最終章 終わらない世界
たくさんの星が流れた日、俺は帰ってきた。
両親は何も言わずに何もかも包み込むような抱擁と、おかえりなさい、の言葉をくれた。
涙を流す両親の横顔を見て、帰ってきて良かったのだと改めて思った。
元の世界でも時間が流れていたようで、数ヶ月ものの時間が経過していた。両親がいろいろと頑張ってくれたおかげで高校は退学にならずに済んだものの、出席日数が足りてない俺は進級することもできずに留年をすることとなった。
二度目の二年生。季節は再び巡る。
シクスピースに旅立った時と同じ十一月を迎えていた。
時刻は五時過ぎ。帰宅時間はとうに過ぎていた。場所は教室の自分の席にて。
「進路調査、か……」
薄暗くなり始めた空を見て、机の上のプリントに視線を戻す。
どういう因果か、俺の前には川上先生が立ち、空音と出会ったあの日と同じ光景が目の前で繰り返されている。
――実王さん、どうなさるおつもりですか。
首からチェーンでぶら下げたバルムンクの指輪が喋りかける。
元の世界に戻ってきたことでウルドはどうなるかと思ったが、相変わらずバルムンクとして生きている。
戻ってきたばかりの頃は、戦う理由もない自分を破壊してくれと頼むウルドだったが、それは俺をきっぱりと断った。
なんにしてもウルドの命だ。そんな人殺しのような真似は二度とごめんだ。
今のウルドの存在をどう説明していいか分からないが、俺の守り神のような存在になっている。困っていたら助言をしてくれて、悩んだ時は一緒に考えてくれる。そんな生活に、ウルドも戦うこと以外の存在意義を見出しているように思えた。
「――何をボーとしているんだ。書いていないのは、お前だけだぞ。雛型」
俺が書き上げるのを待ってくれている川上先生がため息を吐く。
いい先生だな。なんて他人事のように思いながら、俺は首を横に振る。
「すんません、すぐ書きますね」
悩みに悩んでいたが、最初から答えは決まっていた。それを文字にしてしまうことをためらってしまう自分がいた。
このままでは、先にはいけないな。と、プリントにペンを走らせる。
俺の書いたものが気になるのか、川上教諭はプリントを覗き込もうとするが――。
『――お呼び出し申し上げます。川上先生、川上先生。外線一番にお電話です。至急、一番のお電話をおとりください』
ピンポンパンポン。
いつ聞いても間の抜けた音楽だと思いながら、川上先生は後ろ髪引かれていますという表情を浮かべるものの、素直に電話をとる準備をするために座っていた椅子から立ち上がる。
「俺、もうすぐ書き終わりますけど、提出したら帰っていいですか」
少し考えるような表情をしたかと思えば、川上先生は俺の目を見て。
「構わないが、真面目に書けよ」
敬礼のポーズをして、俺は頷く。
「了解っす。真面目に書かせていただきます」
「……なあ、雛型」
「はい?」
急に深刻そうな表情を川上先生は見せた。
「雛型は、前と同じ状況をここでやっているわけだが……。お前は、昔も今も変わっていないのか。いや……質問の仕方が悪かった。まだ、探している途中なのか?」
覚えていてくれたのか、嬉しい気持ちになる。
心配そうな視線を受け止め、俺は首をゆっくりと横に振る。
「……少しだけ変わっています。自分の為に、少しだけ」
お互いに真剣な眼差しが交錯する。
川上先生が嬉しそうに笑みを浮かべる。
「そうか、それなら安心だ」
満足そうに言えば、川上先生は教室を後にした。
俺は一人残り、空欄を全て埋めると席を立った。
※
――少しずつ、寒くなってきたな。
ウルドに話かければ、すぐに返事が返ってくる。
――……寒さは感じませんが、空気感というのはなんとなく分かりますよ。
部活動に勤しむ学生達の脇を通り過ぎ、グランドから聞こえる気合の入った声を聞き、高く広がる空を見上げる。
あの戦いからしばらく経つが、未だに体や耳に男の言葉が呪いのように残る。
あの日、ハジマリの言っていた世界を受け入れていれば、俺や世界中の人が望む幸せが訪れたのだろうか。
そんな馬鹿な、と鼻で笑う。
ハジマリのあの姿は人が生み出した化け物だった。化け物となったハジマリは、きっと満足することはない。どれだけ望んでも欲することしかできない怪物だ。……どんな存在になっても、奴は満たされることがないはずだ。
ハジマリを否定して正しかったのだ。あのままなら、奴の生み出す世界の住人が、人の形をした化け物になる。見上げる空、俺は沈み行く夕陽けに言いようのない寂しさにも似た気持ちを感じた。
否定した絶望のない世界と、今でも俺は戦っている。
世界を否定した人間として、俺は背負い続ける。
「ん……?」
スマートフォンが振動していた。
友達のいない俺への着信があるとしたら、両親だろうか。この時間なら、多分母さんだろう。
やれやれ、と思いながら電話の液晶画面を見た。
「空音……」
篝火空音、画面の中央にそう表示されていた。
初めて出会った日に登録した番号からの電話。二度とかかってくることはないと思っていた電話、出会うことがないと思っていた人の名前。
規則的なリズムで振動する電話の着信ボタンを震える指で応答のボタンをスライドした。
「……はい、もしもし」
悪戯電話でないことを祈り、カラカラに乾いた喉で声を出す。
『たすけてー』
棒読みの助けを呼ぶ空音の声。そのまま、プツンと着信が途切れた。
しっかりと聞こえた彼女の声、心臓の鼓動が早くなる。
静かにしてくれ、俺の心臓よ。
「……たすけて、だってよ……。は、ははは……」
――……え!? それなら、早く行きましょう! なんなら、久しぶりにバルムンクになりましょうか!?
