第二十八章 第三話 彼の守る未来と男の壊す創造
最終局面にて、巫女達が一つの場所に集結していた頃。
バルムンクとニーベルハイムの戦いも最終段階に入ろうとしていた。
※
俺は、迫り来るエツェルの矢を寸前で回避する。
「次から次に……!」
緊張状態で詰まった息を吐こうとしたが、放たれる二射三射に対しての回避運動を行うために口を閉じる。
脇を肩を頭部を、エツェルの矢が掠めていく。機体全体は振動し、ただでさえ眩暈を起こしている脳をさらに揺らす。叩きつけられたように落ち着かない操縦席で、回避後、無数に放たれる矢の一撃を刀で叩き落す。
――実王さん! ブルドガングが!
弾き返した刀を頭の上にすぐさま向ける。
「分かっているッ!」
再び鼓膜を破いてしまいそうな轟音、そして骨が軋むような圧迫。
上部からやってきたブルドガングの攻撃をバルムンクの刀で受ける。片手では、支えきれず両手も添える。
両手を上げた状態になり、ガラ空きの胴体に真っ直ぐに向かってくるのはニーベルハイム。
『これ以上、抗おうとするな。私は、お前が不思議でならない。自分の望んだ通りになる世界があるのだ。本来なら、欲しがるものだろう。願うものだろう。……なあ、雛型実王』
向かってくるニーベルハイムから逃れるためにも、渾身の力でブルドガングを押し返し、逆に万歳をしたような状態になるブルドガングを蹴り上げる。その反動を利用し、ニーベルハイムから距離を開き、再び刀を構え直した。
そして、衝撃。刀と刀がぶつかり合い、高密度の魔法を受けた突風が吹き荒れる。
正直なことを言えば、ハジマリの理屈も分からないものではなかった。
小学生の頃、いじめを受けていた時は、世界を恨んでいた。こんな理不尽な世界は、自分の世界ではない。だから、この間違った世界から抜け出そう。そんな風にも考えていた。
他のどこかに自分の居場所がある。そんな言い訳をして、ずっと生きていた。ここではない場所が、自分のために待っていてくれている。そんな幼い気持ちで今まで生きていた。
大切なあの子がいなくなってしまった時もそうだ。
心のどこかで世界に憎しみを全て押し付けていた。誰かを救うという行為も、あの日から自分で選んだ贖罪。そうやって、無理をして生きてきたから、こんな世界にいるのかとも思う。
心に隙が出来ていた。
『お前が守ったとして、どうなる。その世界は、汚れを生むのかもしれない。だから、私の手で救済を行おうとしている』
「ぐぁ……!」
気が付けば、ニーベルハイムとの力の押し合いに負け、魔法の衝撃波を受けたバルムンクはバラバラと破片を撒き散らしながら宙を舞う。
それを逃がすまいと、ニーベルハイムが接近を行おうとしている。
ハジマリは語りかけてくるものの、その一つ一つの攻撃に躊躇を感じられない。俺と話をするつもりはなく、奴は俺に話を聞かせて、自分が絶対的だというのを証明したいのだ。
「勝手なことを言うな!」
不安定な体勢でニーベルハイムの刀を弾き、一旦引いた刀をニーベルハイムは、バルムンクへと振り落とす。体勢を戻しながら、刀を再び受け止めた。
『私が世界を手にすることで、世界は良いものとなるのだ。人が永久に悩み続けている全ての問題を取り除けるのだ。私は、ずっとシクスピースを見てきた。傷つけ、裏切り、自分勝手なことしか考えない世界なんて無駄だ。人という生き物は、永遠に争い続ける』
ニーベルハイムの刀を押す力に再び押し負け、刀ごと機体を弾き飛ばされる。ぐるりぐるりと回転する操縦席の中で一点から動こうとしないニーベルハイムが飛び込んでくる。だんだんと、バルムンクが離れていっているというのに足一つ上げようともしていない。
何故……。そうか、動く必要がないからか。
背後で影が走る。出現したブルドガングの逆刀を刀で受け流す。
「落ちろ――!」
先程蹴り上げた際にできた、ブルドガングの凹んだ脇に向かって刀を横に薙ぐ。
分厚い装甲を強引に刀で掻き毟り、片手でブルドガングを突き飛ばすと爆発。
「四機目! ――がぁ!?」
先程殴りつけたバルムンクの左がなくなっていた。視界の隅には、左腕を貫いて走り去るエツェルの矢が見えた。
一機の代償は重いか。振り返ればニーベルハイムの剣の一撃。寸前でバックステップをしながら、ウルドに声を飛ばす。
――ウルド! ヴァルハラを使う。それしかねえ!
