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第一章 第二話 変わる世界がノックをする

 日付も変わり、篝火と電話した次の日の朝。部屋で身支度を終え、リビングに行く頃には父さんは食後のコーヒーを口にしていた。キッチンに居た母が俺のスリッパの音に気づくとすぐにトーストとコーヒーを既にサラダの置かれた定位置へと持って行く。その光景を眺めていた俺が食卓に近づく。


 「おはよう! 愛しの息子よ!」

 

 「おはよう! 今日も天使に会えてママ幸せだわ!」


 という強烈なジャブを俺にぶちかますのが日課である。昔、この両親に洗脳を受けていた俺は、この挨拶の後に二人にハグし頬にキスをしていた。これが異常だと気づいたのは、小学生の頃に行われた母親と共に泊まるキャンプの話になるのだが……もう思い出すのはよそう。


 「ああ、おはよう……」


 時間は午前八時前、朝食のトーストとサラダを飲み込むように食べ、コーヒーを流し込む。視界の隅のテレビは今日のお犬様を紹介していた。飼い主が椅子の上で片手を上げれば、ポストの新聞を取りに行く柴犬。これを見ていると昔のことを思い出す。

 ――ねえ、みおちゃん。みおちゃんは誰と結婚するの。

 幼き日の俺に母が聞く。

 ――ママと!

 ――そうよ。みおちゃんはママと結婚するのよ!

