婚約破棄された侯爵令嬢ラヴィエンは思い出した。~食に支配された前世の自分を。ポテトチップスはどこで食べることが出来ますの?!~
帝都にて。カフェの一角。見るからに高貴な身分の令息と、愛らしい顔立ちの令嬢が寄り添い合っている。その対面には冷ややかな顔をした令嬢が落ち着いた様子で座っている。
「ラヴィエン・ノルドブルク!貴様の様な冷徹な女、私の―……!」
「――はい。はい。婚約破棄ですわね?了承致しました。わたくしこそ、貴方の様な浮気者、隣のご令嬢に熨斗付けてお渡し致しますわ。ああ、せいせいしますこと!では、ごきげんよう。アルゼ小公爵様」
ラヴィエンは婚約者であったアルゼ小公爵の言葉を途中でぶった斬り、言いたいことだけ言って立ち上がり、お辞儀をした。
そのカーテシーは指先からつま先まで洗練されており、あまりに綺麗な所作だったので、小公爵も周りにいた野次馬も、皆開いた口が塞がらず、颯爽と去っていくラヴィエンを見送った。
◇
「いやはや、痛快だったが、大丈夫か?」
「ゴールドマン」
ラヴィエンはさっさと婚約破棄の現場であったカフェを出て、辻馬車に乗り込もうとしていた。
「見ていたの?」
「侯爵令嬢が辻馬車で帰ろうとするな」
呆れ顔で諫められ、乗り込もうとしていた辻馬車を一旦見送る。ラヴィエンは話しかけて来た男――ノアゼル・ゴールドマンに向き直った。
「いいのか?アルゼ小公爵との婚約が破棄になっても」
ゴールドマンが心配そうに言った。
「かまわないわ。それより」
言葉通り、全くかまわない。それより、先ほどからラヴィエンの思考を支配しているものがある。
「それより?」
「わたくし、無性にポテトチップスが食べたいのだけど……!」
「……は?」
ゴールドマンが目を丸くするのも無理はない。わたくしだって、困惑しているのだもの。――急に、急によ?何の前触れもなく、思い出したのだもの。ポテトチップスを。
どこで食べたのかしら?はしたないかもしれないけれど、素手で掴み、パリパリと音を立てて食べるあの食べもの。やみつきになり、手が止まらない背徳的な塩の味。
「こうしてはいられないわ。エディ!エディー!」
ラヴィエンが呼ぶと、物陰から女性騎士が現れた。エディはラヴィエンの護衛騎士だ。
「いたのか。じゃあ何故辻馬車で帰ろうとしたんだ」
ゴールドマンの小言をそれどころでは無いラヴィエンは無視する。
「エディ。市場に行くわよ」
そうは言ったがラヴィエンには道が分からない。ゴールドマンはラヴィエンの行動に対して顔全体で『?』を表現しているが、ラヴィエンはまた放置する。一体いつまでいるのかこの男。
エディ――ことエディット・ラウゼンは帝国一の魔法剣士である。父に戦場で救われ、恩義を感じているが、侯爵令嬢の騎士をやるにはもったいないと常々思う。だがそれを決めるのはラヴィエンではない。
エディは少し思案して歩き出した。
「‥‥‥こちらです。お嬢様」
「目的の品はなんですか?」
「ポテト……!いも、お芋よ。じゃがいも!」
エディの問いにラヴィエンは食い気味に答えた。
「じゃが?聞いたことのない品種だな」
ゴールドマンが答える。
エディは眉を顰めて思案しながら、野菜の市場へ向かってくれた。
「――ないわ。これじゃない。店主さん、他にお芋はないの?」
野菜市場を訪れた侯爵令嬢に、店主は狼狽えながら応対する。
「へ、へい。ほかというのは―…うちにはとてもー…お嬢様のような高貴な方にお売りできるお芋はー…」
冷や汗をかきつつ頭を下げる店主の足元に、かごに入ったじゃがいもそっくりの芋が見えた。
「店主さん、そちらのお芋は?」
「へ、へい。どちらのお芋で?」
「足元のよ」
店主は慌てながら片足を上げた。
「あ、足元?ああ、これですか?これは白芋ですよ。我々はよく食べますが、お嬢様にはとても―…」
「それを売ってちょうだい」
「へ、へい」
店主が籠ごと差し出した時、ラヴィエンは気付いた。
(――…!お金を持ってないわ)
