第二十七章 第一話 ディストピア
通路の先、そこから足音を鳴らして現れたのは――セト。
仮面のような不自然な笑みを浮かべて彼は立つ。
「聞こえませんでしたか? 困ると言ったのですが」
威圧的な声。それは、俺だけでなくカイムに対しても言っているようだった。
セトらしくない言い草に、俺は疑問を向ける。
「お前、さっきから何を――」
――ヒュン。何かが風を切る音がする。
カイムは俺と繋ごうとしていた手をセトへ向け、魔法で出来た矢を放つ。魔法の玉とは違い、相手を刺し貫くための必殺の攻撃。
「離れてろ、雛型実王」
カイムは重たい口調で言うと、俺の前へと体を進める。
先程、放たれた魔法の矢の行った先を見てみれば、セトはそれを手の平で受け止めていた。そこに見えない壁でもあるように、セトの手の平の数センチ前で魔法の矢は活動を止めていた。
「いきなり何をなさるのですか。……カイム様」
セトはその手の前で停止した矢を握りつぶしながら質問をした。
「簡単に潰すか。――お前こそ、そこで何をしている」
何をしている、カイムの口調に驚きはないが、鋭い声からは憤りを感じさせた。
やっとのことでセトの異変に気づき、俺は生唾を飲み込む。
セトは別人だ。外見はセトのものだが、中身は全くの他人。カイムはいち早く、それを感じとり魔法で攻撃を行った。そして、奴はそれを埃でも払うように防いでみせた。
「――さすがに、素直に騙されてはくれませんか」
セトは降参しましたという感じに、両手を広げておどけてみせた。セトの性格では、そんなことはしない。ほとんど戦闘でしか会話をしたことのない俺でも、薄く抱えていた違和感は実感に変わる。
俺も腰を落とし、ジッとセトを見据えた。
「……誰だ」
張り詰めた声でカイムが言うと、周囲の空気が引き締まるようだった。
しばらく、セトは俺達の顔を見回すと、困ったように息を吐いた。
「誰、か。明確な名前はありません。昔はあったのかもしれませんが、今は特別自分のことを呼ぶ人もいませんからねえ。……そうですね、あえて言うならば――神」
カイムの肩が震える。俺はと言えば、全身をおぞましい悪寒が駆け上がる。
神と名乗るセトの目は、俺達を圧倒するには十分な威圧。そして、その声は人のものとは思えないほどに、重く後退してしまいそうなほどの説得力。奴の自己紹介で、俺達は知ってしまった。カイムの言うとおり、この世界には神という存在がいたことを。
息を吸うように、目の前のセトの存在が自分達とは別次元の存在だということが体に沁み込んで行く。
「お前が神だというなら、何の用だ」
半信半疑という感じでカイムが口にする。
「カイム、君はずっと異変を起こそうとしていたようだね。狙いは凄くいいよ、何度も何度も君は戦い続ける運命だったけど、予定を繰り上げて私が出てくることになったんだ。だけど、これ以上の異常事態は、私といえど大幅に予定を狂わせることになる。私の予定では、君は三桁は繰り返すはずだった。……さすがだよ」
カイムが戦いを繰り返していることをしっている。偽のセトの言葉に、カイムは憎しみで目を細めた。
「お前からの賞賛の言葉など聞きたくない。……私を何度も戦わせて、お前は何をしたかったんだ」
カイムの返事をすぐに答えることはなく、薄い笑みを浮かべたセトは俺達の前を通り過ぎ、先程までカイムが座っていた玉座に腰を下ろした。
「私のことを神と呼んでもいいが、この名前は好みじゃない。……そうだな、ハジマリという名前はどうだろう。抽象的でありながら、うまく私を表現していると思うよ」
俺はじれったい気持ちを我慢できず、声を荒げた。
「ごちゃごちゃうるせえな! お前が神ていうなら、証拠の一つでも見せてみろよ!」
ここで神を認めてしまえば、ヒヨカ達の頑張りが目の前のコイツに翻弄されていたことを認めることになる。それだけは、認めたくなくて、強くセトを睨む。
セトは考えるように顎に手を当てれば、思い立ったように玉座から腰を上げれば、人差し指を立てた。
「あれを見たまえ」
その視線の先を見てみれば、壁にできた穴の隙間から飛行船が見える。どうやら、イナンナのものとエヌルタの飛行船が戦闘をしているようだった。