 これだけなら微笑ましい話かもしれない。しかし、ある夜の話。急な尿意に襲われて目を開ける。

 ――みおちゃんはママと結婚するの。みおちゃんはママと結婚するの。みおちゃんはママと結婚……あ。

 眠っているはずの俺に向かって睡眠催眠を行う母の姿があった。母親の前でお漏らしをしたのはこれが最後になった。

 俺は頭を抱えた。


 「うう……朝から辛いよ」


 「あら、頭でも痛いの。みおちゃん」


 俺の心へトラウマを植えつけた当の本人が食卓へと腰掛けながら聞いてくる。


 「いえ、なんでもないです……」


 しまった。つい犬の従順さを見ていたら、幼い日の心に邪なものを刷り込まれた俺を思い出してしまった。

 こんなことを考えている場合ではない。今日は篝火のことを話さいといけないのだ。


 「あのさ、父さん母さん。えと……昔さ、二人は何かスポーツとかしてたの?」


 俺のその質問に首を傾げる二人。


 「俺はいろいろスポーツをしているのは知っているだろう。昔、一番熱中したのは野球だったかな……。父さんの趣味で生まれて初めてやった球技だからな」


 元甲子園球児の父さんがそう言えば。


 「うーん、私は水泳かしら。水を泳ぐの好きだったし、懐かしいわー。久しぶりに海でも行ってパパを悩殺しちゃおうかしら」


 身をよじらせながら母さんが言う。


 「何を言っているんだい。俺はいつもキミに悩殺されっぱなしだよ……アンナ」


 隣に座る母さんの腰に手を回しながら父がキメ顔でそう言えば、まんざらでもない母さん。なんだこれ。


 「やだもう、アキラさんたら、やだもう! ……アキラさん」


 ゆっくりと顔の距離が近づいていく二人。唇が重なりそうになる。もう間もなく、俺は朝一番で二度目の欝を経験する。


 「――やめろ、そこの脳内花畑夫婦」


 二人の頭を俺の両足に装着されてたスリッパではたく。

 危うく今日の放課後には一人暮らしを始めてしまうところだった。


 「酷いぞ息子よ! ……けど、なんで改まって俺達にそんな話をしたんだ」


 父さんは頭をさすりながらそう聞く。


 「いや、俺の友達……ではないか。知り合いが二人のやっていたマイナーなスポーツのファンなんだってよ」


 先ほどの質問の時と同じように二人は顔を見合わせるだけだ。どうしたものか、と考えてみれば、そう言えば昨日篝火は気になることを言っていた。


 「そういや、その知り合いは……竜機神の都市の使いが来るって言ってたけど」


 その時、俺の目の前の二人は今まで見たことのない顔をした。父さんは口をパクパクと動かし、母さんは何か電撃に打たれたように目を大きく見開く。

 俺、なにかマズイこと言っちゃったのかな。


 「実王、それは一体誰から聞いたんだ……」


 慎重に言葉を選ぶように父さんが言う。


 「誰からって言ってもな……。篝火空音っていう同い年ぐらいの女の子から聞いたんだよ」


 「その子は他に何か言っていたか」


 いつになく真面目な顔で父さんが言う。


 「いや、それだけだよ。二人と話をしたいんだってさ、あの言い方なら俺も一緒にその場にいてほしいみたいだったけど……」


 父さんと母さんはお互いにアイコンタクトをとる。


 「来るべきときがきたのかもしれないね、アンナ」


 先ほどとは違い、相手を気にかけるように父さんは母さんの肩に手を回す。


 「ええ、いつかはないと思って安心していたんだけどね。……でも、私達はどこまで言っても避けられないのかしら」


 母さんが視線を落とすと父さんの手にそっと手を置く。


 本当に、この状況はなんなんだ……。俺はその雰囲気に耐えられなくなり、席から立つ。


 「俺、どうしたらいいかわかんねえけどさ。その子には二人と話をするってことでいいのか。もし話をするなら、俺もその場にいるからな」


 父さんは母さんと顔を見合わせると、俺のジッと見つめた。


 「ああ、実王も一緒にいたほうがいいだろう。これは実王にも知っていてほしい話になる。その子の都合が分かったら、また教えてくれ」


 俺の目をしっかりと見つめてそう言った。

 何か動き出す。そう思っていたが、これは俺が思っている以上に何か大きな動きかもしれない。深刻な二人には不謹慎かもしれないが、俺の胸の中は何か得体の知れない興奮を感じていた。






 話はとんとん拍子で進み、お互いに都合が良い日曜日に話の場を設けることになった。そして、リビングの机に並ぶのは篝火を含めた俺と両親の四人。なんとも重苦しい雰囲気で各々の前にお茶が並んだところで篝火が口を開いた。


 「今日はお時間を作っていただいて感謝します。まず、私のことをお話しますね。私の名前は篝火空音。第四都市イナンナの使いで来ました。お二人のことは無論存じてて居ます。イナンナ出身のアキラさんと第三都市メルガル出身のアンナさんですね。お二人は今でも歴代の竜機神の乗り手の中でも救世主として語り継がれています」


 篝火の二人を窺う視線。


 「懐かしいな。どれもこれも二度聞くことはないと思っていたよ。……それにしても歴代の竜機神ってどういうことだ。俺とアンナと他の都市の奴らの後に乗り手が現れたのか」


 顎を撫でながらそうアキラはそう言う。


 「ええ、あの事件の後は竜機神リュウキガミを失ったイナンナとメルガルがお互いに同盟を組み、他の都市との侵略戦争からひたすらに防衛を続けてきました。アキラさん達の世代の乗り手はみんな操縦を不可能になるほどの重症を負うなどして、戦線を離脱していきました。ですが、それも変わろうとしています。今、都市は危機に立たされています。そこで」


 しばらく篝火の話を聞いていた俺が反射的に立ち上がる。


 「――ちょっと待てよ。さっきからわけの分からない話ばかりだ! 竜機神て何だ、第四都市てどこにある、イナンナ? 救世主ってどこのどいつの話だよ!? 俺はここにいるんだ。ちょっとは俺にも分かるように話をしてくれ」


 三人を見回せば全員がどこかバツの悪そうな顔。俺はそう告げれば、舌打ちをして苛立ちのまま乱暴に再び腰掛けた。

 突然、俺の作った沈黙を壊したのは母さんだった。


 「ごめんね、みおちゃんにはいつか話さないといけないと思ってたの。でも、一度このことを説明してしまったら、もう戻れないかもしれない。この状況ならなおさら……」


 しどろもどろになりながら話すアンナの肩にアキラの手がそっと乗る。


 「――アンナ、ここからは俺が話す。すまないな、実王。最初から話をするから聞いてくれ」


 いつになく弱々しい父さんの顔に何か自分がいけないことをしてしてしまった気分になる。


 「いいよ、ちゃんと話してくれるなら俺は怒らないよ。……俺こそ怒ってごめん」


 軽く頭を下げる。

 父さんはそれを見て、優しげに目を細めると口を開いた。


 「これからは順を追って話す。いろいろ聞きたいこともあるかもしれないが、最後まで黙って聞いてほしい。まず初めに話しておくこと、それは……俺と母さんはこの世界の人間ではない」


