第4章-2 最低だ
教室の扉の前に立った。扉は閉まっていた。
扉が閉まっているということは、すでに担任の教師が到着している可能性が高いということだ。
「…………」
恐る恐る扉を開く。
教室内を見渡して、春木すばるが視界に入った。春木は、もう目を合わせようともしなかった。
「…………」
いつものような「すみません!」という声すら出てこなかった。そこには担任の鈴木先生がいて、つまり、それは絶望ということだ。
「……遅刻の理由は?」
鈴木先生は、朝のホームルームを中断して俺を見据えた。
「車に……轢かれました」
「……もっとマシな嘘を吐け」
信じてもらえなかった。
本当のことなのに。
まるで「狼が来たぞ」と言って信じてもらえなかった羊飼い状態だ。
「本当……なんですけどね」
信じてもらえれば、もしかしたら遅刻が取り消されるかもしれない。
そんな期待を抱いて呟いた。
「いいから早く席に着け」
やっぱり信じてもらえなかった。
「はい……」
自分の席に向かって歩いていく途中に、ようやく足が痛いことに気付いて、それが何だか悔しかった。ふと自分の脚を見ると、転んだ時に擦りむいたのだろう。血が滲んでいた。
授業が始まると、俺の足は更に痛み出した。
痺れをまとった鈍い痛みが、左足を包む。
教室内は決して暑くはなく、むしろ女子がスカートの下にジャージを穿くほどに寒かったが、俺は妙な熱さを感じていた。
滝のように汗を流す俺。
痛かったり、強い緊張状態に置かれたときに流れる脂汗というものだろう。
意識も少しぼんやりとして、視界が霞んでいた。
痛みに耐えているうちに、あっという間に午前の授業は終わり、昼休みになった。
この間、俺は、誰と話をすることもなかった。
誰かと話をする余裕なんて、存在していなかった。
「秋川くん。ちょっと来てくれないかな」
柊あんじぇらは、そう言って、俺の手を引っ張り立ち上がらせると、人の気配がしない体育館裏へと連れ出した。その頃には足の痛みも和らいでいて、何とか歩けるほどになっていたので、あんじぇらの前で転んだりするというような、情けない姿を見せることもなかった。
「どうしたの? あんじぇら」
「私、遅刻する人、嫌いって、言ったよね」
「…………」
返す言葉が無かった。
「私は、秋川くんのことを信じたいと思った。信じられる人だと思った。だけど、すぐに約束を破っちゃうし、信じて良いのか、わからなくなるの」
「ごめん」
「謝ったって、意味無いよ。秋川くんが遅刻した所為で、先生がクビになって、卓球部がなくなったんだよ? そのことは話したはずでしょう? どうやって取り返すかなんて、秋川くんが二度と遅刻しないで、二度と約束を破らないで過ごすしかないじゃない。春木くんが愛想尽かしたのが痛いくらいにわかるよ。秋川くん最低だよ。しかも、昨日の今日でだよ? 私は、一体誰を信じれば良いの? 誰も信じられなくなっちゃうよ。そんなの嫌だけど、もう、誰も、信じたくなんかない」
あんじぇらは早口でまくし立てると、俺の真横を通り抜けて、体育館の壁の裏へと姿を消した。泣いていた。泣かせてしまった。最低だ、俺。あんじぇらまで裏切って……。
体育館裏、コンクリートの地面に、水滴一つが落下した。