――かなり無理がきてます……。仕方ないです、最果てからやってくる滅びの福音!
「真の竜殺し――」
片腕で刀を振り上げる。いち早く、次の行動を察したのかニーベルハイムはバルムンクから距離をとり、エツェルが矢を放つ。一直線に向かってくる矢を見据えながら、刀に集まる魔法の光を振り落とした。
「ヴァルハラ!」
放たれるのは光の刃。世界すら切り裂くほどの巨大な大きさの刃がエツェルの矢も飲み込み、エツェルの形も溶解させていく。
前方からまともに光を受けたエツェルに自我あるなら、何が起きたのか理解できていないだろう。刀から放たれる刃にしては、あまりに強大なそれは、まるで光の壁が自分を飲み込もうと押し迫ってくるようにしか見えていなかったはずだ。
黒煙のが晴れていく、そこには堂々とニーベルハイムが立つ。
「後は、お前だけだ……」
荒い呼気を吐き、ニーベルハイムを見据える。
『機会があれば、私ごと消し去るつもりだったか。これだけ追い詰められた状況で、賞賛に値するというものだ。――だが、それもここまでだ』
ニーベルハイムが宙を蹴れば、次の瞬間にはニーベルハイムの刀が目と鼻の先まで近づいていた。
刃を交えては、離れ、再び刃を交錯させる。
『教えてみろ、聞かせてみろ、雛型実王』
低く試すようにハジマリが言う。
『救う価値があるというのか、今の人に』
力で負け刀を持っている腕が上に押し上げられる。守る術のなくなったバルムンクに迫るニーベルハイムの斬撃を、体を逸らして回避する。
『人が生きられない世界なんて、意味はないはずだ。私のことを受け入れろ、雛型実王。そうすれば、失うことのない、平和が訪れる』
不細工な体勢で受け止めた一撃、バルムンクは大きく後方へと退く。
力の差とかいう以前に、ハジマリとは心で戦っているような気がしていた。
失うことを嫌がり、正義感を利用し、最初は逃げるように異世界へ向かった。
俺は弱く、愚かで、きっと世界の命運なんて重過ぎる。
ハジマリが世界を新たに作るなら、誰もが平和に過ごせるのだろうか。
病気もなく、死もなく、争うこともない。このシクスピースには溢れていたもの、元の世界では目を逸らしていたもの。それが一気に救われる。確かに、ハジマリは救済を行う救世主と呼べるのかもしれない。
そのまま、甘言を受け入れてしまいそうだ。――昔の、俺ならば。
「――てめえの作る世界には、人なんていねえよ」
シクスピースでは、争いながらも人が生きていた。必死に何かと抗っていた。
それは人だから、死があり、恐怖があり、争いがあるからこそ、人は必死に生きていく。奴の言う世界は、人が人であるべき理由を全て消してしまう。
刀を掲げ、高速で近づくニーベルハイム。
「それは、救済じゃない。死ぬことと一緒だ」
真っ向からニーベルハイムの刀を受け止める。
片腕だけでは、やはり支えきれない。そのまま、体ごと前に突き出して、刀で受け止めるという考えを捨てて体と体で押し合うように密着させる。
「悩んで、苦しむからこそ、人は人らしく生きていける! 人の心は、何一つ欠けちゃいけねえ! 人間はな……――欠陥だらけだからこそ、誰かを大切に思うことができるんだよ!!」
『難解だ、そんな理屈……』
バルムンクの翼が魔法の光を輝かせる。
――ウルドォ!
――実王さんッ!
バルムンクの二つの目が光る。魔法により、力を増していく推力。増して行くのは性能だけでなく、広げた翼が大きく高く羽を広げていく。
体をぶつけ合わせるニーベルハイムも、その体から黒い光を放ち、まるで巨大な黒い雲が出現したかのように強烈な魔法の力を発生させる。
世界を、空を、白の翼と黒の雲が埋め尽くす。
「そりゃあ、人間をやめて人間を救おうとする奴にには、わからねえだろうよ」
渾身の力を込めて、操縦桿を握り締めた。
酷く痛み手が血を流し、激痛に体が悲鳴を上げる。それでも、残った力を全て投げうってその一撃に全てを賭ける。
『……私の力が負けている』
ハジマリはそこで初めて困惑の色を声にした。
戸惑うハジマリの声を耳に、最後の力でバルムンクの刀を全力で振り切った。
二つの光は弾け、世界を崩壊させるのではと思うほどの光と爆発、そして風と衝撃を与えた。
鮮烈な白と黒の中、意識がスッと遠くなっていった。
※
ゆっくりと目覚めていく、体を動かせば相変わらずの痛みに顔を歪める。
――良かった……。実王さん、ご無事ですか!?
