第八章 第四話 共に歩むということ
紫のゲイルリングの刃を受けたバルムンクはそれを撥ね退ける。
『お前、イナンナの……』
男の苛立ちが伝わるような低い声。
この男をここまで走らせるきっかけになった存在が目の前に居るのだ。腹が立っても仕方のないことかもしれない。だが、それでも俺はもう逃げない。
「そうだ、俺はイナンナの竜機神の乗り手だ」
遠距離から見ていた時よりも少なくなっているゲイルリング達からさざめくような話し声が聞こえる。俺の出現はあちらにしてみれば余程の想定外だったのだろう。
レオンが半分以上撃墜していたことで、バルムンクのスピードなら容易くブルドガングの元まで辿り着けた。俺を追いかけるためにノートゥングに搭乗してきた空音が俺の背後に着く。
『本当にやる気なの?』
空音の心配そうな声。
「ああ、俺はやる。何が何でもコイツを止める」
『どれだけ説得しても止められない人間もいるの。それでも、やるの』
こっちへ向かう時も幾度となく空音に問いかけられたことだ。俺はそれを煩わしいとは思わない。その言葉は、空音の俺を思う気持ちだ。だが、ここで逃げたら俺は一生後悔すると思う。
強くはっきりとした声で返事をする。
「もしも止められないなら、ここで俺がコイツを倒す。例え命を奪うことになったとしてもだ……。だけど、俺はそのための努力は惜しまない。ギリギリのその瞬間まで、ここにいる全ての人間の命を諦めない」
はぁ、と。空音のため息が聞こえた。
『ほんっと、世話のかかる奴。一度決めたことは絶対に投げ出さないでよね』
「おう!」
その時、目の前を影が覆う。紫のゲイルリングが両手に握った大剣を頭の上に持ち上げているところだった。
『ごちゃごちゃと何を喋っている!』
「……あっぶねえ」
寸前のところでその一撃を回避する。踏み込みが早い、戦闘に慣れている人間だ。一人、格が違う。
『他の大陸にまで口出しをして、何がしたいというのだお前は!』
男は再び大きく接近。大剣のリーチなどものともしないのは自分の実力を知っているからこそ。信じているからこその大胆な一撃といえる。
バルムンクの刀で受け大剣の一撃を殺しつつ、背後へと距離を空ける。
「こんな戦いを止めたいだけだ。お前こそ、何がしたいんだ。たくさんの人を傷つけてまで……!」
男のドスの利いた強い言葉。
『お前もやはり子供だな。俺達の覚悟を常識で計ろうとする。子供、小僧、愚か者だ! このままではメルガルは腐ってしまう。軟弱なメルガルに未来はない。強く誇り高いメルガルこそが、この世界を作るといってもいいだろう』
その言葉に腹の底から煮えるような熱を感じる。それは、突然湧き出した怒り。
俺はその怒りのままに男を否定する。
「――間違っている。みんなが本当にそんなことを思っているわけないだろ! 誰も殺したくない、誰も傷つけたくない。きっとそう思っているんじゃないか! だからこそ、俺は……!」
手に持っていた刀を腰の鞘に戻す。そのまま、バルムンクは両手を広げる。
『何をしている。武器を使わなくても、俺を倒せるというのか。これだけの数の中で』
相手も腹を立てているのだろう。声がわなわなと震えている。
「何十体来ようとも、倒せるだろうよ。俺はお前の何倍も強いからな。……その強さを持っているからこそ、俺はお前をお前達を止める。力があるからこそ、俺はその責任を果たす」
『お前ぇ……! バカにする気か。お喋りはもういい……お前らも行け、奴を止めろ!』
男の声に我に返ったマゼンタカラーのゲイルリング達はバルムンクへと機体を走らせる。しかし、その機体達の前に立ちはだかるのは一体の竜機人ノートゥング。
『私のことも忘れないでね。バルムンクを傷つけるなら、ここは私が相手になる!』
ノートゥングは二本の剣を手に持つと右手を頭の上に、左手を真っ直ぐに突き出す戦闘態勢をとる。
作戦通り、空音が奴らを惹きつけてくれている。それほど長い時間は稼げないだろうと空音は言っていた。時間はない。空音が敵の注意を集めている間に俺が指導者を止める。必ず、空音の限界が来る前に奴は止める。
眼前の男は低く笑い声を上げた。
『いいだろう、このメルガルの地にお前を沈めてやる!』
紫のゲイルリングはまっすぐにこちらへ向けて飛び掛る。振り上げた大剣をバルムンクの両腕で交差をして受ける。
