第6話「初めての戦闘の気配」
屋敷の空気が、いつもと違っていた。
朝から兵たちの足音が早く、緊張のざわめきが屋根を震わせている。
釜戸で湯を沸かしていた結依は、おたまを握ったまま外の気配に耳を傾けた。
「敵が、近いそうだ」
背後から篠田が告げた。普段は穏やかな声音が、今日は──硬い。
「敵……?」
「偵察の報せだ。北の砦から小勢がこちらへ向かっているらしい」
心臓が跳ね、手が止まった。
結依は薬や衛生の知識を使い、兵たちから少しずつ信頼を得ていた。
しかし──戦がすぐそこに迫る現実は、別の恐怖を連れてくる。
誰かが傷つくかもしれない。
命が、今夜この屋敷で途絶えるかもしれない。
「結依殿、医療箱はまとめておけ。すぐに運べるようにな」
「……はい!」
震える指先で包帯、薬草、清潔な布を詰めながら、結依は深く息を吸った。
怖い。
でも逃げたくない。
“自分にできる形の戦い”が、ここにある。
*
夕刻、屋敷の外は静かに緊張していた。
官兵衛は中庭に立ち、少数の兵を前に冷静な声を響かせる。
「敵は数十。焦るな。前に出すぎず、迎撃の陣を固めよ」
その声音は不思議なほど落ち着いており、聞く者の心を整える。
(この人は……ただの武将ではない。人の心を動かす力がある)
結依はそっと胸の前で手を組み、緊張を押し込んだ。
「結依殿、こちらを」
篠田が差し出したのは水の入った桶と簡易包帯だ。
「負傷者が出たら、この小屋に運ぶ手はずになってる」
「わかりました」
数刻後。
遠くから馬のいななき、金属と金属のぶつかる音、怒号が聞こえ始めた。
戦が、始まったのだ。
*
最初の負傷兵が運び込まれた時、空はすでに闇に落ちていた。
「矢傷だ!肩に刺さっている!」
「大丈夫、すぐに処置します」
結依は呼吸を整え、成人男性の肩に深く刺さった矢を慎重に抜く。
傷を洗い、薬草を貼る。
その手は驚くほど落ち着いていた。
「……助かった。おぬし、医の者か……?」
「いえ、少しだけ心得があるだけです」
男はうなずき、眠るように意識を沈めていった。
続いて運び込まれたのは篠田だった。
腕に深い切り傷が走っている。
「これくらい、かすり傷だ」
「駄目です。洗います」
「戦いの前に叱られるとはな」
弱く笑う篠田につられて、結依も少しだけ笑う。
その短いやり取りが、胸の恐怖をわずかに溶かした。
しかし──すぐに次の兵が担ぎ込まれる。
「落馬だ!足を打って……骨が……!」
見るからに足が変な方向へ折れていた。
結依は息を飲む。
「足を固定してください!木の板か何か、ありませんか!」
兵が慌てて板を運ぶ。
結依は足をまっすぐに戻せないことを確認し、できる範囲で腫れを抑え、板と布で固定した。
「動かさないで。すぐには治せません。でも、命に関わる怪我じゃありませんから」
男の呼吸が少しずつ落ちついていく。
だが次は──肩を押さえてうずくまる若い兵が運ばれてきた。
「肩が外れたらしい!」
(脱臼……!)
この時代の屋敷で、真正面から整復するのは危険すぎる。
だが放置すれば一生腕が動かなくなる可能性がある。
結依は深く息を吸った。
「篠田さん、手伝ってください!
彼の腕をしっかり固定して、私が合図をしたら軽く引いて──」
「わかった」
結依は肩の位置を確かめ、力を込めて指示を出す。
「いきます──今!」
ぐい、と兵が腕を引くと、鈍い音がして肩が元の位置に戻った。
「……っ、あ……!」
若い兵は呻きながらも、動かせるようになっていることに気づき、涙をにじませた。
「た、助かった……!ありがたい……!」
結依は胸を撫で下ろした。
*
やがて闇が深まり、外の喧騒が遠ざかっていった。
戦は終わったのだ。
屋敷に戻ってきた官兵衛は、血も泥もついていない。
その冷静な立ち姿に、結依は思わず息を呑む。
「無事で……よかったです」
官兵衛は目だけで結依を見る。
「そなたも、よく働いたそうだな」
その声は淡々としているのに、どこか温かい。
「命を救う者もまた、戦の一部だ。心得ておけ」
結依は静かに頭を下げた。
戦の恐怖と痛みの中で、自分にも果たせる役目があると知った。
背を向けかけた官兵衛が、ふと足を止める。
「この地でしばらく医療の手を任せたい。……構わぬか?」
驚きで胸が熱くなる。
「はい……私でよろしければ」
「篠田。彼女のために一間を用意せよ」
「はっ」
短い命令だったが、その一言が胸の奥を静かに温めた。
篠田が横で小さく言う。
「おめでとうございます、結依殿。官兵衛様が言葉にするのは、滅多にない」
「……そんなに、ですか?」
「ええ。あの方は、見ておられたのでしょう」
焚き火がぱちぱちと弾ける。
その音を聞きながら、結依は静かに思った。
──恐怖はある。それでもこの人たちと共に歩みたい。
この時代で、生きていく道が確かに始まったのだ。
✜この物語はフィクションであり、実際の歴史•政治•人物•世俗•習俗•人物•宗教•国•文化•医療•経済等とは一切関係ありません。




