しげに言えば、その犬の頭を撫でた。