第1章-5 遅刻やめるか退学か
俺の手が、進路指導室の扉を叩いた。着替えるのが面倒だったので、体育着姿、つまりジャージ姿のままだ。
「どうぞー」
女の子の高い声が響いた。
ドアノブを回し、扉を開いて閉じる。中に入ると、二人が掛けられるくらいのソファが二つあって、その間に茶色いテーブルがあった。
「秋川あきひとね」
「はい」
左側から声がしたので、そちらを向くと、白い壁に寄り掛かるとても小さな女の子が見えた。高校の制服を着ていたので、おそらく高校生だろう。見た目はもっと幼く見えたが……。
「私の名前は、時田まこと」
俺の勝手なイメージだが、男みたいな名前だと思った。
「はぁ、はじめまして」
「はじめまして」
可愛い声だった。
時田まことは、小さな体をソファへ移動させると、勢い良く座り、
「掛けなさい」
「はい」
言う通りにする。想像以上に柔らかいソファだった。
「秋川あきひと」
「何ですか」
「単刀直入に言いますです。もしも、今後遅刻を繰り返すようなら、私はあなたに『幸福になれない呪い』をかけます」
「は?」
幸福になれない呪い?
何だそれは。
「さあ、誓うです。もう二度と遅刻しないことを。それで契約は完了します」
「えっと……まず、時田まことさんは何者なんですか?」
「そんな事は気にするべきことではないです。誓うですか? 誓わないですか? どっち?」
「いきなりそんな事言われても……」
「誓うと言いなさいです。誓わないなら、退学です」
退学? 何だそれは。
誓うしかないじゃないか。
遅刻しないことか退学か、天秤にかければ遅刻しない方が軽いのは当然。
「じゃあ、誓います」
俺は誓った。
「契約、完了ですね」
そういうことらしい。
いくらなんでも退学させられるわけにはいかないので、もう遅刻はしないことを誓った。
今までも、遅刻する度に、毎回心の中で誓ってはいたんだけどな。
「いいですか、あきひとさん。遅刻するというのは嘘なのです。嘘という行為は、憎むべきものです。だから、嘘を吐く人間は必ず不幸になります。幸福になんて絶対になれません。あなたが今まで遅刻して、どれだけ周囲に迷惑をかけているかわかっていますか? わかっていないとしたら、世界最低の人間です。わかっていて遅刻しているなら、宇宙最低の人間です」
ひどい言われ様だが、返す言葉は無い。宇宙最低の人間らしい。
「はあ、すみません」
とりあえず謝っておいた。
「あきひとさん、今、とりあえず謝ったでしょう」
見破られた。
「とりあえず謝るという行為は、最低の行為に近いです。誠意の無い謝罪の無価値さを、身をもって知るべきです」
「身をもって?」
何を言っているのか、わからなかった。
「いずれわかります」
およそ高校生に見えないほどに幼く見える女子は意味深で悪魔的な笑みを浮かべて、ソファから立ち上がった。
「話は、それだけです。約束を破ったら、絶対に後悔するから」
時田まことは、進路指導室の扉の前で振り返り、そんな言葉を残して部屋の外へと消えた。
扉の閉まる音が、よく響いた。
「何なんだ、一体……」