第3章-2 姉の話と退職と新たな約束
放課後になった。
今日は卓球部の活動は無く、家庭科部の活動も無かったので、帰りがけにあんじぇらを誘って一緒に帰ることにした。とびきりの笑顔で頷いてくれたのが、嬉しかった。
遅刻をしてしまったということで、幸せになれない呪いをかけられたらしいが、今のところ何も起きていない。そもそも幸せって何だろうっていう疑問が浮上したが、それは高校生の俺が考えてもわからないことだと思って、考えるのをやめた。
あんじぇらと一緒に、住宅街を歩く。
「どうしたの? 何か今日、元気ないけど」
「いや、なんでもないよ」
大丈夫。
大丈夫だ。
あんじぇらが近くに居てくれる限り、俺は幸せだ。
心の中で、そう言い聞かせた。
「あ、もしかして、私が遅刻したの、自分のせいだとか思ってる? 今日のは違うよ。私が勝手に夜更かしして、勝手に遅刻したんだからね」
なんて優しい子なんだ。と俺は感動した。
本当は俺と長電話したせいだろうに。
「……ねえ、秋川くん。話は変わるけどさ」
「何?」
「この間も言ったけど、江夏さんっておかしな人よね」
「ああ」
「でも、私、ああいう人好きよ」
俺も好きだ。
「江夏さんはね、私の姉に似てるなって思って」
「姉がいるのか」
「うん、いたの」
過去形……。そういえば母子家庭だって言ってたし、その辺りのことに何か関係があるのかな。
「自分勝手で手のかかる姉でさ。そんな姉の世話をしてたから、面倒見だけは自信があるんだ」
「俺は、一人っ子だから、そういうの、わからないけど……」
「私は姉みたいに……江夏さんみたいになりたかったの。ある意味、なんていうかな、素直に、なりたいの。でも、どうしても素直になれなくて。あるがままの自分でいられなくて……」
あんじぇらが何となく寂しそうな表情をしているように見えた。
きっと、姉が居た時の方が幸せだったに違いない。
「…………」
「…………」
空気が重苦しくなってしまった。
話題を変えよう。
「ところで、ずっと訊きたかったんだが、あんじぇらは、何で『あんじぇら』っていう名前なんだ?」
「ああ、父親がアメリカかぶれなのよ」
「何だそれ……」
「……ねえ、秋川くん。運命って、あると思う?」
突然そんなことを言い出したあんじぇら。
「運命も呪いも、俺は信じないよ。あるのは、意思だけだ」
俺はそう答えた。信じないというよりも、遅刻をしてしまい「幸せになれない呪い」が発動した今、運命や呪いを信じたくないのだろうと自己分析した。
☆
次の日。木曜日。
俺は遅刻せずに登校した。遅刻するというのがいつも通りの俺なので、またしても皆驚いたが、その日、俺が間に合う以上に異常なことが起きた。
「担任の佐藤先生は、退職してしまったので、今日から私が担任です」
鈴木という男性教師が、あっさりとした口調で担任の交代を告げた。
「え? 何で?」
「佐藤先生どうしたの?」
ざわつく教室。
俺も理解できなかった。
昨日職員室で会った時も、帰りのホームルームの時も、教師を辞める素振りなんて全く見せていなかったじゃないか。
「詳しい事情は私にもわかりません。はい、それでは出席をとります」
静まらない教室を無視した新しい担任教師の鈴木は、ホームルームを始めて、そして終わらせた。
で、ホームルームが終わった時、春木が「おい、秋川」と話しかけてきた。
「何だ?」
「もう、二度と遅刻するなよ」
わかっているさ、そんなこと。俺は今までの遅刻人生に深く反省しているし、ここ最近は毎日のように遅刻しないことを心に誓っている。
「ああ、絶対に遅刻しないさ」
「絶対……だぞ」
「約束する」
「ああ、約束だ」
また俺は、約束した。
普段ほとんど真面目な顔をしない春木すばるが、深刻そうな表情をしたのが、新鮮だった。