手元には金貨しかない。ちらりとエディに視線を送る。エディも静かに首を振った。
「ゴールドマン……」
「なんだ?」
「お金を貸してちょうだい」
「えっ。いや、いいけど」
ゴールドマンは懐の布財布から金貨を出した。ラヴィエンは首を振る。
「銅貨よ。持っていない?」
ゴールドマンは固まった。
「も、持ってない」
ラヴィエンのついたため息に、ゴールドマンはショックを受けた。連れの令嬢に、奢ってあげられない事など、経験がないのだろう。
「仕方ないわね。エディ。近くにノルドブルグが投資している商店があったわ。両替してもらってちょうだい」
ラヴィエンから金貨を受け取り、戻ってくるまでゴールドマンはしょんぼりしていた。
◇
「お父様。ただいまもどりました」
「ああ。お帰り。ラヴィエン。カフェのデートは楽しめたかい?」
エントランスの階段から、すらりと背の高い紳士が降りてきた。ラヴィエンの父、ノルドブルグ侯爵は、帝都でも有名な見目麗しい紳士だ。既婚者ながらに若い令嬢からも人気なので、女性除けに最近ちょび髭なるものを生やしている。娘からは不評だが、本人は帝都一、ちょび髭が似合っていると自負している。
ラヴィエンは急ぎ足で階段を登り、すれ違いざまに今日の報告をする。
「ええ。あ、いえ。婚約破棄いたしました」
「そうか。…え?…………そうか、うん」
「それだけですか?」
何度も頷く侯爵にゴールドマンは驚きを隠せない。
「まあ、そうだね。婚約に関しては、相手の令息にもラヴィエンにも期待してなかったからね」
遠くを見つめながら言う伯爵に、ゴールドマンは感心したように言った。
「達観しているのですね」
「僕の娘は一筋縄ではいかないからね。しかしゴールドマン君、また来たの?」
歓迎とも迷惑ともとれない公爵の言葉を、ゴールドマンは流してラヴィエンに付いて階段を登った。
ラヴィエンが向かったのは厨房だ。珍しく調理場に立ち寄ったラヴィエンに、料理長のマーサが声をかけた。
「おや。お嬢様。調理場に来るなんて珍しいですね。なにかデザートでもお作りしましょうか?」
「マーサ、たくさんの油を用意してちょうだい」
「油ですか?何にお使いで?」
「揚げるのよ。芋を」
笑顔のまま固まったマーサの肩に、エディが優しく手を置いた。
ゴールドマンの後ろで侯爵が言った。
「なんだ?一体何がはじまるんだい?」
「僕にも分かりません。会った時から、芋、芋、と言っていました」
扉の入り口で、付いて来た二人が同じ表情で会話をしている間にも、調理場で事が進んでいく。
「もっと薄く。薄くよ、マーサ!」
「これ以上ですか?ぺらぺらになりますが」
「ぺらぺらでいいの」
うすくぺらぺらにカットされた白芋を水にさらす。
「水気を取りたいのだけど……布だと時間がかかるわね……ハッ」
脳内にいい案が浮かんだのだが、少し躊躇する。
「エディ、頼みがあるのだけど」
おずおずと説明すると、エディは表情を変えずに頷いた。
エディが水にさらされた白芋に手をかざす。ふわりと白芋が浮き、エディが生み出した小さな小さな竜巻の中に吸い込まれていった。
「な、なにをしてるんだ?」
侯爵が口をぽかんと開けて聞く。
「乾かしてもらっているのです」
「芋を?」
侯爵とゴールドマンは信じられないという表情でラヴィエンを見ている。
(ええ。ええ。仰りたい事はわかります。帝国一の魔剣士の、最高峰と言われる風魔術を、芋を乾かす為に使わせる令嬢はわたくしくらいのものでしょう)
視線は痛いが気にしない。
(エディの表情を見る限り、まんざらでもなさそうですから)
「マーサ、油の準備は良いかしら?」
「いつでも」
エディによってからからに乾いた白芋を、熱された油に放り込む。
「『油の準備はいいかしら』こんなことを言う侯爵令嬢が、この帝国にいようとは」
ゴールドマンが呟きが油の跳ねる音でかき消される。
「――もういいわ!すくって!」
「はい!お嬢様!」
「もういいのですか?早くないですか?」
手は動かしつつもマーサが言う。
