第八章 第六話 共に歩むということ
バルムンクから光の粒が溢れ、次々に光は色を変えて、その色に合わせて機体そのものの色も変化していく。青、赤、緑、黄色、紫、黒、虹色。様々な色がバルムンクを染め上げる。
その光はいくつもの糸を作り上げる。無数に出来た光の糸は真っ直ぐに空へ伸びると、ドレイクの外へと溢れ出す。光の糸が絡み合うように折り重なれば、それが紡ぎ合わさると、空へ伸びる光の柱が出来上がる。
無数に変化していた機体の色は白い。目に焼き付けるような強烈な白さ。真っ直ぐに天へと伸びた光は、バルムンクの中へと吸収される。そして、ゆっくりとバルムンクは腰を上げた。
白い、そのバルムンクは傷だらけであり腕も一本。頭上へと顔を向ければ、既に球体の準備が完成しつつある。発射までごく僅かな時間、放たれるまでの猶予はない。
異質なその竜機神の乗り手、雛型実王は虚ろな目で呪文を紡ぐ。
「我が名は竜として神と呼ばれる誇り高き獣。己が神の為、己が意味の為。刃先に救済の余地なし、されど色めく毒を掻き乱さん。名前に意味はなし、境界に意味などなし。手先で手繰るのは最果ての隙間、我を神と呼ぶならば、その最果てすら毒を塗り込む余韻。――境界を壊し、最果てからやってくる滅びの福音」
淡々と出てくるその言葉は実王の口から出るもの。しかし、それは低く鋭い声。殺気などはない、だがその声の雰囲気は人が出せない威圧感を抱えている。常人には出せるわけはない。それはまるで竜の咆哮の聞いている人間を震わせるような人の体を借りた声。
バルムンクはその刀を真上に掲げた。刃が少しずつ光を帯びる。人を傷つけるための刃すらも全ての穢れを浄化するための熾烈な輝き。
「聞け。――これぞ真の竜殺し、ヴァルハラ」
刀を振り下ろした。その刃先をなぞるように光の刃が出現、刃が天へと真っ直ぐに空へと向かう。上へと向かうことで、その刃が徐々に大きくなっていく。
巨大な刃はまずミニドレイクを吹き飛ばし、バルムンクの落ちてきた穴を吹き飛ばす。そのまま勢いは衰えることもなく、実体化した直後の砲撃用の玉を半分に。そのまま砲台に裂け目を入れながら、光の刃は空へと昇る。
ぱっくりと切り開いた砲台。そこで終わりではない。舞い踊るように刀を持った手で一回転。光の衝撃波がバルムンクの居たドレイクの底を吹き飛ばす。突如、竜巻に襲われたかのように周囲のゲイルリングは紙切れのように空に舞い、ドレイクの破片達は光の中に飲み込まれるとそのまま塵も残さず消滅をした。
そこに残るのは僅かな骨組みのみとなったドレイク。その中でだらりと刀を地面に向け立ち続ける白きバルムンクのみとなった。
空は赤く、既に陽が沈もうとしていた。機体を夕日の色に染め、そこでやっとバルムンクは元通りの色を取り戻す。規格外の獣が目を閉じる頃、そこで彼も目を覚ます。
「俺は……」
雛型実王が目覚めた。
※
さっきのは一体なんだったんだ。竜の声が聞こえたかと思ったら、いきなり世界が暗くなった。そのまま俺が何をしたかは分かるんだ。だけど、そのしている間の自分がまるで誰かに操られているようだった。それでも、俺が望んでいることをしようといていた。誰かが力を貸してくれていたように……。
頭痛がする。痛む頭を撫でながら、先ほどのことを考える。自分が確かにやったことなのだが、やったという実感がない。本当に操り人形にでもなったような気分だ。
「まさか、お前が……」
バルムンクの操縦席を見回す。まさかお前が俺の体を借りて……なんてことも考えたが、そう考えたからといって答えの出るものではないともはっきりと分かった。だけど、今はもういい。……帰ろう、イナンナに。
「あれ?」
何か遠くから声が聞こえた。
『――お……!』
「……お?」
一体誰だ、遠くから誰かが大きな声で叫んでいる。周囲を見渡す。バルムンクはうまく動きそうにもないが、首ぐらいは動きそうだ。この声の主はどこにいるのだろうか。地面か、それとも地上。いや、空か。
夕日の中に点が一つ。それは次第に大きくなっていく。
分かっている。これが誰かも、ここでこういう風に叫んでくるのは一人しかいないだろう。これでもまだ敵が来るというなら、もうどうしようもない。