 突拍子もない言葉に俺は質問どころか開いた口が塞がらない。

 その表情に苦笑を浮かべるアキラ。


 「まあ驚くのも無理はないな。俺達の住んでいた異世界は都市ごとに分裂した六つの大陸が存在した。この世界のように海に浮くわけではなく、空中に浮く大陸が六つだ。どの大陸も学校は一つしかなく、大陸の中心にある学園都市が管理しているんだ。その大陸に住む六歳から十八歳までの子供はみんなその学園に通うことが義務付けられている。学園での生活はこっちの学校と大して変わらないさ、だがその学園都市は……いや、その大陸は一人の巫女様が管理しているんだ」


 長く話してちょっと小休憩を挟むように、手元のお茶をぐっと飲むと話を続け

た。


 「数年に一度、大陸のありあとあらゆる事象を操作できる異能を持つ巫女様が出現する。そして、その巫女様が学園に通える年齢になると同時に学園都市の学園長を務めることになる。学園を卒業したら各々が自分に合う仕事を見つけて大陸に散らばり、巫女様は学園を卒業することで巫女としての責務を降りると同時に異能を失う。……これだけなら問題はなかった」


 「俺が十四の頃だ。突然、巫女様から竜機神を託される。竜機神というのはこの世界でいう人型ロボットといえば実王には分かりやすいかもしれないな。俺はそのパイロットに選ばれた。巫女達はある日突然に神託を受けたと言い、学園都市を中心に大陸同士の戦争を宣言した。二十年か五十年かは分からないが、自分達の住む大陸が崩壊することが巫女の受けた神託で分かったらしい。その崩壊を防ぐためには、他の大陸を侵略し大陸の中心である巫女を自分の大陸に吸収することで崩壊を防げる。しかし、巫女を失った大陸は崩壊する。自分の大陸を救うためには、全ての大陸を滅ぼさないといけなかった。……俺はその崩壊を防ぐために戦い続けた」


 過去によほど嫌なことがあったのだろうか、父さんは辛そうに視線を落とせば顔を上げた。


 「その戦いの最中、俺は母さんと出会う。最初はお互いが竜機神のパイロットと知らずにスパイとしてイナンナに侵入していたアンナと恋に落ちるが、いつしかこの戦いにお互い迷いが生まれた。しかし、お互いの意思に反して俺とアンナは戦うことになってしまう。だが、俺とアンナには予期せぬことが起きる。戦闘に勝利した俺は操縦席からアンナを連れ出すと離脱しようとする。逃げるにも竜機神はもう動く力は残っていなかった。そんな時に、この異世界へ通じる世界の裂け目を発見した俺達はそこへ飛び込む。……そこで偶然にも、この世界でのお父さんともいえるお爺ちゃんが俺達を助けてくれた。それから数年後にお前が生まれたんだよ、実王」


 空になった湯のみを握り締めたままで父さんは語った。

 普段はおかしな話ばかりも平気する人だけど、こんな真面目な顔は生まれて初めてだ。しかし、父さんは真面目な話はちゃんとできる人なんだ、この荒唐無稽な話はきっと嘘じゃない。

 父さんの空の湯のみに母さんがお茶を注ぐ。


 「最初の頃は逃げたことを後悔もしていたの。でも、実王が生まれてからはその罪の意識も全て大切な家族を愛することに向けてきた。許されるつもりはなかったけど、あの世界のことを忘れないことで罪と一緒に生きるつもりでいた。……それで良かったんだけど、私達の世界はそれも許してはもらえないのかしら」


 初めて見る母の冷たい表情。その視線が篝火を射抜く。


 「……すいません、お二人の幸せを壊すようなマネをしてしまって。今、私達の住む第四都市以外の全ての都市は竜機神を手にしています。最初に狙われるとすれば、私達の住むイナンナなんです。この世界に竜機神が存在していることは既に分かっているんです。そこで、お二人の力と竜機神の力をお貸しください。大変身勝手なお願いと理解しているつもりです。だけど、お二人に頼むしかないんです! 再びあの世界で……イナンナの為に力を貸していただけませんか」


