第七章 第一話 選択の代償 メルガルの影
メルガルの都市まで行くのかとも思ったが、降ろされたのは都市の様子がぼんやりと窺える場所。さほど遠くはないだろうが、数キロ先の都市までまさかここから歩くとは思えない。
目つきの悪い飛行艇の操縦士から急かすように降ろされれば、一人見知らぬ大陸でポツンと突っ立っている状態だ。テレパシーでも送って、どうにかできないものかとも思ったが、残念ながら俺にはそんな便利能力はない。どこかでテレビカメラが飛び出してきて、実はここはメルガルではなくイナンナでしたー! みたいなことも考えたが、それはありえない。
こちらから見えるメルガルの都市は、イナンナよりもどこか近代的で工業の色を感じさせた。イナンナよりも多くの高層ビルが並んでいることもその理由だが、無数の煙突がそう思わせる要因になっていた。それに、イナンナよりかはメルガルは僅かに温かく感じる。メルガルは今のところ、春に近い季節なのかもしれない。
「どうかしら、ここから見えるメルガルの景色は」
気づかなかった。と言えば嘘になる。
都市の方から、宙を飛ぶブルドガングを発見していたからだ。……普通に俺の目の前で降りればいいのに、と思いながら隣に立つレヴィに声をかけた。
「イナンナにはないものが、たくさんありそうだな」
くすり、と笑い声を上げるレヴィ。
「そうよ、たくさんあるわ。……さて、挨拶が遅れましたね。こんにちは、実王」
横を見れば、何故か制服姿のレヴィが軽く会釈。ブラウスのセーラー襟を紺色のジャケットから出す制服で、色合いと雰囲気から上品さを感じさせるデザインだった。
「お招き感謝するよ。こんにちは。レヴィ。……そういえば、レオンはどこにいるんだ」
俺は辺りをキョロキョロと見渡しながら彼の姿を探す。
「安心しなさい、実王。私は一応テレパシーというものを使えるの。レオンも近くで待機しているので、すぐに呼ぶことができるのよ」
「……そいつは便利だな」
レオンも大変だな、と。俺は苦笑を浮かべる。
妹の帰りを影でこっそり待つ兄としてのレオンの姿。この間の戦闘を知っている俺として、シュールな光景である。
「さて、挨拶も済んだことだし、行きましょうか」
スカートを翻して、背中を向けるレヴィの後ろについていく。レヴィは、急に足を止めると半回転をして俺と向き合う形になる。
「どうした、レヴィ」
「そういえば、婚約者としての権利を忘れていたわ」
レヴィは、イタズラをする子供のような笑顔で、地面を蹴った。
俺が止める暇もなくレヴィが俺の腕に飛びつく。俺と腕を組むと上目遣いの視線を送る。
「将来の妻なら、これぐらい当然よね」
うんうん、と大きく頷けば俺の腕を引っ張るレヴィ。
レヴィに引きずられるようにして、穏やかな陽気の中を歩く。頬に優しく当たる風は、イナンナと大して変わらないな、なんて思いながら俺は徐々に違和感のなくなる歩くスピードに心地よさを感じた。
※
実王を送り届けた飛行艇の操縦士は自分の仕事を終えると自室に足を踏み入れた。
「実に忌々しい……」
男の部屋は人が住んでいるような気配はなく、ベッドとパソコンが置いてあるだけ。
吐き捨てるようにそう言った男は、尻ポケットから手にぴったりと納まるサイズの通信機を取り出した。
「俺だ、ああ今送り届けてきたところだ。そっちの準備はどうだ。……そうかそうか、予定通りに今日決行するぞ。穢れた巫女に粛清を、そして清らかなメルガルを再び取り戻すぞ」
ギラギラとした目つきで男は電話を切る。
通信機を取り出したポケットとは反対側のポケットに手を突っ込む男。そこから出てきたのは、マゼンタカラーの宝石が輝く竜機人の指輪だった。
※
歩いた先は、俺が考えた以上の風景が広がっていた。
一面に広がるのは、様々な種類の花達。そこら中一体に埋め尽くされたその花々は、決して自然から出来たものではなく、人間が植えようとして植えた物だとよく分かった。ただ生えているだけではなく、それなりに規則性を感じさせる色合いで花が並んでいた。
「これ、私の宝物なの」
一歩、歩み出たのはレヴィ。気持ちよさそうに体を一回転させれば、俺に向けて笑顔を向けた。見たこともない無邪気な笑顔。その通り、宝箱の中身を見せびらかす子供のようだ。