「沈むわけにはいかねえ! お前は自分勝手な理由で戦おうとしているんじゃないか。本当にこの大陸の人のことを考えて戦っているって言えるのかよ!」
『言えるとも! この大陸の人間はこの戦争で負けて、今不安に満ちている。ここで最後まで戦うからこそ不安を拭い、新たな明日へと向かうことができるのだ!』
バルムンクの腕が悲鳴を上げる。一部に亀裂が入るのが目に見えて分かった。
「誰もそんな明日を望んじゃいねえ! 俺だって戦争の意味とかよくわかんねえよ。だけど、お前のやろうとしていることは絶対に間違っている! 何で殺す、何で話し合おうとしない。命は理屈で奪っていいもんじゃねえんだ!」
そう、命は理屈で奪えるものではない。どれだけ多くの言葉で取り繕うとしても、命は命なのだ。俺はそれを身に沁みるほどに強く感じる。
『寝ぼけたことを……。戦い続けることがメルガルの誇りなのだ! お前は誇りもおかしいと言う気か』
男の大剣を握る力が緩んだ気がした。周囲でノートゥングを中心に影が揺れる。空音が機体の速度と剣捌きで敵機を翻弄しているのだろう。
「寝ぼけてねえよ! 寝ぼけているのはお前らだ。お前らは……誰かを守るために戦ってきたんじゃねえのかよ!」
『……守るために』
男の声が聞こえた。誰かに話すわけでもない、その小さな声。俺はそこに力を入れた。
交差した腕を強く持ち上げた。無理をし過ぎたバルムンクの左腕が弾け飛ぶ。しかし、紫のゲイルリングはその力を受け止めることができずに、大剣を手から離す。そのまま大剣は何度も回転しながら地面に突き刺さる。
構わない、実王は残った右腕に力を込める。強く念じる実王の心に反応するようにバルムンクは拳を握る。
「――自分たちで守りたいものを傷つけて、どうするんだよ!」
持ち上げた拳が紫のゲイルリングを頭部を揺らす。放たれた拳をまともに受けたゲイルリングはそのまま地表へ墜落した。巻き起こる砂煙、こっちの様子を窺うようにひしゃげた頭部がこっちを見ている。
紫のゲイルリングはまだ動けそうな様子だが、それでも動くことはしない。ぼんやりと俺を見ているようだった。中の操縦者も生きていると思うが、もしかしたらまた俺は……。
そんな不安を察するように声が聞こえてきた。地面に伏せるゲイルリングを操縦する男の声。
『俺は……俺達は……どうしろと言うのだ』
男の声には先ほどまでの覇気がないように思った。
気がつけば周囲の機体もぼんやりと空を舞うだけ。リーダー機が動きを止めたことで戦意を失いつつあるのだろうか。
「……俺に答えは出せない。だけど、まだ立ち上がるようなら相手になるし。また誰かを傷つけるような選択をするなら、俺は止めるだけだよ」
そう敵の操縦者に言えば、それ以上に返事はない。そのまま、紫のゲイルリングの目から灯りが消えた。その瞬間、勝敗は決した。
先ほどまで敵と追いかけっこをしていたノートゥングが隣にやってくる。装甲が剥げ、目立つことはなくてもところどころに傷が見える。
「おい、そっちは大丈夫なのか。なんかやけに静かだけど……」
確かに静かだ、全て死んだようにバルムンクとノートゥングの稼動するための僅かな音しか聞こえない。
『実王の声、こっちまで聞こえてたのよ。その声を聞いている内に、少しずつ戦う敵機が減っていって、実王がアイツをぶん殴ったところで全機が動きを止めたの』
空音は俺に囁くようにそう言う。その声には、嬉しさも悲しさもない。それでも、どこかホッとしたようにも聞こえる。
「どういうことだ……」
俺はぼんやりとそう言う。自分の呼吸は荒く、視界はおぼろげで思考が追いつかない。
『分からない? 実王の言葉が、ここにいる人間達の心を動かしたの。……きっと実王の言う通り、心のどこかで戦いたくないと思っていたのよ。たぶん彼らは誰か止めてくれる人を待っていたのよ。実王みたいに体当たりで止めるようなバカをね』
空音の声はどこか誇らしげだった。
救われるような気持ちになる。よく地面を見渡せば数十体のゲイルリングが膝を曲げて腰を下ろしていた。一部の人間は竜機人を指輪に戻している人間もいるようだ。
俺が救ったんだ。ちゃんと、俺がこの手で。これで許されるとは思わない。それでも、俺が進んだことに意味はあった。……多少なりとも気持ちが軽くなるようだった。それは喜びという名前の気持ちが心を満たしていくように、罪よりも軽く穏やかな気持ちだ。
