第八章 第二話 共に歩むということ
「お前は相変わらずだな……。何しに来た」
空音と離れてから、それほど時間が経過してはいない。そのはずだが、俺は随分と久しぶりに空音と会った気がした。
「実王を連れ戻しに来た。だけどそっちは、ちょっと変わったみたいね。……何があったの」
俺の姿を見つめる空音はそう言う。その視線は何か意味がありそうに目を細める。
隠していてもいつかは気づかれる。すぐにそれが分かった俺は、噛み締めるように言葉を紡ぐ。
「敵の竜機人に襲われて、ただレヴィやレオンを守りたくて。でも、竜機人の制限解除機能なんて知らなくて。……それで、ただいつも戦ってたように敵を倒して……。守れた、今から頑張ろうと……そう思ってたら、気づいたら……人を殺していた」
空音は一瞬だけ息を呑む。
今思い出しても手が小刻みに震える。四つん這いのようになっている俺を支える腕に力が抜けていく。しっかりと体に力を入れて立つことが困難。こんな状況で、俺は立つことなんてできない。再び立ち上がろうと力を入れようとしても、風邪をひいて高熱を出したように力が抜けていく。
「だから、俺は……空音と一緒に行くことはできない。俺はイナンナで救世主なんてもうできないし、そんな資格はない。……こんな俺は、誰かを助けるようなことはできない。……もういいんだ、俺は元の世界に帰る。この世界に居ても意味はない。ここに居てはいけない存在なんだ」
パンッ。二人だけの世界に風船の割れるような音が響く。再び頬に向かうのは平手打ち。
二度目の痛み。しかし、今回はそれほど驚かない。叩かれて当然なのだと思った。
「――弱気にならないでよ……!」
そう叫ぶ空音の顔は涙で濡れていた。
「泣きたいのはこっちだ。……お前に俺の何が分かるんだよ。俺は人を殺しているんだ! 悪人と一緒なんだよ! それも極悪人なんだよ! 人の命を奪うクズ野郎なんだ、俺は! 戦闘もできないような人間を追いかけて、なぶり殺しにしたんだ。……俺の行いは最低なんだ」
急に熱くなるままに声を荒げる。しかし、その声を出し終わる頃には、突き落とされるように再び気持ちが冷たくなっていく。空音に当たる自分をごまかすように、俺はそのまま視線を逸らす。ふてくされた子供のように。
再びビンタの構えをとる空音は、その手をゆっくりと下ろす。
「……私には分からない。私だって、それほど多くの命のやりとりは経験していない。だけど命を懸けることの意味なら少しは分かる。……私も他人を殺して生きている一人なの」
人を殺して、その言葉に俺は鈍く反応する。視界に映るのは暗い表情の空音。その表情のままで、空音は言葉を続けた。
「神化計画のことは聞いているでしょ。あれは、ノートゥングを竜機神に強化させるための計画なの。私は、その乗り手に選ばれ喜んでと実験に参加したの。本当に嬉しかったの。昔から憧れていたヒーローになれるんだから。……でも実験は失敗。結果として、強力になり過ぎたノートゥングの力を制御することもできずに暴走。……その結果、多くの人を傷つけ六名の人間を……殺すことになった。怪我人をいれれば、その三倍にもなるの」
空音は強く唇を噛んだ。何かに耐えるように、必死に堪えるように。
そんな弱々しく震える空音の姿を俺は見続ける。
「暴走は事故と処理され、周りの人間は私は悪くないと言ってくれた。確かに、私も大怪我をしたけど、それでも命はある。だけど、私の未熟さで命を奪われた人達はもう喋ることもできない。そんな私にも、ヒヨカやイナンナの人は優しくしてくれた。冷たいことを言う人もいたけど、大勢の人が私に救いの手を伸ばしてくれた」
空音の背負っている罪が、自分のことのように重く感じる。今回の件がなければ、俺はどういう反応をしていたのだろう。それはもう分からない、俺はもう命を奪うという行為の重さを知ってしまった。
たどたどしく喋っていた空音は、しばらくの間を置くと口を開けた。その声は少し高く、僅かにはっきりとした意思の強さを感じる声。
「――だから私は、前だけを向くことにしたの。自分を正当化させたいだけのなのかもしれない、強引な言葉で罪から逃れたいのかもしれない。でもあの時にあの場所で実験に参加した彼らは信念を持っていた。自分の大陸を想い、家族を愛していた。そんな平和を守りたくてあの実験に参加していたの。……きっと命を懸ける場所に立つというのはそういうことなの。強い信念を持った人間達を殺すということは、その命を吸って背負うということ。……実王はこれからもっとたくさん戦争して人を傷つける。また人を殺すのかもしれない。……それでも、それを悪だと言わないで」
訴えかけるような空音の声。空音の想いをひしひしと感じながらも俺は言葉を返す。
「悪だろ!? 例え、殺すつもりがなかったとしても、俺は人を殺した! 同じ人間をだ!」
空音はゆっくりと首を振る。