「何をする気だ」
嫌な予感がして、額から流れる汗を感じつつ、その光景を見た。
「こうするつもりだが」
立てた人差し指を下方向にスライドさせた。その指の先、消しゴムで文字を消すかの世に宙を浮く飛行船を擦るかのように上下に動かした。
「さっきから、何を――」
「――これで、信じてもらえるかい。少々、演出が凝りすぎたかもしれないが」
セトは立てていた指を下ろす。そこには、つい先程まであったはずの飛行船二隻がそこから姿を消していた。
驚きで、何も存在しなくなった空間から目を離せずないでいると、カイムは鋭い声をセトに向けた。
「今のはなんだ、何をしたっ」
「落ち着け、カイム。世界から、彼らの存在を削り取ったんだ。なんせ、私は神なのだ。自分で作り出したものを消すぐらい、造作もないことさ。魔法で魔法を消すようなものだ、君にはこういう例えでも伝わるかな。……二人には、信じてもらえなくても、私が君達とは違う上位の存在だということが伝わって何よりだよ」
少しずつ、驚きが落ち着いてくれば、俺の中に疑問が生まれた。
「……おい」
俺の発する低い声に反応して、ハジマリはこちらを見る。
「なんだい、雛型実王」
「消した飛行船はどこへやった」
「あぁ、あの飛行船か。安心してほしい――」
ハジマリは小さくフッと笑う。
「――この世界から消した。最初から、この世界で存在しないことにしたのさ。元からいない者達になったのだ」
気がつけば、俺は地面を蹴っていた。
――実王さん!? 危険です!
ウルドの制止を聞き流し、ハジマリへと駆け出す。
「てめぇ――!」
今さっきまで、俺達の目の前で生きて信念を持ち戦っていた人間を己の力を見せるために消した。たまらなく、許せない。どんな形であれ、彼らも共に戦っている戦友であり守るべき者達だった。それを、まるでゲームのリセットボタンでも消すように……簡単に。
拳を硬くすると、右腕はハジマリへと伸びる。
「話が進まないな。そこで、待っときなさい」
ハジマリを殴るはずの拳は、宙で動きを止めた。引くにも押すにも、見えない手が腕をしっかり掴まえているように一ミリたりとも動かない。
次に、両腕両足に何十キロというおもりを括りつけられたような、理不尽な重さを全身に感じさせた。次第に体は耐え切れなくなり、両腕を地面につければ、それを追いかけるように両足が膝をつくことになる。
恨めしい気持ちでハジマリを見れば、椅子に座ったままで無感情の視線だけを送る。
「そう、それでいい。君はそういう姿が似合うよ」
「ちっ……くしょう……!」
歯を食いしばる俺の頭の中にウルドの声が響く。
――今は我慢してください。……機会を待つのです。その瞬間が来たら、実王さんはきっと動けるはずです。だから、信じてください!
ウルドの口調から、俺を心配する意思を感じられた。ただ無謀にも敵に向かうなという戒めと俺を思う気持ち。言葉の意味に気づき、怒りで胸いっぱいだった心に清浄な空気を流しこまれたようだった。
――分かった。信じる。……その時は、力を貸してくれ。
――ええ、もちろんです。戦う時は二人で一つの私達ですから。
ウルドとのやりとりで、心の平穏を保つ。視線を再びハジマリへと向ければ、全身の重さが少し軽くなった気がした。
俺が話を聞く体勢ができたことに気づき、ハジマリは再び口を開いた。
「――よろしい。……まず最初に、この世界がどうして生まれたのかを君達に話して聞かせよう」
どこか遠くで爆音が聞こえた。
カイムの顔には半分の期待と不安。たくさんの戦いを越えた彼女でも、この出来事は初めてで落ち着かないのだろう。
カイムは求めている、救いを。求める彼女とは違い、俺の中にははっきりとした一つの答えがでていた。きっと、目の前に立つコイツが――この世界の本当の敵。
一切も緩めることのできない警戒心の中、セトの顔をしたハジマリが言葉を続けた。
「この世界は、一度滅んでいる」
カイムが一瞬だけ息を荒くした。そして、俺はといえば、ああやっぱりという諦めに似た気持ち。
――コイツは絶対に倒さないといけない。
直感的に、心が警報を鳴らしていた。