第六章 第二話 進む足は軽やかに
耳を押さえていた手を離して、レヴィはおずおずと声を出す。
「なんなのよ、急に大きな声を出して……。嬉しい気持ちも分かるけど、そんなに大声を出さなくても……」
急に一方的な婚約宣言を受けた俺はレヴィに問い詰める。
「喜んでるわけじゃねえ! こっちは驚いているんだよっ。どこをどう考えたらそうなるんだ。ちゃんと説明しやがれ!」
やれやれという感じにレヴィは頬に手を置く。
「そんなに大きな声を出さないの。やっぱり……説明、いるかしら」
「いるに決まってんだろ! ていうか、その聞き分けのない子供に話すみたいな口調やめろ! 余計に腹立つわっ」
ついムキになってしまいながらの強い口調。
大げさにため息をつくレヴィ。
「私は美人、苦手なことは何一つない」
レヴィの一人語りが始まる。胸に手を当て、まるで舞台役者のように大げさに。
……人間関係は苦手そうだけどな。
「長くなりそうなのか、これ」
「多くのものを手に入れてきた私にも、足りないものが一つ。それは簡単には手に入らず、周囲と私の気持ちが一致してなければ、目の前に現れることない偶然の産物――」
「……無視かよ」
勢いよく立ち上がるヒヨカ。
「そう、それが恋なのね!」
元気いっぱいなヒヨカは挙手をして言う。
なんだか、最近はヒヨカのポジションもよく分からなくなってくる。
「なんで、ヒヨカさんがそんなこと言うの!?」
レヴィもすぐにツッコミを入れる。
「違うのですか?」
首を傾げるヒヨカ。
「違わないわよ! その通りよ!」
顔を赤くして声を荒げるレヴィ。頬を赤くしたままで、恥ずかしげに咳払いをする。
「こういうのは何というのかしら。運命の出会い、いえ、前世からの邂逅。輪廻の成せる力……」
夢見がちにレヴィの視線は宙を彷徨う。
「どこを見ているんだ、早く帰って来い。つまり、お前は何を言いたい……」
普段から、空音に鈍いと言われる俺でも気づく。というか、嫌でもそのことを理解してしまう。俺はおそるおそるそう聞いてみる。
レヴィは大きく深呼吸。そして、俺へ向けて力いっぱいに人差し指を向けた。
「お望みどおりはっきりと言わせてもらうわ! 実王、私はアナタのことを好きになったの。いえ、愛していると言ってもいいわ! アナタという存在が私を負の連鎖から解放したの。この世界で誰もできなかったことをやってのけた。……私にとってはアナタを好きになるには充分すぎるのよ」
堂々とそう言い放つものの、最後の方は指を恥ずかしさを表すように指を折った。
「そんな、いきなり言われても俺は……!」
「……嫌なの」
潤んだ目でそう言われれば、俺はその言葉を飲み込むしかなく。ただその視線を受けるのみ。
周りの人間もレヴィの真剣さが伝わったのか、その光景をただただ見つめ続けた。
「俺は、あまりレヴィのことは知らないから、嫌も何も分からない……」
そう正直に俺は告げた。だって、それは本当のことだ。俺はレヴィのことをよく知らない。レヴィのことで知っていることといえば、強気で頑固で思い込んだら暴走しがちで……責任感のある奴だ。悪い奴じゃないと分かっているが、急に求婚されても、俺はただ困るだけ。
俺が返答を持て余していると、レヴィは視線を地面に落とした。それは落ち込んでいるようにも見える。
告白など今までされたことはなかったが、俺の返事はやはり不味かったのだろうか。心配になった俺は声をかける。
「レヴィ、あのさ」
「――そうよ!」
突然、傾いていた首が上方向へと持ち上がる。
「確かに結婚というのは早すぎるわね! 私のこともよく知ってもらわないといけないわ。アナタの言うことは非常に合理的ね。さすが、私の夫よ。いいわ骨の髄まで、私のことを知りなさい。だから……デートしましょう」
「デ、デート!?」
驚きの声を上げるのは俺ではなく、何故か今まで黙って見ていただけの空音。
「いきなり言われても困る。レヴィは、メルガルの巫女様なんだろ。そんな巫女様が、イナンナで俺と一緒にデートをしていたら、さすがにマズイだろ」
「あー、確かに実王さんの言う通りですね」
少しばかり残念そうなヒヨカの声が聞こえる。
我ながらナイスな返答だと思った。こう言えば、さすがのレヴィもこれ以上は……。
「問題ないわ!」
きっぱりと断言するレヴィ。
「誰もイナンナでデートするなんて言ってないじゃない。私と一緒にメルガルに来てもらえないかしら。メルガルなら人が近づかない場所を用意できるし、自分の生まれ育った大陸だからよく知っているわ。私もイナンナなら行動を制限されるけど、メルガルなら問題ナシよ」
慌てた空音が俺とレヴィの間に割ってはいる。
「――ちょっと待ってください、レヴィ様。他大陸の竜機神の乗り手と一緒に、その……デ、デートをする巫女様なんて前代未聞です。そうなれば、そちらに行くのは実王のみになるんですよね。そんな危険な状況で、同盟を組んでいるとはいえ、イナンナの乗り手をメルガルに連れて行くなんて、どう考えてもおかしいんじゃないんですか」
一歩引いた喋り方をするものの、それでも拒否を感じさせる言い方。レヴィは、空音を強く睨みつける。
「ごちゃごちゃとうるさいわね。私は本気で実王のことが好きなの。こんな気持ち初めてなのよ! アンタにとやかく言われる筋合いはないの!」
