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只今、崖っぷち

 




 大理石の廊下に足音が響く。

 白のローブの裾をはためかせながら走る少女に、他の通行人は何事かと振り返った。

 少女は扉の前まで到達すると、息を整え、裾を正し、乱れた濃い茶をした髪を手櫛でとかした。あまり長くない髪は簡単に元に戻る。

 そして、一呼吸置き、目の前にある重厚な扉をノックした。

師匠(センセイ)、シオンです」

 扉は手を触れることなく勝手に開く、重い音を立てて開いた扉は、彼女が部屋の中に入ると大きな音を立てて閉まった。

 心臓に悪い、とシオンは毎回思う。

 

左右の壁には天井まで届く本棚、それに繊細な造形の額縁に飾られた絵画。モチーフがなにやらおかしく、悪魔が封じられているという噂がある。

 中央には来客用だというソファとテーブルが並び、その上には花瓶に生けられた花、ただしこれは毒草だった。

 窓に背を向けるように置かれてある机の上には小さな水槽。

 水草が茂るその中入っているのは魚ではないというが、シオンはその水槽の中に入っているものを見たことがなかった。

 いつ見ても水草しかないのである。


師匠(センセイ)、いないんですか?」

 机にこの部屋の主の姿はない。扉が開いたのだからいるはずなのだが。

 机の裏に回ってみたが、やっぱりいない。愛用の絹のクッションだけが置かれている。

「こっちだ」

 声と共にソファの背に姿を現したのは一匹の黒猫。どうやらソファでくつろいでいたようだ。

 黒猫はソファから机に飛び移ると、クッションの上に乗り両足を折り畳んで長いしっぽを宙に遊ばせた。

師匠(センセイ)、これはどういう事ですか」

 シオンはローブから一枚の羊皮紙を取り出して、黒猫の前にたたきつけた。



『追加課題


 シオン・マイスは期日までにアーリィにて使い魔を一体所有すること。

 期日は終業日までの一ヶ月、その間の授業は免除とする。


 なお、期日までに学園に戻らない場合、即退学とする。』



 紙の端には猫の印が押されていた。黒猫のサインである。

「それがどうした。文句あるか初級魔術も使えない落ちこぼれ」

 黒猫は涼しい顔をして尾を遊ばせ、毛繕いを始めた。

「わ、私は錬金術(アルケミー)とか薬学の方が得意なんです」

「だったら薬屋にでもなればいいさ」

 興味がないと言わんばかりに黒猫は冷たく言い放った。黄色の目玉が眠たそうに細められる。


 シオンは魔術は全く出来ないが、調合の腕はそこそこ持っている。しかしそれだけではこの黒猫は優秀と言ってはくれない。

 シオンも自分に求められているのが、錬金術でも薬学でも無いことは気付いている。

「ですけど、アーリィなんて行くだけで一月かかるじゃないですか、とても間に合いません」

「安心しろ、行きは俺が送っていってやる。誰も歩い帰ってこいなんて言ってない、馬でも竜でも転移でも使って帰ってこい。召還の手順は教えただろ、アーリィなら贄さえあればまず失敗しない。なんなら風精でも呼べ、後はお前の交渉次第だ」

 黒猫にとっては帰り道が大変なだけの簡単な課題だったが、召還術を一回も成功したことがないシオンにとっては、この課題は越えられない壁のように思えた。

「でも……」

「でもじゃねえ! 退学になんのが嫌だったらさっさと支度しろ馬鹿弟子!!」

「は、はい!」

 シオンの煮えきらない態度に黒猫は全身の毛を逆立てて、威嚇の声を上げた。目は見開き、歯もむき出しで今にも喉笛に噛みついてきそうである。

 その声に涙目になりながら部屋を出ていった。

「全く……」

 一人、いや一匹残った黒猫は、水槽の中に前足をつっこむと、中で泳いでいるものを捕まえ、大きく口を開けそれを食べてしまった。








 部屋から出るときは自分で扉を開けなくてはいけないが、閉まるときは同じである。

 腹の底に響く重い音を、死刑宣告のような気持ちで聞いていた。


 魔術協会が出資する教育機関『学園』の生徒であった。

 先ほどの黒猫は教師で、授業の他にシオンの個別教習を受け持っていた。

 学園のカリキュラムを修了した者の中で特に優秀な者は王国に向かい、地位と財が約束される。

 もちろん学園には才のあるものしか入ることが出来ず、見込みなしとされた者は容赦なく退学となる。


 シオンはこの学園の小等部からの入学だった。

 当時は難なく入学する事が出来たが、年齢を重ねる度に魔力は減少、ついに小等部で習ったはずの簡単な魔術さえ使えなくなってしまった。

 まさに今、退学か進級かの窮地に立ってしまった。

 ちなみに加齢による魔力の減少は珍しい事ではない、シオンと同じ年に学園に入った者は、もう数えるほどしか残っていない。

 それはいつの時代も変わらない事である。


「シオン、課題増えたんだって?」

 とぼとぼと廊下を歩いていると後ろから名を呼ぶ者がいる。その声に青ざめた顔で振り返る。

 そこにいたのは、シオンと同じく白いローブを着た背の高い、金の髪と利発そうな青い瞳が印象的な少女だった。

「あ、リリィ。うん、これからアーリィに行かないと」

「アーリィ? あの猫も無茶苦茶言うじゃない」

 二人は小等部からの友人である。

 落ちこぼれと言われているシオンとは違い、成績は優秀である。

「無茶苦茶しないと進級できないみたい。……リリィ、私薬屋になろうかな」

「やる前からあきらめるの?」

 背の高いリリィは平均よりも小さいシオンを見下ろす形になる。

 たしなめるように言われ、あ、う、と言葉にならなかった息をもらした。

「が、がんばって駄目だったら薬屋になる」

「なら毎日栄養剤を買ってあげる。進級できたらパフェでも奢ってやるわ」

「もちろん三色アイスのだよね? じゃあ頑張らないと」

 

 すっかりシオンの顔色はよくなっていた。

 しばらく二人で廊下を歩いていたが、荷物を纏めるからと、分かれ道でリリィと別れ、寮へと向かう。

「見送りは?」

「ううん、師匠(センセイ)の転移で行くから」

 シオンの後ろ姿をリリィはしばらくの間見つめていた。角を曲がりシオンが見えなくなると、誰に聞かせる訳でもなくポツリとつぶやく。




「薬屋になった方が幸せかしらね」




次回予定『強欲傭兵』

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