第七章 第三話 選択の代償 メルガルの影
レオンは酷く焦りを感じていた。
空中で棍棒をぶつけ合わせるゲイルリング。マゼンタのゲイルリングが敵機、鉛色の同種の機体が味方。その強烈な色は大陸を襲う火の玉のようにも見える。
前々から活発になりつつあった過激派が非常に良くない形で主張を始めたのだ。
実王とレヴィを送り届け、決して離れすぎない距離で自分の抱える近衛隊の訓練をしていた。小隊の人間は事情を知っており、その訓練の時間をレヴィが視察するという大義名分で都市を離れていたが、そこを狙われたようだ。
小隊の人間たちは信用できる者で集めてはいる。きっと彼らから漏れるようなことはない。しかし、どこかで内通者がいたはずなのだ。それは間違いないだろう。都市で事を起こすには、都市中の人間と敵対しないといけなくなるが、ここでならどれだけ多くてもこの近衛隊のみの敵で十分だ。
突然の敵機の出現に十機いた内の一機が突然の襲撃に撃墜された。混乱する兵士達を落ち着かせながら体制を立て直す時には、既にこちらの近衛隊は残り六機となっている。撃破された近衛隊員達には、戦争準備の時にあらゆるところへ作られたシェルターへの避難を指示している。しかし、信念があるとは言っても、奴らはテロリストだ。脱出カプセルから逃げ出した後に、無防備になったところを攻撃されれば一緒だ。彼らがそれぐらいのモラルを持っていることを祈る。
だが、ここまで戦闘経験や覚悟の差が出るとは思わなかった。こちらが学生で固められているのとは違い、時々聞こえてくる敵機の声は明らかにこちらより年齢が上だ。これは、イナンナと同盟以降に活発に行動を開始した過激派グループかもしれない。
確かあのグループは前回のメルガルとイナンナの戦争に参加した人間たちで固められており、年齢層も高いが実践の経験も多く持っていたはずだ。そのためなのか、今俺を含めた七機を囲んでいるのは、倍以上の三十機ほどの敵のゲイルリング。これでもかなり減らしたのだが、まだ後から本隊も控えているようだ。どうやら、この戦いは奴らの総力戦なのかもしれない。それとも、これはさらに大きなクーデターの序章なのか。どちらにしても、新たな道を歩く俺が最初に殺さないといけないものらしい。
ブルドガングを走らせる。
「それが同じ大陸の住人とは、皮肉なものだな!」
猛スピードで敵のゲイルリング達の中を通る。そして、背後でコンマでズレる爆発が五つ。せめてアンドラスモードが発動可能なら、まだ状況も違うだろうが、実王との戦いでしばらく使えそうもない。そうしたハンデがあったとしても、俺の体力が続く限りは何十機来ようが負ける気はしない。しかし、今は状況が悪すぎる。
敵、三機が隊列から離れた仲間の一機に迫る。すぐさま、そちらの方向へ急行させると右手の剣ファルクスで大きく右に振り一機、その勢いのままに体を回転させて二機撃破。あっという間に目の前の敵を燃え盛る鉄屑に変える。
「大丈夫か!」
俺は助けた一機の隣に立つと声をかけた。
『レオン様!? 俺なんかのために……す、すいません。俺のことなんて見捨ててくれればよかったのに……』
驚きの声。当たり前か、と俺は笑みを浮かべた。一昔前の俺は、脱出装置の存在も含めて、ここで助けるような真似はしなかった。俺の中では、消耗品としてしか部下を見ることはなかった。歩む道を変えた俺は、もう違う。
「お前もこのメルガルの仲間だ。一緒に、ここを切り抜けるぞ」
『は……はい!』
嬉しそうな声。その声は、俺に助けることへの喜びをくれる。
「さっさとコイツらを倒して、レヴィ様を迎えに行くぞ!」
実王も一緒にいるから大丈夫だとは思う。アイツを守るという約束が果たせなかったのは非常に悔しい出来事ではあるが、それでも実王を頼らないといけない。誰かと歩むことが悪とはもう思わない。共に生きる、という言葉の意味を知った以上は。
するとまた別の一機が敵の襲われている。一機を四機が囲む。再び、ブルドガングで接近し、移動しながら回転斬りを放ち三機、逃げようとした一機をすぐさまに切り壊す。僅かな時間、鮮やかな手際で四機を撃破した。
『……すいません』
気弱な声。明らかな疲れを感じる。
「仕方がない。今回はただの戦闘ではないからな。……コイツらは――」
『レオン様!』
慌てた部下の声。意識が逸れたその一瞬をやられた。俺の背後で棍棒を振り上げるのは、敵のゲイルリング。その一撃が今まさに俺を襲おうとしている。奴よりも早く切り裂くか。いや、味方の機体が近すぎる。このまま腕を振れば、味方も巻き込んでしまう。逃げるか、いや逃げるにしては敵機にも味方にも近すぎる。受け止めるしかないのか……!