地面に伏せるゲイルリングへとバルムンクを向ける、すぐ彼を救いに行こう。彼の口からキチンと話を聞こう。そして、レヴィに会わせよう。何も変わらなくても何かが進む。たぶん悪いようにはならない。
バルムンクは地面で横になる紫のゲイルリングへ近づいていく。
やっとこれで終わる。イナンナへ帰れるんだ。
バババッ。ダンボールを裂くような奇妙な音。何かが落ちてきて、何かが破裂した。体に感じるは熱、立ち上がるは火柱。
『あ……なんだこれあああ――!』
男の断末魔。先ほどまで地面で横になっていたゲイルリングは炎の中に消えた。塵一つ残さず、男の心さえも焼き尽くすように炎が燃え上がる。
「なんだこれ……。なんなんだよ、これ!?」
俺は八つ当たりをするように空音へと声を飛ばす。振り返れば、他のゲイルリングにも同じように炎が蛇のように絡みついている。
『そ、そんなの、私も知らないわよ!? なによ……この炎、まるで意思があるみたい……』
空から降り注ぐのは黒い鉄球のようなもの。しかし、そのどれもが狙いを定めて発射されているようだ。全てゲイルリングの足元へと落ちている。鉄球が落ちれば、すぐに破裂。そして、中からは火柱が上がると同時に機体へと覆いかぶさる。拷問のような殺戮の炎。
すぐに俺はレオンを探す。……見つけた。カプセルの中でレオンは目を見開いて、その光景を見回していた。立ち上がる炎の中をかいくぐりレオンの居るカプセルを掴むと再び空中へと上昇する。
バルムンクの背中の操縦席を開け、そこから体を出してレオンに向けて声を張り上げる。
「レオン! これは一体なんなんだ!」
苦しげに視線を落とすレオン。こちらの声は聞こえてなかったようで、もう一度強く名前を呼ぶ。
ハッとなりレオンは俺へと視線を向ける。
「……ドレイクと呼ばれている。ドラゴンコアの欠片を炎に変化させる技術を身につけたメルガルが作った兵器だ。鉄球の中に炎を閉じ込め、ただ落ちるだけでも破裂して火柱を上げることができる。さらに、発射台に込められたドラゴンコアの欠片で炎を誘導して確実に周囲の敵を炎に沈める」
これは爆弾だ。しかも、俺の住んでいた世界よりも厄介な爆発後の炎も操れる爆弾。最低の非人道的兵器だ。
淡々と話すレオンに俺は今の胸の怒りを吐き出す。
「じゃあ、その新兵器を何でここで使ってるんだよ!?」
レオンは俺の視線を受け止めるも、その表情にはレオンなりの怒りも見えた。
「恐らくだが、都市の部隊が俺達に気づいたのだろう。そこで、奴らはすぐにこの場を収拾するためにドレイクを使ったのだ。奴らから見たら、クーデーターを起こしたゲイルリングが集まっているようにしか見えなかったのかもしれない……」
冷静に話しているようにも見えるレオンだったが、その声はどこか沈んでいた。俺はその言葉に舌打ちをする。
「せっかく、これ以上誰も傷つかずに済むかもしれないのに……! なんで、こんなことになろうとしているんだ……!?」
レオンは俺の言葉に返すことができないのだろう。そのまま視線を落とした。
『実王! 私達も巻き込まれない内に早くここから撤退しましょう!』
隣に現れた空音の声。その声は焦っている様子だ。
俺はしばらくそこから動けずいた。それは俺の考えがまとまるまで僅かな時間。空音はもう一度、実王、と声をかける。
「……先に行け空音」
『どうするつもりなの、実王……』
心配する空音の声。
「俺がドレイクを止める。お前はレオンを連れて行け、そしてこのことをレヴィに知らせるんだ」
自分でもバカなことを言っているのだと分かっていた。それでも俺はそう空音へ告げる。
『……馬鹿なこと言わないで! 実王はもう十分やったの。だからもう……』
泣いているのかもしれない、今まで聞いたことのない何か堪えるような声。
「まだ終わってない、必ず戻る。……その時はビンタでも何でもしてくれ」
俺はレオンのカプセルを若干放り投げるように渡す。投げるといってもレオンのことを配慮してギリギリまで接近してほぼ手渡すような感じだが。反射神経の優れている空音はそれを咄嗟に掴む。俺はカプセルを受け取ってくれると確信していた。だからこそ、俺はその姿を見るよりも早くドレイクの発射されている方角へとバルムンクを走らせた。