表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/12

第6話「初めての戦闘の気配」


屋敷の空気が、いつもと違っていた。

朝から兵たちの足音が早く、緊張のざわめきが屋根を震わせている。


釜戸で湯を沸かしていた結依は、おたまを握ったまま外の気配に耳を傾けた。


「敵が、近いそうだ」


背後から篠田が告げた。普段は穏やかな声音が、今日は──硬い。


「敵……?」


「偵察の報せだ。北の砦から小勢がこちらへ向かっているらしい」


心臓が跳ね、手が止まった。

結依は薬や衛生の知識を使い、兵たちから少しずつ信頼を得ていた。

しかし──戦がすぐそこに迫る現実は、別の恐怖を連れてくる。


誰かが傷つくかもしれない。

命が、今夜この屋敷で途絶えるかもしれない。


「結依殿、医療箱はまとめておけ。すぐに運べるようにな」


「……はい!」


震える指先で包帯、薬草、清潔な布を詰めながら、結依は深く息を吸った。


怖い。

でも逃げたくない。

“自分にできる形の戦い”が、ここにある。





夕刻、屋敷の外は静かに緊張していた。

官兵衛は中庭に立ち、少数の兵を前に冷静な声を響かせる。


「敵は数十。焦るな。前に出すぎず、迎撃の陣を固めよ」


その声音は不思議なほど落ち着いており、聞く者の心を整える。


(この人は……ただの武将ではない。人の心を動かす力がある)


結依はそっと胸の前で手を組み、緊張を押し込んだ。


「結依殿、こちらを」


篠田が差し出したのは水の入った桶と簡易包帯だ。


「負傷者が出たら、この小屋に運ぶ手はずになってる」


「わかりました」


数刻後。

遠くから馬のいななき、金属と金属のぶつかる音、怒号が聞こえ始めた。


戦が、始まったのだ。





最初の負傷兵が運び込まれた時、空はすでに闇に落ちていた。


「矢傷だ!肩に刺さっている!」


「大丈夫、すぐに処置します」


結依は呼吸を整え、成人男性の肩に深く刺さった矢を慎重に抜く。

傷を洗い、薬草を貼る。

その手は驚くほど落ち着いていた。


「……助かった。おぬし、医の者か……?」


「いえ、少しだけ心得があるだけです」


男はうなずき、眠るように意識を沈めていった。


続いて運び込まれたのは篠田だった。

腕に深い切り傷が走っている。


「これくらい、かすり傷だ」


「駄目です。洗います」


「戦いの前に叱られるとはな」


弱く笑う篠田につられて、結依も少しだけ笑う。

その短いやり取りが、胸の恐怖をわずかに溶かした。


しかし──すぐに次の兵が担ぎ込まれる。


「落馬だ!足を打って……骨が……!」


見るからに足が変な方向へ折れていた。

結依は息を飲む。


「足を固定してください!木の板か何か、ありませんか!」


兵が慌てて板を運ぶ。

結依は足をまっすぐに戻せないことを確認し、できる範囲で腫れを抑え、板と布で固定した。


「動かさないで。すぐには治せません。でも、命に関わる怪我じゃありませんから」


男の呼吸が少しずつ落ちついていく。


だが次は──肩を押さえてうずくまる若い兵が運ばれてきた。


「肩が外れたらしい!」


(脱臼……!)


この時代の屋敷で、真正面から整復するのは危険すぎる。

だが放置すれば一生腕が動かなくなる可能性がある。


結依は深く息を吸った。


「篠田さん、手伝ってください!

 彼の腕をしっかり固定して、私が合図をしたら軽く引いて──」


「わかった」


結依は肩の位置を確かめ、力を込めて指示を出す。


「いきます──今!」


ぐい、と兵が腕を引くと、鈍い音がして肩が元の位置に戻った。


「……っ、あ……!」


若い兵は呻きながらも、動かせるようになっていることに気づき、涙をにじませた。


「た、助かった……!ありがたい……!」


結依は胸を撫で下ろした。





やがて闇が深まり、外の喧騒が遠ざかっていった。

戦は終わったのだ。


屋敷に戻ってきた官兵衛は、血も泥もついていない。

その冷静な立ち姿に、結依は思わず息を呑む。


「無事で……よかったです」


官兵衛は目だけで結依を見る。


「そなたも、よく働いたそうだな」


その声は淡々としているのに、どこか温かい。


「命を救う者もまた、戦の一部だ。心得ておけ」


結依は静かに頭を下げた。

戦の恐怖と痛みの中で、自分にも果たせる役目があると知った。


背を向けかけた官兵衛が、ふと足を止める。


「この地でしばらく医療の手を任せたい。……構わぬか?」


驚きで胸が熱くなる。


「はい……私でよろしければ」


「篠田。彼女のために一間を用意せよ」


「はっ」


短い命令だったが、その一言が胸の奥を静かに温めた。


篠田が横で小さく言う。


「おめでとうございます、結依殿。官兵衛様が言葉にするのは、滅多にない」


「……そんなに、ですか?」


「ええ。あの方は、見ておられたのでしょう」


焚き火がぱちぱちと弾ける。

その音を聞きながら、結依は静かに思った。


──恐怖はある。それでもこの人たちと共に歩みたい。


この時代で、生きていく道が確かに始まったのだ。




✜この物語はフィクションであり、実際の歴史•政治•人物•世俗•習俗•人物•宗教•国•文化•医療•経済等とは一切関係ありません。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