第3章-7 俺は、変われるだろうか
夜が明けて、日曜日になった。
昨日と同じ時間に家を出て、ママチャリで公園へと向かう。
公園の前にある駐輪場の昨日と同じ場所に自転車を置く。
昨日に続いて今日も快晴。陽射しが暖かかった。
噴水前のベンチには、既にあんじぇらが居て、何かを手に持ってボーっとしていた。
「あんじぇら!」
俺が声を掛けると、こちらに気付いて、微笑みながら手を振った。可愛い。
「いい、天気だな」
俺はそんなことを呟きながらあんじぇらの隣に腰を下ろした。
「そうね……」
しかし、天気とは対照的に、あんじぇらの表情は曇っていた。
「あんじぇら、何かあったの? 元気、ないけど」
「ねえ、遅刻して来るってさ、どういうことなのかな?」
俺は時計を確認する。たしか、昨日あんじぇらと約束したのは昨日と同じ時間、つまり午後二時だ。その時間まではまだ三時間近くもある。
「…………」
あんじぇらが何のことを言っているんだかわからず、首を傾げる俺。
「私はさ、遅刻っていうのは、やっぱり愛が無い証拠だと思うのよね。相手を待たせるということを想像できないなんて、人間としてどうかしてるわよ」
何か、あったんだろうか。怒ったような口調と表情。俺が今のあんじぇらの言葉に同意することは、俺の今までの人生を否定することに繋がってしまうため、どう言葉を返せばいいのかわからない。
「な、何か、あったの?」
一人で怒り続けるあんじぇらが右手に握っていたのは、ライターだった。
愛煙家が持つような銀色で光沢のあるオシャレなライター。
あんじぇらはタバコを吸う娘なのだろうか。
当り前のことだが、現代社会において二十歳未満はタバコを吸ってはいけない。
あんじぇらがそんなルール違反をするとは思えないが……。
「あ、ごめん……一人で怒ってて、私、おかしかったよね」
うん、おかしかったぜ。
「何か、悩みごと?」
俺は訊いた。
「うん」
頷くあんじぇら。
「どんな?」
「聞きたい?」
「ああ、あんじぇらのことを、知りたいよ」
俺がそう言うと、あんじぇらは、一つ大きく息を吐き、話してくれた。
「私の家の話なんだけどね両親がさ、離婚したの」
母子家庭と言っていたな。
父親とは別々に暮らしているということだろう。
あんじぇらは姉が居たと言っていたから、父親が姉の方を引き取ったのだろう。
「それでね、昨日久しぶりに、お父さんと会う日だったんだけど、娘に会うってのに、遅刻して来たのよ。しかも三十分も遅れて来て、もう来ないんじゃないかって、私はすごく不安だったのに、ヘラヘラ笑いながらやって来たの。『やあ』とか言って。それが許せなかったの。その時は来てくれたことでホッとした気持ちが大きくて何ともなかったんだけど、後になって考えたら、腹が立ってきて、ついイライラしちゃった。ごめん」
「そっか……その、ライターは?」
俺は先程からあんじぇらが手の中で転がしている高そうなライターが気になったので聞いてみることにした。
「これ? これも、昨日お父さんからもらったの。何か、お父さんのことを思い出せるものが欲しいって言ったら、ライターをくれたわ。どういう意味なんだろうね。私なんてこれくらいの価値くらいしかないってことなのかな。それともタバコでも吸えばいいの? 放火魔にでもなれっての? ふざけてるって思わない?」
「な、何なんだろうな……」
「本当は、別れてほしくなかった。ずっと家族四人で一緒にいたかった。だから、正直に言えば、お母さんのことは少し憎いかな……」
どうやら離婚の原因は母親にあるらしかった。
「…………」
俺は、怒るあんじぇらにすっかり気圧されてしまって、口をアホみたいに開けていることしかできなかった。
「あ、ごめん。こんな話聞いてもつまらないよね。でも……私って、普段ネコかぶってるけど、本当はこんな女なんだ。温厚なふりして、心の中ではすぐ怒ったりしちゃう……失望、した?」
「いや、別に」
そのくらいのことで嫌いになれてしまうなら、俺は恋で悩んだりしないと思う。
「俺は何があっても、あんじぇらさえいてくれれば、幸せだと思うよ」
と思った。
「……え……ありがとう」
「あ、ああ」
どうやら思ったことが口に出てしまったらしい。
恥ずかしい台詞を吐いてしまったと頭を抱えたい。
とにかく恥ずかしくて、顔を逸らしたい。今の俺の顔は真っ赤に違いない。
「秋川くんのおかげで、私、救われてるんだ」
「え?」
「私も、秋川くんさえ側にいてくれれば、悪い運命とかを打ち破れる気がするの。根拠なんかないけど、なんとなくそう感じる。秋川くんのことが好きだってことに比べたら、どんな悩みでも小さなことだって、思えるんだ」
あんじぇらはそんな恥ずかしい台詞を吐きながら、俺をじっと見つめていた。
「よくそんな恥ずかしいことが言えるな」
「お互い様だと思うな」
にっこりと笑ったあんじぇらが可愛くて、俺はたぶん、更に赤くなっただろう。
「私ね、父親と姉と離れ離れになって、すごく悩んだんだ。どうして私たち娘のことをもっと考えてくれないの、とか、私はこんなに悩んでるのにどうしてうまくいかないんだろう、とかね。でも、それは自分勝手な考えだったと後になって思った。辛くなかったら、離れたいなんて思わないもんね。両親だって、別れる時に悩んで、私たち娘のことも考えた上で天秤にかけて決めたんだ。だから、相手の気持ちを考えることを忘れてはいけない……。そのことに気付かせてくれたのが、秋川くんだったの」
「どうして、そこで俺が関係してくるんだ?」
「私は結構前から秋川くんのことが好きだった。でも、本当に好きなのかどうか自分ではわからなかったの。それで、秋川くんが何を考えてるのかを想像した時に、やっと気付いた。何ていうかな、他人の気持ちを考えることの大切さを……でも、やっぱり私はまだまだ子供だな。気に入らないことは、やっぱり気に入らなくて怒っちゃうもん」
俺は、自分を恥じたいと思った。
先程とは別の意味で顔が赤くなった。
今まで遅刻を繰り返して生きてきた。
それは、遅刻される側の気持ちを考えない最低の行為だと知っているつもりだった。
だけど、知ったつもりになっていただけで本当は何もわかっていやしなかったんだ。
「俺はさ――」
「大丈夫だよ」
俺の言葉を、あんじぇらが遮った。俺が言おうとした多少ネガティヴな言葉を発信前に前向きな言葉で切り裂いてくれた。
驚いた俺が彼女の方を向くと、彼女は優しく笑っていた。
「大丈夫。私たちはまだ若いんだから。まだ、人生は序章なんだから。今の過ちを、過ちにできるように、誠意を持って努力すればいいだけなんだよ」
心に響く言葉だった。
――俺は、変われるだろうか。
変わりたい、と心から思った。
まず、遅刻をしないことから始めようと思った。