心の底からホッとしたウルドの声を聞き、同じく自分も安堵の息を漏らす。
「俺は、どれくらい寝ていた……?」
――三分も満たない時間です。ただ視界はずっと、黒煙に包まれたままですね。周囲の様子は何も分からない状態が続いていますね。
「体は、どんな感じだ」
――右足、左腕が欠損。後は、全体的に……ボロボロですね。
「すまん、もう少し傷つけずに戦えられていたら良かったが」
――いえいえ、大丈夫ですよ。私のことは気にしないでください、それよりも……まだ生きていますよ。
「……ああ、ちゃんと感じているよ」
目覚めた後から気づいていた。ニーベルハイムの気配を感じる。
ヘドロのように漂っていた雲が晴れ、そこには胴体のみとなったニーベルハイムが宙を浮いていた。
『ここまでやるか、雛型実王』
小さいながらもはっきりと告げるハジマリの声は、確かに怒りを感じさせた。
「お前も、なかなかしぶといな」
小馬鹿にするように言ってみるが、ニーベルハイムは胴体だけになった体をふわりと高い位置へと持って行く。
『まさか、お前にここまで見せることになるとは、思わなかった。……見よ、これが我が軍勢』
十、二十、三十、百……。数えきれないほどの黒い煙がニーベルハイムの周りに出現する。
――そんな……まさか……。
ウルドが震えた声を漏らす。
俺にいたっては、その絶望的な光景に絶句していた。――数え切れないほどの黒い竜機神が空を埋め尽くしていた。
その中には、ウルドの記憶で見た竜機神の姿も見える。
『どうした、言葉も出ないか。本当なら、シクスピースの住人も連れて行くつもりだったが、手持ちの竜機神だけで行くことになったのだ。なに……そう悲観することはない。君は、よくやったと私は思うよ』
じりじりと黒い竜機神の大群は、こちらへの距離を縮める。
今の自分には対抗する術がない、特攻してもどこまでやれるか分からない。
――ウルド、最後までワガママに付き合わせてごめんな。
――謝らないでください、私だって最後まで抗っていたいです。実王さんと共に逝けるなら、私……幸せです。
嘘だと思わせないほどに、ウルドの声は真っ直ぐで清らかなものに思えた。
俺は枯れた体に水分を吸収するように彼女の声に耳を傾けていた。
深く吸った息を、操縦席に充満するように長い吐き出す。そして、迷いのない表情で顔を上げた。
「行くぞ、ウルド!」
――ええ、最後の最後まで抗い続けましょう!
気合を入れ、操縦桿を握り直した。その瞬間、様子がおかしいことに気づく。
目の前の竜機神の軍勢が動きをその場で止めていた。
『雛型実王……お前、何をした……』
「へ……」
言われて、バルムンクの体を見てみる。右腕、左腕……がある。続いて、左足、右足も……ある。
変化はそれだけではなく、全身から六色の光の粒子が溢れていた。細かい粒子が命を持った蛍のように体を何度も往復する。
感じる、力が満ちていく。魔法を使った状態とは比べ物にならいほどの強大なチカラ。
このチカラは、温かい人の温もりのように。まるで、あの子達のように。
※
イナンナの巫女の遺跡最深部。そこにシクスピースの各大陸を治めていた六人の巫女達が立つ。
ヒヨカの飛行船に突然現れたカイムは、ヒヨカ達に世界の真理、そして自分達がやるべきことを伝えた。
巫女である彼女達は、瞬時に自分達がやらなければいけないことを理解した。そして、ヒヨカとカイムの両者の魔法を使うことで、六人の巫女はこの遺跡への転移を行った。
彼女達の目的は一つ。――雛型実王を救い、世界を救うこと。
「やれやれ、まさかこんなことになるとはね」
バイルが肩をすくめて言う。
カイムは目を逸らし、横に立つシンシアを見る。
「いろいろと思うことはあるかもしれない。だけど、今だけでも力を貸してくれ。私達に巫女の力があることを感じているだろう。これは、雛型実王が必死で繋いでくれた希望なんだ。……バイル、シンシア、レヴィ、クリスカ、ヒヨカ。その後でなら、私のことはどうしようと構わない」
カイムは躊躇なく、自分の頭を深く深く下げた。今のカイムにはプライドはなく、ただ何かを守りたい気持ち。昔の全力で大陸を守ると思っていた自分が、再び彼女の心と体を動かしていた。
シンシアやバイルは、呆けた顔でカイムを見て、レヴィはじっとその姿を見つめた。
カイムの言葉を聞いたヒヨカは首を横に振る。
「顔を上げてください、カイム。みんな争いたくもないのに、争うべき理由があった。それだけです」
