第九章 第一話 救世主のスクールライフ
「――実王。ご飯できたよー」
鞄に筆記用具やノートを入れながら、おう、とその声に返事を返す。声を聞いた後、そのまま部屋の前を通り過ぎる足音。
朝が来た。袖を通すのは制服。いつも着ている制服だが、今日は特別だ。高等部普通教育科二年二組で……俺がイナンナの学園に通うことになる。
当初は学園に通わせる予定だったのだが、イナンナとメルガルの騒動でそれが延び延びになっていたのだ。いろいろと大変なことばかりだったが、この世界に来てから二ヶ月、本当の意味でこの世界で生きることとなる。
メルガルのクーデター騒ぎからしばらく経つ。レヴィもレオンも大陸のために頑張っているようだ。ドレイクを破壊した後に大陸の新兵器を壊したのだから、多少の何かお咎めでもあるのかと思っていた。しかし、それとは反対にレヴィが何度も頭を下げて謝り、レオンもひたすらに頭を垂れていた。
メルガルをより良い大陸にすることを誓った二人は、もう同じことを繰り返さないように日々過激派との交渉を行っている。今の二人の未来は困難だが、きっと明るいものだろう。……レヴィから俺へ向けての求婚もしばらくはお休みするようだ。
洗面台で髪を整えれば、気合を入れて頬を叩く。
「よし、行くか」
今日も朝の空気が気持ち良い。朝食の匂いの流れてくる方向へ歩き出した。
※
ざわめく教室、廊下に立っていると聞こえるその声に鼓動が早くなる。担任を務める大滝先生は壮年の温和そうな細身の男性で、腰の低さから好感を感じさせた。
木の格子窓がカタカタと揺れる。教室側から廊下が見えるようになっている格子の窓からは廊下側の生徒の動きも見える。興味深そうに窓に何度も触れては離す生徒達。子供の時からほとんど変わらずにいた周囲の人間達の中に飛び込んでくる一つの変化。それが、世界的な有名人の竜機神の乗り手。
自分を凄い存在だと言うつもりはないが、それでも自分の影響力は嫌でも知っている。どうなるかは分からないが、もう行ってみてから考えるしかない。
何度も深呼吸をしていると、先生の呼ぶ声が聞こえた。俺はゆっくりと歩き出す。閉まっている扉に手をかけ、扉をゆっくりとスライドさせれば教室に足を踏みこんだ。
――うおおおおおお。俺が最初に聞いた言葉を文字で表すならこんな感じだろうか。ほぼ全員が一斉に俺へ向けて歓声を上げている。机の上で両手を合わせて念仏を唱えている奴もいれば、サイン色紙を座ったままで掲げる奴もいる。さらには、一部の女子は感動して涙を流す奴もいる始末だ。……俺は某有名事務所のアイドルかよ。
「……静かに」
大滝先生の一声に教室は静まり返る。……思ってた以上にこの先生は凄い人なのかもしれん。
教室を改めて見回せば、窓際の列の角にその人を見つけた。同じクラスの空音だ。俺と目が合えば、一瞬驚いたように目を丸くする。助けを求める俺に対して、自分で頑張れと空音は顎をしゃくって見せる。
俺はおそるおそる言葉を発する。
「え、えと、みんな知っているかもしれないけど、俺はここで竜機神の乗り手をしてる雛型実王て言います。……あまり自己紹介とか慣れてないんで、何て言えばいいか分からないけど、分からないことばかりなんで……いろいろと教えてもらえたら助かります。これから、よろしくお願いします」