心の底から心配するウルドの声に思わず笑ってしまう。
「いや、大丈夫だよ。でも、助けにいかないとな」
――実王さん……?
不思議そうなウルドの声を耳に、地面を蹴り上げた。
迷うことはない、彼女が助けを求める場所なんて決まっている。
※
「たすけてー」
電話を切れば、スカートのポケットに押し込む。
暇ができた彼女は、ブランコに足を垂らしていた。
誰も押してくれないので、自分で後ろに下がり、自分で蹴り上げた。
揺れるブランコ、言ったり来たりするブランコ。
彼女は仕事を終わらせ、役目を全うしてここにいる。
世界と戦い、世界の理を変え、新たな理を作り上げた歴史の立役者とも言える彼女は、ただ一人の人を待ち続ける。
彼女は果たした誓いの行方と、約束を守るためにやってきた。
さあ、もうすぐ彼がやってくる。ブランコから飛んだ――。
※
しばらくランニングをやめていたせいか、体力が落ちたようで肩で大きく息をする。
額の汗を拭い、踏み出した一歩は見覚えのある公園へ。
彼女との思い出が強過ぎて近づくことのなかった場所。そこに、彼女は立つ。
少し照れたように、腰の後ろで手を組んではにかんだ笑みを見せている。
「世界を救った竜機神の乗り手を探しにきました」
俺の目を真っ直ぐに見た――空音は、嬉しそうに目を細めた。
涙で滲む視界を俺は擦り、涙をグッと堪えた。そして、クリアになった視界で彼女を見た。
「……見つかったか?」
今にも泣き出しそうな顔で空音は頷いた。
「――うん、見つかったよ」
歩み寄る空音、俺も少しずつ彼女へと近づいていく。
とてもとても遠いところにいた。だけど、今は俺の目の前に大切な存在が居る。
俺達は互いに世界の果てからやってきた存在で、本来なら決して交わることのない二人。目の前の華奢な体を抱きしめることもできない、触れようと思えば何かを傷つけてしまうかもしれない、たくさんの葛藤の中で、やっと心のままに触れることができる。
手を伸ばせば触れられる距離にいる彼女の顔を見つめた。
「空音の戦いは、終わったのか?」
空音は誇らしげに笑う。
「終わったよ。世界を変え、私達の世界を手に入れたの。……ただの篝火空音となった私がここにいるだけ」
心配そうに瞳が揺れる。
「そうか、それなら安心だ」
「安心? 私は、もう何でもない。どこにでもいる空音だよ。そんな、ただの女の子だよ」
空音は首を傾げた。
俺に疑問も不安もない。身一つでここまで来たことを知り、俺の胸の中がいっぱいに満たされていくような温かさを感じさせた。
「それでいいさ。俺にとっては、この世界でただ一人だけの女の子なんだから。俺がどこまでも大好きな……空音なんだ」
空音の目元から堪えていた涙が溢れ出した。
止め処なく溢れる涙は感情の放出、流れ出す涙を止めようとくしゃくしゃに顔を擦る空音。
「みっ……実王っ……」
泣き続ける空音の肩を掴み、ぐっと胸元に抱き寄せた。
いつか感じた優しい香りと、人よりも高い体温。心が満たされる。
「空音、ただいま」
ずっと言えなかった言葉を口にした。
空音は俺の腰に手を回して、強く強く抱きついた。
「大好き、大好きだよ、実王っ……! ……大好き」
何度も何度も愛情を声にして、胸元に埋めた顔を上げる。
上目遣いの目が俺の顔を見ていた。
「――実王、おかえり」
満たされた心が溢れ、俺達の顔は近づき、距離はゼロになっていく。
目の前の温もりを胸に抱き、心の隅で考える。
これを両親には何と説明しようか、きっと面倒なことになりそうだ。……それもまあいい。
空音とは、今までの空白の期間のことをたくさん話して、これからのことももっとたくさん話をして、困ることができたら、当たり前のように手を繋ぐのだ。
この世界が、俺と君の居場所である限り――。
完
長い間、長い文章、読んでいただきありがとうございました!
次回作は一ヵ月ほどしてから、投稿する予定ですので、また機会がありましたら、その時はよろしくお願いします。
最後までお読みいただきありがとうございました!
心より感謝を申し上げます。