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間奏 知らない街で

 フラフラとあんじぇらの抜け殻を手に家に戻った彼は、あんじぇらの家に電話を掛けた。

 もしかしたら彼女が家に戻っているんじゃないかと思ったからだ。

 ダイヤルして受話器を耳に当てる。

「…………」

 しかし、電話には誰も出なかった。

 いやな感じがした。

 この世界に自分ひとりだけしか存在していないんじゃないかと考え、恐ろしくなった。

 江夏なつみにも電話してみた。

 出なかった。

 勇気を出して春木すばるにも掛けた。

 これも出なかった。

 どういうことだ、と彼は思った。

 江夏にも春木にも家族がいるはずなのに、誰も電話に出ない。

 不思議な現象だと首を傾げた。

 そして、彼はある可能性に気付いた。

「本当に、この世界に誰も居ない可能性がある。あんじぇらが消滅したわけではなくて、俺自身の世界が、歪んで、ズレたんじゃないか? だとするなら、確かに俺は幸せになることはできない。一人きりでは幸せになることなんて不可能だ」

 確かめよう、と彼は思った。

 外に出て、鍵の付いていない自転車に跨る。

 街は静かだった。

 何の音もしなかった。

 ポケットには、あんじぇらが残して行ったライター。

 荷物はそれだけ。

「誰かー? 居ませんかー?」

 返事が無い。

 ただ闇があるだけだった。

 彼は確信した。

 知らない世界にスライドしたのだと。

 誰もいない世界に入り込んでしまったと。

 本当にそうだとするならば、どうやって抜け出せばいいのだろうか。

 考えても、わかるはずもない。

 彼は夢を見ているような感覚に襲われた。

 自転車の車輪が回る音がよく響いた。

 誰か、誰か、人はいないかと思って、一心不乱にペダルを踏んだ。

 冬の風は、痛いくらいに冷たかった。

 誰かを探しているはずだったが、いつの間にか、柊あんじぇらを探していた。

 しかし、あんじぇらどころか誰ともすれ違わない。

 真夜中を自転車で疾走する。

 どうして、どうして。

 頭の中はそればかりだった。

 柊あんじぇらが居ない世界なんて、意味が無いと思った。



 知らない街に着いた彼。

 その街には人が居た。

 知っている人は居なかった。

 知っている人がいないということは、やはり別の世界に迷い込んだのだと彼は確信した。

 希望を失った彼は、とある公園で自転車から降りた。

 住んでいた街には、もう戻りたくなかった。

 あんじぇらが居ない街なんて、意味が無いからだ。

 大量の車と人が流れていく喧騒の中で、知っている人間を探した。

 これだけ人間がいるならば、知り合いにも会えるはずだと思った。

 しかし、誰にも会えなかった。

 ああ、やはり世界はスライドしてしまったんだと思った。

 これだけの人間が居るのに、誰も自分に気付かない。

 声を掛けてくれない。

 目も合わせようとしない。

 つまり、自分は多くの人間の居る世界から弾き出されてしまったのだと解釈した。

 誰の事も知らず、誰にも知られずに、これから先、生きて行かなければならない。

 彼は、全てのことが、どうでも良くなった。

 最終のバスが過ぎ去った後のバス停。

 そこにあったベンチに座り、寒さでかじかむ手をポケットに手を突っ込んだ。

 ライターに触れた。手に取る。

 閉じた目蓋に、あんじぇらの姿が映し出される。

 声も思い出す。 

 彼は、手の中にあるライターが、あんじぇらなのではないか、と思った。

 何らかの理由で姿を変えられているのだと思った。

 残りのオイルが、あんじぇらの命の残量を示しているのだとも思った。

 少しでもあんじぇらと長く居るために、絶対に火は点けないぞ、と決意した。



 時間が、高速で過ぎる。

 髪はボサボサ、服もボロボロ。

 彼はホームレスになってしまっていた。

 自転車で旅を続けていた彼だったが、その旅は、ある日突然終わった。

 家の無い彼は、野宿を続けていた。

 冬の夜は耐えられる寒さではない。

 だから、夜間は移動、昼間に眠るという日々だった。

 しかし、ある公園で休憩していた時だった。

 移動手段である自転車が突然、無くなってしまったのだ。

 実はこの自転車は盗まれてしまったのだが、彼は、消滅したのだ、と思った。

 彼は、歩いてまで移動することに意味を感じなくなった。

 彼は、いつか消えた自転車が戻って来るのではないかと考えた。

 そして、その池のある公園に住むことを決めた。



 また時間が過ぎる。

 以前よりも更に格好は汚らしくなり、誰もが彼を見て見ないフリをするようになった。

 彼は、それを当然だと思った。

 自分は幽霊のように、誰にも見えない存在になったと思ったのだ。

 残飯を漁る日々を過ごしていて、その生活に幸せは感じているはずもなかった。

 しかし、不幸だとも思っていなかった。

 思わないようにしていた。

 彼が、最も大切にしていたのは、柊あんじぇらが残したライターだった。

 あんじぇらと自分を繋ぐアイテムさえあれば、不幸であるはずがないとすら思っていた。

 しかし、そのライターとも別れることとなる。

 彼は公園のベンチで眠っていた。

 その際に、ポケットからライターが落ちた。

 彼はそれに気付かずに、目覚めると、ベンチを後にした。

 ベンチには、ライターだけが残された。

 夜になり、そこに大きな荷物を持った一人の男がやって来た。

 男は高そうなライターを警察に届けようと思った。

 そして、ライターをポケットに入れ、とりあえずトイレに向かった。

 彼は、といえば、ようやく自分の最高の宝物を落としたことに気付いた。

 ベンチにやって来た。

 彼は戸惑った。

 ライターがあった場所には、ライターは無かったからだ。

 かわりに得体の知れない大きな荷物があった。

 その中に、ライターがあるのではないかと思い、鞄のファスナーを開けようとした時、

「おい! お前! 何してんだ!」

 男の声が響いた。

 その声が、自分に向けられたものだと気付いた彼は、驚いた。

 スライドした世界に存在する自分の姿を見える人間は今まで何人か居た。

 それは死神だと思っていた。死ねば幸せになれるのではないかと、彼は思った。

 死にたくない、と否定した。

 走った。

 ホームレス生活は長い。

 逃げ足は速かった。

「あれ……。俺……」

 彼は立ち止まった。

 その時、自分が、あんじぇらではなく自分の命を選んだことに気付いたのだ。

 最悪だと思った。

 何が何でも、あんじぇらのライターを探し出すべきだったのではないか、と後悔した。

 ベンチに戻り、青白い外灯の下を手探りで探した。

 しかし、いくら探しても、あんじぇらのライターは出てこなかった。

 絶望だった。

「あんじぇら……」

 彼は呟き、地面に膝をついて、呆然とした。





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