『――み……お……!』
少しずつはっきりとしてきた。
「み、お」
その言葉をそっと口にする。
自分の名前が好きだからではない。呼ばれるということがとても愛しく思った。そして、その名前を呼んで来れる存在が心を満たしていく。
恋などしたことはないが、少しだけ誰かに対して焦がれるような気持ち。切ないまでに会いたいと思う心。両親に会いたいのか、それとも元の世界の友達か。そうじゃない、ただ呼んでくれるあの子に会いたい。
遠くに居た一つの点は、すぐ頭の上までやってくる。俺は指輪に念じる。
「戻れ、バルムンク」
光の粒子が指輪の中に入っていけば、そこに立つのは自分一人のみ。頭の上にいた一体の竜機人ノートゥングの乗り手も竜機人を指輪の中に戻しながら落ちてくる。光の粒と一緒に空から落ちてくる彼女は、まるで天使のようで。
「――実王!」
自分に向けて真っ直ぐに飛び込んでくる空音を抱きとめた。自分でも随分と大胆な行動だと思ったが、落ちてくる彼女を抱きとめるのが最良にも思えた。それに、今は素直なままにとても抱きしめたいと思った。
「バカ……。心配させないでよっ」
胸の中で空音の声が震えている。泣いているのだろう。その涙の滴たちが流れていくのを見て、不謹慎だが満たされる気持ちになる。
「心配してくれたのか。てっきり、ぶたれるかと思った」
苦笑を浮かべてそう答えれば、胸を両手でドンドンと空音が叩く。痛くはない。こんなことを言っては笑われるかもしれないが、その胸から感じる振動も心地よいものだった。
「私をなんだと思ってるのよっ。死んだらどうすんのよ、バカ実王。もう一人で走っていかないで……置いてけぼりにされるのは……嫌なの」
少しずつ小さくなるその声。それは、今まで大きく見えてきた空音の姿が小さく一人の少女に見えるようになった瞬間だった。
大丈夫、とは言えない。俺にはその言葉はまだ言えなかった。この世界の住人でもなく半人前の俺には。だけど、そんな俺でも言える言葉があった。
少し体を離せば、空音の顔が見える。頬も赤く、目を腫らしたその涙を指先で拭う。
「俺の目の前に、空音がいる。まだイナンナには帰ってないけどさ、俺にとってはそれだけで居場所みたいなもんなんだ。今、そう思うよ。だからさ……――」
おはよう、おやすみ、いただきます、ごちそうさま……。前に空音が挨拶を義務付けた時の言葉を思い出す。
――戦っていけば実王は体も心も傷つく。だから、どこかで別に心の置き場を作っておく必要があるの。……私のためにもね。それを認識するために、この家では挨拶を絶対とします。言葉を交わすことで、心の置き場で心を休ませるために。一度、心をやり直させるために。人にはそういう場所が必要なのよ。――恥ずかしいことだと馬鹿にされてもいい、だけど毎日誰かと言葉を交わすっていうのは実王が思ってる以上に……凄く神秘的なの。
その時はまだケンカをすることが多く、空音が毒を吐く顔や怒って眉を吊り上げる表情を見ることばかりだった。しかし、その時の空音の顔はどこか必死でもあり夢でも見るようだった。そんな一瞬の幼い子供のような表情が、俺を素直に従わせていたのかもしれない。……俺でも、今なら空音の神秘的の言葉の意味が少しだけ分かる気がする。
言おう。今の俺が君に告げる最も相応しい言葉を。
「――ただいま、空音」
空音は驚いたように顔を上げる。
精一杯の笑顔を空音へ向ける。体の疲労のせいか少し引きつっているかもしれないが、それは勘弁してほしいと思う。
空音の目に溜まる涙が再び流れ出す。そのまま、上げた顔を俺の胸に再び埋める。
「――ほんと、恥ずかしい奴。……おかえり、実王」
涙で湿る胸元に誰かに想われることで満たされる気持ちの中、沈んでいく夕日を眺めた。既に、空には星が輝き出している。
どうやって俺はドレイクを破壊できたのかは分からない。だけど、今はまだ考えたくない。自分の側にあるこの温もりに触れていたい。空音の肩に置いていた手に僅かに力を入れた。その華奢を優しく引き寄せる。
今はただ、自分の大切な居場所に浸っていたい。罪も背負う、逃げることもしない、さっきの未知の力についても考えていく。だけど、今はただ、今はまだこのままで……。