第3章-3 カラスが憎い
更にまた次の日のことだった。
金曜日で、ここを乗り切れば二日間の休日が訪れる。
普段遅刻を繰り返していた俺が、遅刻をしないと誓って過ごすということは、強い緊張状態が続くということだ。しかし、すっかり疲労しながらも、時計を見ればいつもの時間。無事起きることが出来たようだった。習慣の偉大さをいとおしく感じた日でもある。
《それでは、週末の占いです》
平日の同じ時間に流れる占いが始まったのを合図のようにして、テレビの電源を落として外に出た。
「アー、アー」
数匹のカラスの鳴き声がした。
「アーアーアーアーアー」
空を見上げてみると、電線にびっしりとカラスが並んでいた。異様な光景だった。青空を黒く塗りつぶすかのようだった。
黒猫とかカラスとか、黒い生き物は、不吉の象徴として登場することが多いが、ここでもそうなのだろうか。俺は遅刻してはいけない状況で遅刻した。時田まことという謎少女は、俺に「幸せになれない呪いをかける」と言った。
もうすでにその呪いの中にいるのだとしたらと考えると、少し怖い。
ええい、細かく考えるな。時間を巻き戻せない以上、寝坊での遅刻という記録が無くなることはない。考えても仕方のないことなのだ。今度こそと俺は人生何度目かの「遅刻をしない」という誓いを立てた。今は、あんじぇらという恋人がいる。守るべき「幸せ」が存在しているのだ。俺は真っ直ぐ前を向いて力強く歩き出す。と、その時だった。
びちゃ。
嫌な音がした。頭に、何かが当たった感触があった。
「え……う……」
何が起きたのか考えて、すぐに思い当たって立ち止まる。
そして、
びちゃ。
また頭に、何かがぶつかった。それは完全な固体というわけではなく、かといって完全な液体というわけでもなかった。温かくもなく、冷たくもない、とても中途半端なものだった。現状の状況から考えて、その正体はただ一つしか思い当たらなかった。
「アーアー」
カラスの、アホっぽい声が、憎かった。
――最悪だった。
鳥の糞が頭を直撃したという珍しく、かつ大変な憤りを感じる出来事に遭遇したわけだが、冷静になってよく考えるんだ。もしも、このまま学校に行こうものなら「鳥の糞を頭に乗せて登校した不潔男」としてクラスメイトに一生記憶されてしまうに違いない。それは嫌だ。かといって、一度家に戻ってシャワーを大急ぎで浴びてから登校したのでは遅刻が確定してしまう。クールな俺が選択したのは……後者だった。
「ぬぅううおおおおお!」
大急ぎでシャワーを浴びながら叫ぶ。
汚いものを落として、着替える。
大急ぎで、走って学校へと向かった。
住宅街を抜け、寂れた商店街を抜け、中学校の前を通り、坂を駆け下りた。そこまで来れば、もう高校は目の前。しかし、門を通り抜け、高校の敷地内に入ったところで、
キンコンカンコン。と。
無情にも、遅刻確定のチャイムが鳴り終わった……。
「こんちくしょう」
また、誓いを破ってしまった……。
僅かな希望を持って開けた扉の向こうには、新しく担任になった鈴木先生がいた。絶望した。
「遅いぞ、秋川。また遅刻か? 懲りない奴だな」
「はい……すみません……」
どれだけ言い訳をしたって、もう遅刻であるという記録は変えようがない。たった今、鈴木先生が、出席簿に俺が遅刻したという記録を記入したところだからだ。
「はぁ」
溜息を吐いて、落ち込みながら着席した俺を、席の近い春木すばるが怖い顔で凝視していた。鈴木先生はすぐに教室を出て行き、それを見た春木は、まっすぐに俺の方に向かって歩いて来て、
「おい、秋川」
俺を呼んだ。
「何だ?」
「もう、遅刻しないんじゃ……なかったのか?」
「実は、カラスの糞が上空から降ってきてな。見事に直撃したんだよ。それで一旦家に戻って頭を洗ってたら、遅れちまった」
「……そうか……約束、だったのにな」
春木に元気が無かった。
「秋川くん」
今度はあんじぇらの声がした。声のした方に振り返ってみる。
「ねえ、秋川くん。もう遅刻しないんじゃなかったの?」
「仕方なかったんだよ……」
「簡単に約束を破る男の子、信用できないな」
耳が痛い。一体何人に同じようなことを言われるんだ、俺は。
「ごめん……」
「私に謝られても……ね」
誰に謝るべきなのだろうか。
とにかく「今度こそ遅刻しない」と、またしても心に誓った俺だった。