 篝火は辛そうに吐き出すように言う。頼むことも心苦しいのだろう。篝火空音という少女の優しさがその表情を通して伝わるようだった。

 長い長い静寂が訪れる。時間にしたら五分程度かもしれないが、そこにいる人間達にはその何十倍も長く感じられた。一人一人が先ほどの数分間の会話を頭の中でまとめようと必死になっていた。実王は両親の世界のことを頭の中で整理し、アキラとアンナは自分達の住んでいた世界のことを思い出しながら己の身の振り方を考え、空音は自分の発言の重さと責任に唇を噛んでいた。

 アキラとアンナが目配せをする。それが合図となった。


 「篝火ちゃん。一人でこんな重いものを背負ってきたんだ。辛かったね……だけど、もう大丈夫。竜機神にまだ乗れるか分からないけど、俺はあの世界に戻るよ」


 篝火がはっと顔を上げた。その驚きの顔にアキラは優しく微笑んだ。


 「ありがとうございます……ありがとうございます……」


 篝火は何度も涙を目にいっぱいに溜めて、礼を繰り返す。

 アンナはアキラの言葉を急いで追いかける。


 「私も行くわ。アキラさん一人に背負わせることなんてできない。来る時も二人なら、戻る時も二人よ」


 アンナがそう言えばアキラに微笑む。


 「ダメだ。行くのは俺だけでいいはずだ。君はここに残れ。まだすることがあるはずだ」


 アキラには珍しく強い口調でそう言う。


 「嫌よ。それでも、一緒に行く。あの時も二人の力を合わせて竜機神を動かしたの。一人では困難な状況でも二人ならきっと。……みおちゃんも分かってくれるわ。ねえ、みおちゃん……」


 母さんが辛そうにそう言えば、父さんは悲しそうに俺を見て笑いかけた。

 なんなんだ、さっきから。こんなのおかしい。俺は世界が変わることにワクワクしていた。だけど、これは俺が望んだワクワクではない。こんな誰かが悲しくなるのは間違っている。


 「――わからねえよ! 二人で勝手に決めてるんじゃねえよ!」


 間違っているのだ。

 気持ちのままに俺は机を強く叩いた。目の前の湯のみがその振動で倒れるが気にする心の余裕はない。


 「実王、分かってくれ。これは俺達の住んでいた世界の問題なんだ。これはなるべくしてなってしまったんだ。……戦いも終われば、すぐ帰ってくるさ」


 父さんは苦笑を浮かべる。父さんのその笑顔はおかしい。それはその戦いが楽なものではなく、非常に困難なものだとその表情が教えてくれた。


 「無事に帰って来れる保障なんてないんだろ!? それは息子の俺が黙ってられると思っているのか!? バカなのかよ、二人とも!」


 言い過ぎたと思った時には遅かった。目の前の二人はただ俯くばかり。そんな俺に掴みかかってくる影が一人、篝火空音だ。


 「二人はバカじゃない。二人は私達の世界を救う為に立ち上がろうとしてくれてるの。貴方が思ってるほど単純じゃないのよ」


 俺は泣きはらしたその顔を睨みつけた。


 「その二人の幸せを奪ってでもお前は自分達の世界を守りたいのかよ!? 二人の涙の上で平和になる世界なんてクソくらえだ! 確かにこっちは単純だよ、単純だからこそ見えるものもあるんだよ」


 俺の視線を篝火は真っ向から受け止める。


 「二人はこっちの世界の人間なのよ、そんな理屈は意味ないの。部外者は引っ込んでて」


 ――だからなんだ。俺はそっちの世界では部外者かもしれない。だけど。


 「部外者かもしれないけど、俺は二人の家族だ」


 視線と視線が火花を散らす。


 「じゃあ、貴方はどうしたいの! 雛型実王!」


 目の前の少女の赤い瞳は怒りの色にも見える。だが、俺はここを引くわけには行かない。俺は二人を守りたい。しかし、目の前の少女は自分の世界を守りたいとも言う。それは二人も気持ちは同じだ。考えろ、この状況で最も最良の選択というやつを……。誰も悲しまない、誰も幸せになれる光景が浮かぶ結末を。