迫る、棍棒。
『……レオン!』
その棍棒を握る腕が空を舞う。敵機には腕はなく、腕のなくなった敵に突然出現した竜機神が刀を持たない左の拳を叩き込んでいた。敵は、火花を散らしながらも地面に落ちていく。
「まさか、お前にこうして助けられる日が来るとはな」
新たな道は予期せぬ光景を作り出すのだろう。
俺を守るように、颯爽と現れたのはバルムンクだった。
※
「怪我はないのか、レオン」
『安心しろ。竜機人の攻撃を数発受けようが、簡単に壊れるようなものには乗っていない』
それがどうした、という感じにレオンは返事を返す。
『それよりも、レヴィはどうした』
「ああ、ここに来る途中でシェルターに向かっている奴がいたんでな。ソイツも連れてシェルターまで送ってきた。だから、大丈夫だと思う」
レヴィのことは心配だったが、この状況ではレヴィの側で事が終わるのを待っているだけなんて我慢ならない。
しばらくして、レオンのため息。
『思う、では困るんだがな……。とりあえず、それはいい。お前は早くここから離れろ』
俺はその言葉に驚きの声を漏らす。
「何を言ってるんだよ、レオン!? こんな状況を放っておくことなんてできるかよ」
『お前が敵にしようとしている人間達がどんな奴らか知っているのか』
妙に重い口調。ブルドガングに搭乗するレオンの声しか聞こえないのだが、操縦席の中でこちらを睨むレオンの姿が横切った。
「……相手はメルガルの人間だとしても、俺はこの状況を放ってはおけない」
レオンは俺に対して、自国の戦争以外で戦うことに不安のようなものを感じているのだろうか。もしかしたら、大きな問題に発展するかもしれないが、こういう時に助けることが同盟というものだと俺は勝手に考えていた。しかし、レオンは俺の言葉を、強い口調で言い放つ。
『違う、お前は奴らと戦った時に違和感を感じなかったのか』
「違和感……」
よく訓練された動き、竜機人も本来の性能以上に動いているようにも見える。それでも、竜機神には敵わない。数が増えれば脅威になるかもしれないが、少なくとも今のままで負けるような心配などはしていない。唯一、違和感があるとすれば……なにやら妙に軽いこと。機体を切り裂く時に、ハサミを紙に走らせるような気の抜ける軽さがあった。
『お前、気づいていないのか!』
レオンの怒るような焦るような声。
その声を聞いた俺は、何故か急速に不安を感じる。
気づいていないとは……一体……。すると、レオンの背後にまた新たなゲイルリングが二体。敵だ。
「レオン! 危ない!」
ブルドガングの背後にバルムンクを走らせれば、瞬く間に二機を葬り去る。左右から飛び出した一機の棍棒を刀で軽くあしらい、すぐに胸から足へかけて切り込む。地表に落ちていくことを一瞬で確認し、バルムンクへと標的を変更しつつあるもう一機の一撃を最小限の動きで回避、すぐに敵の胴から下を二つに切り分けた。
俺は自慢気にレオンへと声をかけた。
「どうだ、これでも戦力にならないっていうのかよ。これでも俺はお前に勝ってるんだ。ここで俺を使わないのは馬鹿じゃないかと思うぜ」
俺は助力を求めると思っていたレオンの声を待った。しかし、一向にレオンからの返答はない。
「どうした、レオン……」
俺の言い方に腹でも立てたのか。違う、怒っているのとは何か違う。
『実王、俺の話をよく聞け。……竜機人には制限解除機能というものが付いている。それは、竜機人の性能を限界まで上げるものだ。竜機神を倒すことはできないだろうが、それが十にも百にもなれば竜機神でも勝負は分からない。だが、それには制限を解除するだけの条件がある』
俺は嫌な予感が頭を掠める。ここから先は聞きたくない、汗という形で体が拒否反応を起こす。
俺の不安な様子に気づいているであろうレオンは言葉を続けた。
『その条件は……脱出装置を外すことだ。今、ここにいる敵は全て決死の覚悟できている。敵は全て……脱出装置を解除している。普通の竜機人のように、機体を壊せば……』
