第2章-4 ムシャクシャの理由
放課後は、また卓球部の活動があった。
「さて、ランニングにでも行ってくるか」
わざとらしく、近くで着替えをしている春木にそう言った俺は、部室を出て駆け出した。
教室に居る時のあんじぇらは、どうやら俺と付き合っていることを周囲に知られたくないらしく、目も合わせてくれなかった。しかし、もはや俺とあんじぇらは恋人同士。
相手の考えていることなんてお見通しだ。
彼女は、俺がいつものように家庭科室の前をランニングすることを知っているのだから、そこで待ち伏せているに違いない。
ウキウキしながら走っていたら、いつの間にかスキップになっていた。
他人からすれば不審者に見えるに違いない。
「あ、あんじぇら」
俺は、十二月の気温に冷やされたコンクリートの上で体育座りする柊あんじぇらを見つけた。
膝を抱えた姿が、可愛かったが寒そうだ。思った通り、この場所で待っていてくれた。やはり恋人同士、通じ合うものが生まれているのだろうか。
「……秋川くん。何か、私に言うこと、無い?」
開口一番、あんじぇらはそう言った。
何のことだろうか?
好きだ、とでも言うべき場面なのかな。
「……」
恥ずかしくて、口に出せなかった。意気地が無い自分を恥じたい。
「私と、約束したよね?」
約束?
「私、ずっと待ってたんだよ。家の電話の前で、夜の間、ずっと」
「あ……」
うあー、しまったぁぁあ!
いきなりの大失態をした。昨日、あんじぇらとの別れ際に、夜に電話を掛けてって言われたじゃないか。いきなり約束を破ってしまったのか、俺は……。
何が恋人同士通じ合っている、だ。
あんじぇらが目を合わせなかった原因も、俺が電話しなかったからで、遅刻してしまった理由も、俺からの電話を待っていて夜更かしして寝坊したからだろう。
ジャージのポケットをまさぐり、一枚の紙を取り出す。あんじぇらの電話番号が書かれたメモだ。浮かれすぎて大事な約束をすっぽかすなんて、俺は最低の男だ。
「ごめん、あんじぇら」
「忘れてたの?」
「ごめん」
「どうして? どうして、私との約束を忘れたりするの? いつも遅刻して来るし、秋川くんは簡単に約束を破る人なの? 私待ってたんだよ? 辛かったんだよ? 日付が変わる時刻まで待とうって思って、電話は全然鳴らなかったから、あと二時間待とうって思って……。そうやってずっとずっと待っている間に、朝になっちゃって。結局眠っちゃって、寝坊して……」
「ごめん!」
正座して、頭を下げる俺。
「ねえ、秋川くん」
「な、何?」
「秋川くんは、釣った魚には餌をあげない人なの? というか、私、魚として釣られたつもりないんだけど」
「何で俺は、あんじぇらに電話するっていう、一番大事な用事を忘れてしまっていたんだろうか」
「私に訊かれたって、わからないよ。秋川くんが、何を考えてるんだか、わからないよ」
悲しいことを言われた。
ついさっきまでは、あんじぇらを近くに感じていた俺だったが、今では、遠い。
姿が見えて、手を伸ばせば触れられる位置にいるはずなのに、見えない壁で隔てられているかのようだ。
何だこれは。
何だこの壁は。
「あんじぇら」
「何?」
「ごめん……」
謝ることしかできない。
「秋川……何してるの?」
背後から声がした。江夏なつみの声だった。
「バイバイ、秋川くん」
柊あんじぇらはそう言って立ち上がると、逃げるように走り去ってしまった……。
「あ……」
俺は、情けない声を漏らすことしかできなかった。
「秋川」
「うるせえな! 話しかけるなよ!」
「ご、ごめん」
しまった。江夏に八つ当たりしてどうするんだ、俺は。最低じゃないか。
謝ろうと思って振り返ったが、そこに江夏はもういなかった。
なんだか、泣きたい気持ちになった。