第1章-4 卓球部とクッキーと呼び出し
体育館に入ると、既に部長の春木すばるが腕組みをして待っていた。
要するに、ここでもまた俺は遅刻したわけだ。
いいわけをさせてくれ、自主練習として体育館の周囲をランニングしていたんだ。
「なんだ、秋川、また遅刻か」
部長の春木すばるは、偉そうな口調でそう言った。まあ、実際部長であるから偉いのだが。
「遅刻ではない。むしろ皆より真面目に練習していたんだ。ウォーミングアップしてたんだよ」
「本当か? 江夏」
何で俺じゃなくて江夏に訊くんだ?
そんなに信用されていないのか、俺は……。
「うーん……まあでも秋川さ、最近真面目だよね。本当にランニングなんかしちゃってたし」
一応擁護はしてくれているようだ。
「ああ、俺はいつだって真面目だ」
「でも、遅刻する以外の話だけどね。今朝も遅刻してたよね」
江夏はそう言って、俺にじとっとした目を向けた。
「おいおい江夏は遅刻が嫌いなのか?」
そんなことを訊いてみた。
「あったりまえでしょ! 遅刻されて気分の良い人なんて酷いドMだわ」
放置プレイというやつか。って、何を言わせるんだ。放置プレイって一体何だろうね。純真な俺には全くわからないぜ。
「つまり、秋川はドMだということか?」と春木。
「うん」
江夏が回答して、俺を足の裏で軽く撫でるようにキックした。
全然痛くない。
しかし蹴られた理由がわからない。
「何で俺は蹴られたの?」
「何となく蹴りたくなった」
なるほど、いつもの気まぐれか。
江夏は、たまに俺を理由なくキックすることがある。
何で俺は昔こんな娘のことを好きでいたんだろうね。過去の自分に訊きたいよ。
☆
さて、卓球部の活動内容は、ただひたすらに卓球をするだけである。
コンセプトは「皆で楽しむ」というだけで、全国大会を目指そうだとか、そういった感情は皆無だった。
男二人に女一人。三人の他は幽霊部員。
つまり、俺と春木と江夏のみ。
今日もまた、いつも通りのメンバーで、コンコンとラケットと卓球台をボールが叩く音が響く。
と、そこへ、いつもとは違う声が響いた。
「秋川くーん!」
柊あんじぇらの声だった。体育館の扉を開けて、俺を呼んでいた。
あぁ! そういえば、クッキーを作ってくれるという約束をしていたんだった。目の前の球を打つのに夢中で忘れかけていた!
「あ、ちょっと、すまん。一旦抜ける」
俺は一緒に卓球していた春木に向けて言うと、小走りで柊の所へ走った。
体育館を出て、扉を閉めた。
「よう、柊」
「秋川くん、これ」
柊あんじぇらは、俺の目の前に良い香りのするクッキーを差し出してきた。
紅茶のような甘い香りのする、四角いクッキーだ。
これがハート型だったりしたら、俺は気絶するくらい嬉しいのだが……とか一瞬頭をよぎったが、好きな女の子から焼きたてのクッキーをもらえる幸せを考えて、その欲張りな思考を恥じた。
サク。
クッキーうめえ。
「どう?」
「柊は、料理が上手いんだな」
「うん。料理には自信があるんだ。私の家ね、母子家庭で、お母さん、いつも仕事で忙しくて、せめて料理くらいは私がって思って」
明るい調子で言った柊だったが、俺は、いきなり少し重い話を聞かされてしまった、と思った。
「そっか……」
何と言っていいかわからず、そんな言葉しか出てこなかった俺の経験の浅さを恥じたい。
「あ、ごめん。変な事言っちゃったかな。私の家のことなんてどうでもいいよね。気を悪くしたならごめんなさい……」
柊は慌てたような早口でそう言って、俺から目を逸らしていた。
「だ、大丈夫、大丈夫だよ、そんな、えっと、えっと、クッキー美味しいよ。これ、良い香りするよな。紅茶とか入ってるのか?」
俺も慌てて、無理矢理クッキーについての話題に方向修正しようとする。
「うん、よくわかったね」
こくりと頷いて微笑んだ柊が可愛い。
そう、可愛い。
「……でもよかった……男の子って、皆甘いもの嫌いなんだと思ってたから……」
「そんなことないよ。俺は好きだし……俺でよかったら……これからも……柊の作ったお菓子とか、食べたいし……」
「本当?」
「ああ」
だって、俺、柊あんじぇらのことが好きだし、とか一瞬言いそうになって、その言葉をクッキーと一緒に飲み込んだ。甘い。
そう、甘い。
「ねえ……秋川くん」
「何だ」
「…………」
柊あんじぇらは、無言で、俺を指差した。
口の周りがクッキーの食べかすだらけかと思い触れてみたが、違うらしい。
「な……何だよ」
「後ろ……」
どうやら、指差していたのは、俺のことではなくて、俺の背後の、体育館の扉だったようだ。
振り返って、見てみると、いつの間にか、体育館の扉が少し開いていて、その隙間から江夏なつみの顔と春木すばるの顔が俺達二人を覗いていた。
「こら、秋川。部活サボッて何してんだ」
と春木がしかめ面で言って、
「秋川……さっき真面目になったって褒めてやったばかりなのに」
江夏なつみが、俺にじとっとした視線を向けて続いた。
「い、いや……これはだな……」
俺が嘘を吐いて弁解しようとしたその時、
「ごめんなさい!」
柊あんじぇらが俺を庇うように前に出て、深々と頭を下げた。
「え……」
戸惑った俺たち。
「私が、秋川くんにお願いして、クッキーを味見してもらってたんです。だから、悪いのは私です」
柊あんじぇらは、全てを正直に告白した。
思えば、何度も会話を重ねてきたが、彼女が嘘を吐いたところを、俺は見たことがない。
一度もだ。
「そうか。柊がそう言うんなら、そうなんだな。じゃあ仕方ないな」
春木はそう言うと、体育館の中に消えて行った。俺と柊と江夏、残された三人。
「柊さん、だよね」
「はい、えっと……あなたは?」
「あたしは江夏なつみ。柊さんは、秋川のことが好きなの?」
いきなり何を言い出すんだこの娘は?
「そ、そ、それは……」
柊はそう言った後、
「…………」
黙ってしまった。江夏からいじめっ子オーラが出ている。
「おい、江夏――」
「秋川は黙ってて」
「…………」
おこられた。
どうして昔の俺は江夏のことが好きだったのかな。
疑問だ。
可愛いと言えば可愛いが、柊ほどじゃなく、自分に甘く他人に厳しくて、すぐ俺のことを蹴ってくる女子なのにな。
「好きなの? 好きじゃないの? どっち?」
「わ……私は――」
柊が何かを言いかけたその時、
《二年一組、秋川、秋川あきひと。進路指導室に来なさい》
突然の呼び出し放送が響き渡った。
女性の声で、可愛らしい高い声だった。俺達はその放送に耳を傾けて会話を中断させた。
「何だろう……」
俺がキョトンとして呟くと、江夏が、
「どうせまた遅刻しすぎで呼び出しとかでしょう? 中学の時から何度呼び出しされてるのよ。馬鹿じゃないの?」
返す言葉がないぜ。
「まあ、行ってくるよ。またな、二人とも」
「うん、またね」
「……」
柊だけが、返事をしてくれた。
俺は呼び出しに従って、進路指導室へ行くことにした。