嫌な予感が現実になっていくのを感じながら、俺は声を荒げた。
「――待てよ! おい、じゃあ……どういうことなんだよ……。それじゃあ、俺は……」
必死に子供のように喋りかける俺をレオンの声が押さえつける。
『――壊せば死ぬ。敵の一部を壊すだけならまだしも、動力系にダメージを与え、爆発でも起こすようならまず命はないだろう。つまり、お前がやっているのは命と命の奪い合いなんだ。ここで戦うということは、その殺し合いに参加するということだ』
はっきりと告げるレオン。その言葉に握ってた操縦桿から力が抜けていくのを感じる。
俺は、人を殺したのか。今さっきの二機も花畑の一機も。逃げる敵を追いかけ、確実に仕留めるために、怒りと憎悪で刃を向けた。そして、その刃を受けた奴は。
「うっ……」
強烈な吐き気と気持ち悪さ。実際にこの手で切ってもいないのに、まるで自分の振り回した刃が人間の肉に埋まっていくようなおぞましい感覚。ずぶりずぶりと俺の刃が人体へと。それを考えるだけで、激しい寒気と気を許してしまえば戻してしまう胃液。
『その状態なら戦えない。……お前を守るといいながら、俺は守ることができなかったようだ。なるべく敵に遭遇しないように、レヴィ様の待つシェルターに行け。しばらくすれば都市でもこの状況に気づいて応援をくれる奴もいるはずだ。それに、これ以上は、消耗戦になる。俺は、敵陣の中に突撃して敵のリーダー格を潰すつもりだ。数で来られでもしたら、レヴィ様を守ることも難しい』
その言葉に返すこともできず。自分の愚かな行為が頭の中に映像として流れる。先ほどまでの光景が鮮明な映像のように次から次へと。
「レオン……俺は……」
喋ることはできない。俺を労わるような口調のレオンに何の言葉を求める。求めるものなどない。レオンは、この恐怖と承知で人を殺すことを覚悟しているのだ。それは、イナンナと一緒に生きるようになってからもきっと変わっていない。
『ここはお前が無理をしていい戦場ではない。すまないが、シェルターまで連れて行くことはできない。……雛型実王、お前の協力に感謝する。……本当にすまない。……とにかく今はここから離れるんだ。今更どうしようもないことかもしれないが、これから何度でも謝罪ならする。頼む……お前はこれ以上、その手を穢すな』
レオンの精一杯の優しさを感じた。それでも、俺はそれに返す言葉もなく。虚ろな瞳で戦場へと向かうレオンの背中を見続けた。
どうしよう。俺は。
これはレオンの力のお陰かもしれないが、既に戦場は俺の居る位置から離れた位置を中心になっているようだ。その戦場を黙って見ていた俺は、心の中でその言葉を繰り返す。
――ここはお前が無理をしていい戦場ではない。
そうだ、俺はここで戦わなくてもいいんだ。無理をして、人を殺してまで戦わなくてもいいんだ。さあ、ここから離れよう。バルムンクに乗っていれば俺が死ぬ心配なんて。
嘘。
俺は嘘。既に俺は人殺しだ。この手で人を殺している。もう戦えない人間を殺している。奴は確かに戦う気力なんてなかった。それをこの手で……。
操縦桿から力が抜ける。バルムンクはゆっくりと地面に落ちていく。操縦席に衝撃を感じ、そして戦う気力まで失せていく。
「……ごめん、バルムンク」
バルムンクの姿は少しずつ色を無くし、その姿を再び光の粒子に変えた。そして荒れた地面に体を寝かせるのは竜機人でも竜機神でもなく、雛型実王というただの少年が横たわる。
体に力が入らないし、入れたくもない。そして、俺は胃の中の物を茶色の地面へと吐き出した。胃が空になり、喉が切れて血が出るようになっても。そして、口から出なくなる頃には、ただただ泣き続けた。どうしようもない、言葉にもできない不安の中で。
何度も思い出されるあの感覚の中。ずぶりずぶりという感覚。俺の妄想の手触り。それでも、そいういうことなのだ。人を殺すというのは、そういうおぞましい感触なのだ。ずぶり、ずぶり。
……たすけてくれ。涙の中、意識が視界がはっきりしないこの世界で体を小さく丸めた。