第5章-1 やまがっこう
火曜日。
昨日、車に撥ねられたが、俺と接触事故を起こした車両の運転手、楓紅蓮からは何の連絡も無かった。あるいは、あったのかもしれないが、少なくとも俺が家にいる時間に電話が鳴ることは無かった。
登校する時に事故現場を通ったが、車も自転車も当り前のように消えていて、俺の足の痛みも無くて、本当に俺は事故を起こしたのか、という疑問も浮上したが、見覚えのあるタイヤ痕がいくつかあったので事故は本当にあったのだろう。
俺は自転車を二台所有しているから、日常生活で困ることもなく、相手が困っていないなら別に相手の運転手から連絡が無くても問題は無いなと思った。
「おはよう」
「…………」
登校して、春木に挨拶したが、無視だった。
「おはよう」
「…………」
あんじぇらにも言ったが、そっぽを向かれた。
悲しかった。
俺は遅刻をせずに来ても、もう関係を修復できないほど信用を失っているらしい。
春木とあんじぇらと話ができないとなると、俺がクラスの中で話をできる人間なんていないに等しい。江夏は違うクラスだし。自分の交友関係の狭さが憎かった。
あっと言う間に授業時間が過ぎ去っていき、昼休みになった。
俺が自分の席に座り、孤独を噛み締めつつ反省し、自分を責めていると、江夏がやって来て、俺の前の席に座った。半身になってニコニコしていた。
「おう、江夏か」
「秋川、春木が、調べてくれるってさ。時田まことについて」
「本当か?」
「うん。最初は、秋川のためになんか動きたくないって言ってたんだけど、何とか説得したの」
あの自分の意見を曲げない頑固者の春木を説得するなんて、さすが江夏だ。
「どうやって説得したんだ」
「それは秘密よ」
そう言った江夏がニヤリと笑ったその時だった。
《二年一組、柊あんじぇら。進路指導室まで来なさい》
教室のスピーカーから、お馴染みの声が聴こえてきた。校内放送だ。
「え……何で……あんじぇらが……」
最初は、また俺が呼び出されたのかと思った。でも、時田まことの声は、確かにあんじぇらを呼び出していた。
「行ってくれば?」
江夏は、俺と目を合わせずにそう言った。
俺はあんじぇらを泣かせた最低の人間だ。
だけど、それでも、今、あんじぇらは俺にとっては恋人だ。
だから。
「ああ、行ってくる」
勇気を出すんだ。
どんな状況であれ、好きな人のことを心配するのは当然のことだ。だから、俺は今、柊あんじぇらを追って生徒指導室に行く。もう一度、新しい約束をしようと思った。今度こそ、絶対に破らないと誓うから、あんじぇらの近くに居ることを許して欲しいと思った。
色々な感情が浮かんでは消えた。
生徒指導室の前に着いて、俺はあんじぇらが出てくるのを待った。
扉が開いた。
しかし、いざあんじぇらが出てくると、どんな風に話しかければ良いのかわからなかった。
情けない自分を恥じたい。
「…………」
あんじぇらは黙って俯いていた。
「……あ、あんじぇら……」
「…………」
顔は上げたが、目を合わせないで悲しそうな顔をしていた。
時田まことに何か言われたのだろうか。
もしかしたら、あんじぇらまで「幸せになれない呪い」がどうのこうのという話をされたのかもしれない。
「あのさ、あんじぇら――」
「秋川くん、ちょっと、付き合ってよ」
「え?」
あんじぇらは俺の横を早足で通り過ぎていった。
今、あんじぇらは「付き合ってよ」と言った。
えっと……。
俺はあんじぇらの言う通りにあんじぇらに続いて歩いた。
「どこに行くんだ?」
昼休みも、残り少ないというのに、あんじぇらは校庭に出た。
「おい、あんじぇら、どこに行くんだ?」
「……山学校しよう」
「やまがっこう?」
「いいから、行くよ」
あんじぇらが走り出したので、俺もそれに続いて走る。どこへ行くのかわからなかったが、俺が今、一番大事にしたい人間は、柊あんじぇらだ。
彼女の悲しげな背中をひたすら追った。あんじぇらの体が、門を通り過ぎ、学校の外へ出た。
「あんじぇら、どこに――」
「どこでもいい!」
俺の大好きな女の子は叫び、俺の手を握って目を見つめた。目が合った。
「どこでもって――」
「行こう!」
わけが、わからなかった。