少したどたどしいかもしれなかったが、最後に頭を深く下げた。
ぱち、ぱちぱちぱち、と誰か一人の起こした拍手をきっかけに拍手が巻き起こる。前に聞いたものに比べれば、とても小さな拍手。それでも、メルガルに宣戦布告をしたあの時よりもこの世界を身近に感じる。
空音は窓際の一番後ろだったが、俺の席はその隣の列の先頭になった。着席した後に後ろの席の男子生徒に声をかけられた。
「俺の名前はクルガ。席も近いし、一応俺もお前のファンなんだぜ。だけど、クラスメイトとなったら堅苦しい挨拶もなしだな。……雛型、これからよろしくな」
こそこそ話で声をかけるクルガ。浅黒い肌に黒髪、口元から覗く白い歯は、その体格の良さも相まってとても逞しく見えた。
実王、名前で呼ばれることに俺は嬉しくなる。救世主だとか乗り手だとか関係なく、同じクラスメイトとして俺と接してくれる。こういう男を増やしていけば、これからの学園生活はうまくいきそうな気がしてきた。
※
「はぁ……」
放課後の鐘が鳴る。俺はこっそりとため息をついた。
授業は元の世界で習ったいたものと似たり寄ったりでなんとかなりそうだった。しかし、そのなんとかも努力が必要そうだ。字が微妙に違ったり、数学の計算式も独自のものがあったりするのでそれが苦労しそうだ。歴史はもちろん、科学にしてもだ。科学はドラゴンコアを使うことが前提条件となるので、大雑把なことしか知らない俺は今から大変だ。……一応、過去に事故で両親を無くしたことがきっかけでところどころ記憶喪失になっているという設定になっている。周りも気を使って家族のことを聞かないのが唯一の救いか。
大変なこともそれだけではない、ホームルームが終われば質問攻めに合い、教室の外には多くの生徒達が物珍しそうに窓や扉の隙間からこちらを観察。食堂、トイレ、移動教室のその時まで浴びる視線のおかげで、動物園のパンダの気分だ。
このイナンナという大陸にも多くの土地があり町や村もある。漢字の名前があれば横文字の名前もあるように、様々な習慣や肌の色も違う人間達がこの学園都市に集結している。ルカのように学園都市に両親が居てその都市に住んでいるものも通っている。なにせ、この大陸唯一の学園なのだ。
そうした中で、本当に困ったことそれは、出身地を聞かれたことだ。
実のところ、この大陸で俺が異世界から来たことを知っているのはごく一部の人間だけ。もしも異世界から来たことがばれるようなことがあれば、イナンナ以外の人間に竜機神を託したヒヨカの立場を厳しくする恐れがある。それこそ、メルガルの時のようなクーデターだって起きる可能性があるらしい。そこで、ヒヨカから教えてもらった回避方法がある。
その回避方法とは、まず誰かに出身地を聞かれたとしよう。憂いの帯びた瞳で視線を逸らし、しばらく間隔を置いて何かを思い出したように鼻で笑う俺。
――……聞かないでくれ、俺の過去は楽しいものじゃない。
そう言えば、多くの人は聞かないそうだ。本日、俺は何度か実践してみたが、みんな複雑そうな顔をするだけだった。……そう俺は過去に影を持つ設定。て、設定? に痛い言葉?
「……て、これただの中二じゃねえか!?」
俺は握った両方の拳で机をドンと叩いて立ち上がる。……ヒヨカ、俺で遊んでいるだけだよね!? これ、絶対に!