 ――。

 竜が俺を呼んだ。


 「今……聞こえた……そうか……」


 俺はそう呟いていた。今、確かに聞こえた。

 先ほどと様子が違うことに困惑する篝火を見つめる。


 「……なにかしら」


 ジト目で見る篝火の視線をぼんやりと受け止める。そして、俺は自分の頭の中に浮かんだ最も最良の選択を口にする。

 これがどんな結果になるかは分からない。だが、少なくとも俺が選んだ最も良い選択なんだ。胸を張ろう。例えどんなことになろうとも。


 「――決めた。三人ともよく聞いてほしい。……俺が二人の代わりに竜機神に乗る」


 その直後、俺の顔面を鋭い衝撃が襲う。

 スローモーションになる意識の中で倒れながら気づいた。それは父さんの放った右ストレートだった。そして、意識は闇の底へと。



                 ※



 時間は流れ、アキラの腕時計が夜の七時を知らせる。場所は学校の裏山になり、そこに立つのはアキラとアンナと篝火の三人。

 滅多に人が通らない裏山の中でも、さらに人通りが少ないと思われる開けた場所を選んだ。ここにいたら誰にも見られないで奴を呼び出すことができるだろう。ポケットから指輪を取り出すとそれを右の中指にはめた。

 アキラは星空が煌く夜空へ向けて手を掲げた。


 「――来い。バルムンク!」


 アキラの指輪が光り輝くと形が崩れ、粒子の粒となり空間を漂う。その粒子の光の数が増え、粒の大きさも大きくなる。見る見る内に小さな粒子は人型のシルエットを作り出すと辺り一面を照らす強い光を放つと一体の巨人を出現させた。

 二本の角と竜機神を殺すための刀、いくつものの攻撃を防いだ頑丈な機体、特徴的な白をベースとしたカラーリング。間違いなく、自分がこの世界を渡る時に搭乗していた竜機神バルムンクだった。


 「これが竜機神……」


 感動の混じる声色でそう呟く篝火、目の前で見るのは初めてということもあるのだろうが、この機体は彼女達の未来を照らすかもしれない希望なのだ。ここまで感動するのも仕方ないかもしれない。

 俺は今一番、心配していることを口にする。


 「……ところで、実王は大丈夫なのか」


 アンナは労わるような口調で話す。


 「大丈夫。今部屋の中で眠っているはず。アキラくんのパンチで意識を失ってたからお隣の鈴木さんにいろいろな面も含めてお願いしてきかたら。たぶん、大丈夫だと思うよ」


 アンナはニッコリと笑う。

 何事もないように話すがアンナも実王と別れるのは辛いだろう。実王が高校生に上がった時は、気の早い孫の話をして実王を困らせたものだ。そんな実王の顔も孫の顔も見れないかもしれないのか……。悲しいことだが、俺とアンナの残した愛の証が元気に過ごしているだけでも俺達には幸せすぎる物語だ。


 「みおちゃん、起きたら私の作った唐揚げ食べてくれるかな。みおちゃんの大好物だから、たくさん作ったの。きっと……食べてくれるよね……」


 その言葉が強く自分を苦しめる。アンナの言葉の最後の方は涙声になっていた。


 「俺がいるよ、アンナ」


 「……アキラくん」


 今は後ろを見てばかりもいられない。そう言えば、この世界に来て初めて目を覚ました時もこんな話をしていたな。


 「――お二人、準備が完了しました」


 いつの間にやら準備が完了していたようだ。夜空を見上げれば、トラック一台は余裕で入りそうな空間を繋ぐ穴が出来ていた。空中にぽっかりと浮かんだ穴の周囲は魔方陣が描かれ、この世界ではないどこかへ続く通路だと宣言しているようだ。

 アンナの手を引くとバルムンクへ手を伸ばす。


 「バルムンク、さあ俺を乗せてくれ」


 バルムンクが一歩一歩、地面を揺らして歩き出す。そして、バルムンクは俺達の前に接近する。


 「な……なんだと……」


 俺の前に身を屈めるように念じたつもりだった。しかし、バルムンクは俺の前を通り過ぎると俺の背後に回りんで、背中を向けたままで身を低くした。


 「こんなこと、なんで……!?」


 悲鳴に近い声をアンナが上げた。

 身を低くしたバルムンクの肩から背中の操縦席に乗り込もうとしているのは実王だった。

 ――お父さん、僕竜の声を聞いたんだよ。

 今になって子供の頃の実王の言葉が重く感じる。



                 ※


 二人が思っている以上に早く目を覚ましたのが救いになった。父さんに殴られた後にこっそりと身を隠し、ドアの前で見張り番をしていた鈴木さんに気づき、部屋の窓からカーテンや毛布や衣服をロープ代わりに脱出するとサンダルでここまで走ってきた。そして、俺はバルムンクに出会ったのだ。

