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第7話「静かな朝に宿る決意」


昨夜の小規模な戦闘の余韻が、夜明けの静けさの中でまだ胸に残っていた。

竹林を抜ける風の音も、遠くで鳴く鳥の声もいつもより鋭く耳に届く。

身体の奥に眠る疲れと、不思議な満足感がゆっくりと私を目覚めさせた。


「そろそろ朝餉だ」


振り返ると、篠田が戸口の影に立っていた。

昨日の戦いで共に負傷兵を運び、私の判断を信じて動いてくれた人――その穏やかな視線を見ると、胸の奥が少しだけ温かくなる。


「おはようございます、篠田さん」


「……今日は、よく眠れたか?」


短い言葉に、気遣いと信頼が自然と滲んでいる。

私は小さく頷き、彼に並んで膳に向かった。


温かい粥が湯気を立てている。質素だけれど、昨日を越えた今では、まるで心を支える灯火のようだ。

向かいに座った篠田が、そっと箸を置きながら言った。


「恐れもあっただろうに……よく働いた」


「……みんなが、私を支えてくれたからです」


言って、自分でも驚いた。

“戦国のただ中にいる”という実感が、ようやく痛みではなく、確かな手応えとして胸に残っていた。



食後、私は屋敷の掃除、洗濯、薬草の仕分けなど日々の務めを任されるようになった。

その中で、現代で覚えていた効率のよい干し方や簡易消毒が役立つことも多く、兵士たちが「結依殿の知恵は助かります」と声をかけてくれる。


そんな中で、ふと“異質な音”が耳に入った。


カタッ、カタカタッ――。


不思議な一定のリズム。

音のする方へ足を向けると、小さな離れで若い書役が机に向かい、木製のそろばんを弾いていた。


「あ……そろばんだ」


思わず声が漏れた。

書役が驚いた顔でこちらを向く。


「ご存じで?」


「はい、少しだけ。私の時代でも使います」


言ってしまってから慌てて口をつぐむ。

“私の時代”などと言ってはいけないのに。


だが書役は気にした様子もなく、興味深そうにそろばんを抱えてきた。


「ならば、少し弾いてみられますか?」


緊張で喉がこわばったが、私はそっと指を乗せる。

親指と人差し指で珠をはじく感覚は、意外なほど身体に残っていて、数珠が軽い音を立てる。


「おお……」


書役が目を丸くした。


「そなた、随分手慣れているな。官兵衛様は、計数の早い者を重宝される。機会があれば、お役に立てよう」


胸が少し熱くなる。

私が知る世界と、この時代の生活が静かに繋がったような気がした。



午前の終わり、兵士のひとりが火の扱いを誤り、手の甲を軽く火傷した。


「冷やします。水を汲んでください」


私は周囲に指示を出し、患部を冷やし、薬草を塗った。

兵士は驚いたように私を見つめ、やがて安堵の笑みを浮かべる。


「結依殿……あなたのおかげで助かりました」


その一言が、また胸に灯を点した。


すぐそばで様子を見ていた篠田が、穏やかに言う。


「本当に……そなたの知恵はよく働く」


その声は、昨日の戦い以上に心を落ち着かせる力を持っていた。



午後、馬小屋に向かうと、馬が少し警戒して耳を立てた。

私は静かに声をかけ、手の甲でそっと鼻先を撫でる。

現代で教わった“動物に余計なプレッシャーを与えない触れ方”だ。


馬はやがて呼吸を落ち着かせ、毛づやのよい背中を私の方へ向けてくれた。


「……慣れるのが早いな」


背後から篠田の声。

振り向くと、彼が少し驚いたように私を見ていた。


「官兵衛様は、馬に慣れた者を特に信頼される。そなたの働きは、きっと心強い」


私は微笑んだ。

篠田は多くを語らないけれど、そのひとことは大きな励みになる。



午後遅く、官兵衛が廊下の先からゆっくり現れる。

その背筋の通った姿を見ただけで、空気が引き締まる。


「結衣」


名前を呼ばれるだけで、胸が高鳴る。


「今日、そなたの知恵がいくつも役立ったと聞いた」


鋭い眼差しの奥に、わずかな敬意が宿っている。

私は深く頭を下げた。


「ありがとうございます。微力ですが……励みになります」


官兵衛は短く頷き、言葉を続けた。


「そなたのような者がひとりいるだけで、屋敷の命運が変わる。……誇れ」


その一言に、胸がじんわりと熱くなる。

この人はうわべの褒め言葉を決して使わない――だからこそ、その言葉には重みがある。



夕暮れ。

茜色に染まった竹林を見上げながら、私は息を吐いた。

ようやく、心に静かな決意が生まれ始めていた。


篠田が隣に立ち、ぽつりとつぶやく。


「いつの間にか……そなたは、皆の支えになっている」


「そう、でしょうか……」


「ええ。誰もが気づいています」


夕日が竹の影を揺らし、それが私の胸にも柔らかく触れる。


──私の居場所は、ここにある。

──小さくても、確かに。

──恐怖も不安もある。でも……信頼できる人たちがいる。


昨日までの私では信じられなかった感情が、静かに胸に満ちていた。


この時代で生きることを選ぶなら、

この人たちの力になりたい。

そして――強くなりたい。


その思いが、静かな夜風のように心に染み込んでいくのだった。




✜この物語はフィクションであり、実際の歴史•政治•人物•世俗•習俗•人物•宗教•国•文化•医療•経済等とは一切関係ありません。


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