「いいのよ。ほらきつね色になっているでしょう?薄いからすぐ揚がるの」
「……お嬢様は、アカデミーで調理場の経験が?」
「ないわ」
マーサとエディ、ラヴィエンの合いの手により白芋は綺麗に揚がった。
ラヴィエンは慌てて言った。
「あっマーサ!塩よ。塩がいるわ」
「はい。ここに」
ぱらぱらとかける。
「マーサ!もっとよ。マーサが想像している倍かけてちょうだい」
「ば、倍?」
あつあつのポテトフライにたっぷりとかけられた塩。ラヴィエンはごくりと喉をならした。
「では大広間のテーブルへ運びますので……」
ぱくり。手に取って口に運ぶ。調理場にいた全員が驚愕した。この時ばかりはエディも驚いた。
「こ、こらラヴィ…!」
「お、お嬢様!いけません……!はしたないですよ」
ラヴィエンの耳には届かない。もう一枚、手に取って口に運ぶ。
「お嬢様……?」
ラヴィエンの綺麗な空色の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。侯爵とゴールドマンは慌てふためく。
「えっ」
「どうした?」
「閣下が怒るから……!」
「お、怒ったわけではないぞラヴィ……!」
狼狽える二人を気にせず、さらにもう一枚泣きながら口に運ぶ。ごくりと飲み込むと、ラヴィエンは口元に塩を付けてそれはそれは美しく微笑んだ。
『冷美な帝都の蝶』と揶揄されるラヴィエンである。口元に塩がついていようと、美しいものは美しい。
「これよ。これ……!お父様も一枚いかが?ほら、みんなも」
機嫌の良いのラヴィエンに促され、侯爵も一枚つまんで口に入れた。
「ほう……?これは、いけるな」
「おいしいです」
「白芋と塩だけなのに旨いぞ」
白芋のチップスはあっという間になくなってしまった。ラヴィエンが残った白芋を注視する。
「お嬢様、もう一度作りましょうか?」
マーサが言うと、ラヴィエンは神妙な顔で頷いた。
「ええ。……でも、薄さが足りないの……エディ、頼めるかしら?」
エディは頷き、洗練した仕草でレイピアを抜いた。
最高峰の風魔術と、卓超した剣裁きにより、白芋が透けるようにぺらぺらに割かれていく。先ほどのように痛い視線を侯爵たちはもう向けなかった
「スライサー……欲しいわね」
「ス……なんですか?それは」
ラヴィエンが手ぶり身振りで説明する。
「芋に限らず、根菜などを薄く切る道具よ。こう……こんな形でここに刃をつけて……」
「へえ……!いいですねお嬢様。ぜひ作りましょう」
マーサの喜ぶ顔に、ラヴィエンも頷く。
「たしかに便利そうだな。商品として売り出せば売れるのでは?」
ゴールドマンも頷く。
「しかしラヴィエン、白芋のチップスといい、そのスライサー?と言い、どこで知ったんだ」
首を傾けながら言う侯爵に、ラヴィエンも首を傾けた。
「それが、ずっと昔の事だと思うのですが、急に思い出したのです」
「なに?私にはそんなものを食べさせた覚えはないが……」
そうこうしているうちに、白芋チップス二弾が出来上がった。
今度は広間のダイニングテーブルで食べる様に言われ、追加で買って来た白芋も合わせ、大量の白芋チップスがテーブルに並んだ。
(あのシュワシュワした、ポテトチップスに合う飲み物、何だったかしら……)
パリパリと食べながらラヴィエンは考えた。
「お父さま。わたくし婚約したいです」
「‥‥ん?ほう。好いている令息がいたのか?」
侯爵が驚きながらラヴィエンを見た。隣に座るゴールドマンもぴくりと反応する。
ラヴィエンは深窓の令嬢のように呟いた。
「いえ。もう一度婚約破棄されれば、また何か思い出すのではないかしらと」
「‥‥‥‥ゴールドマンくん」
「はい?」
「うちの娘は気でも狂ってるのだろうか?」
「……」
ゴールドマンは白芋チップスを食べることに集中した。
―完ー
読んでいただきありがとうございます。
この後、侯爵領で開発されたスライサーは大当たりし、白芋チップスも帝都で大流行します。
ゴールドマンの正体が分からずじまいでしたが、大物であることは確かです。




