第四章 第四話 生かす王と殺す王
場所は大きく変わる。そこはメルガルの学生寮に設けられたレオンの私室。学生らしい趣味を感じさせるものは見られず、そこにあるのは小さな冷蔵庫。地味な色のパイプベッド。真っ白い壁紙がその部屋をより無機質なものに思わせた。
ベッドに腰掛け、両手を交差させて顎に手を当て憂鬱な表情を浮かべるレオン。その瞳にはどんよりとした色が浮かぶ。
「後三日か」
そう呟く声は、獣のうめき声のように。
「この大陸を愛している、か。我ながら滑稽だ」
自嘲気味な笑みを浮かべる。
俺を悪く言う奴は多い。それは、俺の生まれに関係している。俺の生まれ育ったところはこの学園都市のスラム街だ。薄汚い場所。目覚ましは走り回るドブネズミの足音、食事はレストランの残飯。母も父も知らない、学園生活中に遊びで生まれた子供だった。後はゴミのように捨てられ、しばらくしてスラム街の外れの教会で世話になる。
恨み続けた。全てを。どうして、こんなにも理不尽なのか。教会の食事では足りない俺は盗みも働いた。店に並んだ物を取ることに始まり、刃物で人を脅したこともあった。別に人を傷つけたいわけではなかった。教会のシスターは少なくとも、俺達みたいな子供にも優しく接してくれたし、学校にも行けるようにしてくれた。だが、俺は通うこともなく、ひたすら犯罪に手を汚す毎日。
最も憎いものがあった。残飯を食うことには慣れた。それはいい。だが、家庭のゴミを漁る時が最も惨めに思えた。家族の楽しげな笑い声が食事を不味くさせた。金も飯も奪えばいい、だが、家族というものは絶対に手に入らない。教会で一緒に暮らす仲間達もいるが、奴らも俺と同じで隙あらば人から奪うことしか考えていなかった。その内、スラム街で絡んできた人間達のケンカを買っている内に、獅子王と呼ばれるようになった。昔は伸び放題にしていた髪を見た人間が獅子に見えたことから付けたらしい。実にくだらない。……毎日がくだらなく、生きることしか目的はなく、ただ家庭というものに殺意を向ける日々。何故、大陸同士で争わせるのに、大陸内で争うことをしないのだ。
ある時、巫女に成り立ての少女がスラム街の環境改善の視察に来た。そこから、俺の運命は動き出す。
俺はくだらないちっぽけな感情で行動を起こした。このくだらない世界を作り上た巫女に一矢報いたい気持ち。そんな感情で、比較的安全な方である都市の中心部に近い場所で視察を行う巫女を発見した。走り、取り巻き共を薙ぎ倒し、荒い息で巫女の前に立つ。髪色は自分と同じだが、それ以外は似ても似つかない。健康的な肌色に勝気な目、堂々としたその立ち振る舞いは育ちの良さを感じさせた。
――何が目的なの。
自分の倍はあるレオンを見上げるその姿は怯える様子はない。
――目的などない! 俺はこの大陸の中心であり、力を持ちながらもこの汚れた世界を生みだすお前を許さない傷つける! お前を殺すことが、この大陸に刃を向けると同義だ!
レオンは巫女という名の世界に怒りを吐き出す。レオンは知っている。巫女には絶対に敵わない。巫女と戦うのは大陸というシステムに戦うということ。それでも、怒りを吐き出さずにはいられない。
――アンタが獅子王ね。話は聞いているわ。
じろじろとしたその目つきが気に入らない。
――勝手にそう呼ばれているだけだ。俺の名前はレオンだ。問おう、巫女は大陸の全てを掌握できるんじゃなかったのか。それなら、何故この世界はこんなにも薄汚いんだ!
胸に抱えた毒を目の前の世界へ。獣が吼えた。
――私には力も権利もある。だけど、人がいれば汚れもするわ。貴方が文句を言っているのは当たり前にできる汚れよ。
何事もなかったようにはっきりと告げる巫女レヴィ。
――最初から汚れの中で生まれた人間はどうすればいい!? 生きることが汚れるということなら、最初から汚れている俺はどうしたらいいんだ!? 汚れから生まれ、汚れの中で生きている俺は汚れていくことすら知らない。できることなら、俺も汚れていくことを知る生き方してきたかったんだ。……なあ、お前を殺せば変わるのか。
何故だか分からないが、俺は生まれて初めてむき出しの感情をあらわにした。今目の前に居るのは、俺の生きる世界そのものだと理解し、そこに立つ少女へというよりも少女の形をした世界へと向ける。
レヴィという名前の世界は答えた。
――私を殺しても次の巫女が生まれるだけの話よ。でも、今の話で私は理解したわ。アンタの為に私が一肌脱いであげる。……ねえ、私がアンタの家族になってあげる。私も両親を奪ったこの世界は嫌い、それなら一緒にこの世界を殺し続けましょう。この世界、メルガルは私を愛している。私も愛している。愛しているからこそ、酷く汚い部分があるが堪らなく嫌なの。だからお願い、この私の家族になればメルガルはアンタを愛すると同じ意味。私と共に来なさい、アンタは愛の中で世界を殺し続けるの。
レヴィが手を開く。その手の中に赤色の指輪。
――。
竜の声が聞こえた。そして、俺は竜機神ブルドガングの乗り手となる。
俺とレヴィは嫌いだからこそ愛という言葉を使い世界を壊すことを誓う。兄妹の契りと共に。
※
俺は過去を振り返ることをやめて、ベッドから腰を上げる。壁に備え付けられている電話を手に取る。一番上のボタンを押せば、レヴィへの直通ダイヤルだ。すぐにレヴィの声が聞こえた。
「あら、珍しいわね。レオンから電話なんて」
忙しいのだろう。書類をめくる音がバックから聞こえる。
「すまないな、忙しい時に」
俺の声に、レヴィはクスクスと笑い声を上げる。
「なによ、こんな時だからか知らないけど、やけに可愛いじゃない」
そんなにおかしいのだろうか。俺はため息をつく。
「……話はすぐに終わる。俺はお前に言っておくことがある」
「なによ」
楽しげな声のレヴィ。
俺が緊張しているのが、そんなに面白いのか。
「出会った頃、世界を壊すことばかり考えていた俺だったが。少し考えが変わった。レヴィと過ごして、このメルガルに住む多くの人間と接点を持ち、俺の過ごしたスラム街も綺麗にしてくれた。そして、今はメルガルに住む人間達のことも好きになりつつある。……だから、そのな」
情けない、こんな言葉がたどたどしくなるのは生まれて初めてかもしれない。
また深くため息をつけば、肩の力を抜く。やはり、電話口からレヴィの小さな笑い声がよく聞こえる。
「なにかしら、レオンさん」
わざとらしくおどけた声を出すレヴィ。
「一回しか言わん。レヴィ、お前には感謝している。……仕事サボるなよ」
相手の返事を聞かずに受話器を置く。
閉じたカーテンからは光が漏れている。カーテンを僅かに開けてみれば、学生の数も随分と少ない。避難の準備を始めているのだろう。
「雛型実王、お前が多くのものを生かし守ることでイナンナを救うのなら、俺は多くのものを殺し奪うことでメルガルを守る。……お前の戦いを見せてみろ、この俺に」
俺は再びカーテンを閉める。扉へ向けて歩き出す。
決戦の日は近い。