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第9話「知の任務の予兆」


官兵衛から、結衣に一つの指示が下された。


「篠田と共に、北の村へ向かえ。奇妙な熱病が出ておるという報せじゃ。」


息をのむ結衣。未知の病、そして戦国の村という閉ざされた世界。医療の常識も道具も異なる中で、何ができるのか――。


出発の朝、空気はひどく冷たかった。霜の降りた道を馬で進みながら、篠田が低く呟く。


「病の村へ行くなど、誰も好んでは行かぬ。……怖くはないのか?」


「怖いです。でも、誰かが行かないと、広がるかもしれないから。」


結衣の声は震えていたが、目はまっすぐだった。その強さに篠田は一瞬、息を止める。


出立前、結衣は官兵衛の前で準備を確認した。


「北の村では、病がうつる可能性もあると聞きます。こちらから出向く者の分、布を使った口と鼻の覆いを用意しました。村にいる者や現地の医者、看護人にも渡して着けてもらうつもりです。また、必要になりそうな薬草や包帯も、限られた範囲ですが持っていきたいと考えています。」


官兵衛は腕を組み、目を細めた。


「ふむ。理由は?」


「布は、咳や唾で病が運ばれるのを防ぎます。薬草や包帯は、傷や高熱の者に応急処置するためです。村に到着してからでは、すでに病が広がっているかもしれません。可能な限り、先手を打ちたいのです。」


官兵衛は短くうなずいた。


「……理にかなっておるな。よかろう。」


結衣は兵士たちに声をかけ、全員に布を渡した。


「皆さん、口と鼻を必ず覆ってください。村に着く前に、全員がこれを装着することが重要です。病を運ぶのを防ぐのは、村人を守るだけでなく、自分自身を守るためでもあります。」


兵士たちは互いに確認し合い、布を鼻と口にしっかりと結び、出立前の準備を整えた。結衣はほっと息をつき、箱に薬草や葛湯を積み込み、馬に積む。


「これで少しでも、病にかかる者を減らせるかもしれません。」


篠田も黙ってうなずき、二人は北の村へ向けて邸を後にした。




やがて村に着くと、荒れた家並みと沈んだ空気が二人を包んだ。家の外で伏せたまま動かぬ少女、戸を固く閉ざす家、嗅ぎ慣れぬ乾いた血と薬草の匂い。


「……これは、ただの風邪ではないな」

と篠田が眉をひそめる。


結衣はうなずき、手早く指示を出した。村人や役人、現地の医者や看護人に布を配り、必ず着けるように指導する。


「咳や唾でうつるかもしれません。必ず布を着けてください。手も水でこまめに洗って。守るのは自分たちだけではなく、村全体です。」


村人たちは少し戸惑いながらも、結衣の真剣な声に背中を押され、布を結び直す。篠田も兵士に向かって声をかけ、全員の安全を守る姿勢を確認した。


結衣は葛湯を煎じ、まだ元気のある兵士たちに温かく注ぎながら説明する。


「これは体を温め、寒気や肩のこわばりを和らげ、体を丈夫にする薬です。血の巡りもよくなり、痛みも少し楽になります。まだ元気のある方だけ飲んでください。体力のない方や汗をかいている方には控えましょう。」


温かい葛湯を口にした兵士たちは、顔色が少し明るくなり、表情が和らぐ。結衣はほっと息をつき、今後の戦いに備えて小さな準備の大切さを改めて実感した。




その夜も、結衣は眠らなかった。水で濡らした布を、熱にうなされる少女の額にそっと置き替える。母親は疲れ果て、眠りの中で手を握りしめている。荒い息が続くたび、結衣の胸は痛む。


篠田がそっと戸口から声をかけた。


「少しは休め。そなたも熱を出すぞ。」


結衣は首を振る。


「この子の熱が下がったら……少しだけ、休みます。」


篠田は苦笑いし、焚き火に薪をくべた。


「……おかしな娘だ。武も持たず、戦も知らぬくせに、こんな場所で命を懸けるとは。」


「戦う形が違うだけです。私の武器は、知っていることと、信じることですから。」


その言葉に、篠田は何も言えなかった。


夜明け前の静寂。

結衣の手を、少女の小さな指がかすかに握り返す。

「……っ」

息を呑み、布をめくると額の熱がわずかに引いていた。

まるで奇跡のようだった。




日々は静かに、しかし確実に流れていった。少女の熱は下がり、村人の咳も少しずつ減った。布と葛湯、手洗いの徹底、結衣の冷静な指導が功を奏している。兵士たちも交代で診察や運搬を手伝い、少しずつ村に秩序が戻っていった。


ある日、少年の母親がそっと結衣に言った。


「お嬢さんが来てくださってから、村に希望が戻りました。本当にありがとうございます。」


結衣は微笑みながら布を手に取り、少年の額に置く。


「皆さん自身の力で守ることもできます。一緒に頑張りましょう。」


村人たちが互いに助け合い、体力のある者は葛湯を飲み、皆で手洗いを励行する姿は、寒い冬の中でも暖かさを感じさせた。子どもたちは恐る恐る外に出て、兵士と一緒に雪の上で遊び、笑顔を取り戻していく。


篠田はその様子を見て、静かに首を振った。


「……武を持たぬ者の戦いも、こうして人を守ることになるのか。」




数日後、少年は元気に立ち上がり、母親の手を握ることができた。

村人たちは感謝の言葉を口にし、戸を開けて外に出る。人々の息づかいが戻り、焚き火の煙は朝の光に溶けていった。


結衣は深く息を吸い、冬の冷たい空気を胸いっぱいに取り込む。

恐怖もある。でも、頼れる人がいる。それだけで心は少し軽くなる。

日々の小さな戦いを乗り越え、結衣は自分の力を少しずつ確信していた。




✜この物語はフィクションであり、実際の歴史•政治•人物•世俗•習俗•人物•宗教•国•文化•医療•経済等とは一切関係ありません。


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