「ええ、もちろん人殺しは良くないこと。でも、そこに善悪があるなら。実王の行ったことは善よ。誰かを守るために誰かを傷つけることを私は悪いことだとは思わない。それに、それはただの殺しじゃない。……実王は信念を持つ人間と命を奪い合った。それを忘れるというのは恥ずかしい行為よ。だからずっと覚えときなさい、お互いの信念、お互いの正義がぶつかる場所で生まれた戦いは残されることになった私達で決まるの。私も実王も失った命を悔やめるような人間じゃない、前に進むことが彼らの命の意味を作り出していくの」
戦争で戦うことの意味。大陸と大陸、人間達と人間達。大勢の人間が戦うという意味が少しだけ自分の中で変わった気がする。大きな変化ではない、それでも罪に抗う人間の言葉がとても大きく強く聞こえた。
「……俺は空音みたいに強くはなれないかもしれない。意味を見出すことはできないかもしれない」
空音は一歩、足を進めれば。情けなく頭を垂れる俺の頭を撫でた。人に頭を撫でられるというのは、久しぶりかもしれない。ビンタをしたその手で頭を撫でられるというのも不思議な話である。
「いいのよ、それで。もしもまた道に迷ったら、実王を引っぱたいてあげるから。……だから、一緒に行こう。実王は一人じゃない、私もヒヨカもルカもいる。それに実王はイナンナの住人なの、実王が戦争で負う罪はイナンナで背負うものなの」
「……その罪が、ただの自己満足でできたものだとしてもか」
空音は強く頷いた。
「ええ、それが私達のしてる戦争なの。乗り手が先頭に立って傷つく分だけ、私達が乗り手の目に見えない傷を一緒に受け止める。背負うわ。だから、立って実王。そして、また刀を握るの。辛くても苦しくても、今のまま足を止めているよりも百倍マシよ。……行こう、立てないなら手を貸してあげるから」
空音は俺へ向けて手を差し出した。目の前に差し出される白くて華奢な手は、とても頼もしく思えた。
「俺の罪は消えない……」
俺は目の前の差し出された手を握れないままに、視線を落とす。俺にこの手を握る強さも資格もない。自分の気持ちも空音の気持ちも気づきながら、俺はまだそう考え続ける。
「罪を罪のままにしていることが、一番愚かなのよ。行こう、永遠に愚かな道だとしても……実王が一人で選択することができないなら、私が実王と一緒に選択する。そして、実王と一緒に歩む。共に歩むことになる人間が、多くの人間を殺した悪魔でもいいならね」
傷だらけの心で空音は辛そうに笑った。
救世主に憧れた人間が、正義のヒーローに憧れる人間が、自分を悪魔だと言うのは矛盾していて……とても悲しいことに思えた。
例え一度でも全てを背負うと決めた俺が、今簡単に投げ出そうとしている。さらには、助けるつもりでいた人が悲しみで顔を曇らせている。口先だけの責任感で、俺はずっと戦うつもりでいた。それをここで強く感じる。
「……なあ、空音。俺の戦いに意味はあるのかな」
少し言葉が足りないかもしれない、そう口にしながら俺はそう思った。世界でも大陸も関係ない、俺の戦いに意味はあるのか。そう問いかける。
俺に手を差し出した体勢のままで空音は口を開く。
「自分で選んできた道なんでしょ。それを間違わないためにも、その意味を探しに行くのよ。さあ、実王」
俺はそこでやっと空音の手を掴む。空音の表情をそっと見れば、とても嬉しそうに頬を上げる顔が見える。
完全には回復していないが、先ほどのまでのぐちゃぐちゃとした気持ちが落ち着いている。まだ胸が苦しい、喉や肺が痛む。心もまだ酷く重い。……それでも立ち上がるのだ。
俺は弱い、力を持ったとしてもその力の扱うことすらできないほどに弱い。それでも、今の俺は一人じゃない。背負ってるものから逃げるなんて、俺はワガママな奴だ。だけど、罪は消えなくても、俺は足を止めるわけにはいかない。俺自身の為に前に進まないといけないんだ。傷だらけでも歩くことが、この罪を受け入れる方法なのだ。……そしてもう一つの理由は、イナンナの住人など関係ないぐらい、単独で助けに来た目の前の空音を信じたいと思った。
俺はまだしっかりとしていない足で立つ。
「……それじゃ、すぐに帰還の準備するから。都市には辿り着けなくても、イナンナの大陸に戻るぐらいはできるから」
空音がそう言えば、すぐに準備をしようと手を広げる。
「――待って、空音。まだ俺にはしないといけないことがある」
空音はぴたりと動きを止めると、しばらく訝しげに俺を見れば、はっとした表情を浮かべた。
「まさか、実王……」
実王は口角を歪めた。
「たぶん、そのまさかだ。前に俺は俺のやりたいことをするって言ったよな。……だから、俺は俺のやりたいことをする。それが俺の俺なりの前進するってことだと思うんだ」
俺は俺のままで歩み、ここに来た時と変わらないままで戦う。例え、それが茨の道だとしても選ぶんだ。目の前で傷つけられる人を見たくない、それだけの理由のために俺は俺のやりたいことをする。
呪文のように気合のように心の中で呟く、大きく深呼吸。そして、右手を高く掲げる。バルムンクの指輪が輝く。
「――来い、バルムンク!」