「宝物?」
「そう、宝物。私がメルガルを良くした証なの。私が行ったもっとも明確な歪んだ愛の形。実はね……昔、ここはスラム街だったの」
悲しげにそう言えば、腰を落として、目の前の黄色の花にそっと触れる。水でもあげていたのか、花びらから滴が流れる。
レヴィの言葉は続く。
「ここは都市の中でも最も危険な区域だったの。最初は、人間関係や学業、家庭のことなんかで悩んだ人間たちの集まり。しかし、それはいつしか、たくさんの闇を呼ぶことになったの。人の心の闇に滑り込むように、それを餌にする人間も集まる。そして、餌を得た闇達は、自分たちで食べやすく甘い餌を作り出した。その繰り返しで……メルガルのスラム街が生まれた。レオンもここにいたの」
今にも泣きそうな顔のレヴィ。彼女が今、何を思い出して何を見ているのか俺が知る由もない。
「……私はメルガルが嫌いだったの。だから、嫌いなものを好きなものに変えたくて、まずは手っ取り早く全て無くそうとした。私の心の歪みが膨らむ中で、レオンと出会った。そして、レオンは自らの手で故郷を炎の中に沈めた。たくさんの闇が抵抗したが、乗り手として目覚めたレオンは容赦なく全てを殺し壊した。ごく一部の人間を生かし、その他大勢の汚れを殺した。そうして、メルガル一番の汚れは浄化された……。ねえ、実王。この出来事をメルガルの人は、高く評価したわ。これって正しいのかしら。私は、実王にここで見て感じてほしかったの。……私は、実王とただデートをするだけの時間も作ることができないから、だから……一番私の心が伝わる場所に招待したの」
憂いの混ざるその表情は、俺のレヴィに感じていたイメージを崩す。
こんなにも弱々しい表情を見せる少女の顔は、戦うことに悩むヒヨカと重なる。この少女も悩みながら、巫女として戦っているのだ。だが、俺では彼女の問いに答えることはできない。俺の言葉なんて、全てが安っぽいものなってしまう。
「ごめん、俺はそれに返す言葉はない。本当にごめん。……俺は情けない奴だ」
俺のはっきりしないその姿を見て、強く罵られるかと思った。しかし、レヴィは泣きそうな顔で笑う。
「優しいのよ、実王は。答えを出さないことが、たぶん正解なの。答えを出せないアナタだからこそ、この私とレオンを救えたのかもしれないわ。……話を戻すわ。私は破壊したスラム街の地に花を植えたの。あの時はメルガルの人へこの出来事を美談と語り継ぐための行いだった。もしかしたら、自分たちの罪悪感から逃げるための行いかもしれない、それでも植えたかったの。自分たちの行いを信じて、殺し壊した先にあるものが綺麗な景色だと信じていた。それを自分たちで作り出したわ。……他に方法があったんじゃないかと今でも悩んでいる。口に出さなくても、レオンもきっと。……こんな私でも、ヒヨカや実王や空音やイナンナの人々、そしてメルガルの人々共一緒に歩いていってもいいのかな」
そう告げてレヴィは口を閉ざした。そよ風の音が聞こえるだけの空間。
俺は気づくとレヴィの頭を撫でていた。
「……実王、私は将来の妻よ。妹じゃない」
顔を伏せたままで、拒否するような動きは一切見せずにレヴィは小さく言う。
「レヴィがすげえ頑張ってるからさ、なんとなく撫でたくなったんだ。……俺にはその悩みに答えなんて出せない。どれが正しくて、どれが悪いのかなんて、本当に答えられないんだ。……その時のレヴィやレオンの気持ちは分からないけど、ここに花を植えた二人のことは信じたい。それが今の俺の本当の気持ちだ」
俺はそう告げる。なるべく優しく聞こえるように。
それ以降は、何も喋ろうとしないレヴィのことが気になって、頭を撫でられるのは嫌いか、と聞いてみれば。
「……嫌なんて言うわけないじゃない」
か細いレヴィの声。少し声が震えていた。
俺はそのことに気づかないようにして、そうか、と短く返した。
しばらくその状態で過ごしていると、レヴィが落ち着きを取り戻していくのが分かる。そして、レヴィは顔を上げると、儚げに笑う。
鮮やかな花たちの色彩の中で儚く笑う少女。俺はその顔を見て不謹慎にも、レヴィを美しいと思った。