己の行いを恥じ、カイムは下唇を噛んだ。
次にバイルは困ったように呼気を吐く。
「いろいろ、言いたいことはあるけど……。私だって、君とそれほど変わらないさ。私に君を糾弾する理由はないよ」
タイミングを見ていたシンシアは、その後に慌てて続く。
「――わ、私もそうです。……私は、もう憎み合うのは嫌です。それは、貴女だとしても同じなんです」
「すまない、本当にすまない……」
カイムは顔を上げることもなく、小さくそう口にした。
『私はナンナルに帰れれば、それだけでいいのです。これ以上の言葉が必要と言うなら……今の貴女は、共に脅威と戦う仲間と言ってもいいでしょう』
カイムはクリスカの寛大な言葉を聞き、丸めた拳にさらに力を入れた。
ヒヨカは、レヴィの方を心配そうに見る。ヒヨカの視線を受けたレヴィは、深く深くため息を吐いた。
「レオンを殺したアンタが凄く憎いよ! 今すぐにでも、殺してやりたい! ……だけど、それはレオンも実王も望まない。それに、アンタにはまだやるべきことがある。……この戦いが終わった後は、シクスピースのために全力を尽くしなさい。アンタが誰かを傷つけた分だけ、誰かを救うのよ! ……それが、アンタへの罰よ」
もう、これでいいでしょう。と言えば、レヴィは鼻を鳴らして背中を向けた。
カイムの肩は震えていた。
「君達は優し過ぎる……」
ヒヨカはカイムの肩に手を置いた。
涙で目を充血させるカイムとヒヨカの視線が重なる。
「祈りましょう、カイム。実王さんの元へと力を届けましょう」
カイムは真っ直ぐに視線を受け、強く頷いた。そして、曲げていた上半身を伸ばす。
既に他の巫女達は、バルムンクへと魔法の力を送る準備をしていた。
ヒヨカが両手を上げ、カイムもそれに続いて両手を上げた。高く、高く、たくさんのものを抱え込んでいる彼に届くようにと。
「この世界は、私達の世界です。もう神には屈しません。私は、私達の理でこの世界と共に歩んでいきます。――この世界も実王さんの世界も好きにはさせません」
ヒヨカの放つ青、レヴィの放つ赤、バイルの放つ紫、クリスカの放つ白、シンシアの放つ黄、バイルの放つ緑。一人一人が違う、みんなが違う色。
みんなが違って、みんなが一つになっていく。
ヒヨカが最初に描いた願いが形になっていくように、光の塊はバルムンクへと向かっていく。
「実王さん、貴女は一人じゃありません。私達も実王さんと一緒に戦います。だから、勝って。実王さん、この世界を――」
ヒヨカは実王への言葉を魔法に乗せて飛ばした。
※
――救ってください。
ヒヨカの声が届く。そして、言葉が力であったかのように、バルムンクの全身が輝き出す。機体の色が変わるわけではない、白になるわけでもない。ただそのままのバルムンクだが、全身を六色の光の粒子が舞い漂う。
しっかりと届いたヒヨカの声、俺は気が付けば笑みを浮かべていた。
「ああ、救うよ」
――私達は、誰かの希望なんですね。……希望は、負けるわけにはいかないですもんね。
弾んだウルドの言葉に、俺は深く頷く。
雰囲気が変わりつつあった。勝利を確信していたはずのハジマリからは、俺に対しての恐れを感じさせた。
軽い動きでバルムンクは刀を横に傾け、それを腰元まで回す。六色の光がバルムンクに収縮していく。ただ集まるだけでなく、その光は強く爛々と。
『っ……行け、雛型実王を滅ぼせ』
予期せぬ出来事への戸惑いから、止まっていた思考が動き出したハジマリ。しかし、もう遅い。
今から動き出そうとしても、俺を止めることはできない。
俺のするべきことは、ただ一つだけだった。
バルムンクは刀を軽い動作で横に振るう。その使い方は刀であり、刀として使わない攻撃。既にそれは刀ではなく、魔法を放出するための魔法使いが持つ杖と同義。バルムンクの刃から飛び出した魔法の放流は、実王とウルドの力から行われる魔法と共に放つ光の刃の比ではない。――世界そのものの魔法だった。
光の波は、世界を白に染めながら黒い竜機神達を消滅させていく。白はさらに強く、光は浄化するほど眩しく。消滅から逃れることのできないのは、ハジマリも例外ではない。
何を言っているかは分からないが、ニーベルハイムがジタバタと動いたかと思えば光の中へと呑み込まれていくのが見えた。黒い点だったものが、その輝きの中に消えていく。
「――あばよ、ニセモノの神様」
――世界は光に包まれた。