 バルムンクと出会った瞬間、たくさんの竜機神を操縦するために必要な知識を瞬間的に理解した。父さんが呼び出して、木の陰に隠れる俺に会ったときから正式な乗り手は俺になったのだ。

 俺はバルムンクの背中で二人を見下ろす。


 「言ったろ、俺は竜の声を聞いたんだ。……だから、行くよ。今戦わないといけないのは二人じゃない。俺なんだ。――おい、空音!」


 目の前の両親に大きな声を出せば、未だに親父に殴られた頬が痛む。すかさず言葉の最後には、呆然としている空音に声をかける。


 「……勝手に呼び捨てにしないで。なによ」


 不機嫌そうな顔でそう言う空音。


 「長い付き合いになるんだ。別にいいだろ。……お前の世界に行くぞ、早く乗れ」


 バルムンクは空音へ向けて手を伸ばす。乗れ、と手の指の関節を動かして。


 「しかし……」


 空音はアンナとアキラを見る。本当にいいのか、そんな視線を二人に向ける。


 「いいんだ、実王も頼む。真っ直ぐな良い子だと親ながら思うよ」


 隣に立つアンナもアキラに寄り添いながら言葉を続けた。


 「よろしくね、空音ちゃん。あの子は私と彼の子なんだもの、一度言い出したら聞かないわ。……今度二人で帰ってきたらおいしい料理作ってあげるから。元気で帰ってくるのよ」


 アンナの頬を涙が流れた。


 「……はい、必ず連れ帰ります」


 空音は深く深く頭を下げた。彼女にとっては二人分、頭を下げる気持ちで。

 俺は空音が手の上に乗ったことを確認すると操縦席に空音を迎える。空音に続いて操縦席に乗り込む間際に地面の二人を見る。


 「……行って来ます!」


 他に言葉はいらない。これだけで俺は十分なんだと言い聞かせた。

 背中に開いた扉の中の操縦席に飛び込んだ俺を迎えたのは、行き場のなさそうに隅っこに立つ空音。軽自動車の車内ぐらいの大きさがある空間。その空間には全方位が見えるモニターに操縦桿の役割の二本のレバーと無機質なグレー色の操縦席が一つ。隅に立つ空音をちらりと見れば、座席に身を任せて操縦桿を握る。

 操縦桿を特に動かすことはない。歩く、飛ぶ、腕を差し出すという動作は感覚で操作するようなものなのだ。頭の中で念じたことを操縦桿で通し、具体的なイメージをその状況を窺いつつ手元の操縦桿で直感的かつ細やかに動かす。


 「まあ操縦してみないと何にしても分からないか……つかまっとけよ、空音!」


 「……うるさい。妙な操縦したら怒ると同時に、話題性を利用して性犯罪の被害者にあったと言い回って、あっちの世界の裁判にかけてやるんだから」


 「へいへい、調子でてきたじぇねえか」


 俺は苦笑を浮かべてそう言う。

 機体が少しずつ地面から離れ、空へとふわふわ真っ直ぐに浮き上がる。急な加速もできるようだが、竜機神初心者の俺にはまだ早い気もした。そして少しずつ小さくなる、両親を見つめる。

 二人は手を振っていた。大きく大きく。そして、二人の口元が同じ言葉を言っていることに気づく。

 ――いってらっしゃい。

 俺は自分の目頭が熱くなるのを感じた。

 バカな息子でごめん。必ず帰るよ、必ず。そしたら、今日母さんが作ってくれた手料理も今度はちゃんと食べるから。


 「……ごめんなさい」

 空音が申し訳なさそうに言う。


 「うるせえよ、謝るな」


 俺は流れ出しそうな涙を飲む込めば、顔を上げる。たった数日で自分の世界を変えてしまった少女を自分の相棒となるバルムンクに乗せ、目の前には全ての常識を壊しに来る世界がその穴の中で広がっているのだ。

 カチリ、と。どこかでパズルがはまる音が聞こえた。

 ふわふわと舞い上がったバルムンクが穴の中に消えるとすぐにその穴は、最初からどこにもなかったかのように姿を消した。

 何も見えなくなった夜空をアキラとアンナは寄り添いながら、ずっと見上げ続けた。

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