一瞬、空音はその言葉に息を呑む。僅かに怯むような素振りを見せるものの、レヴィの視線を受け返す。それ以上のことを空音は立場上、喋ることはできない。それでも、必死の抵抗のように視線と視線で火花を散らす。
ヒヨカは困ったように眉を八の字に曲げ、仕方ないとばかりに口を開こうとする。しかし、それよりも早く声を発する人間が一人。
「少し待ってくれないか、イナンナの女」
二人の前に立つのはレオン。
「イナンナの女じゃない、篝火空音よ。黙っときなさい、戦闘狂」
レオンに対して冷たい視線を送る。刺々しい空音の言葉も、気にする様子もなくレオンは表情を変えずに言葉を返す。
「すまない、篝火。確かに俺は戦闘狂かもしれない。お前は俺のことをあまりよく思ってないようだが、それでも俺はお前に話を聞いて欲しい」
「やけに大人しいじゃない、何か言ってみなさい」
ふん、と鼻を鳴らした空音は、レオンを鋭い視線で射抜く。
レオンの気性の荒さを戦闘で嫌というほど味わった俺は、その光景を冷や汗を掻きながら見つめ続けた。
「感謝する。この間まで、敵大陸だった俺達を信用できないお前の気持ちは理解できるつもりだ。だが、レヴィは自分のことでここまで真剣に楽しそうにしているのは、初めてなんだ。俺はここに戦いに来たわけではない、ただ戦うだけではなく関係をより強固にするために来たつもりだ。もしも、俺の言葉が信用できないというなら……レヴィの兄として頼む。実王とレヴィが過ごす時間ぐらいは作ってもらえないか。頼む、一人の少女としての時間を作ってやりたいんだ」
レオンの真摯な気持ちが伝わる真っ直ぐな言葉だった。俺も非常に驚いたが、俺以上に驚いているのは空音だった。言葉をなくしたように、目を大きくして呆然とレオンを見つめる。
「それ、本気で言っているの?」
レオンは明確に頷く。
「ああ、俺の本心だ。だから約束する、俺が命に変えても実王を無事に送り届ける。レウィの願いを叶えたいという気持ちもあるが、雛型実王は俺が守るに値する男だとも思っている」
レオンの真っ直ぐな視線が空音を見つめる。
気持ちが揺らいだのか視線を泳がせる空音へ向けてヒヨカの言葉がかけられる。
「空音、いいんじゃないかな。レヴィも私も昔からの友達だし、なによりもメルガルの代表とも言える二人が、これだけ実王さんを信用してくれている。ここで実王さんを二人にお願いするのも、私達の選択した新たな道の一つじゃないのかな」
その諭すような声を聞いた空音は、諦めたようにため息をついた。
「分かりました、ヒヨカ様がそう言うなら仕方ありません……。では、レオンさん。まだまだ未熟な乗り手ですが、実王のことよろしく頼みます」
空音は小さく頭を下げた。それは今までの失礼を言ったことも含めた、謝罪と信頼してくれることへの感謝の動作。
その場を温かな雰囲気が包んだ。て、でも、あれ。
「ね、実王。どこに行こうかしら。今から、楽しみね」
楽しそうに俺の腕を引っ張るレヴィ。
これ、俺の意思を完璧に無視されているよね。俺、何も選択してないんだけど……。
「ソウデスネ、タノシミデスネ」
「やだもう、緊張してるのっ」
「ハハハ……はぁ……」
新妻気分のレヴィは実王の頬をツンツン突く。
テンション上がりっぱなしのレヴィとは反対に、不安いっぱいの実王は深くため息をついた。
※
一週間後にデートの日付を決めて、メルガルの飛行艇での帰路。空は朱に染まり、雲に影を落として両翼を広げる飛行艇が進む。両隣に座る二人は、心地の良い沈黙を感じていた。
その心地の良さのままに、レヴィはレオンに話しかける。
「ねえ、レオン。さっきはありがとう」
優しくレヴィは告げる。窓際に座るレヴィの表情は窺うことはできない。
「俺は、アイツに理想を託した。全てを背負わせる気はないが、いつなくなるかも分からない危うい同盟だが、俺の責任は多少なりとも軽いものとなった。俺とお前は、呪われた契りだとしても兄妹ということになっている。せめて今ぐらいは、お前の兄として振舞おうと思ったんだ。昔は利用し利用されるつもりだったが、今はそう考えるにはお前のことを知りすぎている。……実王と戦う直前まで気づくことはできなかったが、お前のことを本当の妹のように思っている」
レオンには珍しく少し早口の口調。
レヴィはその言葉に胸の温かさを感じた。
「そんなの私も一緒よ。私も利用しようとしていたけど、知れば知るほどにその気はなくしたわ。じゃあ、呼んでもいいのかしら、レオン兄さん」
「……嫌じゃないのか」
レオンの少しばかり申し訳なさそうな口調。人から見れば無愛想なようにも聞こえるが、付き合いの長いレヴィからしてみれば、そんな弱々しいレオンをとても愛しく思う。
「嫌じゃないわ。今、新しい家族のいることに対して、とても幸せな気持ちよ。それよりも、レオンは嫌じゃないのかしら」
次はレオンが視線を逸らす。
少しばかりイジワルな質問だったかな、と考えてしまう。その彼の顔を見たいともレヴィは思ったが、いや彼は絶対は見せてはくれないだろう。そんな気がするのだ。
いろいろと頭の中で考えながらもレオンの口から出たのは短い言葉。
「俺も嫌じゃない……」
顔を見せないようにするレオンに向けて微笑む。
「そう……」
心の底から幸せそうにレヴィはそう頷いた。