第1章-6 柊あんじぇらが、好きです
「秋川くん!」
謎の少女まことちゃんが出て行った後すぐに進路指導室を出たところ、目の前に柊あんじぇらがいた。左肩に鞄を提げて立っていた。
「おう、何してるんだ。こんな所で」
話しかける。
「勘違いしないでね。別に、待ってたわけじゃないんだからね。たまたま進路指導室の前を通りかかった時に、秋川くんが出てきただけなんだからっ。心配なんかしてないんだから」
要するに、心配して待っててくれたのか。可愛いじゃないか……。
でも、急に彼女らしくないツンデレになったけど。いやしかし確かにそれは、柊あんじぇらだった。
「それで……どうしたんだ? こんな所で」
「さっきのことなんだけど……」
「何だ、それ」
「さっき、私が秋川くんのこと好きかどうかって……江夏さんに訊かれたでしょう?」
「ああ、うん」
「やっぱり、伝えたいなって思って……」
「何を?」
「私の、気持ち」
「…………」
何を言っているんだ、柊あんじぇらは。
つまりそれは、江夏のした質問のあれで、俺のことを好きか嫌いかという話ではなかったか?
「私ね、秋川くんのことが好きなの」
柊あんじぇらはそう言って、恥ずかしそうに俺から目を背けた。
「へぇ……って……マジで?」
「私、嘘なんか吐かないわ。知ってるでしょ? 私が嘘吐かないの」
「あ、ああ……それは、知ってるけど……」
「本気なの。本当に秋川くんのことを好きになっちゃって……自分でもよくわからなくて……本当に好きなのかわからないけど……確実にこれだけは言える。私は、好きでもない人に、クッキーあげたりしないわ」
告白された。信じられなかった。
確認しよう。俺は昔、江夏なつみのことが好きだった。
しかし、今は柊あんじぇらのことが好きで、いつも気付くと彼女のことを見てしまっている思春期真っ盛り状態だ。
「あなたの思い描く未来に、私を付け足して欲しい」
何だか微妙にロマンチックな言葉を付け足して、俺を見つめる柊あんじぇら。
正直に言おう。
俺は、今でも江夏のことが好きだ。諦めた、と自分に言い聞かせていても、やっぱり江夏なつみへの恋は俺の中で終わってはいない。
そして、柊あんじぇらに対する気持ちだって、嘘ではない。嘘であるはずがない。
俺は柊あんじぇらのことが好きだ。
どちらの方が好きかと問われたら、同じくらいと答えるだろう。
最低だと思うかもしれないが、俺の中では事実だ。
俺は、自分の気持ちがわからないでいた。あんじぇらもなつみも、両方欲しいというのが正直な感情。しかしその選択肢は選べない。春木の情報によれば、なつみは大学生と交際していて俺にその幸福をぶち壊すだけの勇気も誠実さも無い。ならば、ここで俺が選ぶのは……。
「俺も、あんじぇらのこと、好きだ」
「本当に?」
「ああ、俺も……」
俺も嘘吐かないよ、という台詞を言いかけて飲み込んだ。
先程、謎の美少女まことちゃんに、遅刻は嘘と同じだと言われ、そんな俺が嘘を吐かない、などと言ったところで、信用なんて得られないと思ったからだ。
「柊あんじぇらが、好きです」
かわりにもう一度好きだと言った。
「どうしよう、嬉しいよ」
あんじぇらはそう言って、俺に抱きついてきた。
何だこのあり得ない展開は……幸せすぎるぞ……。
好きな子が、俺を好きで、抱きついてきて、それを抱きしめて。
こんなに幸せなこと、妄想の中にしか無いと思ってた。だけど今、それが現実に!
やはり朝の十二星座占いなんて、アテにはならないな。
今日最下位のいて座のはずなのに最高だぜ。
「俺だって嬉しいよ」
ふと周囲を見渡して、ここが学校の、進路指導室の前であることに気付いた。
偶然人通りも無く、誰にも目撃されてはいないだろうが、校内で抱き合うことの危険を思い出した俺は、あんじぇらから優しく離れた。
「あんじぇら。俺の……その、恋人になってください」
「うん!」
彼女は最高の笑顔でそう言った。
もう、遅刻をしないと心に誓った。
彼氏が遅刻ばかりする男だなんて、やっぱり嫌だろうからな。
俺は好きな人のためだったら、日課になってしまった朝のニュースの占いを見ずに登校するくらいのことはするさ。
容易いことだ。
「でも、あんじぇら……俺はこれから部活に戻らないといけないんだが……」
「うん。わかってる。あ、でも、少しだけ待って」
あんじぇらはそう言いながら、鞄の中から小さくて可愛い手帳と青いペンケースを取り出し、ペンケースのファスナーを開け、水色のシャープペンシルを取り出して手帳を開き、何かをサラサラと書いた。そして、書き終えて手帳の一枚のページを破った時、
ぼて。
ナイロン製ペンケースが、廊下に落ちる音がした。
思ったよりもドジなんだな、と思った。
「あ、ご、ごめんなさい」
慌てて散らばった文具を拾い集めるあんじぇら。
「俺がやるよ」
そう言って、手伝う俺。
「いいから、大丈夫だから」
あんじぇらは慌てて散らばったものをかき集めていた。
俺が、青色の消しゴムを手に取った時、あんじぇらは立ち上がり、
「ごめんね、ありがとう」
と言った。
青色の消しゴムを手渡した時、あんじぇらは一枚の紙を手渡してきた。
「これは?」
「家の電話番号。今日の夜……掛けて。私、待ってるから」
恥ずかしそうに言って、あんじぇらは廊下を駆けて行った。
俺はその風景を夢見心地で見つめながら、受け取ったメモをジャージのポケットの中に入れた。