「――うおわ!? いきなりなんだよ!」
大きな動きで驚いて見せるのはクルガ。手に持った鞄を見るに今から帰るところのようだ。
「どうした、心の友よ」
「進展早いな、おい」
苦笑を浮かべるクルガ。
「嘘だ、俺とお前は友達以上恋人未満の関係だしな」
「それ、すげえ嫌な立ち位置だな……」
本気で嫌そうな顔をするクルガに内心傷つきながら、言葉を返す。
「まあ冗談は置いといて、俺に何か用か」
「いちいち、めんどくさい奴だな。……せっかくだから、みんなでお前の歓迎会でもしようかと思ってな」
少しもめんどくさそうに言わないクルガは実にいい奴だ。親指を教室の扉に向ければ、そこで六人の男女。男三、女三のよくできた比率だ。
「……乱痴気パーティーでも開くのか?」
「カンゲイカイて言ったぞ、お、れ、は。ちゃんとみんないい奴ばかりだから、お前のこともきっと良くしてくれるぞ」
友達の輪の中心にいつも居そうなクルガがそう言えば、間違いはないのだろう。
「すまんな、あまりこういうのには慣れてなくてな」
「雛型、お前……」
悲しげもあり優しくもあるその視線を向けるクルガ。
悪いが、クルガ。お前の思っていることとは違うぞ。単純に俺に友達が少なかっただけだ。……とは言えないので、また視線を逸らす。
「――聞かないでくれ、俺の過去は楽しいものじゃない」
息を呑むクルガ。本当にいい奴だと確定した瞬間だった。ナチュラル良い奴だ。
「い、行こうぜ! お前のこと放っておけねえよ。もっとみんなと仲良くなって学園生活楽しもうぜ」
ああ、本当に良い奴だ。と思いながら、俺は席を立つ。
「そこまで言ってくれるなら、俺も断ることはできないな。……どこに行くかは知らんが、遊びに行くか」
自然に笑顔を浮かべ、俺は席を立つ。そんな俺とクルガの前に立つ影が一人。
「――待って」
「か、かがりゅびゅしゃん!?」
何故か声が声が裏返るクルガ。その外見でそういうのはやめろ。
声の方向に視線を向ければ、空音が不満そうな顔で立っている。
「今日は訓練休みじゃなかったのか? ……ああ、帰る時間なら、遅くならないようにするよ」
「違うわ」
「帰る道なら他の人に聞いて帰るよ。近くまで来たら、俺でも分かるし。最近は俺が歩いていても、声をかけられることも少なくなったしな」
「そういうことじゃない」
相変わらずふてくされたように空音は言う。
巫女の側近として名前の知られている空音が、この会話に参加したせいか先程の六人は真面目な顔でこちらを見ている。
「じゃあ、なんなんだ。あれでもない、これでもない。それとも……俺達と一緒に遊びたいのか」
「そうよ」
「て、お前がそんなわけな……えぇ!?」
そんなの当たり前だという感じに即答した空音。
「うえぇ!?」
昔の喜劇王のように驚いて尻餅をつくクルガ。
「そんなに、驚くことなのか」
俺は不思議そうにクルガを見る。
クルガは何度も頭をコクコクと力いっぱい頷く。
「あ、当たり前だろ! お前は一緒に住んでいるから気づかないかもしれないが、篝火さんはその美貌や心優しい性格も含めて、このクラス……いやこの学園のアイドルなんだよ!」
大きく腕を振り回して、クルガは熱弁する。まず、お前はその落ちた腰に力を入れろよ。
「すんげえ人気だな、空音」
「……一部の人が勝手に持ち上げるだけよ」
他の人から見れば無表情に見えるかもしれないが、いつも近くで見ている俺には少し照れているのが分かった。
「じゃあ、一緒に行くか。――おーい、他のみんなも空音が一緒でいいか?」
空音が小さく頷いたことを確認後、他の六人にそう声をかければ、クルガのように強く何度も頷く。
こういうオーバーなリアクションを見ていると考える。空音はクラスの人間とは一緒に遊んだりはしないのだろうか。空音に向けられる視線は俺とよく似た好奇心と憧れ。少なくとも、クラスメイトに向けられるものではない。だけど、それでもこの人気だ。ここにいる奴らは、俺の知らない空音の良いところを知っているんだな。そう思えば、なんとなく胸の中がモヤっとした。
相変わらず、尻餅をつくのクルガの腕を掴んで立たせる。
「おい、空音も一緒に行くから早く行くぞ」
「――ひえぇ!?」
「――もうそれはいい!」
どうやら腰の抜けたらしいクルガの腕を掴んで、ずるずると引っ張るように教室の扉へ向かう。まさか、普段体を鍛えているのがこんな風に役立つとは思わなかった。
ふと背後を見れば、少し遅れるようにして歩き出す空音。その表情はどこか緊張しているように見えた。